2012年7月30日月曜日

つまらなくなった柔道

今回のオリンピックの柔道がつまらない。

日本選手の出来とは関係なく、柔道という競技が本当に雑なものになっており、かつて見た美しい投げなどはほとんど見られない。

選手は掛け逃げが多く、また、背中や帯をつかむ者が多い。怪我をしたふりとか帯の締めが緩かったりとか、もうふざけてるとしか思えない選手も散見される。それでいて、そういった下らない選手の行動につきあわされて、なかなか技が仕掛けられないでいると積極的姿勢に欠けるとして、指導を受ける。この指導ポイント制が試合の質を落としている理由の一つだ。

かつては『効果』というプラスのポイントもあったのだが、今は『指導』というマイナスポイントだけになっている。いつからこんな事になってしまったんだ?これだと、いくら技を掛けてもなかなか結果に結びつかない。なにせ、指導二つで有効、三つで技あり相当ということで、技を掛けて相手を倒す事よりも、相手に指導を与えることに腐心しているように見える。そのため一本を狙わない柔道が蔓延している。指導の積み重ねだけで決まってしまう勝負を見たい人なんていないだろう。

また、5分の試合時間中に指導を一つ受けたまま延長に突入すると、延長の3分間の間に一つ指導を受けるだけで有効となってしまい、勝負がついてしまう。『効果』ポイントを獲得する事で勝負が決まるならまだしも『指導』だけで決まってしまう、この延長のゴールデンスコア方式も試合を劣化させている。

三つ目の理由は、審判のレベルの低さだ。ジュリーと呼ばれる陪審員が審判の他にも試合を見ているのだが、審判のあまりのレベルの低さにジュリーが介入せざるを得ない状態になっている。

66kg級の海老沼選手の準々決勝が最悪の例だ。明らかに海老沼選手が優勢だった。有効に近いポイントも取っていたし、相手の反則すれすれの行動も目立った。しかし組み手を嫌い、逃げ回りつつ掛け逃げっぽく技を繰り出していたのが良かったのか、旗判定で相手選手に3本入った。この誤判定もビックリしたが、さらに驚いたのはその後だった。ジュリーに審判が呼ばれ、再度の旗判定。結果、海老沼選手に3本。この試合で審判が下した判断は一体なんだったんだ。ジュリーに呼ばれて、自らの判断を全員が覆すということは、談合じゃないけど、何か不正があると思われてもおかしくないだろう。そもそも審判がいる意味があったのか、という話だ。酷すぎる。

あと、有効以上の判定基準も、競技を雑にしている原因に挙げられるかもしれない。肩甲骨辺りもしくは背中が畳につくこと、ということで、確かに今までもそうだったが、完全に技がかかって回りすぎた場合は一本になっていたような気がする。今は回りすぎて、肩甲骨を通り過ぎたら有効にすらならない。こんなルールを作ったが故に、奇麗に体を回転させ、一本を取る技を繰り出す必然性がなくなった。

レスリングのように隙を狙って体当たりして背中から倒す、といった雑な朽ち木倒しのような技や、背中や帯を持って後ろ向きに力任せに引き倒されるパターンにやられる事が多い。特に帯を持たれていると体を回転させる事もできず、なす術無く一本を取られてしまう。

要は、ルールと判定基準が悪いので選手の質が落ち、審判の質が悪いので試合の質が落ち、競技としての面白さはどこにもなくなったように思える。

日本選手は愚直に一本を取る柔道をしているので、それが結果に結びつかないということだ。全日本選手権と世界の舞台は別物と考えて、オリンピックや世界選手権には外国のように『ポイントを稼ぐ柔道』が得意な選手を送り込むしか無いだろう。またはポイントを稼ぎつつ(つまり、相手に積極的に攻めさせない柔道をする)、いざという時は一本を取れるような柔道をする事だろう。今も、そういった柔道をしようとしているのかも知れないが、現状は不十分だろう。メダルの数が物語っている。

『これが世界なんだ』『これがオリンピックなんだ』と言った所で空しいだけだ。柔よく剛を制する時代ではなくなったのだろうか。

2012年7月27日金曜日

五輪サッカー、男女ともに初戦勝利!

これは、幸先良いよ。

女子サッカーはカナダに2対1、男子サッカーはなんと若き無敵艦隊スペインに1対0だ。

サッカーだけでなく、ロンドン五輪を占う日本代表としての初戦を男女ともに白星発進できたのは、めでたい。

前線からチェイスするサッカーは、最近の日本の特長なのか。男子は永井、女子は大儀見。体力を考えない若いサッカーのようにも見えるが、ロングボールを入れさせない戦術でもある。

今までは引いて守って、一瞬の隙をつくサッカーが強豪相手の定石だったが、ここまで堂々と戦って勝てるようになったなんて素晴らしい。

それにしても永井の空砲っぷりが笑えた。それだけトップスピードからシュート態勢になるのは難しいということだろうが、あと3点ぐらい取れててもおかしくない。永井のスピードは完全に通用していた。

課題は後半の攻めだろう。男女ともに得点できていない。前半前がかりに攻めて、後半は堅守で凌ぐのも一つの戦術だが、ギアを上げる時間帯は検討の余地がありそうだ。

ともあれ、これから始まるロンドン五輪。楽しみになってきた!

ガンバレ!日本!!

2012年7月25日水曜日

されているそうです

最近の日産のCM。

嵐を起用しているのは良いのだが、クルマの紹介の後に「されているそうです」と言うのが鼻に付く。

例えば、新型ノート。エコカーで売り出しているが、今までのエコカーはパワーが足りなかったとして、パワーのあるシステム「ピュアドライブ」を組み込んだそうだ。

素直に新しいシステムを組み込んで、不足気味だったパワーのレベルを上げました、と言い切れば良いのに、なぜか「されているそうです」と言う、伝聞調。

こういった書き方をすると、自信なさげで他人事に聞こえるので、良くないと思うのだが、どうなんだろう?

CM表現として新しいと言えば新しい。

弱々しくもフレンドリーで、押し付けがましくない。しかし、このシステムでライフスタイルがどのように変化するかを言うならまだしも、システムの優位性を優しく語るのは無意味に思える。

日産の真意を聞きたい。このCMで売上げが伸びると思ったのだろうか、それとも嵐頼りなだけか。

2012年7月23日月曜日

鳩山・・・

ポッポは、本当に脳みそが小さい。

今まで取ってきた愚劣な行動の集大成のような反原発デモへの参加。あれが、かつてはこの国を率いる責任ある立場にあった人の行動とは思えない。

原発の存続については賛成・反対、色々あるだろう。どちらかというと賛成論者は論理的に、反対論者は感情的に話をしているように思う。どちらが良いとは言わない。

賛成する側は、反対の側が言う、原発の安全性と最終処分について納得できる解をださなければいけないし、反対する側は、賛成側のエネルギー安全保障の問題や結局残る最終処分や廃炉の問題にも答えを用意しなければいけないと思う。

また、国内で原発を持たないという事は、今後の原子力開発のリーダーシップを他国に渡すという事でもある。さてどうするか、というのは極めて政治的な判断だと思う。

そのような中で、政治の中枢にいて、かつてはリーダーでもあった人が、安易に反対の旗を持てる訳が無い。

もし、その旗を持つのであれば、先に書いた『エネルギー安全保障』『最終処分・廃炉』『原子力開発のリーダーシップ』についてどのようにするべきと考えるのか、明確に、実現性のある答えを用意する必要があるだろう。

そういった事を用意せずに原発反対デモに賛成するのは、原発推進の一翼を担ってきた政治家として、あまりに無責任だし無配慮だろう。端的に言えばバカだ。そして、安易にそれを受け入れた原発反対運動家もあまりに短慮だろう。

結局、領土問題、歴史認識問題、普天間問題と同じように、単なる水掛け論ならまだしも議論が後退する恐れが強い。そのトリガーを引いているのが、今までと同じくやっぱりポッポで、この人物のバカさ加減は、日本を崩壊に導くだろう。

2012年7月20日金曜日

韮山反射炉

伊豆に遊びにいく途中で韮山反射炉発見。

全然予定してなかったが、かつて鉄に関わる仕事をしていた事もあり、寄り道決定。家族は興味なさそうだったが。。。




反射炉は現在でも鉄以外の金属では使われているらしいが、鉄では主に転炉が使われている。反射炉も転炉も、金属を精錬するための炉で、基本的には不純物を取り除くためにある。

反射炉では、熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別になっており、燃焼室で発生した熱を天井や壁で反射させ炉床に熱を伝える事から反射炉と呼ばれる。




韮山反射炉は極めて初期の反射炉で、幕末の砲製造のために作られた。幕末は欧米からの武力圧力が強かった時代で、国内での武力増強の必要性が日々高まっていた。一方で、海外から技術者を招聘することもままならない時代でもあり、伊豆韮山代官の江川英龍などがオランダの技術書を参考に作り始めたのが韮山反射炉である。

昭和の終わり頃に施された耐震補強で、反射炉は全面的にブレースが配置され、少し異様な塔として存在感を放っている。

かつては、レンガで作られた躯体全面を漆喰で覆っていたらしく、ある種神聖な雰囲気を醸し出していたのでは、と想像する。

こういった時代の工業は、多大なる人手を介したものだったはずなので、地域の雇用のかなりの部分を占めていたと思われる。周りには生産設備もあり、かなり隆盛を誇っていたのではないだろうか。




反射炉を見て一番驚いたのは、そのレンガの精度だ。

非常に奇麗な仕上げのレンガが緻密にくみ上げられている。1853年当時、レンガ造の建物はおそらくまだ存在せず、当然、レンガ製造工場もなかったハズだ。きっと海外から輸入したのだろうと思ったら、近くの河津で作ったらしい。ちょっと信じられないぐらいに品質が高い。それは、レンガ製造だけでなく反射炉施工においても。




このようなチャレンジが次の時代を作り、それが今に繋がっていると思うと感慨深い。一方で、何度も言うようだが、たかが160年前ですら隔世の感を禁じ得ない中で、原子力の10万年って一体何なんだろうと思う。

しきりに産業遺産として世界遺産に登録すべく働きかけており、当日はメディアの取材も入っていたが、なにせ規模が小さく、外観を極端に毀損する修復を施してしまった状況を見ると、世界遺産としては少し苦しいのでは、と思う。鉄を少し齧った身からすると非常に面白かったが。

2012年7月18日水曜日

伊豆の風景

下田東急ホテルに泊まった。

50周年にもなる古いホテルで、かつて昭和天皇も泊まったらしい由緒正しいホテル。施設は古いが奇麗にしてあり、非常に好感が持てた。


崖の上に立っており、下を見ると、ほぼプライベートビーチのような海水浴場が。アクセス道路も極端に細く、路上駐車できるスペースも限られているため、露店も呼び込みもない。近くにある何軒かのホテルと筑波大学の施設にいる人たちだけの海岸だ。

砂浜は比較的奇麗で、水は冷たかったが入り江になっているため波は穏やかで遠浅。ビーチパラソルでも持って日がな一日過ごすには最適だろう。そんな海水浴場には、ホテルのプールから階段を下りていく。

プールは20m×10mのこじんまりしたものだが、海際のプールほど贅沢なものはない。何より、市民プールなどのようなルールが少ないのが嬉しい。眼鏡、腕時計、帽子、カメラ、ビデオなど全てOK。今時のプールではほとんどダメなので、防水デジカメを持ってても活躍の場面がないが、ここなら使える。

そして、部屋から見える風景は、まさに絶景。かなりの高台にあるので、近くの岬や遠くの島並まで見渡せる。眼下には奇麗な芝生が広がり、まさにリゾート。



ここはコストパフォーマンスが非常に高い。できれば連泊して、海にプールに行ったり来たりしながら、ホテルの送迎バスで下田駅に出て、昼から新鮮な魚を食べながら酒を飲みたい。

2012年7月16日月曜日

伊豆の海鮮丼

伊豆下田に行ってきた。

横浜から実質3時間、途中寄り道をしたので4時間で到着。特に混んでいる場所も無く、高速も良いペースで走れた割には時間が掛かった。下田は遠い。。。

着いた日の晩ご飯として、海鮮丼を食べに行った。チョイス丼とか言う名前で、好きな魚を乗せてくれる…はずだったが、昼食でかなり食材が捌けたようで、すでに選択できないものも多かった。




とは言え、やっぱり下田で食べる魚は旨い!丼のご飯が酢飯である必然性があまりないようにも思えたが、満足、満足。

次は市場とか行ってみたいな。真夏じゃない時に。

2012年7月13日金曜日

名古屋の屋根

最近は名古屋に行く機会が多い。

それも半端じゃなく、下手をすると週3日ぐらい名古屋にいる。いつもは新幹線で東京と往復するだけ、もしくは、ビジネスホテルと往復するだけの毎日だが、先日少し時間があり、オアシス21というバスターミナルの天蓋が名所となっている複合施設を観に行った。



2002年竣工。

大きなイベントスペースの上に唐突に屋根が。しかも、屋根の上には水が張ってあり、光を反射しキラキラしている。聞くと、現在の名称は『水の宇宙船』だが、コンペの段階では空を飛ぶクジラをイメージしており、初期の提案書には、そのままクジラが宙に浮いているイメージで描かれていたらしい。

2000年前後の建物は、空間を豊かにつかったバブリーな建物が多いが、これもその一つだろう。今、こういった建物ができるかというと、なかなか難しいかもしれない。

時代の遺産としては悪くないが、50年、100年というスパンで存在できるかどうかは怪しいだろう。建物って言うのは、世にある製造物の内で、かなり長命の部類に入るが、それでも1世紀というのは果てしない長さを持っている。

原子力の10万年(1000世紀!)という単位に対して、感情的にしか議論できないのは尤もだが、闇雲な反対は意味が無いように思える。と、飛躍した感想を持った、名古屋の夜だった。

2012年7月11日水曜日

オクラ

子どもが学校の教材として育てているオクラが、花をつけた。と思ったら、花が落ちてその下から見慣れたオクラの実が伸びてきていた。ちょうど乳歯から永久歯に変わるように、花が取れ実が出た。


今まで見た事が無かったが、オクラってこんな風にできるんだ、と改めて感心。

落ちた花を見てみると、ボールペンのキャップのような形で、断面はオクラの外形そのもの。面白いもんだなー、と匂いをかいでみると、いつものオクラの青臭い匂いが。小さくても、花の段階からオクラはオクラ。

しばらくすると大きく育ち、スーパーで売っているサイズに成長。美味しく頂きました。

2012年7月9日月曜日

iPhoneナビの精度

iPhoneに地図ソフトやナビソフトは腐るほどある。本当に色々あって、色々入れてみたが、車で使ったことがなく、未だに評価できずにいた。歩行時は標準アプリのマップで十分だ。

この4年間、iPhoneが手元にあることが当たり前で、地図も住所も何も持たずに出かけることが多くなった。それでも、3G回線が無いときの不便さも体験したことから、iPhoneがマップやナビを機能として持っていることの重要性というか、親和性というか、は理解している。

ということなので、今更ながらナビを再評価してみようと思い、車載用のホルダーも含めて手に入れた。比較対象は10年ほど前の地図を載せたCDナビだ。

正直なところ、検索スピードや位置精度はほとんど変わらない。リルートも大体同じタイミングでかかり、右左折の指示もほぼ一緒だ。

iPhoneの方が地図が新しいが、電子コンパスとの連動があまりうまく行ってないのか、向きの補正が遅い。

10年以上前のCDナビもなかなかやるもんだと思いつつも、ほぼ同じ精度をGPSだけで実現しているのは、技術進歩だろう。

iPhoneナビは充分使えるということが確認できた。最近はPNDも安く買えるので、ナビを買い換える時はかなり悩みそうだ。

2012年7月6日金曜日

革新ってどうやって起こるのかな?

例えばRetinaディスプレイは性能を単純に上げただけのようにも思える。

これって、かつてのCPUがクロック数を上げたり、メモリ搭載量が増えたりする事と同じで、非常に単純な技術革新だと思う。こういった事はイノベーションなんだろうか?

例えばiPhoneは発表された当初から、技術的には全て既存のものだと言われ、こんなの日本企業が作ろうと思えばいつでも作れる、と言われていた。技術的にはイノベーティブでも何でも無かったが、全てを組み合わせて、そのエコシステムが完成した時、サービスとしてのイノベーションが明らかになった。

以前から書いている事に、商品またはサービスは『コンセプト』『デザイン』『技術』の3要素で構成されており、いずれか一つだけを新しくする事で、非連続的な進化と連続的な深化を両立させる事ができるというものがある。ただ、単にCPUのクロック数を上げたりするだけでは革新と言えるほどの進歩が生まれなくなっているのも事実だ。

そういった意味では革新に供する技術と、既に人の認知限界を越え革新を感じられない技術があるということだろう。

たまたまディスプレイ解像度というのは長い間革新が無く、認知限界との乖離があったため、それを埋めるRetinaは一つのイノベーションとなり得る技術革新と言えるのかもしれない。

『コンセプト』や『デザイン』は認知限界がない(論理的境界線がない)ので、イノベーションを生み出す可能性は高い。逆に、革新を起こせる『技術』には既に限りがありそうだが、今現在、当たり前と感じているような技術には革新要素が隠れていると言って良いだろう。

2012年7月4日水曜日

MacbookAir落下!

全くの不注意でMacbookAirが地面に落下した。。しかも、1.2mぐらいの高さから。

ある場所に行く道中、電車の中でパソコンを開いて、降車寸前にパソコンを閉じ鞄にしまった。が、鞄が閉まってなかった。

自分の鞄は2Wayで手提げとリュックになるタイプ。降車してリュックとして肩から担いでいたら、歩く振動で徐々にずり落ち、コンクリートの階段でついに落下した。

カラカラカラと非常に軽い落下音がして、振り返ると見慣れたマシンが転がっていた。






急いで持ち上げ確認してみると、筐体に落下痕。

普段、アルミニウム筐体の堅牢さを感じていただけに、やはりアルミニウムは軽くて柔らかいものだと再確認した。幸いな事に底面から落下したようで傷は底面だけにしかなかった。起動してみても特に問題はなく、打ち所が良かったお陰で、液晶にも影響は無かった。

そして軽く、ノースピンドルの威力でもあるのだろう、ハード的な不具合も無く、日常的に今まで通り使えている。これが、ハードディスクや光学ディスクのドライブが入っていたら、どこかしらの影響が出ていた所だろう。

MacbookAirの日常使用におけるロバスト性をはからずも確認する事になってしまったが、ますます手放せないマシンと再認識した。

2012年7月2日月曜日

暑い夏の始まり

いよいよ夏が始まる。

今までの省エネ活動に、昨年から節電が加わった。言葉の定義はなかなか難しいが、省エネは使用総量の削減、節電は電力ピーク時の使用量削減を表す。節電は省エネになるが、省エネは節電にならない事もある。

今後、日本で生活していく上で、常に念頭に置かざるを得ないのがエネルギー使用事情で、家電機器やパソコン等の買い替え需要における最重要評価軸はエネルギー消費量なんだろう。と思うと、そうとう世知辛い世の中になったと感じる。

好き勝手に使いたい放題に使えば良いという時代はとうの昔に過ぎ、エネルギーコンシャスであることは既に国民のコンセンサスになっているように思うが、もしかしたら一時的にかもしれないが、さらに過剰な取組みを進めなければいけない時期が訪れている。

将来のためになれば良いが、この刹那的な取組みが悪影響を及ぼす可能性も高いのではないだろうか。全ての議論が中途半端で、全ての施策は拙速のような気がしてならない。