2009年8月31日月曜日

シーンオリエンテッドコミュニケーション

型って大事。

長い歴史を持つものは大抵型がある。それは、よく使うシーンを限定的に設定し、そのシーンに対しては完璧に対応できる行動の微に入り細に穿つ様式の伝承である。

つまり、シーンの限定的な設定に全ては依存する。例えば相撲の48手の様に、例えば剣道の面胴小手の様に、例えば歌舞伎の連獅子の様に、ビジネスの行動様式は整理できるのだろうか?

ビジネスという括りで考えた時はMBAカリキュラムがそれに当たるのかも知れない。でもそれは武道で言うと、剣道、空手、柔道、相撲、合気道などを全てひっくるめて考えた時の共通項としての「型」なんじゃないかな?

MBAは個別のビジネスにおける型を示し伝えるものではないと思う。つまり、各業種はそれぞれに自らに適した「型」を作り込んで行く必要がある。そして、その型をベースとしたコミュニケーションを模索する必要があるだろう。

2009年8月28日金曜日

96時間

さすが、リュック・ベッソン。スピード感が凄かった。

邦題は「96時間」だが原題は「Taken」となっており、ゆっくりした立ち上がりもあいまって、もしかして入る場所を間違ったかな?と思ったり。

主人公のリーアム・ニーソンの立ち位置や持っている能力がワリと分かりやすく、ストーリーはシンプルでスムーズに追うことができた。娘が誘拐されてからの展開は圧巻で、ご都合主義も多分にあるものの、90分という短めの上映時間を考えると、納得がいくものだった。

それにしても、主人公の無敵感はすごい。そして、異様に残忍な感じが、娘を想う親の気持ちを際立たせていたとも思う。久し振りにアクション・サスペンス映画を観たが、予想以上の面白さだった。

オススメです。

2009年8月26日水曜日

ゼネコンは焦土と化さないか?

サブプライムローンに端を発した金融恐慌・不動産不況は確実にゼネコンのビジネスを蝕んでいる。

悪いことに、ゼネコンは体質的にリスクを取れないので、新しい事業に足を伸ばすこともできない。考えてみれば、戦争で空襲を受け、焦土と化した日本の状況に近くないか?

開戦に対して抵抗し、色んな方策を練るも失敗。状勢は悪くなる一方だが国民には知らされない。結果、多くの犠牲者をだし、かつ国土はボロボロ。つまり、逃げ遅れたら、生き残れるかどうかは全くの運でしかないという事だ。当社のいく末を見ているみたい。

こんな時、白洲次郎は先を読んで疎開し、自立の道を立てた。そういう事だろ。

2009年8月24日月曜日

ゼネコンにおいて理想的な研究領域

ゼネコンにおいて、研究開発の未来と会社の未来を同一視しようとすると、思考が破綻する。なぜなら、会社に未来志向性が無いから。少なくとも無いように見えるから。

その意味では、研究開発の未来と会社の未来が独立的に考えられる研究領域を持つか、思考ベクトルを持つことは重要なのかもしれない。

自分が今まで取り組んできた、施工管理、マネジメント、企画、新規事業開発はいずれも、会社の未来と不可分のように思える。これらの領域は、理想を追及すると、必ず会社の未来に思いを馳せることになる。それゆえ行き詰まる。また、初期投資が多く必要だったり、モノ作りが先行するような研究開発も、昨今の原資不足から挫折しやすい。

そのように考えると、ゼネコンにおいて理想的な研究領域は、意外に小さいことがわかる。

まず、本業、すなわち建物を建てる行為に関係している事。かといって、経営に関わってくるモノではない事。さらに、必要原資が少なく、できればパソコン上でハンドリング可能な事。地震動や風、温熱などのシュミレーションはベストだろう。

そうか、それで同じ社長の話を聞いても温度差があるのか。みんな、会社の未来なんて他人事だったんだ。

2009年8月21日金曜日

改革が難しい理由

危機意識が薄い。
議論する土壌が失われている。
それゆえ、未来を描けない。

どんなに立派なリーダーがトップに立っても、これでは難しいだろう。まず土壌改良、そして意識改革。

成功する可能性は低いが、ゼロではない。行動することの意義も明確だ。今、そういった活動にシフトするような経営環境かと問われたら、会社生命をかけて取り組めるならYes、でなければNoだろう。

今は考えるには適したタイミングだが、短期間に結果が出せなけれは、会社として終わってしまうかもしれない。私が提案した一年半前なら、成功確率は今の何倍も高かっただろうが。。。

期待を託すべき、優秀な人たちが存在することは分かっている。が、ここで大事なのは、チェやワルキューレで語られた教訓だろう。用意周到な準備とクリティカルマスに達する協力者。特に後者は、危機感や情熱を共有しなければいけないから難しい。最初に掲げた当社の致命的欠陥そのものだからだ。

仕組みの準備は意外に短期間に整うかも知れないが、短期決戦の経営改革に乗れるほど心の準備が整ってない気がする。

2009年8月19日水曜日

こわー

立ちながらウトウトして、隣の人のサンダルの足を、何回も(たぶん1,2回)掠るように踏んで、思いっきり踏み返された人がいた。

あーこわ。。

「サンダルだからすごく痛いんです」と叫んでたけど、果たして踏んだ人だけが悪いのか?踏まれた側として、思い切り踏み返す以外の対処法がなかったのかは、疑問だ。

人の足を踏む、という行為は意識的にせよ無意識的にせよ、褒められたものではない。だが、サンダルを履くことは、そういったリスクもある意味許容した結果ではないのか?逆にヒールの女の人に踏まれて男性が切れるシーンは見たことがないが、踏み返して良いものなのか?女性の靴は、ヒールは凶器であり、サンダルは無防備である。翻って男性は、多くの場合、革靴かスニーカーで凶器でもなければ無防備でもない。

無防備な自分には寛容で、ウトウトしてしまった相手には厳格に接するというのは、少し自己中心的すぎやしませんか、と感じたり。

満員電車、しかも最終に近ければ近いほど、色んな要因で乗客のモラルは乱れていく。そんな中で、何を許し許さないか、その基準は個人に依存する。ただ、無闇に怒ること、許さないこと、報復することだけが答えではないはずだろう。

2009年8月17日月曜日

危機と成長

日本の例を引くまでもなく、成長には危機が必要だ。

日本も会社も中途半端な危機に直面して、うまく乗りこなしていると錯覚して、必要な改革をできていない。このままだと哀しい結果になっちゃうよ。

中途半端な状態で変革を求めるには、近視眼バイアスを乗り越えて、big pictureを描くしかないが、そのためには意識の高さが不可欠だろう。

2009年8月14日金曜日

高齢化社会に向けたビジネス

人口分布を見ると、生半可なことではこれからの社会を乗り切れないと思う。

死ななくなった高齢者の扱いが一番大きな問題だろう。それこそ安心して暮らせるコミュニティなんて言う生温いソリューションは何の役にもたたない。もっとリアルに働き続けられる仕組みが求められている。

なるべく簡単なそれこそコミュニケーションがメインスキルになるビジネスを作り、そこにやり甲斐を担保に安く就労してもらう。安い労働力によって浮いた金をファンド化して、新しい若い人向きのビジネスを立ち上げる、なんてのは理想型じゃないかな?昔のスタイルの逆。

2009年8月12日水曜日

人脈とは?

人脈が大事だと、よく言われる。人脈って、どういう人を指すんだろう?

名刺交換しただけでは、人脈にはならないよな。じゃあ、一杯飲みに行った程度なのか、それ以上に愚痴やビジョンを語り合った間柄なのか、はたまた軽くお茶を飲んだくらいなのか。

いずれにせよ、何か接点を見出した時に連絡し、何らかの協力をお願いできる関係ってことだろう。意外にハードルが高い気がするが。そういった意味での人脈を自分はどれくらい持っているのか?そして、他人から見た時の人脈たり得ているのかは、はなはだ心許ない。

何が自分を人脈たらしめているか?それは情報であったり、技術であったり、思想であったりするのかもしれない。何かを解決するユニークな技術をもつことが、最も分かりやすい人脈形成術だろう。

2009年8月10日月曜日

ゼネコンの研究所としての成果

ゼネコンの研究所では、その成果に会社への貢献も社会への貢献も謳う必要がない、と言うか謳えない。

なぜなら、ゼネコンが作るものは基本的に100年前の技術でできているからだ。技術がビジネスをドライブしないのは、当然のことである。

また、建物は第一義的に特定企業もしくは団体のためにあるからだ。だから、最終顧客がどうとか言う議論はナンセンスである。貢献すべきは発注元企業に対してであり、その小さな社会こそが全てである。

決して、一般的な定義の「社会」ではないのだ。

2009年8月7日金曜日

ワルキューレ

また負け戦を見てしまった。
負けた原因は何だったんだろう?

情熱と信念を高いレベルで共有する同士が少なかった事。指導者の中で行動目標のコンセンサスが取れてなかった事。失敗を恐れる余りに後手に回っていた事。完璧を期す余りに行動が中途半端になってしまった事。フェールセーフが十分ではなく、不測の事態への備えが足りなかった事。目的達成に必要十分な機能への理解が低く、機能不足に陥ってしまった事。リーダーが実質的に一人しかいなかった事。カリスマとしてのリーダーだけでなく実務家としてのリーダーをも一人で背負わされていた事。戦闘力の大部分が扇動によって操られており、本質的な味方となっていなかった事。戦闘員の思想的な支持を得られていなかった事。勝ち馬たり得る体制を素早く築けなかった事。

キューバ革命と同じ課題が浮かび上がってくる。逆ができれば勝ち戦だよ。

2009年8月5日水曜日

クリティカルマスへの道程

キューバ革命は、なぜ成功したのか?

変革を望み、わが身を振り返らず献身的に参加、行動する人がクリティカルマスを超えたからだと思う。当時のキューバ政府の酷さも大いに関係するだろうが、最大のポイントは二頭体制だったことではないだろうか?

カストロとゲバラ、目的を一つにし統治方針の異なる二人が上手く補完し合うことで、多くの人を巻き込み、かつ離さない状態を作り出すことができたのではないか?

ボリビアでのゲバラはカリスマだった。皆の尊敬を集めてはいたが、求心力という点ではクリティカルマスを動かせるほどのパワーがなかったのかもしれない。それは、キューバの時のカストロも同じで、一人で実行した時は失敗している。

結局、組織ってそういうものかもしれない。カリスマ一人と実務家一人。その運命共同体に未来を感じ、将来を期待する。思えば著名な企業でも、少なくとも創業時には、二頭体制を敷いている所はある。ソニーの井深・盛田、ホンダの本田・藤沢は有名だ。

卓越した実務家がピッタリ寄り添って、カリスマと同じく尊敬を集める存在でなくてはならない。

2009年8月3日月曜日

che

もしかしたら普段の生活も、小さいながらも革命と言えるのかもしれない。特に「不」への抵抗はある意味では日常的な革命を起こそうとしている、とも読み取れるだろう。そして、革命には勝ち戦と負け戦がある。

cheは二部構成の映画だが、前半は勝ち戦を後半は負け戦を表現していた。何が違ったんだろう?

失敗はどちらかと言えば理解できる。危機感、熱さを共有してもらえなくて、空回りしていたんだろう。一部の人は共有し、行動を共にしていたが、クリティカルマスに達しなかったと言うことか。

搾取に飼い慣らされた人は、一番平和な現状維持を求め、安穏としている。そんな中でも現状を是とはせず、自分で考えビジョンを持て、と言う人もいる。その言葉は一部の人には届くが、多くの人にしてみれば平和を乱す不埒な発言と受け止められ、言葉の影響はクリティカルマスに達しない。

では、クリティカルマスに届かせるために何をしたら良いか?ヒントはキューバ革命にあるのかもしれない。