2009年11月30日月曜日

トイザらスのオペレーションレベル

トイザらスへは毎年2回ぐらいは行くのだが、毎回痛感するのが、そのオペレーションレベルの低さだ。しかも、全く改善の兆しがない。

無駄に店員が多く、しかも研修員と称する素人ばかりで、全く機能的でない。店内の全ての機能が、客本位ではなく店本位で設計されている。この状況は、自分が利用するようになってからの数年間、全く改善されてない。むしろ酷くなっているようにも思える。

誕生日やクリスマスといったイベントにおいて、子どもが欲しがるようなオモチャの実物を見れる所が少なくて、結局いってしまうのだが、本来、できる限り利用したくないのが本音だ。

アマゾンや楽天では、どうしてもカバーできない機能がある。そこにあぐらをかいて顧客接点におけるサービスレベルの向上努力を怠っているのが、トイザらスのビジネススタイルだ。

価格も決して安くないのだが、トイザらススペシャルのような商品開発だけが卓越しており、それがまた腹立たしい。総合的に見ると、子どもを盾にとった搾取モデルとも思える。

商圏調査とやらをしていたが、それは事業者側の都合でしかなく、それよりも先に、お客さんの視点にたったオペレーション改革が必須だろう。

2009年11月27日金曜日

快挙!「JEA賞」「アントレ賞」ダブル受賞!!

11月25日に「かながわビジネスオーディション2009」という、いわゆるビジコンの最終審査があり、Kozchiは「JEA賞」と「アントレ賞」の二つの賞をいただいた。

ここに至るまでも一次、二次、ヒアリングと、各種審査をくぐり抜けて、ようやくゴールが見えてきた、という感じ。6月頃からだから、かれこれ5ヶ月。個人的にも人間関係が悪くなり、結果として異動があったりして、若干バタついていた感があった。

ともあれ、最終審査である。
出番はラスト、16時からのコマを割り当てられていた。少し目立ちたい気持ちの強い自分は、どちらかというとラストが好き。そういった意味でラッキーだった。

出会いの広場と称して、発表者が一同に集まる部屋があったが、どうもサロン的な雰囲気で何かが生まれる予感がしない。なので、ずっと人の発表を聞いていた。

研究職をしていると、人の発表を聞く機会はいっぱいあるが、久々に真面目に聞いた気がした。あまり眠くならなかったし。この中で、大企業の良さと中小企業の良さ、そして違いを強く感じた。このことは、いずれ機会を見つけて書きたいと思う。

13時から始まったプレゼンをずっと見ていた感想としては、人に伝えよう、という気持ちが見えるものは、少なかったように思った。これは、質疑の時間を省いた弊害だと思う。

言いっ放しを是認するスタイルは、人に伝える必要性が薄く、緊張感が弱い。そのため、何がビジネスモデルなのか、商品開発だけがビジネスプランなのか、何を伝えたくて、今後どのようになりたいのか、が全く伝わってこないものばかりで、聞いていても消化不良を感じるモノが多かった。

こう言ってはなんだが、社内のプレゼンの方がよっぽど緊張感を感じる。最終的に得られるモノは、こちらの方がよっぽど大きいにも関わらず、だ。

そんな中、ようやく出番が回ってきた。資料は結構練り込んできてあるのでストーリーは問題ないが、Macが使えず、pdfでの発表になったので、トランジションが使えず、少し残念。まあ、内容には影響ないので、良しとする。

iPhoneでストップウォッチを動かして、準備万端整った。が、前段で時間を使いすぎ、少し焦る。徐々に調整しようと思った時にiPhoneの画面が消え、経過時間を会場内の時計で判断する事になった。ストップウォッチよりもアバウトになるので、少し早口になり、若干端折ったりしてたら、終了三分前の合図をもらう頃には、思ったより余裕ができてしまった。最後の収益や展開を念入りに話して、時間どおりにクロージング。

反省点は多いが、結果としてはまあまあのプレゼンだった気がする。頷いてくれていたオーディエンスもそこそこいたので、少し安心。気持ちは、県知事賞や奨励賞を取るつもりで、表彰式に向かった。

結果として、「JEA賞」と「アントレ賞」をダブル受賞させて頂いた。受賞できたのは、無償で協力してくれたA氏とT氏のお陰だと思う。いずれも、プランの説得性を増すために必要不可欠な部分だった。この場を借りてお礼を言いたい。
ありがとうございました。

複数の賞を受賞したのが3テーマだけで、「Kozchi」を除いた2テーマはいずれも奨励賞の受賞者だったことや、商品も事業主体もない個人で受賞しているのは私だけだったことは、大きな自信になった。逆に商品や事業主体なしで到達できるのは、この辺りまでかもしれない。その意味で快挙だと思う。

なにより、「Kozchi」が初めて世に認められた記念すべき一日であることは間違いない。今回の受賞は、次に向かう大きな一歩になったと思う。この受賞を糧に営業活動を進め、広く早く展開を進められるように努力しようと考えている。

100

このブログを始めて、今回が記念すべき100回目だ。毎週月・水・金にアップして、8ヶ月。結構まめに更新したし、自分にしては長続きしている、と少し感心したり。

あまりテーマを絞らずに書いてるし、他のブログにリンクすることも極力避けたので、プレッシャーがないのが良かったのかもしれない。以前は、PVを上げようと躍起になって挫折したが、肩の力を抜くと、続けることは意外に簡単だと気付いた。

あと、iPhoneの力による所は大きい。このブログのエントリーは、文章作成からアップロード、編集まで全てをiPhoneから行っている。通勤などの隙間時間を使えなければ、こんなにも続けられなかっただろう。

本来、起業日記に近いような、これから提供しようと考えている「Kozchi」に関するエントリーが中心になるべきかもしれないが、結果として、一回しか書いていない。少しづつ、この場を借りて「Kozchi」について報告することも増えるとは思うが、今後も変わらず、テーマは絞らず続けていければ、と思っている。

実は最近喜ばしいことがあったので、少しルールを曲げて、連続エントリーすることにする。

2009年11月25日水曜日

理念なき行動は凶器であり、行動なき理念は無価値である

あるブログで紹介されていた、本田宗一郎の言葉。該ブログでは、現在の民主党の行動を例に出していたが、なるほどその通りと、納得してしまった。

例の事業仕分けにはかなり違和感を持っており、行動の方向性は共感できるものの、他にやるべき事があるでしょ、とも言いたくなる。

仕分けられた事業の規模の小ささにムダ感も強いが、ここで捻り出される予算が、子ども手当や高速道路無料化に回されるとしたら、単にパワーゲームを楽しんでいるだけとしか思えない。

まずは、それら新しく設定しようとしている事業の必要性を判断しなければならないはずだ。そして、さらにムダを省く仕分け作業をすべきだ。

また、何の責任と覚悟を持って、仕分け人は存在しているのか、一度キチンと表明すべきだろう。蓮舫議員のように、切り捨てるのが楽しいだけでは、許されない。なぜ、自衛隊のPR施設がディズニーランドと同列に扱われなければいけないんだ?

CO2問題でもそうだが、もっと本質的な議論に突っ込んで、そもそも何がしたくて議論を始めたのか、をよく考えなければいけない。そうでなければ「無価値」か「凶器」に堕してしまうだろう。

2009年11月23日月曜日

原因と結果と評価

電車は不愉快なことが多い。乗客が、という事も大いにあるが、事業者としての意識に不健全なものを感じる事が多い。

女性専用車の目的は?その目的に対応した結果は?存続を決めるであろう評価は?結果を公表し評価を加えないと、大いなる社会実験に参加させられた我々への説明責任を果たしていないとは言えないのか?

同じく優先座席。こんな適当なやり方ではなく、ちゃんとした社会実験として、目的、実験方法、結果に考察を加えて公表して、改善を積み重ねてほしいものだ。

優先座席での携帯電話規制も不愉快だ。携帯の電波が実際的に人体に悪影響を及ぼすという実験結果を、私は寡聞にして聞かない。あり得ないくらい条件を歪めた上で20センチ程度まで近づけてようやく、というレベルだったと記憶している。万が一、甚大なる悪影響があるのなら、ユーザーのリテラシーに頼るのではなく、キャリアのメーカーへの仕様提示段階で、電波の改善かキルスイッチの設置を義務づけるべきだろう。何にせよ筋が違う。

とにかく鉄道事業者は、臭いものに蓋をするがごとく、少しでもクレームがつく可能性のある事には規制をかけ、思考停止に陥るのが常のようだ。

日本に蔓延する閉塞感を反映しているようで、気分が悪い。

2009年11月20日金曜日

キーチ

モーニングで連載していた(している?)「キーチ」という漫画で、1年ほど前に主人公が叫んだ言葉が、iphoneに入ってた。

社会の不合理、不条理に対して闘い、そこから普通の人たち(サイレント・マジョリティ)の、自己中心的で無関心な行動への問題提起に変化していく場面でのセリフです。

自分が変わらなければ、何も変わらない事を感じさせてくれる名場面でした。

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俺が10年間してきたことの結論は、
お前らこそが
俺の敵だったってことだ!!

社長を追い込んだのは誰だ?
助けなかったのは誰だ?

俺は、
俺が社長を助けることに腹がたつ。
誰かを助けることは
他の誰かを選んで見捨てることだ。

今のままでいい、
徐々に良くなればいい、と言う奴は、
高みでだらだら
どこかの誰かを
見捨てるだけだ。

救われたい誰かたちを
一斉に救える力のある奴らは、
自分の得になる奴だけを選んで助けて、
弱い誰かを切り捨てる。

救われねえ誰かがいるって想像しろ、
どんな気分だ?

自分がしらないうちに
誰かを見殺しにしているのは、
どんな気分だ?

このままじゃ
明日も明後日も
この先も、ずっと
いい事なんか起きねえぞ。

いいかっ
国を守るとぬかす連中は
お前らをダマす。
信じるな!!

金持った連中も
お前らをダマし続ける敵だ!!
信じるな!!

警察は奴らの仲間だ、
信じるな!!

法律なんて奴らに都合のいい戯言だ、
信じるな!!

テレビでモノ言う連中、
新聞にモノ書く連中は
金で転ぶ奴らの手先だ、
信じるな!!

神も仏も金儲けの道具だ、
信じるな!!

お前らが今、
信じるものを全部っ
信じるな!!

俺は今を
疑いもしねえ
怒りもしねえ
お前らを
絶対にっ信じない!!

2009年11月18日水曜日

独りよがりではない絶対的価値観

絶対的価値観というと、自分勝手な考え方を押し付けるようなイメージがあるかもしれない。

理解を深めるために、相対的価値観から考えてみよう。

相対ってのは、人と比べるという事だ。自分の方向性を決めるのに、人と比べて良いことあるだろうか?思考の軸が決まってない人は、他人が何を考えて、どんな意思決定をしてるのか気になるだろう。

だからこそ、絶対的価値観の押し付けが大切になる。

人は外圧に弱い。押し付けられ、流れを作られれば乗らざるを得ない。その中で相対的な考え方と絶対的な考え方の違いやメリット、デメリットに気づけば良い。

そう考えると、「相対的価値観」と「絶対的価値観の押しつけ」はイコールなのかも知れない。独りよがりに見える絶対的価値観の押し付けは、実は、一皮剥けるための優しさだったりする。

2009年11月16日月曜日

仕分けごっこ

ここの所、世間を賑わしている事業仕分け。あれ、何とかならんのかな?

元々削減目標は3兆円だったが、95兆円にまで膨れ上がった予算を、92兆円にすることに何の意味があるんだろう?

事業を仕分けて、ムダをなくすという目的には賛同するが、現状として効果的な仕分けになっていない。巷で言われるように魔女裁判的であり、公開されており透明ではあるものの、公正ではない気がする。

未来への負債を積み上げないようにすることが、唯一、国民の将来不安を和らげ、消費や子育てへのインセンティブになりうると思うのだが、今の事業仕分けにその機能は期待できない。

あんなに要らない事業があったのかという驚きと、まだまだ氷山の一角だという果てしなさを感じる。

やるなら10兆円規模でリストラする必要があるが、その方向性で考えると、見直さなければいけない事業の筆頭に、子ども手当が入るだろう。経済成長と福祉のどちらを優先するかは、タイミングと環境によるだろうが、現時点でいうと経済成長だろう。しかも、補助金ではなく規制緩和による舵取りが必要だと思う。

いずれにせよ、テレビで真剣に「仕分け」しているように見えるのも、全てポーズであり、ただの「事業仕分けごっこ」でしかない。少なくとも、現時点では。

仕分けている様子に騙されてはいけない。細かい事業を積み上げて500億円に到達しても全体予算の、たかが0.05%でしかないのだから。

2009年11月13日金曜日

インテル・インサイド/アップル・アウトサイド

ビジネスをどのように捉え、どこを我が物とするか、と言う事。それが、戦略というモノだろう。ビジネスフレームとグリップポイントが大事になる。

インテルはCPUを必要とする全ての機器にフォーカスし、その心臓部たるCPUとチップセットという「部品」をグリップした。それだけでは競合優位性が維持できないので、Microsoftとのアライアンスで確固たる地位を築いた。ほぼ全てのPCはWintelとなり、今ではコンピュータ制御される多くの機器が、「Intel Inside」である。

かたやアップルは「完成品」を売る消費財メーカーである。普通の消費財メーカーは作って売るだけだが、Wintelによって、その商売に限界を感じていたアップルは、何かをグリップして周りを動かすビジネスがしたくなったんじゃないかな?「部品」は「完成品」を動かせるが、「完成品」何が動かせるんだろう?

その解が、プラットホームであり、社会であり、環境であり、ライフスタイルなんだろう。結果としてアップルは「完成品」をグリップして、「デジタルハブ」構想を作り、最終的には社会やライフスタイルなど「外の世界」を変えた。つまり「Apple Outside」である。

これらの事例を見ると、ビジネスフレームとグリップポイントのうち、どちらが先かと言うと、グリップポイントになる。

企業が強みとして持っている何らかの「技術の核」をグリップポイントとして、そこを握った先で影響を受ける領域を定義し、そこにフォーカスしてビジネスフレームとする、といった手順が良さそうだ。

では、手持ちの「技術の核」には何があるだろう?

2009年11月11日水曜日

JAL化

週刊ダイヤモンドの11/9号にJALの特集があった。記事の中に、ANAとの比較でJALの企業体質について、内部アンケートからまとめた一覧表があった。

その一覧表を見て、あたかも当社に取材したかのような印象を受けた。全ての項目で百点満点、当社の雰囲気にピッタリ一致していたのだ。

むべなるかな、とも思うが、実質上壊れた会社と同じ体質であることは、しかも、一項目とて救いがないことが、未来を暗示しているような気がする。

この現実に対して、誰も何も感じないのか、感じてても動けないのか、いずれにしても末期的であることにはかわりがない。

末端の自分ができる事は何があるんだろう?超官僚化した組織をひっくり返す事って可能なんだろうか?

2009年11月9日月曜日

絶対的な価値観

誰かが見てるからとか、誰かと比べてとか、相対論で話をすると人は不幸になる。そこには、敗北感か歪んだ優越感しか生まれないから。

絶対価値の中に生きてると、ストレスはなくなり、他者との関係もスムーズになる。そして、良いモノが生まれ、良い影響を周りに与えることができる。

常に絶対論で考えることが大事。決して他者と比較してはならない。比較するなら、神とでなければ意味がない。

2009年11月6日金曜日

This is it

こんな映画は初めてだ。

エンドロールが終わるまで、ほとんど出て行く人はおらず、最後には自然と拍手が沸き起こった。「映画」というカテゴリーで括るのが間違っているのだろう。

ほとんどプライベートライブと言っても良いのではないか。マイケル・ジャクソンが自分一人のためにパフォーマンスしてくれている。そんな気分になった。自宅に大型テレビかプロジェクターがあれば、家で一人、踊り、歌いながら観たい、そんな映画だった。

マイケル・ジャクソンが偉大な、そして二度と戻ってこない永遠のパフォーマーであることを痛切に感じた。

50歳にして、あの体の切れ、そして変わらぬ感情に訴えかける歌声。最高だった。
一切妥協のない姿勢、努力、人を魅きつけて止まない才能。マイケルとの共演に全てを投げ打って参加しているメンバーの熱さ。

全てが感動に満ちている。

何より、愛に包まれたマイケルのメッセージ。素面では聞けないような言葉もマイケルだから説得力がある。昔から、人類愛、地球愛を歌い続けてきたマイケルだからこそのメッセージだろう。

自分もカラオケでは、かなりの頻度でWe Are The Worldを歌い、周りの人にはある程度認知されたマイケルファンなので、一曲々々が深く染み入るような体験だった。

ありがとう、マイケル・ジャクソン。
Heal the world make it better place.
I love you, Michael Jackson.

2009年11月4日水曜日

戦略的にビジネスるためには

何か手持ちのネタが必要なんじゃないか?

環境とかエネルギーといった、ざっくりした流行で施主の行動を先読みし、ハコ物に関わる何かを探すのも良いかも知れないが、結局、行動起点が人任せと言う請負体質からは抜けきれない限りは、本質的に戦略的な議論にはなり得ない。

手持ちを作るにはリスクを取る勇気と覚悟が必要だろう。組織が本質的にそういった勇気や覚悟を持ち得ないとしたら、どうすればいいか?

一つは、会社にそのような行動を取ることや、そういったポジションで話をすることそのものを期待しない、むしろ、想像すらしない、という(消極的な「諦め」の)方向性がある。

研究所という立場で考えれば、自己満足型、自己完結型で浮世離れした研究テーマをシコシコと進めること、が一つの解かもしれない。ここにはチームワークは不要で、逆に、(何らかの役に立っている事の)行為証明をする為に、目的を分割したり、意図的に矮小化したりすることが必要になる。その結果、小さな小さな、そして一人で実施・展開するような、ほとんど意味のないテーマが量産されることになる。

本質的に意味がないから、ムリやり意味を作り、ますます浮世離れしていく。そこに育ったヒトは、浮世離れしてる事がその組織の存在意義であると勘違いし、その勘違いに気づくことはない。

もう一つは、少しばかり積極的な「諦め」がありそうだ。諦めるコトによって、目の前の事象に集中し、その問題解決を目指す、と。ライン業務に従事するヒトは、むしろこっちだろう。

この場合は本来的に、より卑近な事象にフォーカスすることになるので、自ずと近視眼的になる。極端に言えば、近視眼的であればあるほど、そして、その問題解決スピードが早ければ早いほど、有能であると勘違いする。本当は問題解決能力よりも、問題定義能力の方が重要であるにも関わらず、である。そして、その勘違いは正される事なく、気づく事もない。

従業員に(組織が持つべき覚悟や勇気に対する)諦めを持たせて良い事は何もない。それらを従業員に信じさせる事が、会社に課せられた唯一の義務なんじゃないかな。

それができない会社に、戦略的にビジネスる事なんて、できようはずもないだろう。

2009年11月2日月曜日

既得権からの解放

日本は老人に支配された国だ。それは人口構成を眺めてみるだけで容易に理解できる。

現状が変わらないとすれば、何をすればいいのか?

搾取し、搾取される関係性からの脱却は、即ち既得権からの解放である。分かりやすく言えば、自立せよ、という事だろう。さらに言えば、他者との関係性を自らの意思でマネージせよ、という事でもある。

それも、社内で自立するつもりで仕事をする、とか生易しい話ではなく、リアルな自立を志向できるか、行動できるか、が今後の人生において哀しい搾取の連鎖から脱却する唯一の道だろう。