人と触れ合うコミュニケーションについて東京に住む多くの人は、なぜか、あえて不愉快な方法を取る。
人の鞄を退けるのに叩いたり蹴ったり、前に立つ人が読む新聞を払い除けたり、混み合ってるのに避けなかったり、英語で言えば「excuse me」の一言ですむ話でも我を通さないと自分が損するとでも言わんばかりな行動を取る。
少し互いに気遣えば解決することが多い。江戸しぐさに「傘傾げ」というのがあるが、ある人が実験したところ、そんな事をする人はほとんどいないらしい。こちらが気を使わなくても、相手が動いてくれるだろうという甘えがあるんだろう。
政治ダメ、経済ダメ、少子高齢化進行中、その上そこに暮らす人の精神は幼稚で、自分に甘く他人に厳しい、ギスギスした閉塞感だけが肥大化しているこの国は、一体どうなって行くんだろう?
2009年12月16日水曜日
2009年12月14日月曜日
チャンスの女神は
子供の頃よく言われた言葉の一つとして、チャンスの女神は前髪しかない、というものがある。
悩んでる暇はないぞ、ということだと思う。今でもそんなに変わらないかも知れないが、よっぽど優柔不断だったんだろう。
人生はニ択の分岐の連続だと感じている。右か左か、行く道は2つしかない。分岐点で足を止めて道の先を見渡しても、見通せていることは稀。
そして、分岐においては、それまでの持ち物を下ろさなければいけないシーンも存在する。昔から持ち物を下ろすことが苦手で、何とか上手く維持したまま先に進めないものかと考える。それが優柔不断ということなんだろうな。
勇気を持って捨てる事、それが今、一番大事な気がする。
悩んでる暇はないぞ、ということだと思う。今でもそんなに変わらないかも知れないが、よっぽど優柔不断だったんだろう。
人生はニ択の分岐の連続だと感じている。右か左か、行く道は2つしかない。分岐点で足を止めて道の先を見渡しても、見通せていることは稀。
そして、分岐においては、それまでの持ち物を下ろさなければいけないシーンも存在する。昔から持ち物を下ろすことが苦手で、何とか上手く維持したまま先に進めないものかと考える。それが優柔不断ということなんだろうな。
勇気を持って捨てる事、それが今、一番大事な気がする。
2009年12月11日金曜日
青森なう
出張で青森。
新幹線で来てみたら、遠かった。往復で11時間くらい電車に乗ることになる。飛行機でも大差ないのだが、こういった時間距離にある都市は、よっぽどの魅力がない限り人を呼べそうにない。過疎化、少子高齢化が進む一方だろう。
青森はと言うと、ミニ東京近郊都市のような地方都市で、なんの特徴もない。検索してみると、青森行くなら「アスパム」がお薦め!、だったので行ってみた。
駅から離れた所に立地する変な形の物産館で、何もない。ハローキティのボールペンを娘のお土産に買って、場末の食堂のようなところで、ショボいラーメンを啜って終了。何なんだろう?ただの箱物のように感じたが、そこが街のお薦めだとしたら、寂しい限りだ。
商店街も歩いてみた。
服屋さんと八百屋さんばかりで、かなりの競争状態であると思われる。が、馴染み客ばかりのようなので、うまく棲み分けでいるのかも知れない。そして、1/4ぐらいはシャッターが降りていた。歩いた商店街はメインストリートの一本裏通りだったようで、それを鑑みると、まだ賑わっていた方かも知れない。メインストリートは、人の少ない京都の四条通のようで、よく整備されている。が、活気はない。
青森らしさって何なんだろう、と考えてしまった。
地方自治体は、見せかけの危機感で街づくりを進めようとしている。今なら環境をキーワードにした箱物に落とし所を見つけようとしていて、それぞれの街の良さを最大化するような施策には無頓着だ。
そんなやり方では、未来の不良ストックを積み上げて行くだけになっちゃうよ。
新幹線で来てみたら、遠かった。往復で11時間くらい電車に乗ることになる。飛行機でも大差ないのだが、こういった時間距離にある都市は、よっぽどの魅力がない限り人を呼べそうにない。過疎化、少子高齢化が進む一方だろう。
青森はと言うと、ミニ東京近郊都市のような地方都市で、なんの特徴もない。検索してみると、青森行くなら「アスパム」がお薦め!、だったので行ってみた。
駅から離れた所に立地する変な形の物産館で、何もない。ハローキティのボールペンを娘のお土産に買って、場末の食堂のようなところで、ショボいラーメンを啜って終了。何なんだろう?ただの箱物のように感じたが、そこが街のお薦めだとしたら、寂しい限りだ。
商店街も歩いてみた。
服屋さんと八百屋さんばかりで、かなりの競争状態であると思われる。が、馴染み客ばかりのようなので、うまく棲み分けでいるのかも知れない。そして、1/4ぐらいはシャッターが降りていた。歩いた商店街はメインストリートの一本裏通りだったようで、それを鑑みると、まだ賑わっていた方かも知れない。メインストリートは、人の少ない京都の四条通のようで、よく整備されている。が、活気はない。
青森らしさって何なんだろう、と考えてしまった。
地方自治体は、見せかけの危機感で街づくりを進めようとしている。今なら環境をキーワードにした箱物に落とし所を見つけようとしていて、それぞれの街の良さを最大化するような施策には無頓着だ。
そんなやり方では、未来の不良ストックを積み上げて行くだけになっちゃうよ。
2009年12月9日水曜日
正しい価値判断とは
私が日常利用する電車は、7人掛けが標準だ。しかし、時と場合によっては6人で目一杯に見える。男性が多く、皆が背にもたれて肩をぶつけ合っている時などに多く見られる。今日は一分の隙もなさそうな場所に独特の嗅覚で隙間を見つけ、無理矢理尻をねじ込んでいる女性を見た。
いくつか考えたい価値判断がそこには潜んでいる。
まず、7人掛けに6人で座ってしまうこと。それに付随して肩を譲り合わないメンタリティ、最後に無理矢理座ろうとすることのベースにある意識である。
そこには、正しい、間違っているという、価値観の判断基準なんてないのかもしれない。どれも、ある見方をすれば正しいのだろうし、別の角度から見ると間違っているのだろう。
ふと思い出すのは、糸井、梅田、岩田対談で語り合っていたフレーズだ。そこに問題があれば、解決方法を考えてしまう、という本能的行動がオープンソースを支えているということだ。上手く行くプロジェクトは往々にしてそのようなプロセスを経るらしい。そこには利己も利他もない。本能あるのみである。
しかし、問題を問題と感じる感性が必要で、その感性がない人には解決へのモチベーションもないことになる。
7人掛に6人で座っている時、肩がぶつかり合っている時、無いスペースに尻を押し込もうとしている時、そこに潜む問題に思いを馳せないと、解決はない。ただ自らの利益、既得権益を最大化するための行動に終始してしまうことになる。現代社会の現状がそうだろう。
問題を読み取れないこと、それは「キーチ」の言葉にもあるように、何も疑わない、何も怒らない、現代日本人の大いなる欠陥だと思う。
いくつか考えたい価値判断がそこには潜んでいる。
まず、7人掛けに6人で座ってしまうこと。それに付随して肩を譲り合わないメンタリティ、最後に無理矢理座ろうとすることのベースにある意識である。
そこには、正しい、間違っているという、価値観の判断基準なんてないのかもしれない。どれも、ある見方をすれば正しいのだろうし、別の角度から見ると間違っているのだろう。
ふと思い出すのは、糸井、梅田、岩田対談で語り合っていたフレーズだ。そこに問題があれば、解決方法を考えてしまう、という本能的行動がオープンソースを支えているということだ。上手く行くプロジェクトは往々にしてそのようなプロセスを経るらしい。そこには利己も利他もない。本能あるのみである。
しかし、問題を問題と感じる感性が必要で、その感性がない人には解決へのモチベーションもないことになる。
7人掛に6人で座っている時、肩がぶつかり合っている時、無いスペースに尻を押し込もうとしている時、そこに潜む問題に思いを馳せないと、解決はない。ただ自らの利益、既得権益を最大化するための行動に終始してしまうことになる。現代社会の現状がそうだろう。
問題を読み取れないこと、それは「キーチ」の言葉にもあるように、何も疑わない、何も怒らない、現代日本人の大いなる欠陥だと思う。
2009年12月7日月曜日
自分なりのやり方
最近、社外のセミナーや研修を受ける機会が多い。色んな人と接していると、何となく類型化できる気がする。
こういった場に出てくるマジョリティは、比較的大きな企業で命令されて来た、という人。この人たちの斜め向き加減がすごい。見るからに「早く終わってくれ」という雰囲気を出しており、決して真剣に課題に取り組まない。それが部長クラスだったりすると、会社でどうやって部下を鼓舞するのか、聞いてみたくなる。まさか、もっと元気出せ、とか、近頃の若者は元気がない、とか言ってないよね?
こんな人が7割ぐらいいる感じ。そして、残りのうち2割ぐらいは受動的な人。つまり、主体性はない。全体の9割がこんな調子で、ディスカッションもままならない。
こんな人たちばかりで、新しいアイデアとか生まれてくるのかね?イノベーションが求められる世界で、カイゼンしかできない人ばかりなんだけど。そんな余計な事を心配してしまう。
一方であまり深く考えず、楽しむ事、場が盛り上がる事を優先する自分は、初期段階で仕切り役になる事が多い。下らない人にリーダーシップを取られて、下らない会にしたくない、という気持ちもある。元来、仕切るのはそんなに得意ではないので、軌道に乗った段階で、徐々に存在感を弱めたりして。
そんな風に進めるので、チームの雰囲気や結論は、ある程度自分の思った方向に進む事が多い。それでも、もう一人ぐらい、比率でいうと2〜3割くらいは、賛同者が必要だ。その意味で、初期段階にウマの合いそうな人と、重点的に「面白がる」事も一つのコツかもしれない。
単純に自分が気持ちよく進めるためのやり方なんだけど、大体結果は悪くない。むしろいつもベストの答えを出せていると思う。
結局、楽しむ事、面白がれる事が大切なんだろう。
こういった場に出てくるマジョリティは、比較的大きな企業で命令されて来た、という人。この人たちの斜め向き加減がすごい。見るからに「早く終わってくれ」という雰囲気を出しており、決して真剣に課題に取り組まない。それが部長クラスだったりすると、会社でどうやって部下を鼓舞するのか、聞いてみたくなる。まさか、もっと元気出せ、とか、近頃の若者は元気がない、とか言ってないよね?
こんな人が7割ぐらいいる感じ。そして、残りのうち2割ぐらいは受動的な人。つまり、主体性はない。全体の9割がこんな調子で、ディスカッションもままならない。
こんな人たちばかりで、新しいアイデアとか生まれてくるのかね?イノベーションが求められる世界で、カイゼンしかできない人ばかりなんだけど。そんな余計な事を心配してしまう。
一方であまり深く考えず、楽しむ事、場が盛り上がる事を優先する自分は、初期段階で仕切り役になる事が多い。下らない人にリーダーシップを取られて、下らない会にしたくない、という気持ちもある。元来、仕切るのはそんなに得意ではないので、軌道に乗った段階で、徐々に存在感を弱めたりして。
そんな風に進めるので、チームの雰囲気や結論は、ある程度自分の思った方向に進む事が多い。それでも、もう一人ぐらい、比率でいうと2〜3割くらいは、賛同者が必要だ。その意味で、初期段階にウマの合いそうな人と、重点的に「面白がる」事も一つのコツかもしれない。
単純に自分が気持ちよく進めるためのやり方なんだけど、大体結果は悪くない。むしろいつもベストの答えを出せていると思う。
結局、楽しむ事、面白がれる事が大切なんだろう。
2009年12月4日金曜日
鳩政権はNOなんだけど...
他に代替候補がないのも事実。いかに、優秀な政治家が少ないかという事だが、これが現実としての日本の国民レベルを示しているのだろう。
そもそも、衆院選の前には鳩氏の怪しさは分かっていた。献金問題、もっと言えば脱税、さらに言えば国を相手取った詐欺なんか、民主党に投票した人は、全て承知の上で広い心で許したんじゃないの?
私は、許せそうになかったので、小選挙区は民主党候補に入れたが、比例はみんなの党に入れた。つまり、政権交代には期待するが、党執行部はNOという事だ。マニフェストを見比べても、どうも民主党は浮世離れしているようで、実現性に乏しいと感じ、全党比較した上で、3番目と位置付けた。
でも、こんな声ってどこにも反映されない。誰も支持しない政党が与党に入り、ダダをこねる。そしてそれを諾々と受け入れる。色んな声を聞きすぎて、無闇に予算規模が膨れ上がる。マニフェストに固執しすぎて、本質を見失う。この国の未来が描かないまま、費用対効果だけで予算を割り付ける。企業がこぞって導入したが評判が悪く、見直しを余儀なくされている成果主義のようだ。
なぜ、成果主義に見直しが掛かってるかと言うと、会社が明確なビジョンを持たずに、個人の成果のみがフォーカスされると、仕事はこじんまりと小さくなり、短期思考に陥り、チームワークは薄れ、内向的になり、モチベーションは下がり、成長が鈍化し、社内の雰囲気が悪くなり、会社として傾いていくからだ。
今の事業仕分けはまさにこれで、今後しばらくは停滞傾向が続くのは間違いないところだろう。私は、民主党を仕切る、あの三人が退場しない限りは良くならないと思うが、彼らの生命力の強さは証明済みだ。
国や社会や会社の行く末とは別に、個人の行く末を真剣に考えるべき時代に入ったと感じる。
そもそも、衆院選の前には鳩氏の怪しさは分かっていた。献金問題、もっと言えば脱税、さらに言えば国を相手取った詐欺なんか、民主党に投票した人は、全て承知の上で広い心で許したんじゃないの?
私は、許せそうになかったので、小選挙区は民主党候補に入れたが、比例はみんなの党に入れた。つまり、政権交代には期待するが、党執行部はNOという事だ。マニフェストを見比べても、どうも民主党は浮世離れしているようで、実現性に乏しいと感じ、全党比較した上で、3番目と位置付けた。
でも、こんな声ってどこにも反映されない。誰も支持しない政党が与党に入り、ダダをこねる。そしてそれを諾々と受け入れる。色んな声を聞きすぎて、無闇に予算規模が膨れ上がる。マニフェストに固執しすぎて、本質を見失う。この国の未来が描かないまま、費用対効果だけで予算を割り付ける。企業がこぞって導入したが評判が悪く、見直しを余儀なくされている成果主義のようだ。
なぜ、成果主義に見直しが掛かってるかと言うと、会社が明確なビジョンを持たずに、個人の成果のみがフォーカスされると、仕事はこじんまりと小さくなり、短期思考に陥り、チームワークは薄れ、内向的になり、モチベーションは下がり、成長が鈍化し、社内の雰囲気が悪くなり、会社として傾いていくからだ。
今の事業仕分けはまさにこれで、今後しばらくは停滞傾向が続くのは間違いないところだろう。私は、民主党を仕切る、あの三人が退場しない限りは良くならないと思うが、彼らの生命力の強さは証明済みだ。
国や社会や会社の行く末とは別に、個人の行く末を真剣に考えるべき時代に入ったと感じる。
2009年12月2日水曜日
大事なのは「やりぬく力」
PPP(Public Private Partnership)のフォーラムに参加した。アメリカ、フランス、韓国の事例を紹介していた。
アメリカは、官の仕事の大部分を民間にアウトソーシングすることで、10万人の市を4人で運営している事例。フランスは、箱物に絞って、設計から施工、運営までを民間に委託している事例。韓国は、民間の経営者が地域の運営に乗り出した事例。
三者三様だが、いずれも機能を拡張したゼネコンが大きな役割を担っている。つまり、施工だけではなく運営までをビジネスのスコープとしたNEWゼネコンである。
行き詰まったゼネコンのつぎの一手として、常に議論の俎上に上るが決して手を出さない、ある種の禁じ手とも言えるかもしれない「事業運営」。政権交代によって変わる事を余儀なくされているゼネコンは、準備が整っている訳でもないが、禁じ手たる事業運営に踏み出さざるを得ないのではないか。
フランスでは、例えば橋などの場合は、75年にも及ぶ長期契約が取り交わされるらしい。請ける側は、初期投資が大きく、当初20年ほどは赤字になるそうで、そのため体力のある企業しか手を上げれないそうだ。
たとえ体力があっても、未来には安定収益の柱になる可能性を感じられても、近未来へは負債を残す事になるのは間違いない。今後20年間黒字にならない事業を抱え続ける、メンタル面での強さを求められる。
いずれの事例も、やっている事は大して目新しくもないが、ただ、飛び込む「勇気」、全うする「覚悟」、やりぬく「力」だけが必要だ。
石橋を叩いても渡らないサラリーマン企業に可能か?
アメリカは、官の仕事の大部分を民間にアウトソーシングすることで、10万人の市を4人で運営している事例。フランスは、箱物に絞って、設計から施工、運営までを民間に委託している事例。韓国は、民間の経営者が地域の運営に乗り出した事例。
三者三様だが、いずれも機能を拡張したゼネコンが大きな役割を担っている。つまり、施工だけではなく運営までをビジネスのスコープとしたNEWゼネコンである。
行き詰まったゼネコンのつぎの一手として、常に議論の俎上に上るが決して手を出さない、ある種の禁じ手とも言えるかもしれない「事業運営」。政権交代によって変わる事を余儀なくされているゼネコンは、準備が整っている訳でもないが、禁じ手たる事業運営に踏み出さざるを得ないのではないか。
フランスでは、例えば橋などの場合は、75年にも及ぶ長期契約が取り交わされるらしい。請ける側は、初期投資が大きく、当初20年ほどは赤字になるそうで、そのため体力のある企業しか手を上げれないそうだ。
たとえ体力があっても、未来には安定収益の柱になる可能性を感じられても、近未来へは負債を残す事になるのは間違いない。今後20年間黒字にならない事業を抱え続ける、メンタル面での強さを求められる。
いずれの事例も、やっている事は大して目新しくもないが、ただ、飛び込む「勇気」、全うする「覚悟」、やりぬく「力」だけが必要だ。
石橋を叩いても渡らないサラリーマン企業に可能か?
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