2009年8月17日月曜日

危機と成長

日本の例を引くまでもなく、成長には危機が必要だ。

日本も会社も中途半端な危機に直面して、うまく乗りこなしていると錯覚して、必要な改革をできていない。このままだと哀しい結果になっちゃうよ。

中途半端な状態で変革を求めるには、近視眼バイアスを乗り越えて、big pictureを描くしかないが、そのためには意識の高さが不可欠だろう。

2009年8月14日金曜日

高齢化社会に向けたビジネス

人口分布を見ると、生半可なことではこれからの社会を乗り切れないと思う。

死ななくなった高齢者の扱いが一番大きな問題だろう。それこそ安心して暮らせるコミュニティなんて言う生温いソリューションは何の役にもたたない。もっとリアルに働き続けられる仕組みが求められている。

なるべく簡単なそれこそコミュニケーションがメインスキルになるビジネスを作り、そこにやり甲斐を担保に安く就労してもらう。安い労働力によって浮いた金をファンド化して、新しい若い人向きのビジネスを立ち上げる、なんてのは理想型じゃないかな?昔のスタイルの逆。

2009年8月12日水曜日

人脈とは?

人脈が大事だと、よく言われる。人脈って、どういう人を指すんだろう?

名刺交換しただけでは、人脈にはならないよな。じゃあ、一杯飲みに行った程度なのか、それ以上に愚痴やビジョンを語り合った間柄なのか、はたまた軽くお茶を飲んだくらいなのか。

いずれにせよ、何か接点を見出した時に連絡し、何らかの協力をお願いできる関係ってことだろう。意外にハードルが高い気がするが。そういった意味での人脈を自分はどれくらい持っているのか?そして、他人から見た時の人脈たり得ているのかは、はなはだ心許ない。

何が自分を人脈たらしめているか?それは情報であったり、技術であったり、思想であったりするのかもしれない。何かを解決するユニークな技術をもつことが、最も分かりやすい人脈形成術だろう。

2009年8月10日月曜日

ゼネコンの研究所としての成果

ゼネコンの研究所では、その成果に会社への貢献も社会への貢献も謳う必要がない、と言うか謳えない。

なぜなら、ゼネコンが作るものは基本的に100年前の技術でできているからだ。技術がビジネスをドライブしないのは、当然のことである。

また、建物は第一義的に特定企業もしくは団体のためにあるからだ。だから、最終顧客がどうとか言う議論はナンセンスである。貢献すべきは発注元企業に対してであり、その小さな社会こそが全てである。

決して、一般的な定義の「社会」ではないのだ。

2009年8月7日金曜日

ワルキューレ

また負け戦を見てしまった。
負けた原因は何だったんだろう?

情熱と信念を高いレベルで共有する同士が少なかった事。指導者の中で行動目標のコンセンサスが取れてなかった事。失敗を恐れる余りに後手に回っていた事。完璧を期す余りに行動が中途半端になってしまった事。フェールセーフが十分ではなく、不測の事態への備えが足りなかった事。目的達成に必要十分な機能への理解が低く、機能不足に陥ってしまった事。リーダーが実質的に一人しかいなかった事。カリスマとしてのリーダーだけでなく実務家としてのリーダーをも一人で背負わされていた事。戦闘力の大部分が扇動によって操られており、本質的な味方となっていなかった事。戦闘員の思想的な支持を得られていなかった事。勝ち馬たり得る体制を素早く築けなかった事。

キューバ革命と同じ課題が浮かび上がってくる。逆ができれば勝ち戦だよ。

2009年8月5日水曜日

クリティカルマスへの道程

キューバ革命は、なぜ成功したのか?

変革を望み、わが身を振り返らず献身的に参加、行動する人がクリティカルマスを超えたからだと思う。当時のキューバ政府の酷さも大いに関係するだろうが、最大のポイントは二頭体制だったことではないだろうか?

カストロとゲバラ、目的を一つにし統治方針の異なる二人が上手く補完し合うことで、多くの人を巻き込み、かつ離さない状態を作り出すことができたのではないか?

ボリビアでのゲバラはカリスマだった。皆の尊敬を集めてはいたが、求心力という点ではクリティカルマスを動かせるほどのパワーがなかったのかもしれない。それは、キューバの時のカストロも同じで、一人で実行した時は失敗している。

結局、組織ってそういうものかもしれない。カリスマ一人と実務家一人。その運命共同体に未来を感じ、将来を期待する。思えば著名な企業でも、少なくとも創業時には、二頭体制を敷いている所はある。ソニーの井深・盛田、ホンダの本田・藤沢は有名だ。

卓越した実務家がピッタリ寄り添って、カリスマと同じく尊敬を集める存在でなくてはならない。

2009年8月3日月曜日

che

もしかしたら普段の生活も、小さいながらも革命と言えるのかもしれない。特に「不」への抵抗はある意味では日常的な革命を起こそうとしている、とも読み取れるだろう。そして、革命には勝ち戦と負け戦がある。

cheは二部構成の映画だが、前半は勝ち戦を後半は負け戦を表現していた。何が違ったんだろう?

失敗はどちらかと言えば理解できる。危機感、熱さを共有してもらえなくて、空回りしていたんだろう。一部の人は共有し、行動を共にしていたが、クリティカルマスに達しなかったと言うことか。

搾取に飼い慣らされた人は、一番平和な現状維持を求め、安穏としている。そんな中でも現状を是とはせず、自分で考えビジョンを持て、と言う人もいる。その言葉は一部の人には届くが、多くの人にしてみれば平和を乱す不埒な発言と受け止められ、言葉の影響はクリティカルマスに達しない。

では、クリティカルマスに届かせるために何をしたら良いか?ヒントはキューバ革命にあるのかもしれない。