イノベーティブな何かを生み出すのに、もしかしたら役立つかもしれないプロセス(と個人的には思っている)。
市場に出回っている商品/サービスは全て、誰かが定義したものだという事に気付くべきだと思う。その定義をひっくり返すには、商品/サービスがどんな機能の組合せで作られているかを精査するのが近道じゃないかな?そして、それぞれの機能を再定義して組み合わせる、という単純作業が実は全く違ったものを生み出す、一つのプロセスなんじゃないか、と最近は考えている。
建設現場で働いて非常に良かったのは、例えばアスファルト舗装されている道路でも、材工が折り重なって出来ていることが実感できた事。マンションなんかを見上げると、そこに投入された血と汗と涙が想像できるようになった事。そうやってモノってできてるんだと思うと、モノの定義を丸ごとひっくり返すというのはムリがあるんだろうな、と感じる。
でも、そこに与えられている機能を分解して、熟考して、再定義してあげると、全体に波及するような変化を生む事ができて、それが即ちイノベーションなんだと思う。
イノベーションって大上段に構えると難しくて、技術もコンセプトもデザインも新しいピカピカのモノを想像してしまいがちで、そうすると、手も足も出なかったりする。一方で、Leading Innovationを標榜する某社社員に聞くと、些細な日常的業務改善もイノベーションと定義しています、と言ってた。それってハードル下げ過ぎでしょ、とも思う。
ウォークマンも蒸気機関車もiPhoneも、そうやって生まれてきたんじゃないかな?世の中を、もっとこうしたい!という欲求と機能分解→再定義、これがイノベーションに繋がる一歩だと思う。
2009年7月15日水曜日
2009年7月13日月曜日
何から逃げるのか?
見えない未来。
ここに留まれば留まるだけ、未来が不透明になって行く。不透明が悪い訳ではない。どこにいても未来は不透明だろう。問題は、未来がないように思えること。
逆に、留まることで見える未来ってなんだ?少し昇格昇給したところで、どこにも、なににも貢献せず、ただ留まるだけになってしまう。既に見えている未来もある。それは、人口動静をベースにした未来であり、その未来に対する社会的な対応である。
この明らかになっている未来は、限りなく暗い。どうやっても明るい未来が描けない。想像力が足りないのだろうか?そう思い、周りに聞き回る作業を、ここの所、続けていたが、結局、描けなかった。そんな悲観的に考えるなよ、という反応がほとんどで、僕を納得させる明るい未来を語れる人はいなかった。
ネットでも説得力があるのは悲観論者だと思う。じゃあ、どうすれば良いんだ、ということが大事。僕は、5年ほど前から言い続けているが、半径1mを大切にして、3世代4家族を養える能力を身に付ける必要があると考えている。
そのためには、サラリーマンでは絶対的にダメだ。ココで培える能力に期待してもダメだ。とにかく離脱すること、自分と家族だけでもサバイブすることに力点を置いて、走るしかない。
視野狭窄かもしれない。ココロが狭いかもしれない。でも、ファンタジーに付き合ってるヒマもない。まずは、稼げる基盤を作らなければ。暗い未来に明かりを灯すために。
ここに留まれば留まるだけ、未来が不透明になって行く。不透明が悪い訳ではない。どこにいても未来は不透明だろう。問題は、未来がないように思えること。
逆に、留まることで見える未来ってなんだ?少し昇格昇給したところで、どこにも、なににも貢献せず、ただ留まるだけになってしまう。既に見えている未来もある。それは、人口動静をベースにした未来であり、その未来に対する社会的な対応である。
この明らかになっている未来は、限りなく暗い。どうやっても明るい未来が描けない。想像力が足りないのだろうか?そう思い、周りに聞き回る作業を、ここの所、続けていたが、結局、描けなかった。そんな悲観的に考えるなよ、という反応がほとんどで、僕を納得させる明るい未来を語れる人はいなかった。
ネットでも説得力があるのは悲観論者だと思う。じゃあ、どうすれば良いんだ、ということが大事。僕は、5年ほど前から言い続けているが、半径1mを大切にして、3世代4家族を養える能力を身に付ける必要があると考えている。
そのためには、サラリーマンでは絶対的にダメだ。ココで培える能力に期待してもダメだ。とにかく離脱すること、自分と家族だけでもサバイブすることに力点を置いて、走るしかない。
視野狭窄かもしれない。ココロが狭いかもしれない。でも、ファンタジーに付き合ってるヒマもない。まずは、稼げる基盤を作らなければ。暗い未来に明かりを灯すために。
2009年7月10日金曜日
元請け気質と下請け根性
随所に表れるゼネコンらしさ。
力関係が下の人が相手の場合、押し付けるだけ押し付けて、自分の役割は「監督だ」として、何もしない人がいる。こういった人は、力関係が上の人には媚びへつらう。本当の意味で、何もしていない、何も作り出していない人たちだと思う。
この類いの人が集まってできた企業の出身者は、会社を離れると使えなくなる人が多い。
何より致命的なのは、対等な立場での付き合い方を知らないことじゃなかろうか。何かをやってもらうためには、こちらから与えていかないとダメ、という事を本質的に理解していない。
「なんでアイツは動かないんだ、動かすために同じことを何度も言って聞かせなきゃいけない。借金取りの気持ちが分かったよ」なんて言うのは、傲慢以外の何ものでもない。
その「なぜ」という疑問を解くには、自分を ふり返る他に方法はない。
取組みの回転を上げていくためにも、ギブ アンド ギブンが必要な事も分かってないようだ。取組んだ結果に、自らのプレゼンスが残るかどうかを良く考えた方がいい。オルタナティブであれば、バスから振り落とされるのがオチだろう。
力関係が下の人が相手の場合、押し付けるだけ押し付けて、自分の役割は「監督だ」として、何もしない人がいる。こういった人は、力関係が上の人には媚びへつらう。本当の意味で、何もしていない、何も作り出していない人たちだと思う。
この類いの人が集まってできた企業の出身者は、会社を離れると使えなくなる人が多い。
何より致命的なのは、対等な立場での付き合い方を知らないことじゃなかろうか。何かをやってもらうためには、こちらから与えていかないとダメ、という事を本質的に理解していない。
「なんでアイツは動かないんだ、動かすために同じことを何度も言って聞かせなきゃいけない。借金取りの気持ちが分かったよ」なんて言うのは、傲慢以外の何ものでもない。
その「なぜ」という疑問を解くには、自分を ふり返る他に方法はない。
取組みの回転を上げていくためにも、ギブ アンド ギブンが必要な事も分かってないようだ。取組んだ結果に、自らのプレゼンスが残るかどうかを良く考えた方がいい。オルタナティブであれば、バスから振り落とされるのがオチだろう。
2009年7月8日水曜日
イニシャル/ランニング2
イニシャルで稼ぐかランニングで稼ぐかは、とどのつまりは商売のネタとして、商品を選ぶのかサービスを選ぶのかに集約される、と言っては言いすぎだろうか?
商品を売ることをビジネスとすれば、自ずとイニシャルで稼ぐことになる。一方、サービスは形が無い分、何度でも利用してもらってランニングで稼ぐことが合理的なように思える。イニシャルでもランニングでも並列的に稼げるビジネスモデルが理想的だが、中々そうは行かないんだろう。
ランニングで稼ぎたいと言うのは、イニシャル偏重型ビジネスの行き詰まりに起因すると以前に書いたが、実態として上手く行った例は少ないと推察される。その理由として、それぞれに求められるビジネス上の力点が異なり、かつ、それに気付いている人が少ないからではないか、と考えている。ビジネスの必要条件はコンセプト、技術、デザインの3点であるとの前提に立って、以下の論を展開する。
イニシャルすなわち商品に求められる十分条件は、一にも二にも「品質」である。性能が飽和したいまの時代において、商品の優劣を決めるのは品質以外にないと思う。メーカーと呼ばれる会社は、ざっくり言うと商品を作っているのだから、品質を追及するのは自然の成り行きである。ゼネコンはサービスを売っているとも言えるが、イニシャルで稼ぐと言う意味で品質を追及せざるを得ない立ち位置にいる。
サービスは「ビジネスモデル」だ。サービスは商品と違って、掛かるコストがイマイチ明確ではない。そのため、ビジネスモデルすなわち稼ぎ方を明確にしておかないと、価格崩壊に歯止めが効かない。結果、無料化してしまうことになる。昨今のWebサービスの無料化は、ビジネスモデルをおざなりにして、人が集まれば広告で稼げるとの見通しが生んだものでもある。無料サービスで人を呼んで課金サービスに誘導する、という下劣な手段がまかり通るのも、ココの認識が甘いからだと思う。
良い商品を作っていっぱい売るか、シッカリしたビジネスモデルを作ってサービスを使ってもらうか、この二つの方向性は全く異なるため、一方のスタイルで邁進した人/企業が宗旨替えするのは容易ではない。だからこそ、イニシャルからランニングへのビジネスモデルの転換に成功事例が少ないのだと思う。
商品を売ることをビジネスとすれば、自ずとイニシャルで稼ぐことになる。一方、サービスは形が無い分、何度でも利用してもらってランニングで稼ぐことが合理的なように思える。イニシャルでもランニングでも並列的に稼げるビジネスモデルが理想的だが、中々そうは行かないんだろう。
ランニングで稼ぎたいと言うのは、イニシャル偏重型ビジネスの行き詰まりに起因すると以前に書いたが、実態として上手く行った例は少ないと推察される。その理由として、それぞれに求められるビジネス上の力点が異なり、かつ、それに気付いている人が少ないからではないか、と考えている。ビジネスの必要条件はコンセプト、技術、デザインの3点であるとの前提に立って、以下の論を展開する。
イニシャルすなわち商品に求められる十分条件は、一にも二にも「品質」である。性能が飽和したいまの時代において、商品の優劣を決めるのは品質以外にないと思う。メーカーと呼ばれる会社は、ざっくり言うと商品を作っているのだから、品質を追及するのは自然の成り行きである。ゼネコンはサービスを売っているとも言えるが、イニシャルで稼ぐと言う意味で品質を追及せざるを得ない立ち位置にいる。
サービスは「ビジネスモデル」だ。サービスは商品と違って、掛かるコストがイマイチ明確ではない。そのため、ビジネスモデルすなわち稼ぎ方を明確にしておかないと、価格崩壊に歯止めが効かない。結果、無料化してしまうことになる。昨今のWebサービスの無料化は、ビジネスモデルをおざなりにして、人が集まれば広告で稼げるとの見通しが生んだものでもある。無料サービスで人を呼んで課金サービスに誘導する、という下劣な手段がまかり通るのも、ココの認識が甘いからだと思う。
良い商品を作っていっぱい売るか、シッカリしたビジネスモデルを作ってサービスを使ってもらうか、この二つの方向性は全く異なるため、一方のスタイルで邁進した人/企業が宗旨替えするのは容易ではない。だからこそ、イニシャルからランニングへのビジネスモデルの転換に成功事例が少ないのだと思う。
2009年7月6日月曜日
イノベーションの条件
最近、スティーブ・ジョブスに感化され(前からか)、イノベーションについて考えていました。
---
イノベーションは明日を作る。
イノベーションは生活を一変させる。
イノベーションはそれが無かった以前の生活を遠い昔の記憶にしてしまう。
イノベーションは周りを巻き込む。
イノベーションは個人が購入の選択権を持っている。
イノベーションは感情に訴えかける。
イノベーションは利用の間口を広げたりスピードを上げたりすることで新しい体験を提供する。
イノベーションは数十倍〜無限大の体験をもたらす。
イノベーションは既存の概念を再定義することで生まれる。
イノベーションは従来型商品と共存できる。
イノベーションは応用発展の可能性を感じさせる。
イノベーションは既存技術の組合せでできている。
イノベーションは測れる何かが減り、測れない何かが増える。
イノベーションは今まで捨てられてきたか、想像すらしたことがなかったアイデアから生まれる。
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イノベーションは明日を作る。
イノベーションは生活を一変させる。
イノベーションはそれが無かった以前の生活を遠い昔の記憶にしてしまう。
イノベーションは周りを巻き込む。
イノベーションは個人が購入の選択権を持っている。
イノベーションは感情に訴えかける。
イノベーションは利用の間口を広げたりスピードを上げたりすることで新しい体験を提供する。
イノベーションは数十倍〜無限大の体験をもたらす。
イノベーションは既存の概念を再定義することで生まれる。
イノベーションは従来型商品と共存できる。
イノベーションは応用発展の可能性を感じさせる。
イノベーションは既存技術の組合せでできている。
イノベーションは測れる何かが減り、測れない何かが増える。
イノベーションは今まで捨てられてきたか、想像すらしたことがなかったアイデアから生まれる。
2009年7月3日金曜日
発生確率1%の震度7と50%の震度5強
BCPとして、どこにターゲットを絞って対策すべきなんだろう?
たぶん震度5強の対策をしてて震度7が来て、想定以上の被害を受けたら、担当者は糾弾されるだろう。逆に、震度7の用意をしておいて、地震が発生しないまま長い期間が過ぎたら、BCP対策費は削減されるのだろう。
「BCP対策費は保険だ」という言う方は簡単だが、実際はそんなに簡単な問題ではない。安全だけを考えれば、費用をふんだんにかければいい。費用が限られてるのなら、ある程度の被害を覚悟しておく必要がある。じゃあ、どっちが良いんだ?
被害は少なくしたいが、費用もかけられない場合がほとんどじゃないのかな?震度7が一定の確率で発生する事が分かってながら、フルの対策を取らないなんてオプションは選びたくないが、費用はない。それなら 「大きな地震なんて来ない」と言って欲しいと感じるのは人情だろう。
BCP対策を謳うゼネコンが、地震を食い物にしているように感じるのは、そのジレンマを解決する努力を怠り、正確な被害想定分析結果と称して、危機感を煽ることしかしてきてないからだろう。
費用は最小に、効果は最大かつ合理的にできなければ、乗れる話にはならない。
たぶん震度5強の対策をしてて震度7が来て、想定以上の被害を受けたら、担当者は糾弾されるだろう。逆に、震度7の用意をしておいて、地震が発生しないまま長い期間が過ぎたら、BCP対策費は削減されるのだろう。
「BCP対策費は保険だ」という言う方は簡単だが、実際はそんなに簡単な問題ではない。安全だけを考えれば、費用をふんだんにかければいい。費用が限られてるのなら、ある程度の被害を覚悟しておく必要がある。じゃあ、どっちが良いんだ?
被害は少なくしたいが、費用もかけられない場合がほとんどじゃないのかな?震度7が一定の確率で発生する事が分かってながら、フルの対策を取らないなんてオプションは選びたくないが、費用はない。それなら 「大きな地震なんて来ない」と言って欲しいと感じるのは人情だろう。
BCP対策を謳うゼネコンが、地震を食い物にしているように感じるのは、そのジレンマを解決する努力を怠り、正確な被害想定分析結果と称して、危機感を煽ることしかしてきてないからだろう。
費用は最小に、効果は最大かつ合理的にできなければ、乗れる話にはならない。
2009年7月1日水曜日
コンセンサスの取り方について
週末にかけ、コンセンサスを取る事の意味や、取るべきイシューについて考えていた。
よくよく考えてみたら、その発言主のコンセンサスの取り方をよく観察して、学習すれば良いんだ。そうすれば、彼が求めるコンセンサスについて、その種類や幅、深さが明らかになるだろう。
そのように考えてみると、彼が今までコンセンサスを取ろうと働きかけてきた事は、ほとんど無かったように思う。こちらから、あれはこうすれば・・・とか、この部分の開発に向けて業者との段取りは・・・とか、これの適用先や適用方法は・・・とか、製造に向けた調整は・・・とか、言ってきたような気がする。
人のやり方の批判ばかりするんだったら、自分のやり方を見せてもらおうじゃないの。何を課題と考え、どんなイシューについてどうやって定例以外の場でコンセンサスを取ってくるのか、見物ではある。
何だかネガティブで今更感が強いし、開発が停滞しそうだし、定例が批判大会になりそうでイヤだけど、しょうがないか。彼がリーダーなんだし、彼の思うように進めれば。
少し様子見だな。
あぁ、くだらないエントリーになっちゃった。。
よくよく考えてみたら、その発言主のコンセンサスの取り方をよく観察して、学習すれば良いんだ。そうすれば、彼が求めるコンセンサスについて、その種類や幅、深さが明らかになるだろう。
そのように考えてみると、彼が今までコンセンサスを取ろうと働きかけてきた事は、ほとんど無かったように思う。こちらから、あれはこうすれば・・・とか、この部分の開発に向けて業者との段取りは・・・とか、これの適用先や適用方法は・・・とか、製造に向けた調整は・・・とか、言ってきたような気がする。
人のやり方の批判ばかりするんだったら、自分のやり方を見せてもらおうじゃないの。何を課題と考え、どんなイシューについてどうやって定例以外の場でコンセンサスを取ってくるのか、見物ではある。
何だかネガティブで今更感が強いし、開発が停滞しそうだし、定例が批判大会になりそうでイヤだけど、しょうがないか。彼がリーダーなんだし、彼の思うように進めれば。
少し様子見だな。
あぁ、くだらないエントリーになっちゃった。。
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