2009年12月31日木曜日

公平を否定したい

matsuさん、コメントありがとうございました。少し長くなったので、エントリーで返します。

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確かに、郵便局の果たした役割は大きかったと思います。ただ、明治以来営々と続けてきたユニバーサルサービスとしての郵便ネットワークは破綻した、ということも確かだと思います。

元々郵便事業だけで収支が完結させるべきであり、その基本の下にユニバーサルサービスが成立していればいいですが、単独では難しく、結果、民業圧迫の言葉があったかなかったかは分かりませんが、郵貯や簡保で補填してハイブリッドな事業体としてしか存続できなかったわけですから。競争環境のない過疎地などでの行政サービスは必要かもしれませんが、都会などの競争過多な中での従来の郵政事業は見直す必要があるのではないでしょうか。つまり、郵政事業自体が仕切り直す時期にきていた訳で、民営化はそのきっかけだったと思います。

郵便のユニバーサルサービスをどうやって成立させるのか?誰がそれを行うのか?税金は投入するのか?金融機能は持つべきなのか?など、検討すべきことはいっぱいあります。それを、昔はうまく回っていたという視点で、今後の少子高齢化時代における事業の形をつくるのは無理があるように思います。というか、希望的観測でしかないと思います。

もう一つ必要な視点は、matsuさんがご指摘の通り、中途半端な都市化をどう評価するか、だと思います。

先日、青森に行って、青森らしさは一体どこにあるんですか?と役所の人に尋ねたのですが、明確な答えはありませんでした。結局、中途半端な都市化を志向した地方は、衰退するのみなんですよね。だから、「お金があるところから無いところへ」も、「ひとが多いところから少ないところへ」も賛成できません。お金が無いところは無いなりの、人が少ないところは少ないなりの事をしないと、中途半端な都市化は止まらないでしょう。

郵貯が民営化すると、世界最大の金融機関になるとのことで、これは即ち世界中でこういった、国がハンドリングする(国の借金を肩代わりすることを暗に目的とした)集金システムを持っている国はないということでしょう?(言い過ぎかな?)

端から見てて、ニュージーランドが幸せそうに見えるのはなぜでしょう?フランスには地方に文化が残っているような気がするのはなぜでしょう?日本以外の国はユニバーサルサービスを作れなかったのか、作らなかったからじゃなかったからじゃないかな、と個人的には思ってます。

公平が良いわけではないと思います。公平を否定することから、新たな成長を見いだすことができるんじゃないかな?

2009年12月30日水曜日

ブルーオーシャン戦略は

サービス領域の戦略スタイルではないだろうか?

よく取り上げられるのは、任天堂、シルク・ド・ソレイユ、QBハウス、サウスウェスト航空など。任天堂がある事で、汎用的なビジネス戦略と一般的には認知されているように思えるが、実は汎用性はさほど高くなく、むしろサービスに特化したビジネス戦略と位置付けても良いかもしれない。

最近、ホテル業界で新しい流れが多く生まれているようだ。ファーストキャビン、スーパーホテル、旅籠屋など。特徴のある何かに絞り込み、お客さんを選別し、低価格でサービスを提供する。これって成功すれば、ブルーオーシャン戦略の教科書に載ってもおかしくない事例だと思う。

そう考えると、ブルーオーシャン戦略に乗りやすいのはサービス領域のビジネスで、任天堂の事例もプロダクト製造部分ではなくサービス部分に、ブルーオーシャン戦略らしいユニークさがあったという事ではないか?

Kozchiはサービス事業なので、ブルーオーシャン戦略的な考え方が非常に重要になるだろう。何に特化して、何を捨て、誰に低価格で提供するのか?深く深く考える必要がある。

2009年12月28日月曜日

経営戦略で成功は結果論

今、通っている経営戦略のスクールはなかなか面白い。グループワークで、正解のない答えを考えるプロセスは、こういった作業に慣れてない身からすると、結構刺激的だ。

先日、アップルのケースを取り上げた。ジョブズが戻ってきて、iMacのヒット直後である1999年の話だ。

ジョブズが追い出されてからの10年間でCEOが4人代わっている。ジョブズ⇒スカリー⇒スピンドラー⇒アメリオ⇒ジョブズ、だ。このそれぞれの人の取った施策とその評価について、議論した。こういった過去の意思決定に対する評価は様々な軸で考えないと、正解に辿り着かないことが分かった。

これはもちろん、未来の意思決定においても評価軸は複数あって、それらを網羅しつつ、プライオリティをつけて判断しなければいけない、ということを物語っている。

特に間の二人である、スピンドラーとアメリオは、その連続性を理解しないと取った戦略オプションの意味や価値は分からないし、逆に連続性を重視しすぎると、そういったしがらみが一切無い時に取り得るオプションに目が向けられない。

実はどっちも大事で、事業方針の連続性、時代背景、そしてシンプルな戦略オプションは、それぞれを考える時に「ちょっと待てよ」と立ち止まって入れ子で考えられるセンスが不可欠だ。ただし、一人で考えながら網羅的に進めるのは限界があるし、思考の好みや癖もあるから、互いの検討のレベルが違いすぎて入れ子で検討できないこともままあるだろう。結局、バイアスの掛かった情報をもとに判断せざるを得ず、解答の妥当性は「神のみぞ知る」ということだろう。つまり、正解はないという事。

じゃあ、何のためにやるのかと言うと、少なくともオプションの存在を知っておいた方が良いという事と、思考の分岐点を理解する事で、見落としや状況変化に対して修正をしやすくなる、という事だろう。

であれば、思考のベースや判断の根拠になったチャートやテキスト等は残しておかなければならない。なんでこのオプションを選択したの?という時の状況や環境が最も大切だ。

選んだオプションの妥当性は、誰にも分からない。
結果論でしか評価されないので、情報収集が深く広く、判断において適切なバランスを直感的に、または論理的に取れる人だけが、偉大な経営者として歴史に名を刻む権利を得るのだろう。

2009年12月25日金曜日

デルタモデル-第一章-

久しぶりに戦略系の教科書を読んでみて、なかなか楽しく、感銘を受けたのでメモ。まずは、第一章だけ。

・顧客のロイヤリティを獲得する手段として、顧客との協力関係の構築を目指す。p.2

・今日のビジネス上の失敗は、戦略そのものよりも、戦略と実行とのギャップが原因となっているという事実と、その理由を明らかにしている。p.7

・ボンディングは製品そのものではなく、ネットワーク経済によって可能となった、あくまでも製品の外側に存在する諸要素の1つである。p.26

・ベスト・プロダクト戦略は、従来型の競争の延長線上に構築される。顧客は製品固有の特性に魅せられる。そして製品特性は、低コスト化、もしくはその差別的性質によってもたらされる。p.28

・トータル・カスタマー・ソリューション戦略は、ベスト・プロダクト戦略とはまったく正反対の手法をとる。顧客をコモディティ的視点で見るのではなく、顧客を単なる製品の販売対象以上の存在として深く理解し、また深い関係を構築することで、個々の顧客との絆をさらに強めるバリュー・プロポジションをつくりだす。顧客の経済性(顧客自身の収益性)の向上が行動指針となる。p.29

・システム・ロックイン戦略は最も広範囲に及ぶもので、この戦略の鍵は補完事業者を見きわめ、引きつけ、そして育成することだ。流通チャネルはシステム・ロックイン戦略の鍵を握っている。製品を使用する顧客の数が増えるに従って、各顧客にとっての製品価値が飛躍的に高まっていかなければならない。p.30

・ベスト・プロダクト戦略の焦点は単一製品に向けられ、ベンチマークは競合他社で、顧客へのバリュー・プロポジションは自社内における製品の経済性に依存し、その提供方法は標準化されている。イノベーションは自己中心的で、そのうえ今日の企業経営では重要な役割を担うはずのIT部門は社内情報を取り扱っているにすぎない。p.35

・トータル・カスタマー・ソリューション戦略において、ブランドはシステムを中心に調和している。イノベーション・プロセスは無数の補完事業者を創造力の源泉として利用し、ITの役割は補完事業者同士の統
合、効率、および互換性の向上を支援する。p.36

・システム・ロックイン戦略は、産業の大転換期に大きく進展する。p.36

・「どのようにして実行するか」は、何よりもまず、企業のコア活動を、選択した戦略にいかにうまく一致させて実践できるかにかかっている。「一致」は重要なキーワードだ。p.37

・イノベーションの究極の目標は、業界標準を開発し、占有し、多様なアプリケーションを促進することである。p.40

・ベスト・プロダクトは製品志向、トータル・カスタマー・ソリューションは顧客志向、そしてシステム・ロックインはシステム志向である点も見逃してはならない。p.42

・ビジネスにおける勝利とは、競争相手を打ち負かすことではなく、顧客と強い信頼関係を結ぶことだと確認する必要がある。p.46

2009年12月23日水曜日

ムダに正義な人

世の中のルールを疑うこともなく、そこから外れた行動を取る人を断罪する正義感がムダに強い人がいる。というか、最近は異様に多い気がする。

世の中を動かすものが、官僚の作ったルールではなく、文化に基づく価値観、すなわち道徳でなければ、窮屈さに閉塞感が強まり、モチベーションは下がり、厭世観は増すばかりである。

正義は、日本人ならではの価値観を伝え、醸成するために有るのであって、一過性のルールを遵守させる事に使うのではない。

ムダに正義な人は、そこが分かってないんだと思う。

2009年12月21日月曜日

目標があって目的がない

それは作業であって仕事ではない。

自らの行動の目的を知らずして人が生き生きと集中して、持てる力を出し尽くすはずがない。そんな組織は主体性のない烏合の衆となる。個人の損得だけで動く自己中心的な人と無関心な人たちの集まりになって、チーム力のない集団となる。

目的がないということは、組織に求心力がないということである。個のチカラと個と個を結んで生まれる、組織が本来持っているエネルギーが発揮されない。目的を明らかにした目標は自ら主体的に取り組み、是が非でも実現したい姿への道しるべとなる。

だが目的はあればいいというものでもない。その目的があまりにちっぽけでは意味がない。自分の出世とか会社の業績といったものでは目的の価値はない。

2009年12月18日金曜日

常識欠如

最近は常識を飛び越えるような行動を取る人が多くてビックリする。

今も隣の人が、パソコンを広げたまま、携帯も置きっぱなしでトイレに行っている。情報漏洩とか、そんな浮ついた言葉ではなく、普通におかしいと思う。無くなっても、誰にも何にも言えないよね?

先日もエスカレータで座り込んでいる人がいた。たぶんサラリーマンだと思う。唖然とした。何か人間として大事な部品をどこかに落としてきたのかな?

本屋では、主に試読のために置いてある席で、ケータイやパソコンを触っているだけの人がいた。その後に座った人は、カバンの中から自分の本を取り出して読み始めた。自分の常識では計れない人がいっぱいいるもんだ、と驚いた。

その時読んでいたのが、大前研一の日本人の低IQ化に関する本だったので、妙に納得してしまった。最近の日本人は考えなくなっているとのこと。自分もよく感じる。先のエスカレータも本屋も、ダメと書いてあったらやらないんだろう。逆にダメと書いてないから、やってもいいんでしょう、と完全に思考放棄している。

結局、誰かにルールとして枠を嵌めて欲しいんだよね。考えるのが面倒だから。一方的に搾取されることを厭わない人が多いんだから、搾取する方は簡単だ。

2009年12月16日水曜日

あえて不愉快になる方法を選ぶ人々

人と触れ合うコミュニケーションについて東京に住む多くの人は、なぜか、あえて不愉快な方法を取る。

人の鞄を退けるのに叩いたり蹴ったり、前に立つ人が読む新聞を払い除けたり、混み合ってるのに避けなかったり、英語で言えば「excuse me」の一言ですむ話でも我を通さないと自分が損するとでも言わんばかりな行動を取る。

少し互いに気遣えば解決することが多い。江戸しぐさに「傘傾げ」というのがあるが、ある人が実験したところ、そんな事をする人はほとんどいないらしい。こちらが気を使わなくても、相手が動いてくれるだろうという甘えがあるんだろう。

政治ダメ、経済ダメ、少子高齢化進行中、その上そこに暮らす人の精神は幼稚で、自分に甘く他人に厳しい、ギスギスした閉塞感だけが肥大化しているこの国は、一体どうなって行くんだろう?

2009年12月14日月曜日

チャンスの女神は

子供の頃よく言われた言葉の一つとして、チャンスの女神は前髪しかない、というものがある。

悩んでる暇はないぞ、ということだと思う。今でもそんなに変わらないかも知れないが、よっぽど優柔不断だったんだろう。

人生はニ択の分岐の連続だと感じている。右か左か、行く道は2つしかない。分岐点で足を止めて道の先を見渡しても、見通せていることは稀。

そして、分岐においては、それまでの持ち物を下ろさなければいけないシーンも存在する。昔から持ち物を下ろすことが苦手で、何とか上手く維持したまま先に進めないものかと考える。それが優柔不断ということなんだろうな。

勇気を持って捨てる事、それが今、一番大事な気がする。

2009年12月11日金曜日

青森なう

出張で青森。
新幹線で来てみたら、遠かった。往復で11時間くらい電車に乗ることになる。飛行機でも大差ないのだが、こういった時間距離にある都市は、よっぽどの魅力がない限り人を呼べそうにない。過疎化、少子高齢化が進む一方だろう。

青森はと言うと、ミニ東京近郊都市のような地方都市で、なんの特徴もない。検索してみると、青森行くなら「アスパム」がお薦め!、だったので行ってみた。

駅から離れた所に立地する変な形の物産館で、何もない。ハローキティのボールペンを娘のお土産に買って、場末の食堂のようなところで、ショボいラーメンを啜って終了。何なんだろう?ただの箱物のように感じたが、そこが街のお薦めだとしたら、寂しい限りだ。

商店街も歩いてみた。
服屋さんと八百屋さんばかりで、かなりの競争状態であると思われる。が、馴染み客ばかりのようなので、うまく棲み分けでいるのかも知れない。そして、1/4ぐらいはシャッターが降りていた。歩いた商店街はメインストリートの一本裏通りだったようで、それを鑑みると、まだ賑わっていた方かも知れない。メインストリートは、人の少ない京都の四条通のようで、よく整備されている。が、活気はない。

青森らしさって何なんだろう、と考えてしまった。

地方自治体は、見せかけの危機感で街づくりを進めようとしている。今なら環境をキーワードにした箱物に落とし所を見つけようとしていて、それぞれの街の良さを最大化するような施策には無頓着だ。

そんなやり方では、未来の不良ストックを積み上げて行くだけになっちゃうよ。

2009年12月9日水曜日

正しい価値判断とは

私が日常利用する電車は、7人掛けが標準だ。しかし、時と場合によっては6人で目一杯に見える。男性が多く、皆が背にもたれて肩をぶつけ合っている時などに多く見られる。今日は一分の隙もなさそうな場所に独特の嗅覚で隙間を見つけ、無理矢理尻をねじ込んでいる女性を見た。

いくつか考えたい価値判断がそこには潜んでいる。

まず、7人掛けに6人で座ってしまうこと。それに付随して肩を譲り合わないメンタリティ、最後に無理矢理座ろうとすることのベースにある意識である。

そこには、正しい、間違っているという、価値観の判断基準なんてないのかもしれない。どれも、ある見方をすれば正しいのだろうし、別の角度から見ると間違っているのだろう。

ふと思い出すのは、糸井、梅田、岩田対談で語り合っていたフレーズだ。そこに問題があれば、解決方法を考えてしまう、という本能的行動がオープンソースを支えているということだ。上手く行くプロジェクトは往々にしてそのようなプロセスを経るらしい。そこには利己も利他もない。本能あるのみである。

しかし、問題を問題と感じる感性が必要で、その感性がない人には解決へのモチベーションもないことになる。

7人掛に6人で座っている時、肩がぶつかり合っている時、無いスペースに尻を押し込もうとしている時、そこに潜む問題に思いを馳せないと、解決はない。ただ自らの利益、既得権益を最大化するための行動に終始してしまうことになる。現代社会の現状がそうだろう。

問題を読み取れないこと、それは「キーチ」の言葉にもあるように、何も疑わない、何も怒らない、現代日本人の大いなる欠陥だと思う。

2009年12月7日月曜日

自分なりのやり方

最近、社外のセミナーや研修を受ける機会が多い。色んな人と接していると、何となく類型化できる気がする。

こういった場に出てくるマジョリティは、比較的大きな企業で命令されて来た、という人。この人たちの斜め向き加減がすごい。見るからに「早く終わってくれ」という雰囲気を出しており、決して真剣に課題に取り組まない。それが部長クラスだったりすると、会社でどうやって部下を鼓舞するのか、聞いてみたくなる。まさか、もっと元気出せ、とか、近頃の若者は元気がない、とか言ってないよね?

こんな人が7割ぐらいいる感じ。そして、残りのうち2割ぐらいは受動的な人。つまり、主体性はない。全体の9割がこんな調子で、ディスカッションもままならない。

こんな人たちばかりで、新しいアイデアとか生まれてくるのかね?イノベーションが求められる世界で、カイゼンしかできない人ばかりなんだけど。そんな余計な事を心配してしまう。

一方であまり深く考えず、楽しむ事、場が盛り上がる事を優先する自分は、初期段階で仕切り役になる事が多い。下らない人にリーダーシップを取られて、下らない会にしたくない、という気持ちもある。元来、仕切るのはそんなに得意ではないので、軌道に乗った段階で、徐々に存在感を弱めたりして。

そんな風に進めるので、チームの雰囲気や結論は、ある程度自分の思った方向に進む事が多い。それでも、もう一人ぐらい、比率でいうと2〜3割くらいは、賛同者が必要だ。その意味で、初期段階にウマの合いそうな人と、重点的に「面白がる」事も一つのコツかもしれない。

単純に自分が気持ちよく進めるためのやり方なんだけど、大体結果は悪くない。むしろいつもベストの答えを出せていると思う。

結局、楽しむ事、面白がれる事が大切なんだろう。

2009年12月4日金曜日

鳩政権はNOなんだけど...

他に代替候補がないのも事実。いかに、優秀な政治家が少ないかという事だが、これが現実としての日本の国民レベルを示しているのだろう。

そもそも、衆院選の前には鳩氏の怪しさは分かっていた。献金問題、もっと言えば脱税、さらに言えば国を相手取った詐欺なんか、民主党に投票した人は、全て承知の上で広い心で許したんじゃないの?

私は、許せそうになかったので、小選挙区は民主党候補に入れたが、比例はみんなの党に入れた。つまり、政権交代には期待するが、党執行部はNOという事だ。マニフェストを見比べても、どうも民主党は浮世離れしているようで、実現性に乏しいと感じ、全党比較した上で、3番目と位置付けた。

でも、こんな声ってどこにも反映されない。誰も支持しない政党が与党に入り、ダダをこねる。そしてそれを諾々と受け入れる。色んな声を聞きすぎて、無闇に予算規模が膨れ上がる。マニフェストに固執しすぎて、本質を見失う。この国の未来が描かないまま、費用対効果だけで予算を割り付ける。企業がこぞって導入したが評判が悪く、見直しを余儀なくされている成果主義のようだ。

なぜ、成果主義に見直しが掛かってるかと言うと、会社が明確なビジョンを持たずに、個人の成果のみがフォーカスされると、仕事はこじんまりと小さくなり、短期思考に陥り、チームワークは薄れ、内向的になり、モチベーションは下がり、成長が鈍化し、社内の雰囲気が悪くなり、会社として傾いていくからだ。

今の事業仕分けはまさにこれで、今後しばらくは停滞傾向が続くのは間違いないところだろう。私は、民主党を仕切る、あの三人が退場しない限りは良くならないと思うが、彼らの生命力の強さは証明済みだ。

国や社会や会社の行く末とは別に、個人の行く末を真剣に考えるべき時代に入ったと感じる。

2009年12月2日水曜日

大事なのは「やりぬく力」

PPP(Public Private Partnership)のフォーラムに参加した。アメリカ、フランス、韓国の事例を紹介していた。

アメリカは、官の仕事の大部分を民間にアウトソーシングすることで、10万人の市を4人で運営している事例。フランスは、箱物に絞って、設計から施工、運営までを民間に委託している事例。韓国は、民間の経営者が地域の運営に乗り出した事例。

三者三様だが、いずれも機能を拡張したゼネコンが大きな役割を担っている。つまり、施工だけではなく運営までをビジネスのスコープとしたNEWゼネコンである。

行き詰まったゼネコンのつぎの一手として、常に議論の俎上に上るが決して手を出さない、ある種の禁じ手とも言えるかもしれない「事業運営」。政権交代によって変わる事を余儀なくされているゼネコンは、準備が整っている訳でもないが、禁じ手たる事業運営に踏み出さざるを得ないのではないか。

フランスでは、例えば橋などの場合は、75年にも及ぶ長期契約が取り交わされるらしい。請ける側は、初期投資が大きく、当初20年ほどは赤字になるそうで、そのため体力のある企業しか手を上げれないそうだ。

たとえ体力があっても、未来には安定収益の柱になる可能性を感じられても、近未来へは負債を残す事になるのは間違いない。今後20年間黒字にならない事業を抱え続ける、メンタル面での強さを求められる。

いずれの事例も、やっている事は大して目新しくもないが、ただ、飛び込む「勇気」、全うする「覚悟」、やりぬく「力」だけが必要だ。

石橋を叩いても渡らないサラリーマン企業に可能か?