2011年6月29日水曜日

Grouponが教えてくれた事

グルーポンのIPOが近づき、何かと話題が絶えない。そのような中でグルーポンビジネスの危うさに関する記事がTechcrunchに掲載された。

クーポンビジネスが崩壊する理由
クーポンビジネスが崩壊する理由―パート2

グルーポンが世に広めたフラッシュマーケティングは、そのビジネススキームからキャッシュの回し方まで焼畑商法的で、伸びている間は良いが、伸びが鈍化したとたん破綻が近づくということらしい。サブプライムなどと同じでバブル化し、胴元だけが儲かり、その他大勢は損をするパターンだ。

グルーポンビジネスで分かる事のその1は、顧客の増大=利益の増大ではないということだろう。むしろ、フラッシュマーケティングに依存した形での顧客の増大は、利益を激減させることさえある。もともとフラッシュマーケティングはざっくり言うと、半額セールをして、売上の半分をクーポン事業者とお店で分けあうという、お店にとっては完全に赤字で行うやり方だ。しかも、普通に考えたら、バーゲンハンターと呼ばれる安売り大好きな人、つまり永続関係を期待できない客だけが増える可能性も多分に含んでいる。

その2は、クーポンによるおトクを目当てに遠くから来る客が、クーポンなしにもう一度お店に訪れる可能性はほとんどゼロに近いという事だろう。そういった、お店にとって将来性の無い客だけを選択的に集めるやり方とも言える。

その3は、依存性の高いビジネスモデル故に不良店舗が集まりやすく、活用して行く中で不良店舗化していくという事も言えるだろう。もとより出血覚悟のマーケティングを実施せざるを得ない時点で、お店の状況が良いとは言えないだろうが、多くの場合は、クーポンの売上の一部を先にお店に渡し、キャッシュが回るようにしているらしい。お店としては短期資金が手に入る事で当座を乗り切れる訳だが、この当座資金で賄えない(ハズの)量がすでに予約されていて、その壁を乗り越える資金を手に入れる為に、クーポンを再発行してしまう。まるで、我が国の赤字国債のようなスキームだが、これは借金を膨らましながら未来に先送りしているだけなので、どこかで経済状況が劇的に好転し、借金を返せるだけの利益が得られるようになるまで、延々と続く。稀に好転するかも知れないが、ほとんどは返すメドが立たないまま沈んで行くだろう。

今までの店舗支援サービスは、多かれ少なかれ客にインセンティブを与える事で来店を促すパターンで構成されている。グルーポン、ぐるなび、ホットペッパーなどや、Foursquare、コロプラ、Google Offers、Facebookチェックインクーポンなど、全てそうだ。こういったサービスを、例えばショッピングモールなどで使うと、客に買い回りの動機付けを行うことができる。

これらのサービスは短期的メリットが分かりやすいので、飛びつきやすい。客にはおトクが、店には集客が、モールには買い回り客が増えるように見える。しかし、こういったサービスを活用して得たい成果は、バーゲンハンターによる一時的な活況ではなく、継続的に来店してくれる新規客だろう。

客にとって継続的に来店するインセンティブになっているのか、店にとって継続的に来店してくれる新規客を呼び込む仕組みになっているのか、モールが主体的に買い回りを活性化させる手段になっているのか、をよく考える必要があると思う。

グルーポンが作り出した環境を観察して、インセンティブを施策の中心に置いたサービスは限界に近づきつつあるように感じた。グルーポンビジネスでインセンティブの量はもはや溢れ出さんばかりになっている。

今後はインセンティブを過剰に煽り立てる”おトクな”サービスよりも、客、店、モールにとって”便利な”サービスが優位になると、個人的には考えている。もちろん、自分がそういったサービスを運営しているからだが。

2011年6月27日月曜日

復興構想会議による不透明な提言

先日、公開された復興構想会議による提言にガッカリしたのは自分だけだろうか。
復興への提言〜悲惨のなかの希望〜

この極めて情緒的で文学的なタイトルからして、提言の趣旨を間違っているような気がしている。そもそもこの会議体から何か意味のある事が出てくるとは思ってなかったが、予想を上回る無意味さだと感じた。

復興構想7原則とやらを見ると、会議の迷走具合が分かる気がする。

原則1:失われたおびただしい「いのち」への追悼と鎮魂こそ、私たち生き残った者にとって復興の起点である。この観点から、鎮魂の森やモニュメントを含め、大震災の記録を永遠に残し、広く学術関係者により科学的に分析し、その教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する。

まず、「鎮魂の森やモニュメントなどの記録を残し、教訓を次世代に伝承し、国内外に発信する」ことを原則1に置いている時点でおかしくないだろうか?

3ヶ月経っても、ドラスティックには進展していない震災復旧・復興に対して、まず最初に言うべき事が、記録や教訓の伝承なのだろうか?私は違うと思う。現在の復旧を阻んでいるものは既に見えてきているだろう。高地避難、仮設住宅、がれき処理、遺体埋葬、ボランティアの減少など、直近でやるべき事、越えるべき、変えるべきハードルは山のようにある。

本会議体が、もっと未来を見た提言であるとしても、第一義とするのは記録ではないだろう。

原則2は当たり前だからいいとして、原則3は、何か具体的な策を提示しない限り、全く意味がない。「技術革新を伴う復旧・復興を目指す。この地に、来たるべき時代をリードする経済社会の可能性を追求する」。失われたと言いながら手を拱いて、口だけ動かしてた20年間に定番になった文言だ。これって、若者を呼び込めるような技術の集積地になる必要があると思うが、そういった方向性は微塵も感じられない。

原則4の前段「災害に強い安全・安心のまち」は被災地である以上、当たり前だが、自然エネルギー活用型地域の建設は言い過ぎなんじゃないか、と思う。まだ、原子力をどうするかも決まってないし、自然エネルギーがエネルギーの中心に躍り出る可能性は、今のところ、低い。きっと、この地域で住宅を建てるときは、太陽光発電パネルを標準装備とする、といった辺りでお茶を濁され、全く本質的じゃない形で実現しそうな気がする。

そして、原則5は日本経済の再生と同時進行での復興を目指すとある。確かに今のままだと復興の原資がない。ただ、今のように電力を制限して、結果として電気代を上げて、産業の空洞化を促進させるような策を打っている中で、日本経済の再生もないもんだ。今回の被災地が復興し、日本経済にプラスのインパクトを与えるようになるまでに、最低でも10年は必要だろう。どうやって再生と復興を同時進行させ、これからの10年間をどういった心構えで進むべきかは、具体的なマスタープランを提示しないと、空疎に響くだけだ。

原則6になって、ようやく原発対策だが、基本的に何も言っていない。

最後に原則7。中身はなく、「国民全体の連帯と分かち合いで復興を推進する」という、あえてここで明文化する必要があるのか疑問に感じる文章だけが踊る。

こんな情緒的な内容は誰も望んでないんじゃないかな。望んでいたのは、もっと合理的に、現状考え得る最善策としてのマスタープランだったと思う。原則に掲げられている順番を見るだけで、この会議体の結果が復興にプラスに働かないことだけは分かった気がする。

2011年6月24日金曜日

つなげる意思とつながる未来

「見つける」から「見つかる」へ、「集める」から「集まる」へ、「つなげる」から「つながる」へと、様々なものが徐々に変わりつつあるように思う。

見つける、集める、つなげるという従来のパラダイムは人の意思を強く感じるが、見つかる、集まる、つながる、という言葉にはそれがない。元からそこにあるものが、あるキッカケで浮き上がってくるような、少しリアリティに乏しい未来的なイメージだ。

AppleのiCloudも同じだ。今までのクラウドは意識的に使うものだったが、これからは自然とそこにあるものになっていく。

意思と未来。
英語ではどちらもwillを使う。きっと、表裏一体の概念なんだろうと思う。

見つける意思と見つかる未来。
常に未来を意識しながら進みたい。

2011年6月22日水曜日

買い回りに関する二つの視点

最近、世の中がだいぶ変わってきたと感じている。集客という一つの事象を取ってみても、来店促進から買い回り促進へと意識が変化してきている。

今まで飲食を中心に数多のサービスが生まれているが、その多くは来店促進、つまりお店にいかに来てもらうかが中心課題だったと言っていいだろう。Grouponにしても同じだと思う。

買い回り促進と言えば、いわゆるポイントカードや駐車サービスなどが挙げられるが、一つのお店に留まらず、複数のお店での「買い回り」を楽しんでもらう為の施策だ。ただ、ここにも特長があって、基本的には買い回りという行動にインセンティブを与えるものが、今までの買い回り促進施策になる。

つまり、買い回りという行動そのものを支援するサービスというのは、今までほとんどなかったと言ってよい。

なぜなら、今までは自分の店に来てくれれば良いお店側の都合と、よりおトクな条件で買い物なり食事ができれば良い客の都合でバランスしていたからだ。だから、どちらかと言えば来店促進だし、内容としては買い回り行動にインセンティブを与えるサービスしか存在していなかっただと思う。

その意味で、現在、存在する買い回り促進施策というのは、すなわち来店施策の延長線上にあるものであり、決して買い回り行動をサポートしてくれるものではない。

実際、買い回り行動を支援するサービスは、由緒正しい案内板とガイドマップの類い、ということになるだろう。これらは、全く進化しておらず、買い回りを支援するつもりで設置してあるが、現実の効果となると、かなり怪しい。

特にガイドマップは、テンポラリーに手に取る客の数が影響して、発行部数だけは多いが、実のところ、施設から一歩外に出た段階で捨てられるぐらいならましで、一通り眺めただけで捨てられる部数も相当数に上ると考えられる。

風向きが変わってきたな、と感じるのは、少なくとも来店から買い回りへと、客へのアプローチが変化してきた事、また、この先は希望的観測だが、単なるインセンティブ刺激策ではなく客を支援するためのサービスも、徐々に視野に入ってきている事だ。

僕たちのサービスは、まだ誰も取り組んでいない「見つける」から「見つかる」へのパラダイムシフトに挑戦し、あくまでも客の目線で、買い回りが便利になる為のサポートを行っていきたいと考えている。

2011年6月20日月曜日

マイクロインフォメーション

5年ほど前に「マイクロインフォメーション」というキーワードを、周りの人にしきりに語っていた記憶がある。

個人個人にとっては取るに足りない情報でも、多くが集まることで意味が出てくるハズ、という事を力説していた。

まだスマートフォンはカケラもなく、携帯は通信回戦としての活用方法が中心的だったし、得られたデータがどのように使われるのかといった、具体的で明らかに有用な利用シーンが描き切れずに頓挫した。

振り返ってみると今は、マイクロインフォメーションが極めて重要になっている。

世の中の取るに足りない情報は、全て誰かの役に立っている。例えば、誰かが上着を脱いだという情報であっても、周辺環境と合わせ考えると、場の雰囲気作りや空調設定に意味を与えるかも知れない。

近い内に、誰かが利用シーンを想定して収集する情報なんて無くなるんだろう。全ての情報は人を介さずにクラウドへ送られ、人属性を排した形で保管され、サービスに応じて活用されるようになると思う。

その時には、どんな情報がクラウドにあり、どんなサービスが提供されているのか。遠いようだか、もうすぐ近くに迫っている未来だろう。

5年後が楽しみだ。

2011年6月17日金曜日

硬直化して、思考停止。。

「原発重視」の日本政府に化石賞 環境保護団体が批判

こんな意思表示ってあるだろうか?軍事利用においても、平和利用においても被爆国である日本が、いまだに積極的に原子力を推進するなんて。原子力がCO2排出という切り口において優等生なのは疑う余地もないが、CO2排出よりも優先すべきことがあることに気がついたのではなかったのか?

原子力をCDMというバーチャルな枠組みに組み込むには、燃料棒のライフサイクル全般に亘る絶対の安全性が担保される必要があるだろう。

CDMに組み込むという事は、途上国に向けた開発に対するインセンティブを与えるということで、原子力技術を海外に売り込みたい311以前の日本政府、日本企業にとっては、CO2削減に向けた京都プロトコル達成の一つの武器だった事は確かだろう。

ただ、時間は過ぎ311を超えて3ヶ月。未だ何一つ収束を見せない状況の中で、優先すべきはCO2排出じゃないし、原子力の推進でもない。東北地方を復旧・復興する事、そして、原発問題を片付け、エネルギーの未来への道筋を立てる事なんじゃないかな?

原子力をこのまま続けるなら、絶対の安全性が必要だろうし、それができそうにないなら、再生可能エネルギーなどに力を注ぐしか無い。どちらに体を向けるかは、今後少なくなって行く開発投資資金を割り当て、日本の国力を維持して行く為に必要なエネルギーを考えると自ずと答えがでそうなものだ。

米国がシェールガスの採掘技術を確立した事によって、エネルギー事情を改善させたように、メタンハイドレードに力を注ぐべきかもしれない。今までのように、あれもこれもと全方位的に網を張る事はできないので、今こそ選択と集中が必要だろう。

2011年6月15日水曜日

人格は一つに収斂できるのか

facebookをはじめとするsnsは、人の人格や人間関係を一つに収斂させようとする点で、全く共感できないし、正しいとは思えない。

様々なサービスのアカウントを持ってはいるが、一つとして活用していない。

facebookで繋がりを持ちたいのは、誰なんだろう?家族?故郷の友人?現在地での友人?知り合い?趣味仲間?子供の学校関係の親仲間?彼女?昔の彼女?秘密の関係?会社の同僚?仕事の関係者?

サッパリ分からない。

家族との会話を会社の同僚に聞かせたいとは思わないし、秘密の関係にある人との秘密の会話が彼女に聞かれるとマズイだろう。

人格や人間関係を一つに統一するという事は当にそういった事で、一ヶ所でもその関係の輪と整合しない主体があれば、破綻する。

全てを開けっ広げにできる人っているんだろうか?また、いたとして、その人は魅力的な人なんだろうか?

新しい関係が生まれる度に昔からの関係の輪に取り込み、整合させなければいけない。素っ裸の自分を曝け出さなければいけないのだ。少なくとも自分には無理だ。

新しく知り合いになった人が、表面上はとても良い人だけど、深く付き合えるような人じゃなかった場合、昔から関係の輪にいる人は、どんな反応を示すんだろう?

「あいつ、やめといた方がいいよ」というのをfacebookで伝えるのもどうかと思うけど、そこにメールを使うのも間抜けだ。それとも静かに顛末を見守り、ヤバくなったら忠告するのかな?

どっちも人間性を疑うな。。。

いずれにせよ、人格や人間関係を一つにまとめるなんて事、できるわけが無いと思う。それぐらい人間っていうのは複雑にできている。

ソーシャルグラフなんていって無邪気に喜んでいる人に、そういった人間の多面性、多様性についてどの様に考えているのか、問うてみたい。

ネット上でリアルの人間関係を、一つのシステムで再現するのはムリだ。様々なサービスがニッチなサービスをそれぞれに提供し、アカウント情報だけを共有する、という方法はあるだろうが、ニッチなsnsサービスが長続きしないのは、既に実証済みだ。

ソーシャルグラフの未来は、そんなに明るくないと思う。

2011年6月13日月曜日

責任と権力と役割

東電を見ていると、大きな会社には相応の大きな責任がある事がよく分かる。

より広く、社会に役立つような会社は、より大きな責任を負うことになり、それが、社会をより良くして行く。とりわけインフラ企業は、特に日本の場合は地域独占も手伝って、責任が重い。

小さな会社は、社会へのインパクトも小さく、利用者も少なく、責任も小さい。必然的に産業ヒエラルキーが生まれ、暗黙的な産業ヒエラルキーは、日本の産業構造の中に身を置くと、否応なく理解できる。

下から見上げると明らかな産業構造も、上から見下ろすとそうではないのかもしれないが、問題は、その責任の大きさを社員が理解しているかどうかにあると思う。

自分たちが持つ大きな責任が生み出す大きな権力に溺れてなかったか、が問われている。

1000年に一度の権力を揺るがす事態に、自身が持つ責任の重さと、責任を全うするに足る諸行動のあり方を議論すべき時だろう。今まで、そこまで大きな権力と責任を我社が負っていると、深刻に考えた東電社員はさほど多くなかったのではないかと思う。

東電の中で、どのような議論か行われているか分からないが、権力と責任に関する道筋が明らかになれば、少しは光明が見えてくる。これまではどんな責任を負っていて、それに対してどの程度の権力を行使してきたか。また、今後についてはどのように考えるのか。皆で議論してもらいたい。

実はこれは東電に限らない。それぞれの会社で、負うべき責任と、振りかざすべき権力の大きさを、よく理解しておくべきだと思う。その中に、各人が果たすべき役割があるはずだ。

僕たちはもっと、社会に対する責任と権力と役割について、敏感であるべきだ。今までの年功序列、終身雇用の内向き世界では、無用の長物かもしれないが、もう、内向きではいられないということだろう。

2011年6月10日金曜日

iCloudとiTunes Match

Appleがクラウドサービスを使ったOTAを発表した。みなが待ち望んだ機能で、ようやくiPhone/iPod touch/iPadがMacの呪縛から放たれる。

逆に言うと、MacもiPhoneなどと同列に並ぶ訳だが、いよいよ全てのデジタルアプライアンスがクラウドセントリックになる時代が来たんだろう。

今までのクラウドは、利用者が使うものだったが、これからのクラウドは利用者に気づかれないようにマシンが使うものになっていく。それはクラウドがより人の生活に近づく事であり、生活とインターネットがシームレスにつながる事である。

扱うデータ量も遥かに増えるだろうし、そうなると3Gでは手に負えなくなってくるので、どうしてもWi-Fiとの連携が必要になってくるだろう。(安定した技術しか使わないAppleが4Gを採用するのは、かなり先の話になるだろう)

iCloudが他のクラウドと違うのは、全てのデータを扱わないことと、iOS機器に自動同期できるということだ。Apple製品を対象に絞った事で、できる事が広がった。

割り当てられる5Gの中には、Eメール、書類、カメラロール、アカウント情報、各種設定、そのほかのアプリケーションのデータなどしか置かないのだが、実際は、購入した音楽やアプリケーション、ダウンロードした本、そしてフォトストリームの写真もバックアップされる。

つまりiPhoneに入っている全てだ。最大で64GにもおよぶiPhoneのデータを、たった5Gで納めるのはAppleだけだ。

何でそんなことができるかと言うと、購入した音楽やアプリは、全てのデータをAppleが持っているからだ。Appleは、ファイルの実体ではなく、リンクを保管しておくだけで良い。つまり100万回ダウンロードされた音楽をGoogleが管理するのと、Appleが保管するのでは100万倍の差が生まれる訳で、Appleのサーバー効率も良くなるが、当然、同期するのも簡単になるので、利用者にも大きな影響がある。

さらにiTunes Matchという有料サービスを使うと、自分でリッピングした音楽を、自動的にAAC256に変換してくれる。そうすることで、Appleはサーバー効率を上げ、音楽業界は不正ファイルを撲滅でき、利用者は正式なファイルを手に入れる事ができる。また、この有料サービスで得られる収益の70%を音楽業界に渡す事になっているらしい。

結局、iCloud周りでAppleが得る収益はほとんどないが、iCloudが利用者をAppleに引き寄せ、離れられなくするマグネット効果は極めて高い。

何という構想力なんだろう。

Googleは偉大な企業だが、検索と広告を結びつける以上の事はできていない。Amazonはネット小売りとして、そしてクラウドサービスとして最大だが、それ以上ではない。Facebookの中には6億人以上が住んでいるが、それだけだ。

Appleだけが別次元のビジネス構想を持っている。世界の中でJobsだけが異なる目線で未来と現在を見ていることになる。

秋になったらiOS5とiCloudが公開される。iPad2を買ってしまいそうだ。

2011年6月8日水曜日

アンチ合理的判断

東北地方の復興について議論すると、どうも噛み合わない。正しいかどうかは分からないが、自分はアンチ合理的判断派だからだ。

東京にいる人のほとんどは、ある一定の合理的判断をした結果の人だろう。故郷を離れ、一人暮らし。家を持つ時も、土地に対する情念的な判断はなく、費用対効果が中心的な価値になる。

東北地方、特に三陸辺りに住む人は先祖代々、合理的判断を拒否してきた人ばかりだろう。そうでなければ、あの土地のあの海辺には住めないと思う。

そんな情念が絡みつく土地に合理的な判断を持ち込んでも、誰もイエスとは言えないだろう。それで納得できるなら、とっくの昔にやってるハズだ。

でも、東京に住む人は、基本的に合理的に行動を決めてきた人々なので、情念の判断が理解できない。

この両者間のコミュニケーションは、たぶん交わる事がない。

情念派は、合理派の言っている事は分かるが、そんなの判断材料にならないと思っている。合理派は情念派の言う事が分からないし、定量化し得ない情念なんてものは考慮する必要がないと考えている。

この哀しい平行線に終止符を打つには、互いの言ってることが、それぞれに理解できるようにならないといけないだろう。

自分のポジションは、情念派として、そこに住み続ける事が前提だ。

(1) 40年後に家が流される事を覚悟して、できるだけ持たない生活を目指す
(2) 財産はなるべく大きな銀行に預けるか、株などにしておく。
(3) 写真、ビデオ、手紙、思い出の品などは、なるべくデジタル化し、クラウドに置いておく。
(4) 非難経路を確保する。
(5) 堅牢な避難場所を、動線も含めて確保する。
(6) 地域のコミュニティに参加する。
(7) 避難訓練を欠かさない。
といったところか。

つまり、東京の人が考えるようなスマートな案ではない、というか解決策ですらない。こんな、被災前提の案が通るわけもないが、命と雇用と街を残していくには、これしかないんじゃないか、とも思う。

2011年6月6日月曜日

復興に向けた、たった三つのイシュー

東北地方の復旧・復興に向けた議論が喧しい。
住民の意向を無視して、メガソーラーやウィンドファームを作り、基本的に人は立ち入らない、といった案を出しているところもあるが、本質的なイシューはたった三つしか無い。

・どうやって命を守るか?
・どうやって産業・雇用を守るか?
・どうやって街の魅力を作り直すか?

それだけだ。

命を守るのに、より高い防波堤を作って、街の魅力がなくなってしまったら本末転倒だろうし、産業・雇用を守る為に漁村を無分別に立て直すのも間違っているような気がする。

いま現在、提案されているアイデアは、善意のものもあれば利益誘導のものもあるだろう。各地域の首長に求められるのは、玉石混淆のアイデアを上の三つのイシューに向けて収斂させて行く事で、それに対する冷静な判断力が何よりも必要になる。

そこに縁もゆかりも無い人間が、「高台に行けばいいんじゃん」と簡単に言えるような問題ではないと思う。

人を守り、産業を守り、雇用を守り、街の魅力を作り直す。

何がその街の魅力を形作っているのか、街の人々が中心になって、深く議論して行く必要があるだろう。その上で、街の魅力と相反しない命の守り方や産業のあり方を検討して行くべきだろう。

遠く東京で、机上で適当に考えて、答えがでるとは思えない。

2011年6月3日金曜日

岳 〜ガク〜

久しぶりに邦画を映画館で観てみた。名前つながり。

ストーリーは一言で言うと、新米山岳警備隊の葛藤と成長、というところか。山での事故をきっかけに一つ一つ課題や悩みを解決していく。

山岳救助というテーマ柄、死を扱うシーンが多く、山でのルールを描いた場面の一つ一つが、印象的だった。

とは言え、ストーリーに予想外の部分はほとんどなく、昔好きだった「俺たちの頂(塀内夏子作)」よりは、登山家そのものを取り扱わない分だけソフトで、割と登場人物それぞれが客観的に淡々と描かれていたように思う。

この映画で特筆すべきは、ストーリーや山のルールではなく、山の美しさと小栗旬の笑顔だろう。

この二つを見て、何で自分は岳という名前を持ちながら、山にさほどの興味も持たなかったのか、と少し後悔した。

正確に言うと、山には興味があったが、ヘビーデューティな世界に足を踏み入れる覚悟も、ハイキングでお茶を濁せるほどの腰の軽さもなかった。

山と一体になっている主人公を見て、他の全てを捨てれば、この究極の自由が得られるのに、とは思う。卑俗な自分には、そんな勇気はない。

自分は、割と笑顔は褒められる事が多かった。

悩み事なんてなさそうだね、と小栗旬バリに言われてたような気もする。でも、いつからか笑顔を失った、というか笑顔の質が変わったのかな?何も言われる事がなくなった。

つまらない愛想笑いに終始しているのかも知れない。

山と笑顔の爽やかさと強さを感じて、せめて屈託なく笑えるようにしなければと、自分を振り返れる良い映画だった。

見ておいて損はないと思う。

2011年6月1日水曜日

街の価値

chikirinさんのブログで「都市はローカル、地方はグローバル」との意見に非常に共感した。

街ならではの価値を残そうと思うと、ある一定以上の人口集積が必要で、そうでない街はユニークな価値を維持する事ができない。その結果、標準的な価値に身を委ね、グローバル化する、ということ。

確かにその通りなんだろうな。

人を集める事を第一義に置くと、便利さやステータスが最大の価値になる。集まってくる人を飽きさせない事を第一義に置けば、多様性だとか面白さだとか拘りだとか思いがけない出会いだとかが、価値になるだろう。

自然と人が集まってくるポテンシャルを持った街は、幸いな事に便利さやステータスを追求する必要がない。だから、そこにあるお店や施設は自由だ。自由でいる事が、その街での価値の一部になり、それを求めて人が集まる。

ただし、自由であればあるほど、興味を持ってくれる人は少なくなるので、それでも生計が成り立つほどに集客規模=街の魅力や商圏が大きくないとダメだろう。

地方都市は商圏という点で、新興都市は魅力においてポテンシャルが低い。こういった都市は、便利さを第一義としてグローバル化するより他ない。結局、商圏と土地の魅力を兼ね備えているのは、昔ながらの大都市しかあり得ない。

そして、渋谷はよりローカルに、新三郷はよりグローバルになっていく。

面白い事に、ローカルを追求した都市の商圏は広がる一方だが、グローバル化した都市の商圏は小さく固まった状態になる。銀座には日本中、いや世界中の人が訪れるが、ららぽーと横浜を訪れる人は半径20km圏内ぐらいだろうか。

善し悪しではなく、街の役割分担とも言えるかも知れない。

街の価値は街それぞれだが、人を集め、その人々に何らかの効用を与えようと言う事では一致している。そういった意味では、集まった人々にどういった価値を提供しようとしているか、という明確な意思の持たない街が、だんだんと厳しくなって行くのかな。

人も会社も街も同じだね。きっと国もそうなんだろう。