2009年4月29日水曜日

利便性ファースト主義

みずほ銀行のATMを利用した。

たかが現金引き出しに、なんと多くの手順が必要なことか。必要不可欠な手順の間々にリスク回避画面や広告画面が現れる。しかも、ボタンを押さない限りは次へ遷移しないし、ボタンの配置がユーザーのミスを誘っているように思える場合もある。

くだらない事業者側のエゴで、ユ—ザ—の利便性が大きく損なわれるのは腹立たしい。サービスはユ—ザ—利便性ファーストで設計すべきだ。

2009年4月28日火曜日

雑すぎるやろ!

地デジの新キャラクタ「地デジカ」。



このタイミングで発表できるのは、相当前に企画され、公募して準備を進めていたんだとは思う。だけど、今は発表の時ではないんじゃないの?

印象として、明らかに草なぎ君の代替でしかなく、非常に雑なものに見えてしまう。草なぎ君も地デジカも、こんな扱いじゃ浮かばれないよ。このままだと、地デジは今まで以上に軽んじられ、普及は進まないだろうね。

本来は、事前に草なぎ君と並べて露出させ、十分に認知が進んだ段階で、色んなシーンや媒体にカジュアルに使えるキャラクタとして一人立ちさせるべきだと思うし、そのような意図を持って企画されたモノだと思う。

草なぎ君か使えなくなったのなら、代わりの大使を立ててから、地デジカをキャラクタとして露出させるべきだと思う。

草なぎ君への対応、すなわち、失敗者への対応があまりに雑で、失礼なんじゃないかな?そんなに無邪気に追い詰めてどうするつもりなんだろう?地デジ失敗の責任を全て草なぎ君におっかぶせるつもりかな?

雑でバカで偏狭な大臣も、それに乗っかるだけの官僚も、ミンナヤメテシマエバイイノニ。

2009年4月27日月曜日

神様がいる国と神様が見ている国

日本は至る所に神様がいる国だ。
八百万。

でも、この国の神様は奥ゆかしい。何もせず、じっとそこにいるだけ。人びとは、そんな神様の気配に敏感で、常に畏れ敬う。一方でキリスト教圏(に限らないと思うが)は、神様が見ている国だ。いい事も悪い事も、その人の行動を見ている。そこに住まう人は神様の視線を感じながら生活している。

このことが今、大きな差となって現れてきているように思える。他人の視線を気にするのと、神様の視線を気にするのとでは、自ずと行動が変わってくるものだ。

他人が決めたルールが無いと行動できない日本人。だから、ルールから外れた行動には、些細なことにも手厳しい。逆にルール化されてない行動領域は無法地帯。

要は自分で考えることができない幼稚な国民ってことなんだろう。



2009年4月24日金曜日

介護と安楽死

最近、介護疲れで自殺したり、被介護者を殺めてしまったり、心中を図ったりする事件が増えてるらしい。

すごく本末転倒な気がする。

誤解を恐れずに言うと、未来の無い人を大事に思うあまりに、未来のある人が少なくとも人生を費やし、場合によっては犯罪者になったり、未来を棄てる羽目になるなんて、おかしい。

これって、単に選択肢がないからなんだと思う。つまり、尊厳ある死を選ぶ権利を与えられていない事が問題なんじゃないかな?

介護する側からすれば、自分を納得させ、後悔しない為にも全力を尽くさざるを得ない。しかし、寝たきりで介護を受けている人が、子供にお金を使わせ、時間を使わせ、体力を使わせて、無為に生きる事を望んでいるとは思えない。介護を受けている間中、葛藤に苛まれる事は間違いないだろう。逆に無為に生きている時間を権利と感じてたら、その人の人間性を私は疑う。

人口構成を見ても、長寿が社会を狂わせていることは明らかだ。また社会は、過去から現在まで伸びる線分を、未来に伸ばして行く努力を皆でするものだと思う。老人がある時期で社会的役割を終え、後は余禄だというのは過去の考え方で、今後は線分を少しでも伸ばす役割を死ぬまで負うべきだろう。

そのためには、楢山節考のような考え方は不可欠で、そこにどんな意味付けをしてあげられるか、というその一点に議論は絞られる。その死が社会的にどんな意味を持つのか、そのためにはどんな準備が必要なのか?かつて、特攻で死んだ若者と同じく、社会として尊厳ある死を認め、敬う習慣と手法を提供してあげる必要があると思う。

こういったことの積極的な取り組みが、個人の人生設計を助け、不健全な世代交代を健全化させ、社会に尊敬や思いやりをもたらし、活力を生み出す事になると思う。

制度設計としては、極めて難しいとは思う。尊厳ある死を選んだ人と生き続ける人を比べてドウコウは当然あるだろう。社会保障と一緒に考えないと、検討の俎上に上ることもないだろう。でも、やらなければいけないんじゃないかな。

何と言っても、未来は若者のためにあるのだから。

2009年4月22日水曜日

千里の道も一歩から

今、踏み出そうとしている一歩が、どこに向かっているのかを、よく議論し理解しておかなければならない。

ゴールの理解なき一歩は無駄であり、場合によっては破滅に繋がる。

2009年4月20日月曜日

オリンピック雑感

すっかり昔の話ですが、
手元のiPhoneに入ってたメモから、北京オリンピックを見ての感想です。

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成功の道は精進の道。
精進の道は能力と努力でできている。
努力の道は一本道。
だから覚悟と勇気が重要。