2013年2月23日土曜日

宋文洲ジョークの程度の低さ

先日、テレビ番組で「地球って言うのは脆弱ですよね。巨大な地震もあれば、なんと予測もできない巨大な隕石も来て、人類は細かいことでもめている場合ではないんですね。今日思ったのはですね、尖閣諸島に落ちてくれないかと思ったんですね。なくなればトラブルもなくなるから。」と、宋さんが発言し、局が謝罪した問題。

自分は不適切な発言だと思うが、宋さんのブログコメントを見ると、圧倒的に賛意を唱える人が多い。

宋さんは、平和と友好を考えての発言で他意はないとしている。賛意のコメントを投稿している人も、宋さんの人柄を理解してれば、一流のジョークだと理解できるはず、と言っている。

この構図って、日本のモノづくりは最高、良いものは必ず分かってもらえるという、日本の製造業を瀕死に追いやった考え方に相似している。

この考え方は、伝えるべき相手を自分勝手に定義して、その人にしか伝わらないメッセージを作った上、伝わらなかったら相手のレベルが低いせいとする事に、その失敗がある。

宋さんの発言がジョークだということは、誰でも分かる。だからそれが問題ではない。コメント欄を見ると、ジョークを理解できない、レベルの低い人は無視すれば良いと言っている人が多いが、ナンセンスだ。

ジョークだと理解した上で、それでも局が謝罪しなければいけなかったのは、最後の発言ではないだろうか?

曰く「なくなればトラブルもなくなるから。」

宋さんが期待する「なくなるトラブル」は領土問題だろうが、尖閣が消滅することで、なくなる問題とは思えない。この一言がジョークのレベルを下げ、謝罪しなければならないレベルの「失言」へと貶めてしまったと思われる。

ジョークが失言になってしまったのは、その結果期待される事象を言っちゃった事にある。そこを受け取った側の裁量・イマジネーションに任せないと、ジョークは成立しない。

そう考えると、宋さんはジョークの扱いが稚拙だったことを反省するべきだし、賛意を唱えた人々は、盲信による判断レベルの低さに思いを巡らす必要があると思う。

2013年2月19日火曜日

アトラクティブズ論

アラン・フォーバス提唱。堺屋太一の新刊「人を呼ぶ法則」のインタビューで紹介されていた。ともすれば勘と経験に依存しがちな世界を整理した事に大きな意味がある。

アトラクティブズ論は6つの要素からなるらしい。
1.ヒストリー:歴史
2.フィクション:非日常
3.リズム&テイスト:音楽と食事
4.ガール&ギャンブル:カジノ
5.サイトシーン:綺麗な風景
6.ショッピング:買い物

全てを備えると逆効果で、3つぐらいを組み合わせて個性を出すのが良いらしい。取り組む場所によって何をピックアップするかは自ずと決まってきそうだ。

被災地復興の方法論として提案したいぐらいだ。被災地で特色のある復興プランを持っている所はないように思う。それは、こういう視点を持ってなく、偶発的なアイデアでしか勝負してないからだろう。

人を呼ぶと言う意味では、Webサイトやサービス、商品にも適用できるかも知れない。

2013年2月14日木曜日

国益を無視する政治家って、何のためにいるの?

加藤紘一がしきりに中国を庇っている。中国は火器管制レーダー使ったとは思わないとか中国との間に領土問題があるとか。

どのような行動・言動が、国益に適うかは自明だと思うが、なぜ、わざわざ反対に向こうとするのかが分からない。日本が嘘をついていると主張する事が利益をもたらすのか?領土問題があると言えば国境線は守れるのか?中国の側に立って、日本の主張を嘘と言うなら、元官房長官という過去の自分の行動・言動にも疑問符が付く、という事は分かっているのだろうか?

日本は、著名な政治家や知識人が自らの影響力を忘れて、国益に明らかに適わない動きをする事が多くて、非常に困惑する。信条・ポリシーがあるのは良いが、ある程度国を代表する力を持っている人が、国益よりも信条を優先するのには違和感がある。

例えば、社会福祉を充実させるのか、経済成長を優先するのかは、それぞれの信条を戦わせれば良いと思う。

しかし、外交や防衛の問題、食糧やエネルギーの問題は、国益を第一に考えるべきだろう。特に、国境線とか過去の歴史認識とか軍事行動につながるような行為の解釈とか軍の存在なんかは、日本としての解は本来一つしかないと思う。

そこに自説や信条を織り込んで、状況を複雑化する事は、国益を損なうし、そういった事を主導する人々は国賊だと思う。

鳩山とか加藤とか菅とか小沢とか社民党とかみらいの党とか共産党とか民主党とか。いい加減にして欲しい。

2013年2月12日火曜日

ARGO

11月ごろ、この映画を観た。他に良いのがなくて、消去法的に選んだ映画だった。

驚いたのは、イラン革命の最中に起きた、リアリティのないストーリー。

アメリカ大使館を襲撃するイラン人のデモ隊。一部の大使館員が、そこから脱出してカナダ大使館に逃げ込む。問題になったのは、残っているアメリカ人ではなく、逃げたアメリカ人。

逃げた人たちは救出作戦行動から取り残されるだけでなく、逃げたという事実でどんな嫌疑を掛けられるか分からない。とにかく早く保護する必要がある、という事。

隙あらば逃げるのは当たり前だが、事態の複雑さから見ると、逃げない方が良かったのかも、とも感じる。

そんな不思議な救出作戦は、映画のロケハンに化けさせて飛行機に乗せると言うもの。数ある救出作戦の中で、これが一番確度が高かったというのもスゴイが、イラン革命の最中に映画のロケハンが入るというのもあり得ない話のような気がする。その後の様々な革命で映画のロケハンが入ったという話は聞かない。

逃げた人たちに与えられた役割は、とにかく役になり切る事。しかも脚本家や監督になり切るというものだった。

この顛末はWikipediaで読むと、さらに複雑な内幕、後日談があり、面白い。映画にまでなるんだから、小説より奇なりとはよく言ったもんだ。

2013年2月8日金曜日

繰り返される悲劇:4K

ダメに決まってるじゃん。3Dの失敗に全く懲りてない人がいるらしい。

テレビというプラットフォームはフルHDで完成したと思って良い。それ以降は付加価値とも言えないような余計な価値だろう。少なくとも3Dでほとんどの人がそれに気付いたと思うが、懲りずに4Kとは恐れ入る。

3Dも4Kも大画面で見るから意味がある。でも日本の住宅には大画面を置く余裕はほとんどない。コンテンツの問題も大きい。どちらもコンテンツ制作には通常よりもコストが掛かる。そんな特別料金を回収する仕組みもないし、高いカネを払うだけの付加価値を感じる人も少ないだろう。4Kに至ってはもっと悲惨だと思う。

フルHDで200万画素、4Kだと800万画素だ。800万画素の動画を見たい人はいるだろうか?

通常、画面に動きがあるほど、認識できる画素数は少なくなる。800万画素クラスのチョットした動画は、2000万画素クラスの静止画ぐらいの綺麗さだろうか。静止画で比較すると、500万画素と2000万画素の違いを、数m離れた場所から見極められるか?という非常に微妙な問題になってくる。

そして、そんなに微妙な違いを、高いデバイスを使って、高いコンテンツを買ってまで見たいのか、という問題だ。あり得ないと思う。

2013年2月4日月曜日

アウトロー

うーん…オススメ、とは言えないかな…

トム・クルーズの(特にプロデュース)作品は、もう一つ深みが無いのが特徴と言えるかも知れない。

トム・クルーズの好みは分かるんだけど、事件の背景だとか、登場人物のバックボーンが割とおざなりなので、見終わった後には軽さだけが残る。

それでもナイト・アンド・デイよりはマシだったとは思う。ゴースト・プロトコルといい勝負かな。

2013年2月1日金曜日

レ・ミゼラブル

リーアム・ニーソン版より良かった。正確には、ジャンルが違うので、比較のしようがないのだが。

今回(ヒュー・ジャックマン)のレ・ミゼラブルは、ミュージカルの映画化であって、映画として新しく構成したものではないのが、特徴だ。なので、ストーリーの端折り方も舞台的で、ミュージカルという前提で見るとあまり違和感は無いが、映画と思うとかなり強引な展開だと感じる。

レ・ミゼラブルは複雑な長編小説なので、映画で一部を切り取るよりも、ミュージカルのような形でテンポ良く展開して、ストーリーを伝え切る方が合っているのだろう。

フランス革命前後のフランスが舞台だが、日本で考えると江戸末期、明治維新まであと30年ほどの時代、アメリカは南北戦争前夜だ。世界は揺れ動き、若者が新しい時代を切り拓こうと命を掛けていた。

レ・ミゼラブルは、一人の罪人が愛によって改心し、聖人として死ぬまでの物語だ。リーアム・ニーソン版では、最後まで描かれずジャベール警部の頑なな心を溶かす所までだったが、ヒュー・ジャックマン版は全てのエピソードを盛り込み、これが「レ・ミゼラブル」だ、という作品に仕上がってると思う。

キリスト教世界での愛という概念は、かなり都合良く構築されているように思う。日本的愛とは大きく異なる。

キリスト教世界では、セカイは階層化されていて、貧富の差が激しい。なので、階層を越えるナローパスとしてキリスト教があり、愛が狭く深いように感じる。日本は階層化が比較的少ない均質化されたセカイなので、愛は薄く広く行き渡る。だから表面上はみんな親切だ。

レ・ミゼラブルでの愛は無条件だ。結果、愛によってフランスは大きく変わっていくことになる。