2012年8月31日金曜日

団塊世代

やっぱり人口のボリュームゾーンは、何かと得だ。これは誰が何と言おうと間違いない事実だろう。

生まれた時からちやほやされ、成長に合わせて経済が発展し、自分達に合わせた商品やサービスが開発される。その陰には、その他の世代の犠牲がある事も忘れてはいけない。現在59歳の方が、退職後1年間年金が出ない事を嘆いていたが、その後の世代からすれば幸せな悩みだろう。

そんな感覚を持ちながら、団塊世代向けのサービスを考えてしまうのもまた皮肉だ。彼らは恵まれているからケアする必要は無いんじゃないか、と感じながらも市場ボリュームに魅力を感じてしまう。逆に、若い世代にはしっかりしたサービスを提供したいと思いつつも、市場ボリュームが小さいので二の足を踏んでしまう。

そういった状況が続き、どんどん介護市場に魅力が増しているのだが、去り行く人のために未来ある人の貴重な知恵と時間と労力が費やされる事は少し違うんじゃないかとも感じる。良い解決策は無いものだろうか?

2012年8月29日水曜日

iPad mini

最近iPad miniの噂が絶えない。7インチiPadは出るのだろうか?

確かにJobsは7インチはあり得ないと言っていたが、Jobsが前言を撤回するのはいつものことだし、前言を撤回する直前までこき下ろすのも常道なので、無いとも言えない。

10インチiPadは家でも外でも使いやすい。ただし座っている、または立ち止まっている事が一つの前提だ。そして、家の中でもiPhoneを使っている事が意外に多い。

そう考えると、7インチの利用シーンはどこだろう?

2012年8月27日月曜日

東京駅および丸の内一帯

東京駅がいよいよ全貌を見せた。かつてのドーム屋根を再現した東京駅は日本の玄関にふさわしい威厳を備えていると思う。



周りを見回すと、物議を醸したJPタワーがあり、また、丸ビルを始めとした再開発された超高層ビルが並ぶ。この雰囲気は東京・丸の内でしか味わえない。

1894年に竣工した三菱一号館からスタートした三菱の丸の内開発は、120年でほぼ2周した事になる。70年ほど経つと、重要文化財として候補に挙がるようになるので、その時期を一つのめどとして建物の寿命は回っているように思う。

日本全体を見ても、1周目は上り調子、2周目は現状維持だったので、ここまでの流れは分かる。

3周目に入る2050年頃は人口も減り、高齢者ばかり。経済もそれなりにシュリンクしているはず。そんな中で3周目はあるのだろうか。もしかしたら、今の状態が最終形かもしれない。

そんな過去・現在・未来へと思いを馳せた丸の内一帯だった。

2012年8月24日金曜日

デジャヴ、ミッション:8ミニッツそしてバックトゥザフューチャーシリーズ

タイムトラベル系とでも言えばいいのか、割と好きなジャンル。あまり未来的になり過ぎない方が、どちらかと言えば好みかな。この三つの作品はタイムトラベルできる時間/場所が違う。

言わずと知れたバックトゥザフューチャーシリーズでは時間は自由に選べるが、場所は変えられない。8ミニッツはタイトル通り、ある時間から8分間だけ遡れるが、場所は設定された一点のみ。デジャヴは現在から4日と6時間前の一点だけだが、場所はある意味では自由だ。

いずれも時間を超越するという意味では同じだが、飛べる時間と場所の制約がストーリーの方向性を決めている。そして、それぞれの制約を生み出す要因は共通なのは面白い。

過去を修正するために命をかける。正確に言うと、現在につながる過去の原因を追求すべく試行錯誤する中で、修正せざるを得ない状況に陥る。自分の存在だったり、綺麗な女の人だったり。

時間も場所も自由自在なドラえもんとは違い、制約が葛藤を生み、パラレルワールドに住み着く事を選択する。

タイムトラベルの共通点は、実現には莫大なエネルギーが必要だという事。バックトゥザフューチャーは核燃料や高効率バイオ燃料、8ミニッツとデジャヴでは系統電力をつかっているが、デマンドバランスを崩すほどの大電力だ。

タイムトラベルは、未来や過去を見てみたいという普遍的な欲求とそれに伴うパラドクスをテーマとして作られるが、そこにはいつも想像力を掻き立てる何かがある。読めるようで、読めない展開が面白い。

2012年8月22日水曜日

不法占拠のタイミング

ようやく政府も「不法占拠」と言い始めた。韓国国内でどのように習っているのかは分からないが、竹島は日本の領土であり、韓国の行動は不法占拠以外の何物でもない。

簡単な紐解きで行くと、19世紀の朝鮮半島はほとんど国の体をなして無かったのは、理解されているのだろうか?ソウルですら、舗装されず、上下水道も整備されてなかったし、未だに清に冊封されていた。つまり従属国だ。そのような状態で領土認識があったとは思えない。

その後、20世紀前後のタイミングで、清の脅威を感じた日本が朝鮮半島の独立を求める。つまり、朝鮮半島にしっかりしてもらわないと日本が危ない、という事だ。日清戦争に勝利した日本は、何よりも朝鮮半島の清からの独立を望んだ。

その後、属国意識の強い朝鮮半島の自主自立が思うように進まないのを見かね、列強国との話し合いの末、1910年日韓併合を行う。併合した以上は内地との不平等はないようにとの意識で、多くの税金を投入しインフラ整備を進める。1900年ごろと1930年ごろの写真を比較したり、情景の記述を見ると、どれだけ投資したかが分かる。

1945年の日本降伏を受けて、朝鮮半島は受動的に独立することになる。最近の論では、自主的に独立を勝ち取った訳ではない歴史的経緯が、国民意識を歪めたという意見もある。

竹島の問題を振り返ると、日本に正式編入されたのは1905年、朝鮮半島が日本に独立させてもらいながらも、国として未熟だった時だ。この時点で、朝鮮半島に国の意識があったとは思えない。竹島には、それ以前に日本の漁師が住んでいたという事なので、至極真っ当に日本の国土と認定された。

次に竹島が出てくるのは、サンフランシスコ講和条約前後だ。サンフランシスコ講和条約では、竹島は日本の領土とされたが、その発効直前に韓国の李承晩大統領が、李承晩ラインという自分勝手な線を引いた。それが、現在の竹島問題の原点だ。

タイミングを見てみよう。サンフランシスコ講和条約の発効は1952年4月28日、李承晩ラインの設定は1952年1月18日だ。つまり、李承晩ライン設定時点では日本は連合国の占領下にあった。このため内政、外交、防衛など全てはアメリカを始めとする連合国の手にあり、日本が国として動けないタイミングを狙った卑劣な侵略と言わざるを得ない。

その後も、自衛隊を動かせば国際世論から軍国主義の復活と罵られる事が目に見えているので、国際司法裁判所付託という手を使う他なかった。が、韓国が付託拒否するという流れで、最近まで来ていた。

こういった事を理解した上であのような暴挙を続けているのだろうか。

従軍慰安婦の問題も同じで、1965年の日韓基本条約締結時に、今後見つかるかもしれない戦争に関する諸問題を含めた完全で恒久的な解決を条件に、韓国の国家予算(3.5億ドル)の3年分以上(11億ドル)という莫大な賠償金及び借款を拠出した。この莫大な金に含まれているのは、例えば従軍慰安婦に関わる個人補償などだ。しかし、時の韓国政府が個人補償に回したのは全体の5%程度で、残りをインフラや産業に投資した。「漢江の奇跡」は日本の賠償金ならびに借款を活用して実現した。

それ以外にも日韓併合時に造ったインフラ等資産、同15年分以上(53億ドル)も放棄しているし、一度は捨てられたハングルを再教育したのも併合時の日本だ。

歴史的に客観的に見て、近代韓国は日本が造ったと言っても過言ではない。

お隣りの国であり、国際社会の中で同じような苦労を分かち合う、ある意味同士として、長らく仲良くする努力をしてきたが、もうそろそろ見切りをつけても良いのかも知れない。相手から仲良くしたいというシグナルが出てない以上は、何をやっても無駄だ。

今後も嘘に塗れた歴史を国民に教え続け、自己中心的に振る舞い続け、皆から嫌われ続けるんだろう。可哀想なのは韓国国民だ。真実を知れば全てのアイデンティティが崩れるのだから。

2012年8月20日月曜日

京橋パレード

ロンドン五輪メダリストが集まる「銀座パレード」に行ってみた。仕事場が近いので、10:45ごろに抜け出し、11:15ごろには戻る予定。

仕事場からだと鍛治橋通りからのアプローチになる。つまり、銀座一丁目方面。ちょうどスタート地点に当たる事もあり、目の前の現場は作業員が鈴なり。



確かパレードは銀座通り口からだと聞いていたが、周りの人の集まり具合や前方の混み具合、帰社時間の制限を考えると、この辺りと妥協し、首都高少し手前で立ち止まった。それが間違いの元だった。

しばらくするとパトカーに続いて、吉田選手を乗せた車がやってきた。皆が沸き立つ。が、先頭の人しか見れない。続いてバスが見えた。一層の盛り上がり。だが、誰も顔を見せず。ただ、通り過ぎて行った。


「顔見せろ!」というおっさんの声。
「澤さん!顔見せて!」とおばはんの声。



周りは怒号の渦になった。
澤選手を始めとする堪り兼ねた数名の選手が顔を覗かせ、不満ながらも何とか「京橋パレード」は終わった。気が収まらなかった人が、その後、銀座方面に走っていったが、果たして見れたのだろうか…

いずれにせよ、2020年東京五輪開催に期待がかかる。

2012年8月17日金曜日

@奈良

奈良に行ってみた。もしかしたら10年ぶりぐらいかも。奈良というのは京都と同じく、寺社仏閣の宝庫だ。当然、平城京を中心として1400〜1200年くらい前のものになる。

京都が中心になるはもう少し後で、そこからの歴史が長いので、1200〜400年くらいの期間だろうか。その後の歴史の舞台も交通の便の良い京都が中心だったので、奈良の影は薄くなる一方だった。しかしそのおかげで、史跡の保存状態が良く、未だに新鮮な気持ちで訪れられるのもまた、奈良なんだろうと思う。

2年ほど前に行われた平城京遷都1300年を記念して、平城宮と大極殿、朱雀門が造られた。京都的にはもっと継続的に観光客が呼べるような仕掛けが必要と思うが、何もないのもまた奈良なんだろう。この二つの構造物以外は原っぱだ。



その後、奈良公園に行き、東大寺他を足早に眺めた後、法隆寺へ。金堂、五重塔、夢殿と、国宝を観て回るが、ほとんど日陰も室内もなく、灼熱地獄だった。この観光客ズレしてなさも、奈良。






今回の奈良訪問で一番驚いたのは、千里から車で1時間ほど、という近さだ。もしかしたら京都や神戸より近い。見る所は山ほどあるので、季節の良い時にもう一度行きたいと思う。

2012年8月15日水曜日

(大阪)造幣局

歴史的建物を観に造幣局に。かたや見る影もなく、かたやみるも無残な状態だった。残念。しかし、歴史と藤と造幣博物館を見る事ができたので、悪くは無かった。

明治4年開局当時の門・ガス燈
これは当時の大阪知事でかつての土佐参政として有名な後藤象二郎が取り寄せたものらしい。






巨大な藤
明治天皇が来られた時に生花として飾ったものを、接ぎ木して植えたものらしい。育ちに育って100年以上。立派。



造幣博物館
昔の貨幣の作り方が勉強できる。とにかくモノは大量にある。貨幣も面白かったが、五輪メダルが一番目を引いた。あと、褒章。こういったものが造幣局で作られてたとは知らなかった。



一方で、メインの目的だった建物は改築され、歴史を感じないモノに。内部に一部の壁が残されていたが、もう一つありがたみなし。残念。


そして、もう一つの建物、重要文化財でもある泉布観は、いつ終わるか(正確にはいつ始まるか)分からない改修工事中とのことで、仮囲いの中。もったいない。もう少し大事にしないと、近代建築は無くなっちゃうね。



2012年8月13日月曜日

ロンドン五輪閉幕

4年に一回、二週間ちょっとの戦いが終わった。

五輪が好きなのは、色んな競技を一度に見れるから。テレビでは話題性の高い競技しか映さないが、それでも相当なボリュームだ。ほとんどテレビの前で寝てたようなものだった。

今回は、試合の多くが夜だったが、次回リオは深夜から明け方になる。ますます大変だ。

五輪は開会式、閉会式が華やかで素晴らしい。開会式はお決まりの世界は一つである事のメッセージと開催国の歴史、そして過去を振り返るのではなく次世代に繋ぐ事を印象付けていた。そして閉会式は、イギリスの音楽の歴史で豪華に締めくくった。

今回、日本は38個のメダルを獲得し、非常に盛り上がった。この盛り上がりが日本でも見られるかと思うと、2020年の東京五輪は応援しない訳にはいかないだろう。

五輪開催国は、開催直前の大会に向けて選手強化が始まる。つまり、今回の結果をファーストステップとして、次々回へと飛躍する準備が整ったと言って良いだろう。また、当然ながら会場建設が進むので、公共工事によるベタな景気高揚も期待できる。ここから新しい日本が始まるのかも知れない。

2012年8月10日金曜日

女子の美しき銀メダルと男子の惨敗

なでしこ、おめでとう!
素晴らしい銀メダルだと思う。一年前のW杯で優勝したものの、決勝戦での勝利は奇跡の連続だった。それと比べると、完全に互角の戦いをして、主審のミスジャッジ(アメリカのハンドとホールディング)もあった上での銀メダルは、胸を張れるだろう。

表彰台の上での女子高生のような振る舞いは感心できないが、まぁ今回は大目に見ても良いと思う。メダルを首にかけるプラッター会長を邪険に扱ったり、壇上に上げるためか後ろ目に立ったりするのは面白かったが、許されるのは今回だけだろう。

それに引き換え男子は少々情けなかった。かつての日本代表を彷彿とさせる、後半に向かっての息切れ感がすごかった。

今回、予選初戦のスペイン戦に焦点を当てたのは分かる。アトランタ五輪の時のブラジル同様、優勝候補が初戦で負けるダメージは大きく、スペインは予選を通過できなかったのだから。でも、そこで全てを使い切ってしまって本戦でフラフラになるのは、あまりに力不足ではないか。六戦とも違う会場で戦ったのは日本だけらしいので、疲労度が高かった事は分かるが、少し戦略が足りなかったんじゃないかな、と思える。

結局、「予選通過するとも思ってなかった」という釜本をはじめとするサッカー協会の雰囲気が敗因の一つのような気がする。南アW杯の時も書いたが、釜本は老害以外の何者でもない。

ともあれ、選手はよく頑張った。4位も立派な結果だし、男女ともに強い国はそんなに多くないので、今後とも活躍して欲しい。

2012年8月8日水曜日

柔道と領土問題

ロンドン五輪での柔道(JUDOと書いた方が適切かも知れない)を観ていると、領土問題というか二国間紛争を連想する。

かつての大戦のように、勝つも負けるも一本と言う時代は終わり、どちらが多く有効ポイントを稼いだか、また、相手のミスを誘ったか、が勝負のカギを握る。竹島、尖閣諸島、北方領土はいずれも、その勝負の土俵に立っている事になる。いずれも先延ばしにしてきたので、今になって三つ同時に大事な試合が始まってしまった。

今回のJUDOで印象的だったのは、相手のミス(例えば消極的姿勢など)の積み重ねだけで勝利する例が多かった事だ。三位決定戦や決勝戦でも見られた。観てる方からすると面白くないのだが、勝負を決する時の国際ルールは須らくそうなってきている。それに対する日本の立場は変わらず「一本を取る柔道の追求」だ。JUDOはそれでは勝てないという、4年前の石井慧の正しさが図らずも証明されてしまった。

領土問題を振り返ると、例えば竹島で国際司法裁判所に持ち込むのは、第三者の目で揺るぎない評価を獲得するという意味で、「一本」狙いだろう。たぶん、これでは勝てない。最後の駄目押しとしてなら理解できるが、まずはポイントの積み重ねが大事と思う。それは、尖閣諸島や北方領土も同じだ。

法的正統性をのみ拠り所にする、日本の美しき一本柔道の時代が終わった事を理解する必要があるだろう。

2012年8月6日月曜日

チーム力って何だろう?

日本の競泳がアツい!こんなに強くなったのはいつからだろう。

やはり北島康介のチカラが大きい。男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲った後のインタビューでの、松田選手の言葉には震えた。「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない。」

この北島康介を中心としたチーム力が全てだろう。

競泳は本来、個人種目だ。選手間のコミュニケーションがさほど重要ではないようにも思う。が、今回の大会は個人種目と言えどもチームとして戦っているという一体感が、最後の最後でのチカラになっている事が証明されたように思う。

入江選手が繰り返し言っていた「27人のリレー」という意識が、一人ひとりのモチベーションを高め、それが結果に結びついている。全力を尽くした結果が、次の結果を呼び込んでいる事を思えば、競泳競技自体が長いリレーであるとの認識は正しいのだろう。

そう考えるとチームワークというのは、体格的にも体力的にも優位には立てない(特に女子は際立って小柄に見える)日本選手が、世界に伍して戦うのに必要な要素なのかも知れない。

また、今回の大会で調子の良い競技は、例外なくチームワークを口にし、また、競技中に笑みがこぼれている。それだけ競技を楽しんでいるんだろう。チームワークがプレッシャーを分散させ、本来のチカラを出すための潤滑剤になっている。

あらゆる競技にとって、今後のチーム作りの方向性の一つが見つかったと思えば、得たものは限りなく大きい。

引き続き、頑張れニッポン!
眠れない夜は続く…

2012年8月5日日曜日

五輪サッカーWベスト4!

この結果は快挙だろう。

唯一日本だけが、五輪において男女揃って結果を出している。開催国であるイギリスが、この快挙を成し遂げると思っていたが、男女ともにベスト8止まりだった。

観ていると、個人の能力は対戦相手の方が高く、押し込まれる時間が長い。何とか凌いで、一発カウンターという戦術が男女ともに上手くハマっている。

個人で打開する事が難しい日本チームにおいて、大きな勝因の一つはチームワークだろう。もとよりチームプレーのサッカーにおいてチームワークの優劣を語るのもどうかと思うが、結局、最後に勝負を決めるのはチームワークだったりする。

思うに、個人競技も団体競技も、個人のチカラとチームのチカラの両方が必要であって、主従関係が入れ替わるだけなのかも知れない。

個人競技では、個人のチカラがベースにあって、チームのチカラがスパイスとして加味されるし、団体競技ではその逆になるのだろう。

そう考えると、個人のチカラでは押されがちな日本にも勝機はいっぱいあって、今後も大いに期待できるハズ。

と思うと、ますます眠れない…

2012年8月1日水曜日

意味のあるシンプル

「Think Simple」と言う本を読んでいる。

とにかく物事をシンプル化する事がイノベーションの近道だ。と言う事を理解する人は多いが、実践できている企業はほとんどない、とのこと。

色々サービスを考えていく中で、シンプルには意味のあるものとないものがある事に気がついた。つまり、何を目的にシンプルにするのか、と言う事だ。

例えばプレゼン資料でも、シンプルなものの方が伝わりやすいと分かってても、つい情報を盛り込みすぎてしまう。逆にシンプルを追求し過ぎて、単なる簡素な資料になってしまう事もよくある。

どのようにシンプルにしていくかの方向性を持つ事が大事で、伝えたい内容を明確にした上で枝葉のメッセージを削ぎ落とす事が、シンプル化だろう。

Jobsがやっていたシンプル化って、こう言う事で、目的に向かってシャープに削り出す作業だったんだな、と感じる。

これは、その商品なりサービスができない事を明確にする事でもあるから、普通の大企業には真似できない。競合製品はできて、自社製品にはできない事があることを認めなければいけないのだから。

だからこそシンプル化には力があり、競合が生まれにくいんだろう。