2012年5月30日水曜日

むずかしいことをやさしく

井上ひさしの名言。


むずかしいことをやさしく

やさしいことをふかく

ふかいことをおもしろく

おもしろいことをまじめに

まじめなことをゆかいに

ゆかいなことをいっそうゆかいに


書くのが文章のコツだと言いますが、一つ目を実現するのも難しい。

2012年5月28日月曜日

Facebookの混迷

FacebookIPOしたものの、株価が伸びない。売り出し価格よりも10ドルも下がっており、早くもFacebookバブルが弾けつつあるように思う。


そもそも、全てを透明にするなんていうコンセプトを受け入れられる人は極めて少ないだろう。別に隠し事があるわけではなくても、あえて明らかにする必要もない。普通の人の、極めて個人的な行動を見せられても、別に嬉しくもないし、楽しくもない。ごく稀に、異様に活動的な人がいて、その人が広範囲に影響力を発揮しながら活躍している姿を見る事ができるのには多少の意味があるとは思うが、そういった人は準芸能人のようなものだろう。


不特定多数に、自分の個人的な考えを吐露するBlogと、知り合いに限定してアピールするFacebookは、同じ情報公開にしても意味合いが随分違うように思うし、個人的にはFacebookにほとんど魅力を感じていない。


普通の人にとって、私生活の全てを明らかにするということはあり得ないということは、情報をアップデートする人は全体の10~20%程度しかいない事からも明らかだろう。ほとんどの人が「見てるだけ」な訳で、見られる事を目的にした特定の人が、声高に喧伝しているだけのように思う。


ただし、コミュニケーションのインフラとしては一定の役割を果たしている事もまた事実だと思う。知り合いへの連絡をFacebook経由でするという事は、おそらくさほど珍しくはないだろう。これは、Twitterでもいいし、mixiでもいいので、強い差別化要素にはならないが、そういった使い方をしている人がほとんどだろうと推察する。モバイルでの利用が多いのも、そういった事ではないかと思う。


こういった使い方には、ほとんど広告の入る隙間が無いので、今後も収益確保は難しいだろう。個人の属性を細かく把握する事で、より効果のある広告を出す事ができるという皮算用が、Facebookの期待値を押し上げる一つの要因だが、そこに収益が眠っている可能性はさほど高くないように思える。


このことが、Facebookバブルを早くも弾けさせつつある理由ではないだろうか。もとより、あまり期待していないが、少なくとも日本では早晩限界がくるような気がしてならない。

2012年5月25日金曜日

五感シャットアウト

東京の電車で、割と頻繁に遭遇するのが、足を踏まれたり、濡れた傘をなすりつけられたりする事だ。

自分も気づいてないのかも知れないが、感覚的にあり得ないと思っている。

足を踏まれるといっても、例えば満員電車で、靴のコバ部分を踏まれたりするレベルが多く、ガッツリ踏まれるのは年に一回もない。にしても、靴のコバという事は、高さにして5mm程度の段差に足をかけることになるので、普通、気づかない訳がないと思う。

また今、目の前に立っている人もそうだが、濡れた傘が膝や脛の辺りをスリスリしてくる。少し押し返したりもするが、気づいているのか、いないのか。これも、普通であれば、チョットした違和感や引っかかりがあれば、特に濡れた傘の場合には割とすぐに気付く類のもモノだと思う。

先日も近くの喫茶店で、長居している二人の若者に店員が、注意を促すシーンを見た。最近は、お昼時などには、店員が声を掛ける事はよくある。その若者たちは、至近距離で顔を見て注意されているのに、あえて視線を合わせず無視を続けていた。

ハッキリ言って、人としてどうなんだろうと感じたが、割とそういった人は多い。要は、自分に都合の悪い情報には、五感をシャットアウトしてしまうタイプだ。

有名人ではスティーブ・ジョブズがそうだったらしいが、どう考えても、そんなスケールの大きな五感シャットアウトタイプではない。

一般的な社会生活においては、迷惑なだけだろう。そんな人が増えていくと、どんどん住みにくい世界になって行くように思う。

2012年5月21日月曜日

白いリングから光が漏れる

今日は金環日蝕デー。ドリカムは20年以上も待ち続ける覚悟の歌を歌っていたようだが、曇り空で危うく20年越しの願いが成就できないところだった。

出勤を遅らせて、家族と天体ショーを楽しもうと、テレビの前に座り、時々刻々と変わる太陽の様子を見ていた。鹿児島は雨、串本は晴、富士山は吹雪、東京は曇だった。

横浜は曇り空。

テレビの中の東京は雲が薄くなってきており、徐々に欠けていく太陽がみえるようになってきている。横浜は小雨に。アメッシュというアプリで雲の動きを確認すると、東風で、しばらくすると晴れてきそう。

7時過ぎに確認して、雨雲の移動スピードから20分後ぐらいには多少晴れ間が覗きそう。。。なんだけど、金環になるのは7時30分過ぎなので、ギリギリ見えるかどうか。

雨が上がったので外に出て、空を見上げると、雲に覆われた空に細く白いリングが。日蝕メガネを使うと真っ暗になってしまうほどの薄い光が見えた。




確かに今まで見た事のない不思議な光景。

神々しいと見る事も、少し不吉な予感を感じる事もできる。知識がなければ、家の中で震えているかも知れない。しばらくすると雲が薄くなり、いよいよ日蝕メガネの登場かと思いきや、また真っ白に。それでも時々は明るい輪が見えるようになった。

まともに日蝕を見たのは初めてで、とても良い経験だった。金環ではなく白環だったが。

2012年5月18日金曜日

あまり見ない風景

新幹線に品川から乗ったら、C席の人が弁当を食べてた。東京からC席に乗って、品川に着く前に弁当を食べ始める人って初めて見たかも。

品川か新横浜で少なくともA席の人が来るのは目に見えており、テーブルを上げたり、弁当のすぐ上や横を通られたりして、普通に考えれば良いことない。少なくとも品川を越えないと落ち着かないだろう。

見るとキャスターバッグの大きな荷物に、弁当は牛タン。弁当はすでに7割方腹の中のようだ。仙台からの移動のようだが、弁当の減り具合を見ると、もしかしたら東京から食べ始めたのではないのかも。

普通のペースで考えると、上野に着く少し前にフタを開けたのかも知れない。計画性がなさ過ぎるが、よっぽど腹が減ってたのか。

まぁ、世の中には色んな人がいるもんだ。

2012年5月16日水曜日

ログとシェアの位置関係

ソーシャルという言葉が非常に大きな力を持ち、それに伴いシェアに注目が集まっている。

FacebookやTwitterを始めとして、Pinterest、Foursquare、Instagram、Miilなど、最近話題になるサービスは、シェアを目的としたものが多い。何をどのように他人に知らしめたいか、共有したいか、という事だ。

個人的には多少違和感を持っているのは、自分自身がこういったサービスの価値に対してキャッチアップできないほどに年を取ってしまった証拠かも知れないが、あえて重要なのはシェアではないと考えている。

最近、マクドナルドで聞いた女子高生の会話にスカイプというワードが出てきたのには驚いたが、友達と連絡を取る手段がFacebookではないようだった。スカイプの利用は電話代の節約という意味合いが強く、必ずしもシェアという概念とは一致しない。

自分自身を振り返っても、いちいちの行動を見られたいとも、他人のそれを見れるようにしたいとも思わない。連絡を取る手段としては、メールや電話で十分だし、その意味でFacebookやTwitterが置き換わるとは思えない。

本ブログにしてもシェアの意味合いは薄く、単に自分の日常のログを残しているにすぎない。

シェアに価値がないとは思わないが、シェアに大きな期待を抱いていない、というのが個人的なスタンスになる。

このブログを続けていて、一つ分かるのは、ログを残すことの価値だ。

ブログというのは、圧倒的に書いた本人が読み返している頻度が高い。その当時何を考えていたのか、何があったのかを振り返る手掛かりにして、自分の考えをまとめて行く手段の一つにしている。

先日、友人が若くして亡くなったが、居なくなってから本人が何を考えていたのかを知ることは容易ではないし、生活や環境変化のログを残していたら、少しは対処が違ったかも知れない。

ただし、ログというのは意外に残すのが難しい。意思や目的がはっきりしている人しかできない、割と高度な行動だと思う。自分自身も体系的に残しているログはない。

たぶん、普通の人にとって意味があって、誰もが潜在的には必要としているが、その手間の大きさから実行に至っていないのは、シェアではなくログだと思う。

2012年5月14日月曜日

統合アプローチ/分断アプローチ

スティーブ・ジョブズの正式評伝を、遅ればせながらよみおえた。様々な形で目に触れた事のあるストーリーで、目新しさと言えば、闘病風景ぐらいかも知れないが、その波乱万丈の人生やメチャクチャな性格に、改めて、二度と現れないカリスマの喪失を感じた。

マイクロソフトやグーグルとの闘いの中で、彼らは分断アプローチを取っているが、自分たちは統合アプローチの正しさを信じている、というフレーズがよく出てくる。

分断アプローチは、いわゆるオープン戦略でライセンス戦略とも言える。つまり、ライセンス契約さえ結べば誰でも使えるようにするという方針で、プレイヤーを増やし多様性を生み出す事ができるが、それぞれがある決まり事の中で動かなければいけないので、全体としての洗練度は落ちるし、バグも増える。

統合アプローチは逆で、自分たちで閉じた世界を作るクローズド戦略だ。一つの会社が全ての面倒を見るわけだから、当然、多様性は損なわれるし、先端技術の取込には偏りがある。一方でソフトウェアとハードウェアの一体感は揺るぎないものになり、それぞれの能力の限界まで活用できるため、一つひとつの機能が深化する。

分断アプローチのカギはオープン性をいかに担保するかで、そのなかでいかに収益に繋げていくかだろう。最後には結局、資本主義的価格競争になるのは目に見えているいるので、マイクロソフトやグーグルのように、価格競争から一歩引いたポジションを確保できない限り、旨味はない。

統合アプローチは、閉じた世界の妥当性がカギだ。誰かが作った箱庭を素晴らしいと思えるかどうかは、製作者のセンスやデザインや拘りにかかっている。多くの人に共感してもらえる箱庭を作れるかどうかが、市場規模も価格も全てを決める。

スティーブ・ジョブズは、そこに「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」という立ち位置とともに、「シンプル」という方向性を設定した。そして、そこに拘り抜くことができたから、統合アプローチでも成功できたんだろうと思う。ここに多少でも揺らぎが発生すると、分断アプローチの多様性の罠に引っかかって、徐々に衰退に向かうと思われる。今後のアップルは、拘り抜ける意思決定者の存在に掛かっている。

個人的にも現在、統合アプローチ型サービスを考えているが、立ち位置・方向性の設定と拘り抜けるかを見つめ直す必要がある。

2012年5月11日金曜日

新幹線の検札の不思議

東海道新幹線は、検札が回ってくる。これって必要なのか?

改札を通る時点でどの席に人が座っているべきで、どの席は空席でなくてはならないのかは、データとして明確なハズだし、事実、車掌は席のリストをもってチェックしている。

この席が、そこに座っている人が買った席なのかをチェックする意味は何だろう?

不正な人が座ってないか?例えば自由席の人も含めて、そこにいるべきでない人をピックアップするためだとしたら、別に検札する必要はなく、見た目でリストとの照合をすればいいだけだろう。わざわざ切符を確認する必要はない。

他に思い当たる理由がないし、検札の意味は不明だ。

大阪から東京行きの新幹線で、京都を越えたところで検札があったが、ちょうど寝入りばなで面倒だから放っておいたら、名古屋を過ぎてからの検札で声をかけられた。正直、どうでもいいと思うのだが、何が目的なんだろう?

誰か知っている人がいたら教えて欲しい。

2012年5月9日水曜日

シャープのズレ方が半端じゃない

シャープが自動掃除機を発表した。発想はともかく、基本機能も特別機能も価格設定も明らかに正しくなく、ガラパゴスの二の轍を踏むのは目に見えている。つまり、失敗→撤退だ。

発想は、別にいいだろう。iRobotのルンバが創り出した市場に挑戦者として参入する。東芝のダメな所を反面教師として、本当の対抗馬と言える製品を送り出す。

その場合の基本機能は、ルンバが設定したハードル、と言うことになる。掃除機だからゴミの除去性能が同等以上である事は最低条件だろう。つまり、ルンバが引いた自動掃除機の定義・条件をクリアする事が求められる。ある雑誌で見たが、東芝の製品はルンバに遠く及ばないらしい。平面部も角部もルンバの性能は一段も二段も上だと言う事だ。その除去率は95%以上だったと思う。方やシャープの製品はプロモーション映像ですら除去性能の低さを感じさせるできだ。ここをクリアしない事には同じ土俵に上がる事すら叶わないと思うが、どう考えているのだろうか?

もしかして追加した特別機能のユーザーへのアピール度が高く、基本機能で後塵を拝しても挽回できると考えているのかもしれない。そんなシャープの特別機能は「コミュニケーション」だ。つまり、しゃべるロボット。悩みや愚痴を聞いてくれたりするらしい。そして、時々は関西弁で笑わせてくれるとか。

掃除機にそんな機能を求めている人、いる?そもそも、不在の時や他の仕事をしなければいけないときに、自動で動いてくれたら助かるな、というシーンを想定すると、ロボット相手にムダな会話をしている場合じゃないと思える。増してや、関西弁になったからって、何か心が動くということでもないと思う。

無意味な機能はユーザーのロイヤルティを下げるだけだと思うが、いかがだろうか?

最後に、価格。ルンバの最上位機種が9万円程度で、ベーシックなモデルが5万円ほどで買えるのに、能力の劣る製品に13万円払う人っているのだろうか?そもそも掃除機は、紙パック式であれば2万円ほどで、そこそこのものが買える。サイクロン型で5万円ぐらいだろうか。そのような市場で少なくとも2倍、下手したら7倍ぐらい高価なものを手に取る付加価値って何だろう?

以前のエントリーでも触れたが、日本企業の商品開発に向かうセンスが劣化している事は間違いないだろう。本質を削り出す作業をする事なく、ムダな機能を付けて誤魔化そうとするなんて愚の骨頂だし、それを認めた経営幹部を疑う他ない。今やらなければいけない企業としての打ち手は、センスを磨く事だけだと思う。

No Sense, No Product.

2012年5月7日月曜日

Golden Week

子どもが小学生になると、ゴールデンウィークももう一つ自由にならず、扱いが難しい連休という感じがしている。

学校は暦通りだし、習い事の一つもあったりする。結局3日+4日の飛び石連休で、前半は琵琶湖に遊びにいったが、後半は地元をウロウロすることにした。結局雨が多かったので、地元で動いている方が自由度が高く、渋滞などの問題も少ないので良かったのだが、もう少し計画的に使わないとGoldenな感じがしない。。。

そうこう言っている間に、今日から仕事再開。今週が山場の仕事だらけなので、ガンバロー!

2012年5月4日金曜日

携帯電話キャリアの事業者目線

自分と奥さんの携帯電話を変えようと思い、携帯電話のプランを検討して、事業者目線のプラン内容しかない事に辟易する。

自分は、1年前までソフトバンクでiPhoneを使っていた。

家のネット回線をWimaxにすると同時にソフトバンクからdocomoのガラケー(LG)に変更した。iPhone3Gが出てすぐにdocomoからソフトバンクに変えて3年が経過した時点だったので「iPhoneの呪縛から逃れられる」と思ってた。それぐらいiPhoneを溺愛し、フル活用していたのだ。こういった機種変更(通話+メールをガラケーにして、それ以外の機能はWiFiルーターでまかなう)を実現する事で、次の機種変更時期にiPhone以外も選択肢となる自由を持てるかな、と考えていた。つまり、iPhoneでなくiPadを常用にするとか、携帯電話ではないAndroidモデルを使ってみるとか。

結果、ガラケー(LG)の出来が思った以上に悪く、ストレスが多く常用に耐えなくなってきた。

通信強度の変動が大きい、メールは送れない、通話はブツブツ切れる、電源が勝手に切れる、通話音量が異様に小さいなど。また、Wimaxもバッテリーが8時間持つという当時としては評判のよい機種だったが、スリープしない設計で8時間というのは思いのほか短く、朝7時にONすると15時には電池が切れて、帰りの時間にはとっくに電池切れになるため、毎日会社で充電していた。また、地方に行ったら全く使えず、通信が必要なiPhoneアプリの機能(例えば、地図関連アプリ)をWimaxに依存すると、使いたい時にほとんど使えない事が分かった。これも同じく強いストレスに感じていた。Wimaxに変えて丸一年になるのを契機に解約して、家のネット回線も元に戻したら、家の中でのネットが快適に。あとは、docomoをソフトバンク(iPhone)に変えるだけだ。結局、iPhoneの呪縛からは逃れられず。。。

この時、iPhoneに戻す事は決まっていたのだが、ソフトバンクかauか、という選択肢は残っていた。

折角なのでauにしたいという気持ちも強かった。家のネット回線がスマートバリュー対応しているので、割引が適用されるのにも惹かれていた。が、スマートバリューに対応するにはネット回線を今よりも一段上のプランにしなければいけないとの事で断念。一段上にするのに1470円必要で、スマートバリューによる割引は1480円ってバカでしょ。auユーザーが増える可能性があったのに、変なハードルを付ける事で、逃がしちゃったと言う事。たぶん、そういうユーザーって多いと思う。

変わって、家族のdocomo。

今使っているガラケーの調子が怪しくなってきているので、機種変したいと言う事。そして、次に携帯を変えるときはスマホかな、と思っていたらしい。彼女は10年以上のロイヤルティユーザーで、彼女の実家もそうなので、皆でファミリーになっている。通話は家族間がほとんど。メールもほとんどが家族。それ以外の機能は、たぶんほとんど使わない。

実は、そういったユーザーに向けた料金プランって存在しない。

具体的言うと「ビーモバイル(パケット128k通信)+通話」みたいなプランがあれば飛びつくユーザーは多いと思うが、こういったプランは作らない。プラン投入当初の利益の目減りが大きいからだろう。パケット通信だけで通話の無いプランを安く提供しているが、こんなプランが必要な人はdocomoのメインユーザーではないだろう。ビーモバイルがdocomoのネットワークを使って同一プランが安く提供しており、データ通信だけという事は電話番号に執着しなくていいのだからdocomoである必要性は全く無い。

docomoの優位性は、通話+メールを中心にしてきた層のボリュームだろう。

今後はそういった層が、ガラケーに選べる端末がないためにスマホに流れてくるだろう。その時に、他のキャリアに流れていかないようにする事が大事だと思う。つまり、パケット通信はそこそこで通話をプラスしたプランを、ガラケーよりも安く提供するということ。彼らがパケット通信の貧弱さにうんざりした時に、追加投資をすることで充実したサービスを提供できればいいと思う。

現在のdocomoのスマホは、ガラケーに比べると電池の持ちも悪く、月額料金も高くなってしまうので、「通話+メール」層にしてみれば、ほとんど魅力がない。せめて月額料金を魅力的にして提供する必要があるだろう。彼らをdocomoに結びつけているのは単にブランドでしかなく、そのブランドも急速に毀損している。ファミリー丸ごとMNPでソフトバンクに移られたら目も当てられないと思うが、どう考えているんだろう。

2012年5月2日水曜日

Black&White

今月のファーストデイは「Black&White」を観た。お気楽ムービーの極みで、CMに謳うようにデートムービーと言えば、単純に楽しむ事においては合格かもしれない。

CIAのエリートエージェントで親友の二人が、偶然とは言えない偶然で一人の女性をターゲットにする。そこからは意地の張り合いとちょっとしたゲーム要素を織り込む中で、徐々にのめり込んでいく。その過程は公私混同も甚だしく、CIAエージェントとしての仕事をカモフラージュとして、最高難度のスパイ大作戦が繰り広げられる。

冷戦以降存在感が薄くなったとは言え、CIAを馬鹿にし過ぎじゃないかとも思えるが、実際、その程度にしか仕事が無い事を揶揄しているのかもしれない。エシュロンなど投資は半端ないが、成果はほとんど目に見える事がないので、ジョークの対象になりやすい。

何を期待して観に行くかによって評価が大きく分かれそうだが、まさにデートで時間を持て余している時には最適だろう。そう考えると、映画というのは開演時間も戦略的に設計する事ができそうだ。シネマコンプレックス以降新しい取組みのない映画業界として、開演時間の設計で個人のライフスタイルに踏み込んでいくのも一つの手なのかもしれない。