2011年2月28日月曜日

Viva 300!!

このブログもようやく300回目を迎えた。つくづくと続けるのは大変だと痛感している。

ここの所、本業が肉体労働的忙しさとなっており、何となく、ブログを書くタイミングを逃しつつあった。

忙殺されるとブログネタもあまり思いつかず、世の中の忙しくもアウトプットを積極的に行う人々の偉大さを感じたり。

今後も中々苦しい展開が続くように思うが、何とか350回を目指して、変わらず月・水・金と更新していきたい。

2011年2月25日金曜日

医療と建設業

村上龍のカンブリア宮殿を見ていて、医療と建設の抱える課題の類似性を感じた。

というのも、包括診療は医療の進化を止めるという、その現象はまさに建設業界で見られる悪弊だからだ。

設計と施工が分離されていると、それぞれに対価がつくので、設計は設計なりの施工は施工なりの付加価値のつけ方があるし、それぞれをベストミックスすることも可能だろう。逆に設計施工一貫だと、設計の穴埋めを施工が行うというような事になりやすい一方で、費用項目間での自由度が高いという特徴がある。

つまり、設計の上限、施工の上限が個別に与えられるやり方に比べて、設計施工一貫方式は、お金が潤沢にある時は自由度が高まる一方、財政状況が厳しくなると新しい事が取り組みにくくなる仕組みとも言える。

たとえば医療のように、掛かるコストがリジッドならばなおさらで、新しいチャレンジをすればするほど、報われなくなる。包括医療は右肩上がりの時には活用しやすい方式だと思うが、現在のように社会が停滞している時代には余りフィットしないのではないか、と想像する。

今後、医療が果たすべき役割は今まで以上に大きいことを考えると、医療の停滞は何としてでも避けなければならない。医療費を低く抑える仕組みや新しい医療を積極的に取り込める仕組みなどは必須だろう。そして、それを医者が考えるのは、筋が違うと思う。彼らは高度な技能労働者だということを忘れてはいけない。ビジネスモデルを考えるのは他の人の役割だろう。

2011年2月23日水曜日

制約条件の再定義

行動を起こすとき、必ずそこには制約条件がある。一般的には時間、場所、手段、手順などが制約になる場合が多いだろう。もちろん、フューマンファクターも外せない。

人によって、その制約条件への対応方法は、大きくは二つに分かれるように思う。つまり、制約条件を前提とするのか、制約条件を再定義するのか、である。

前者は制約条件によって行動を変化させる必要があり、後者は行動に合わせて制約条件を変えるべく知恵を絞らなければいけない。どちらが良いとは一概には言えないだろう。アイデアを実現するのは一筋縄ではいかず、何らかのブラッシュアップが必要だからだ。行動そのものと制約条件のどちらを動かすとゴールに近づくのかは、やってみないと分からない。

成すべきゴールに向かう本質を見極め、そこへのプロセスや制約については、現在の姿に囚われずに柔軟に発想する姿勢が重要だ。

ビジネスも日常生活も、常に自らを見つめ直せるようにしたい。

2011年2月21日月曜日

日本の強み

技術で勝って、事業で負ける日本の強みは「モノ作り」だと言う人が結構いる。今まで何回も書いてきたが、自分はそうは思っていない。

日本の真の強みは国民のセンスだと思う。または、美しいとか美味しいとかを感じる感性。その高い感性に見合う商品を提供しなければいけないし、芸術なども完成度を高めなければならない。

共通して言えるのは、ムダなものを削ぎ落とし、本質を浮き出させる、その見極め方が絶妙だという事。食べ物を見ても、日本食は非常にバリエーションが豊富で、かつユニークだ。どれも本質へ一直線で、余計なものを全て排除した先に、現在の形がある。

歌舞伎や俳句などの芸能もそうだし、空手や柔道などの武道、そして茶道、華道なども同じだ。

翻って産業製品は、いかにも過剰で、本質を未だに読み切れてないような節がある。にも関わらず、20世紀後半の日本が躍進できたのは、これらが本質を見出せるほど広い意味空間を持ち得ていなかったからかもしれない。

世界中の誰もが読み切れてなかったから、商品は機能が過剰であればあるほど、魅力を感じる主体の数が増え、それゆえに多くの人に受け入れられたのだろうか。日本は、二匹目のどじょうを狙う傾向が強いので、製品が多様化しやすく、それゆえ日本は競争力を生み出し続けられたのかもしれない。

そう考えると、日本の強みが国民の感性であることは間違いないのだが、全く異なる二つの方向性を持っている事が分かる。

・本質を削り出す感性
・多様な機能を作り出す感性

逆に、価値を生み出す感性や多様な価値観に合わせる感性は、あまり強くないように感じる。

このような感性が受け入れられるには、それぞれの文化に根ざした価値観である必要がある。その価値観が競争力を持っているのは日本の大きな強みであるが、その価値観が劣化しているのもまた事実だ。

今後を考えると、日本ならではの感性を磨く機会を増やす必要がある。それは、個人的にだけではなく、社会として高い感性を求めていかなければならない。そういった感性の交換を経て、高度化した価値観を発信できれば、世界のどこに行っても埋没する事はないだろう。

いつもコストパフォーマンスだけを重視するのではなく、自分の感性を育てるのに相応しいものに触れる機会を増やすことを意識しよう。

2011年2月18日金曜日

gokan

これからは五感にフォーカスする必要があると思う。

基本的な品質や機能で差別化が困難になってきた今、より人の気持ちに訴えかけられるモノでないと、耳目を集めるコトはできない。

つまり、五感を理解するコトがすごく大事になる。そして、五感に届くような造り込みは定量化されないので、差別化という意味で、強い。

スマートフォンやタブレットPCを触ってみても、Apple製品のフィーリングはダントツで使っている時の気持ちよさがあると思う。それが、人々を誘い、ロイヤルティを高める。他のモノを使った時に、結果的に同じコトが実現できても、その過程が気持ち良くないから、悪い印象しか持たない。

これって最強のモノづくりだと思う。

機能だけを追い求める時代はとっくに終わったことを、心の底から理解しないといけない。五感にフォーカスしたモノづくりは、その企業のセンスを問われる。

消費者と企業にはセンスの交換による循環があって、それが社会としての民度や文化を高めて行く効果がある。銀座に名店が集まるのは、その循環効果を潜在的に狙っているからだ。

センスの悪いモノを作っていたら、そのセンスレベルで満足するセンスの低い人しか集まらない。つまり、低レベルなセンスの循環しか生まないので、一向にセンスが良くならない。

手触り、風合い、味、匂い、音、見た目。そういったことを大事にしたモノづくり、仕組みづくりをしていきたい。

2011年2月16日水曜日

グリッドパリティの欺瞞

エネルギー関連の情報を見ていると、よくグリッドパリティという言葉が出てくる。これは、化石燃料の枯渇に伴って、現在高コスト故に普及しない、もしくはシェアが少ない代替エネルギーが、コスト的に見合うようになってくる、その分岐点を指す。

確かに、いずれは太陽光発電も「グリッドパリティ」に到達するかも知れない。地熱や最近話題の藻類エネルギーなんかも、石油価格高騰が進めば、コスト的には活用できるレベルになる可能性は、当然ある。

ただ、個人的にはグリッドパリティという言葉は好きではない。第一に、石油価格高騰を見込んでコスト的にどうだ、という議論は、かなり自己弁護を含んでいるように思えるからだ。本来、技術開発は商品として価値のある品質とコストを実現する為に努力するものだと思うが、グリッドパリティの考え方は、コストの面でのハードルを「しょーがないよ」とばかりに下げている気がしてならない。

実際、現時点ではしょうがないのかもしれないが、それにしても石油価格高騰を前提にする事無く、コスト面でのメドが何十年後かにでも立つように開発を進めるべきだとは思う。

もう一点は、この考え方が消費者目線に立っていないことだ。グリッドパリティは、供給者から見ると、ある意味説得力のあるロードマップを提示するのだが、エネルギー消費量が変わらないとすれば、消費者が支払うエネルギーコストは上昇する一方だ。

電気エネルギーは消費段階においてはCO2排出量が少ない事が一つの言い訳になっているので、今後、電気エネルギーが今まで以上に主流になることは確実だ。本当は、電気を作る段階、送る段階においては相変わらずCO2を排出している訳だから、大して地球環境に良くなっているとも思えないが。

ともあれ、電気製品がますます増え、当然電気エネルギー消費量が増えていくにつれ上がるエネルギーコストを圧縮し、生活に対する影響を最小化するような意味合いは、グリッドパリティには含まれていない。実は、CO2排出量削減より、化石燃料使用量削減よりも、最も消費者にとって意味があるのはコスト削減=生活に対する影響の最小化なのにも関わらず。

昔はエンゲル係数という飲食費の割合を示す係数があったが、近いうちにエネルギーコストの割合を示す係数が定義される事だろう。前者は所得の大きさによって異なる数字という位置づけだったが、後者は複雑で再生可能エネルギーコストをプラス、化石燃料エネルギーをマイナスで計算して、エネルギーコスト係数が高ければ高いほど、生活を犠牲にして、地球環境保護に貢献しているので、税制優遇を受けられるとか。

いずれにせよ、エネルギーコストを下げる方向の努力が、各方面で必要だろう。これは技術だけの問題じゃないし、グリッドパリティなんていう建前の言葉を使っている限りは、劇的な進展は望めないだろう。

2011年2月14日月曜日

「ついで」の重要性

何でも「ついで・ながら・おまけ」が大事だと思っている。こういった形で、何かにプラスして得られる価値も、付加価値って言っちゃっていいのかな?

(大企業の研究開発などで)よく使われる付加価値って、お客さまが掛けるコストに対応する価値の事を、一般的には指すように思う。つまり、計画的に織り込まれた価値。プライスに対する価値。もう少し厳密に言うと、(プライス-コスト)に置き換えられる価値が付加価値だと言われる。

先に書いた「ついで・ながら・おまけ」って、(プライス-コスト)で換算できるような定量的かつ客観的な価値なんだろうか?存在自体がおまけのような「雑貨」なんて、ある人にとっては大きな価値があるが、大多数の人にとっては「無」価値だ。

そんなモノがもたらす不確実な価値を付加価値と呼んで良いのかは分からないが、いずれにせよ、誰かにとっての価値にはなっている。

企業は、大きくなればなるほど、計算された価値しか認められなくなるが、実は、不確実で定性的で主観的な価値にこそ意味があるようにも思える。

そのように考えると、付加価値はかなり伸び縮みするもので、伸びしろを持っている商品ほど飛躍の可能性があるとも言える。つまり、計画された価値を超える価値を、ある意味偶然に得られる仕掛けこそが重要だと思う。

計画された偶然は、「ついで・ながら・おまけ」といった仕掛けから生まれる。

2011年2月11日金曜日

建設業の未来(施工からの脱却)

10年ぐらい前に建設業の生きる道は、土地、空間、施工に特化する事だと思ってた。

ビジネスの未来を考えれば、「土地を持って開発の主体になる=リスクを負う」か「利用者にとって快適な空間を作る=付加価値を高める」の二つの選択肢が有望だと思えるが、既存の施工会社の中で考えると、会社に最も貢献できるのは施工領域だと思い、支援の仕組みを考えた。

しばらくして全くの無駄だと言う事に気がついた。施工領域を研究開発でサポートする事は、従来の枠組みではムリだ。

理由は簡単で、建設業の施工部隊にとって研究開発は本質ではないからだ。お金に余裕のある時はやってみてもイイけど、本気にはなれないよ、と言うのが現場のスタンス。なぜなら、現場ごとにパフォーマンスが評価されるから。初期はほぼ確実に余分なコストがかかる研究開発にコミットしたら、自分のパフォーマンス=評価が落ちるとなれば、新しい試みに賛同する人はいないだろう。

建設業が変わっていくためには、現場単位の採算評価を止めるべきだろう。会社としての大きなビジョンの中で、利益が生み出せればそれで良いわけだ。個々の案件を利益という視点だけで評価すると、どうしても現場責任者は保守的にならざるを得ない。つまり、新しいチャレンジもできなければ、自己変革もできない。

俯瞰した視点から見たときに、戦略的に損をする案件があっても良い。利益は生み出せなくても、技術が生み出せたり、教育に使えたりすれば、会社としてみた時のベネフィットにつながっているハズだ。

大きな会社には、できることなら大きな視点を持ってもらいたいと切に願う。逆に、そうでなければ未来はないとも言える。そういう時機は間近に迫っている。

2011年2月9日水曜日

インフラ型サービス

鉄道、通信、上下水道、道路、電気、ガス、運輸、郵便などのインフラサービスには共通点がある。それは、ユーザーの意思が行動の起点となるプル型のサービスだということだ。

当たり前のようだが、インフラではないサービス、例えば、飲食、印刷、冠婚葬祭、小売、情報提供、風俗などは、サービス提供側からのプッシュによる場合が多い。

買って下さい、使って下さい、と事業者側から利用者に向けたアピールが、その事業の先行きを左右する事も多い。

インフラ事業は、利用者を特定せずに、広く多くの人に使ってもらえるようなネットワークを築き、皆でそのネットワークを共有し、その効用を享受することで成り立っている。また、皆が使うことで、どんどん価格が安く、サービスがよくなっていく傾向がある。

逆に言うと、こういったネットワーク外部性が高いサービスが社会インフラになっていくのだろう。

つまり、利用者が増えることによって善循環が回り始めるサービスは、インフラへの道を歩んでいると言え、利用者へのアプローチはプッシュ型からプル型へと変化するのだろうと思う。

プル型は利用者が行動の起点になるので、事業者側はサービスがそこにあるコトを周知することが肝要になる。

電気、ガス、水道、電話はさて置き、鉄道や道路は、その存在そのものがアピールになっているし、郵便はポストが、宅急便は看板が、セコムに代表される警備はステッカーが、公衆無線LANはPOPが、その役割を担っている。

そのいずれも「使って下さい」というアピールではなく、「ここに在りますよ」という存在感が重要だ。

そのように考えると、サービスの存在を示すアイテムのないサービスは、インフラたり得ないだろう。これは、ネットの世界でも同じで、何かと目に付くようにならないとインフラにはなり得ない。

マチカドサーチエンジンは、ステッカーを店頭に貼ることで、そこを情報アクセスの入り口としている。

このステッカーは、マチカドサーチエンジンをただのサービスで終わらせることなく、インフラへと昇華させるために必要不可欠なアイテムだと考えている。

2011年2月7日月曜日

整理から検索へ、そしてその先は?

情報検索の方法として一般的なのは、掘り下げ型だろう。つまり、メタな情報を順次詳細化して行く方法だ。Yahoo!検索やイエローページなどが分かりやすいかもしれない。

始めに地域やカテゴリー等のメタ情報を選択するリンクが並ぶ。そのリンクをクリックすると、その情報の配下に並べられたキーワードのリンクが並ぶ。そんな行為を数回繰り返すと、目的の情報に行き当たるという訳だ。

掘り下げ型は、整理好きな人には非常に好まれるやり方だろう。最近の片付け用語でいうと「定位置管理」ということだ。

大抵は2軸以上でカテゴライズされる。例えば、「東京都」「寿司」のように。場所と業種で区分けされた升目の中に入り込む情報の量は限られている。

限られてはいるが、場合に寄っては把握できないほどの量になってしまうので、升目を小さくする必要が出てくることが一つの課題だ。また、寿司とうどんが有名な店があったら、どちらに入れて良いのやら、というのも定位置管理を実施する上で必ず迷う点だろう。

さらに、定位置管理には部屋の片付けからも容易に想像できる欠点がある。

人の決めた定位置が自分にフィットするとは限らない、ということだ。どんなに美しく片付けられてても、どこに何があるかを明確に理解しているのは、片付けた=定位置を決めた人しかいない。他の人は、その人の価値観に合わせて行動せざるを得ない。それを心地よく、使いやすく感じるかどうかは微妙だと思う。

商店街やショッピングモールが提供しているホームページのガイド情報もそうで、従来の店舗検索は基本的に、掘り下げる階層の差こそあれ、カテゴライズされた定位置管理=掘り下げ型と言っていい。

掘り下げ型は、非常に美しく見栄えが良いので情報の整理には最適だが、「情報の整理」と「情報の検索」は全く異なるということを理解しておく必要がある。

つまり、見易くする事と、見つけ出せるようにする事は違う、ということだ。

その昔、今ほど情報が流通してなかった時は、見易くする事が、見つけ出せるようにする事だった。世の中を流通する情報量が飛躍的に増大したインターネット時代になって初めて、整理と検索は同義ではなくなったという事だろう。

検索という行為において、Yahoo!よりもGoogleに分があるのは、既に衆目の一致する所だが、Googleは旧来の意味での整理を何一つ行っていない。目の前にある情報が、どういったカテゴリに入っているかなんて気にもしていない。ただ、情報を情報として捉えているだけだ。情報と情報の間にどのような相関があるのかに着目し、一つの情報から類似の情報が得られるような仕組みを持っている。

これから益々広がっていくインターネットの中で溢れかえらんばかりの情報は、少なくとも「整理」という形では対応しきれないだろう。そして、「検索」という行為が一般的になった今、「整理」はその意義すらも問い直されているように思う。

今まで整理されてきた情報は、より新しい検索にフィットする形へと変化していくだろう。Facebookはソーシャルグラフを使い、検索の新しい形を提示している。Googleもローカル検索、つまり場所をトリガーとした情報検索を強化している。

人は、検索という行為を止める事は無い。情報をどうやって見つけ出すかの解はまだ見つかっていない。おそらく、シーン毎に適したやり方があるはずだろうと思う。決して万能な解はない。

マチカドサーチエンジンはその名の通り、街角で活躍する検索サービスを目指している。今ココで知りたい情報を獲得する、ということなのでリアルとの融和が不可欠だ。その架け橋としてステッカーとメールをツールにするのが最適と考えている。

Googleなんかと比較するのはおこがましいが、街角には街角なりの検索方法があっていいと思う。

2011年2月4日金曜日

マチカドサーチエンジンの戦略ストーリー

戦略ストーリーの要諦は、コンセプトから利益を生む流れをどう作り込むか、その間にある善循環をどう作り上げるか、にある。



マチカドサーチエンジンの場合のコンセプトを、この機会に再定義してみた。今までは「Connecting tha Shops.」と、お店をつなぐという技術的な打ち手を、コンセプトとしてあえて前面に出していたのだが、もう少し上位の概念があっても良いと感じた。

そこで原点に立ち戻って、このサービスで自分は何を実現したいのか、社会にどういった価値を提供したいのかを考えた。その時に浮かんだコンセプトが「街の再発見」。

今まで、イエローページのように行政区域単位を網羅するもの、ホットペッパーのように都市という単位で俯瞰するものはあった。方や、ぐるなびや携帯サイトのようにお店単位で情報提供する仕組みもあった。

しかし、これらは私たちが行動するレベルのエリアを本当の意味で表してなかったと思う。自分がある場所に立っている事を想定すると、前者は広く薄すぎ、逆に後者はピンポイントすぎて行動支援にならない。

お店や施設をつなぎ、どこからでも自分のいる場所を中心とした情報が得られるようにする。見えそうで見えない、でも身近にあるお店の存在が分かる事、それが本当の意味での「街の再発見」につながると考えた。バラバラと散文的な見せ方でもなく、誰かの恣意的な文脈に沿ったレコメンドでもない、自分の立っている場所を起点とした変幻自在な街の形をありのままに見せるコトが、マチカドサーチエンジンの目的だ。

そのような形でコンセプトが決まったら、後は今まで考えてきた打ち手などを互いに紐付けて行く。

お店や施設をつなぐという考え方と、それを実現するステッカーとメール。ここでも一つの概念が生まれた。それは、「リアルとネットをつなぐ」という事。

こういったサービスをネットで作ることは、割と簡単だと思う。最も課題となるのは、リアルとのつながり。街中をよく見て欲しい。リアルとネットが繋がっていることなんて、ほとんどない。

マチカドサーチエンジンは、リアルがトリガーになって、ネットから情報を入手し、それがリアルの行動に結びつく。この第一段階、リアルがトリガーになっている事と、第三段階までの流れを澱みなくつなげられるのは、マチカドサーチエンジンしかないと思っている。

あとは、順調に成長すれば得られる、ある意味楽観的な善循環だ。

ステッカーが認知されれば、サービスの認知が高まる。近くのお店からの誘客が現実的になれば、色んなお店が参加したいと思うようになる。お店が増えて、利用者が増えれば、そこに善循環が生まれる。つまり、利用率が高まり、リピーターが増え、それがお店の更なる参加を促進させる。

結果的にエリアでのお店の登録密度が上がる事が、サービスの力になる。とにかく密度を上げる事、それが大事なポイントだ。お店が喜んで参加したくなるようなインフラへと成長できれば、マチカドサーチエンジンは生活に不可欠な、水道や鉄道のようなサービスになり得るだろう。

2011年2月2日水曜日

戦略ストーリー

一橋大学教授 楠木健氏のロングセラー「ストーリーとしての競争戦略」で提唱される方法論。実はまだ読んでないので、あまり詳しくは知らないが、先日の東洋経済で特集されていた記事を読んだ。

この本については、以前にもこのブログで紹介した事がある。その時は一見非合理な施策が成功の鍵になるという事について、明治維新などの例を引いて自分の考えを述べた。

最近、ヤマト運輸小倉昌男氏の名著「経営学」を読んでいて、そのうち紹介できると思うが、宅急便というサービスを開発した頃のエピソードがある。頻繁に「サービスが先、利益が後」という言葉が繰り返される。これなんか、サラリーマンにしてみれば、明らかに非合理だろう。本著の中でも、この類いの言葉は社長しか言えない、と述べられている。そういった俯瞰した視点と権限と責任を持っている人にしか言えない言葉や施策が、一見非合理なんだと思う。

さて、東洋経済の特集では様々なケースで戦略ストーリーをビジュアル化しており、非常に参考になった。

SWOT(Strength/Weakness/Oppotunity/Thread)や5-forcesのように状況を整理するものではない。また、PPM(Product Portforio Manegement)のように商品の見通しを評価するものでもなければ、ブルー・オーシャンのように機能に分解して分析するものでもない。

戦略ストーリーは、期待効用の連鎖を可視化したものとでもいったら良いだろうか。まさに、ビジネスの流れをプロットするものと言える。競合との関係や社内の環境よりも、コンセプトを実現する為の打ち手と効用を最終的なベネフィットにいかにつなげていくか、という連鎖にフォーカスする非常に目新しいメソッドだと感じた。

だから、強みを強化したらとか、弱みを捨て去ったらとか、そういった技術論は入り込む余地がない。それらよりも上位に位置するビジネスの幹にあたるものが、戦略ストーリーと言えるだろう。

ということで、Kozchi「マチカドサーチエンジン」の戦略ストーリーを作ってみた。



まだまだ非常に初期段階で足踏みしているので、ここに書いたストーリーのループが全て実現している訳ではないが、大きな流れは描く事ができたので、次にやるべき事が明確になったように思う。次回のエントリーで少し詳しく説明してみようと思う。

具体的な策が得られる訳ではないが、現在地や目的地を確認するための、ガイドマップを作成することができる有用なメソッドと感じた。