2010年4月30日金曜日

龍馬語録

龍馬の言葉。一つひとつ当たり前のようだが、非常に大事な事を伝えているように感じる。

特に、気の弱い自分としては「義理などは夢にも思ふことなかれ」は、冷徹なようで常に頭に入れておきたい考え方だ。

また、Kozchiを含めて自分の行動の原点とも言える考え方は「フィナンシャル・インディペンデント」で、すなわち財政の独立である。この辺りは、全く龍馬の考え方に共感する。

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・人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならんと思へ。たいていの相手は論ずるに足らぬやうに見ゆるものなり。

・義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり。

・恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し。

・世に生を得るは事を成すにあり。

・人の跡を慕ったり人の真似をしたりするな。釈迦も孔子も、シナ歴朝の創業の帝王も、みな先例のない独創の道をあるいた。

・人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない。

・世に活物たるもの、みな衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし。今生の活物にてはただ我をもって最上とすべし

・本朝の国風、天子を除くほかみな世の名目なり。物の数ともなすなかれ

・財政の独立なくては、思想(かんがえ)の独立もなく、行動の独立もない

2010年4月28日水曜日

すでに選択肢はない

経産省が作った「立地競争力」に関する資料が読んだ。わが国は非常に厳しい環境に置かれている。

http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100423a03j.pdf

少し前に公開された「産業の現状と課題」を合わせ読むと、すでに取り得る選択肢はそう多くない事がわかる。

http://www.meti.go.jp/committee/materials2/dow%20nloadfiles/g100225a06j.pdf

江戸後期、明治維新前夜の状況は、大きく整理すると二軸でしかない。つまり、幕府をどう考えるか、そして外国との関係をどう考えるか、である。

幕府◯外国◯:幕府の立ち位置→公武合体
幕府◯外国×:鎖国攘夷(新撰組)
幕府×外国◯:尊王開国(龍馬)
幕府×外国×:尊王攘夷(水戸)

この時代も、4象限に分かれてはいるものの、少し俯瞰してみると、尊王開国しか選択肢はなかった事は分かる。グローバル化が始まった時代である。遅かれ早かれ開国は止むを得ないだろう。その時に、時の幕藩体制ではとても対応できないだろうから、一度作り直す必要もあったろう。
勝や龍馬の見識が正しかった、という事だ。

振り返ると今は、国内事情として「大きな政府」か「小さな政府」かの二択がある。つまり、福祉か競争か、ということであり、欧モデルか米モデルか、とも言える。

もう一方で海外との関係だが、小さくみると、米か中か、ということだが、少し俯瞰すると、国内指向か海外指向か、と言える。ただ、国内指向の競争モデルとか、海外指向の福祉モデルは、取り得ないような気がする。

つまり、国内指向福祉モデルまたは海外指向競争モデルの二択になる。

もう一度、幕末に話を戻す。
よく考えると幕府◯外国◯とか、幕府×外国×とかは、取り得ない。300年近くのオリが溜まった組織で百戦錬磨の外国に対抗するのも、全く新しい体制を作ったのに国内に閉じこもる事も、全く合理的ではない。

でも、この二つの派閥が幕末の思想の主流だった訳だ。

今から考えるとあり得ないが、当時を生きていた人からすれば、国際情勢に明るい知識層は既得権益を守ろうとするし、無知な庶民は世の中をひっくり返したいけど面倒は困る、と全く合理的な考えに基づいている。

そして今、国内/海外、競争/福祉がちょうど中間地点でもみあいながら、閣僚がそれぞれの思惑で勝手に動いているような、そんなイメージだ。それもこれも現首相が、曖昧な態度を取ってるからに過ぎないのだが、それでも段々と国内指向福祉モデルに移行しつつあるように思う。

福祉モデルには金がかかるし、国内市場は限界がある。先の資料と考え合わせると、わが国は破綻への道を歩いているようにしか見えない。

残された唯一と言っても良い可能性は、地方分権だろう。日本全土を対象にするから議論が歪むのであって、海外指向競争モデルを採用する地域、国内指向福祉モデルを採用する地域がそれぞれにあって、日本という形を作れば良い。

これだけ国がボロボロになって、かつ、宰相が無能だからこそ、明らかに見える道、地方分権に向かって進むしかない。

2010年4月26日月曜日

地域活性化はこれから

ツイッターを地域活性化に役立てよう、という試みが各所で実施されている。

ツイッターの強みはお客さんと直接繋がれる事だが、弱みは繋がるためのハードルが高い事が挙げられる。

携帯電話から利用できるとは言え、携帯電話から何らかのアプリにアクセスしてもらうのは容易ではない。かと言って、メールで投稿してもらうと、そもそものリアルタイム感が損なわれる。また、ツイッターはフォローし、されることがその楽しさを理解するカギのように言われるが、これが思いの外面倒くさい。

そもそも、想定するお客さんの内、何パーセントがツイッターユーザーで、その内どのくらいが来店可能性のある場所にいるのか、大いに疑問がある。あと、これはツイッターの特徴として、見逃す確率が高いと言える。それはヘビーユーザーであればあるほどそうなのだから、質が悪い。

新しいサービスとしての可能性は否定しないが、何しろ集客サービス的文脈においては相性が悪いと思う。

豚組のように、メールに代わる問い合せ窓口としての運用ならともかく、ツイッターを使うことが即ち、地域活性化に繋がるというのは、セカンドライフやSNSを絶対視していたのと同様の幻想だろう。

そう考えると、地域活性化とITという方程式を問いた人、サービスは未だに存在せず、これからますます重要になってくるサービス領域とも言える。この疲弊した社会において、地域/商店街の活性化は間違いなく必要なのだから。

2010年4月23日金曜日

ソフトバンクのフェムトセル配布

さすが、孫さん。これは勇気ある素晴らしい決断だと思う。

フェムトセルは、小出力の携帯電話基地局をばら撒くことだが、今まで実施されなかったのには訳があるだろう。

私のような素人でも分かりやすいのが通信品質のこと。基本的に電波の弱い所に低出力基地を置くのだから、カバーが中途半端になる可能性は高い。また、こまめに基地局が変わるので、いわゆるハンドオーバーの頻度も多くなるだろう。つまり、切れやすくなる、ということ。繋がらないのではなく、切れやすくなるということは、似て非なる印象をユーザーに与えるだろう。繋がらないのは諦められても、切れやすいのは不評を買うのではないか、と推察する。

でも、そんな事は計算尽くで進めているんだろう。大きなリスクはあるが、iPhoneを中心としたロイヤリティユーザーや品質よりも安さを重視するコアユーザーの力を借りて、一気にインフラを作り込んでしまうつもりだろう。次世代iPhoneが投入されるこの時期は、ロイヤリティユーザーの忠誠度が最高に高まっているタイミングだとも言えるので、ベストだろう。

同時にWiFiインフラも構築できれば、鬼に金棒、iPadを頂いたも同然だろう。

他のキャリアはWiFiが弱い。KDDIは問題外だし、NTTですらユーザー獲得はうまくいってない。NTT東のWiFiユーザーは、わずか5200人だったと思う。一人につき一アクセスポイントだ。ペイする訳がない。

そして、WiFiの利用料金を戦略的に決めれる会社はソフトバンクしかない。WiFiインフラをアクセスポイントをばらまく事で密に敷き詰め、iPhoneユーザーにはタダで、iPadだけのユーザーには安く提供する。

iPhoneとiPadのユーザーはかなり重なるだろうから、カスタマー・ロックインの完成だ。WiFiがどこでも使えれば、e-mobileのポケットWiFiも必要ないかも知れない。

5月から始まるフェムトセルとWiFiルーターの無料配布で、iPhone、iPad獲得への態勢が整う事になる。

ソフトバンクから目が離せない。

2010年4月21日水曜日

祝一周年!

2009年4月20日から始めたこのブログも、早くも一年が過ぎました。ある程度準備をして始めたとは言え、1年間よく続きました、と自画自賛。

この一年は、ブログをやってて良かったな、と思うような出来事が自分自身についても、社会においても起こり、まぁ書くのには困らなかったかな。

でも、まだ何も為してない。

二年目は気持ちも新たに、さらに激動の日々を予定しています。始めること、そして、やめることが目標です。

2010年4月19日月曜日

ささやかなヤル気

小さなモチベーションに水をさす人は多い。今いる場所は、上から下までそんな人ばかりだから悲しくなることがある。

昔からそう。
発明考案をいっぱい書いて、それなりに評価される所まで持っていったら、直属の上司が「お前は一人で書いているからだろ」と。評価ポイントが、参加人数で割られるから、大勢で書いたものはポイントが低いと言うこと。それから、積極的に発明考案を出さなくなった。

留学制度があるから、米コロンビア大に不動産の証券化を勉強しに行こうと思った。もう10年近く前になるかも知れないが、自分の中では建設という事業領域は限界が見えていて、今後は土地、空間の開発にシフトしないといけないと思ってた。で、上司の一言。「お前は不動産屋になるつもりか」。

その後もモチベーションを下げられるような出来事がいっぱいあった。今思えば、自分の粘りが足りなかったかな、とも感じる。

最近でもいっぱいあって、自分が研究開発した訳でもないが、当社の技術をある賞に応募したら、ラッキーなことに栄誉ある賞を戴けた。立派な楯ももらえたので、砂を噛むような仕事ではあったが、全ての段取りをした自分としても少しは努力が報われた気がして、近くに座ってる中で一番偉い人(専務)に、ご覧になりますか?と聞くと、「いやー、興味ないんだよね」と一言。「きっと社長も興味ないと思うよ」と、余計な一言。

最近でも、また別の賞に応募しようと思ったら、主催者から若干の注意があり、推薦状を変更することになった。自分は、ハードルが高くても社外の人に頼んだ方が良いと主張したが、偉い人たちの会議の結果、安易な社内の人になったみたい。こんなやり方だと、不調に終わった時に後悔と言い訳しかできなくなるからやめた方が良いと思うが、世間や社内事情をよく知る賢人たちはそうではないらしい。

こういった、偉い人たちのささやかな行動、言動が、下々で働いている様々な人の努力を無にして、仕事に対するモチベーションを貶める。

なんか、そんな人ばかりになっちゃってるなー、この会社。

2010年4月16日金曜日

マイクロソフトでは出会えなかった天職

以前にも一度紹介したことのある、ジョン・ウッドの名著。

前半は涙なくしては読めない。なぜマイクロソフトという、多くの人が羨むエクセレントカンパニーを辞めて、食うや食わずの厳しいNPOの世界に入ったのか。その単純で透明な気持ちに共感する。

自分もささやかながら、NPOを運営(休眠中)している。NPOは事業収益をあげることを極端に言うと忌み嫌うが、私のNPOは当初理念としては、収益をあげキャッシュフロー的に成立することこそ、全ての法人に求められる姿勢だと思っていたので、事業化を目指していた。ASPのサブスクリプションモデルだったので、5,6年前だとまあまあ新しかった。でも、ビジネスモデルで言うのは簡単だけど、実際の売上は立たなかった。理由は色々考えられるが、単純に正しくなかったんだと思う。

その時に、NPO的なバイアスを多分に含みながらも、事業とは、会社とは何をするための枠組みか、大義や会社と社会との関係などを学んだ。だから、著者の気持ちはそれなりに理解できる。

世のため人のために役立つサービスを提供しようとすればするほど、お金は遠のいていく。NPOと言えども、キャッシュが回らなければ存続できないし、意味がない。そこで安易に助成金などを求めて、ぶら下がるだけの組織になってしまっている所も多いだろう。NPOは、大義とお金を結び付けるのが、普通の営利企業よりも難しいと思う。

途上国に教育を届けたい、そのために本を贈り、図書館を作り、読書の機会を与えたい、というのは、先進国で通常の教育を受けたものにとっては、共感しやすいだろう。誰もが本から知識を得ている。特に、テレビやインターネットがない時代、地域においては。だからこそ読書こそが、個人の成長と国の発展に不可欠だという気持ちを共有できるんだと思う。

Room to Readは、そんな気持ちを具体的な行動に移す機会を与えるものとして、存在しているのだろう。地球に存在する全ての生き物が、それぞれに幸せを享受できれば良いと、多くの人は望んでいるだろう。特に宗教によって、富める人から貧しき人への施しが刷り込まれている人々にとっては。

そんな絶対的な大義を、休暇の旅行中に偶然見つけた著者は、そこから、マイクロソフト的ビジネス手法で突き進むことになる。

その情熱と構想力、行動力に圧倒される。
これから何らかの事業を興したい人には必読の本だと思う。

以下、
気になったフレーズを。
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・会社が大きくなればなるほど、努力と結果の相関関係は小さくなる。マイクロソフトで大きな変化を起こせないなら、ここを去ればいい。

[大きな変化が大きな会社から生まれてくる例はそんなに多くないだろう。やはり、情熱と行動力を伴った変革者は、明日を待ち切れない人だろうから、ベンチャーという器が相応しい]

・優先順位が変わっただけだ。だれかのために働くより、自分で何かを始める時期なんだろう。

[優先順位が変わる事はよくあることだろう。むしろ絶えず見直すぐらいがちょうど良いのかも知れない]

・バンドエイドをはがす方法は二つある。痛いけどゆっくりはがすか、痛いけど一気にはがすか。きみが選ぶんだ。

[この二択を迫られたら、一気にはがすしか選択肢はない事がわかる。ゆっくりと痛みを味わうなんて拷問だろう]

・はっきり拒絶されないうちは、あらゆる手を尽くしたとは言えないのだ。

[うん。この粘り強さが非常に大事。こういったマインドセットを持つには、手持ちの商品、サービス、技術に絶対的な自信や確信と覚悟が必要だろう]

・大切な寄付者と会う前に確認する五つのポイントをまとめてみた。

[このようなポイントはどんな行動にも存在する気がする。意識して、整理しておくことが大事]

・時間と精力をつぎ込む価値のある目標があるなら、大きく考えるべきだ。

[昔言われた、big pictureを持て、という言葉に似ている。物事を大きく捉えるのは大切だが、訓練が必要だ]

・彼らがルーム・トゥ・リードを選ぶ理由が必要なのだ。

[これ大事。みんな言い訳を探している。スムーズに行動するための最大の障壁は自分自身なので、自分が納得できるような理由付けが、本当に大事になる]

・最大のリスクは、たくさんの人が、あなたを説得して夢をあきらめさせようとすることだ。一人で考える時間が長いほど、否定的な力に引き寄せられて取り込まれやすくなる。

[これも強く感じる。Kozchiにしても、ネガティブな意見を言って、やめさせようとする人は多い。ここでの最大の説得相手は配偶者だったりする]

・いまの自分以外になろうと望まず、完璧な自分であるように努めなさい。

[昔、友人から聞いたキリスト教徒のメンタリティそのものだ。日曜ごとのミサは、この完璧な自分を見つめ直すためにあるらしい。敵う訳がない]

・(40代は)大人の時間でもっとも生産的な10年間

[まさにこれから。今後の人生の助走として、最も生産的な10年を歩みたいと、切に願っている。その方法は...]

2010年4月14日水曜日

Kozchiプレゼン

少しづつだが、皆さんにご紹介する機会を頂いている。

最初は興味なさげな人も、お話させて頂くと、それなりに理解をしてくれる。

共通しているのは、こんなサービスは見たことがない、という事と、自分の所にフィットする自信はないが、例えば◯◯のような所だったら、うまく使えるんじゃないか、というアドバイスだ。

そんな意見を拝聴する中で、いつも感じるのは、ここが一つ目のハードルだ、と言うこと。

総論では「できたらイイよね」、各論に落ちた時「いや、うちのルールでは難しい」といった反応は、自分が思い描くベストのパターンだ。頂く意見の中によく聞かれる「ユーザーは望んでない」とか、「うちのお客さんには必要ない」なども理想的だ。

イノベーションは、こういった反応の渦の中から生まれる。

ウォークマンは、音質の悪い機械で音楽を持ち歩く人がいるはずがないと言われ、ipodは、全ての音楽を持ち歩く意味が分からないし、レーベルの垣根を超えられる訳がない、と言われた。AmazonやGoogleの初期を知っている人は、便利だけど、こんなのでビジネスが成立する訳がないと考えていた。iPhoneは、皆覚えていると思うけど、ほとんどの人が難癖を付けて、日本ではすぐ飽きられる、と言ってた。そんなiPhoneは、グローバルで3500万台、OSとしては5000万台にまで販売を伸ばしている。

イノベーティブなアイデアってのはそう言うもんだろう。

Kozchiがイノベーティブかどうかは、しばらく後の時代が判断することだが、Kozchiに向けられる意見は、全く悪くない。あとは、実績を何とかして積むことだろう。

まずは、一歩目。遠からず、踏み出すことができそうだ。

2010年4月12日月曜日

イノベーションを起こす人

小飼弾さんのアゴラへの寄稿ブログでの名言。

『イノベーションを起こすのは、いつだって「明日を待てない素人」なのです。』

全くその通りだと思う。「イノベーションとは何か」は、よく議論されるが、その実態は漠として掴めない。様々な領域に見られる、今までにはないサービス、製品などで、既存のものと共存しながらも、ライフスタイルの変化を促す。

イノベーションと言えば、ホンダ カブ、ソニー ウォークマン、Apple iPhone、Amazon、Googleなどが、すぐに思い浮かぶ。これらの共通点を挙げ連ねていくと、大体上に挙げたざっくりした定義のようなものになる。

それらを作り上げた人たちの興味のベクトルがバラバラなので、当然、イノベーションは領域や手法に縛られることはなく、バラバラだ。一つだけ、明らかな共通点があるとすれば、そこにいる人々のメンタリティだろう。

イノベーションを打ち出せる人、イノベーティブなアイデアを具現化できる人は、間違いなく、明日が待ちきれない人だろう。そして、誰かが作ってくれるのを待つくらいなら、自分で何とかしちゃおうと考えているはずだ。Jリーグの元キャプテン川淵三郎は、「時期尚早と言う人は、百年経っても時期尚早と言う」と喝破する。

また、対象にする「何か」は、ビジネスベースで生まれるものではなく、本当に自分が欲しかったり、周りの人が欲しがってたりするもので、純粋にユーザーとして、欲しい、という場合が多いのではないか。つまり、その「何か」を作るという観点では、全くの素人と言ってよい。

そんな「明日が待てない素人」が、今日も世の中を変えていくかと思うと、すごくウキウキワクワクした気分になる。

2010年4月9日金曜日

主導権争い

世の中は、特にビジネスは、主導権争いだ。

主導権を握られないようにするのか、主導権を握るのか、どちらかしかない。

主導権を握られっばなしで、そのことに気がつかないと、世の中で起こっていることを何一つ理解できないことになる。

主導権を握られない領域に足を踏み入れ、主導権を握ることが大事。

2010年4月7日水曜日

整理から検索へ

Googleが世にでた10年ほど前から、情報の取り扱い方は大きく変わった。

それまでは(B.G.:Before Google)、情報と言えば整理するものだった。典型的なのがYahoo!だ。数多あるそして再現なく増えるインターネット上の情報全てを、カテゴリーごとに分類することで、使いやすいインターネット空間を作ろうと、躍起になっていた。あたかも、フォルダで書類を管理するかのように。

この方法は一定の成果を得て、非常にYahoo!は伸びた。でも、限界が近いこともすぐに分かった。大量のフォルダを整理するには、上位レイヤとしてのフォルダが必要になるからだ。また、複数のフォルダに該当する書類の扱い方も問題になる。

いきおい、階層構造は深く複雑になり、情報のコピーが増える。使いやすくしたつもりが、実はそんなに便利になってなかった、ということ。つまり、焼け石に水で、この「整理」という情報管理メタファーは破綻した。

Yahoo!的情報管理が行き詰まりを見せ始めたころ、Googleが出現した(A.G.:After Google)。Googleは、情報管理メタファーを「整理」から「検索」に切り替えた。正確にいうと「検索」という概念により忠実になった、というべきかもしれない。

情報登録が自動化され、コストは飛躍的に下がった。システムを維持するのに必要なのは、長期的にゼロに近づくサーバーやインフラのコストだけになり、情報整理に必要な手間人件費がなくなった。つまり、限界費用が限りなくゼロに近づいている。

誰かが作ったコンテンツを分析して、勝手にタグ付けして、キーワードで抽出できるようなプラットフォームを構築している。SEO/SEMなる言葉が流行り、検索結果としてリストされなければ、そのサイトは無いも同然とされた。

B.G.に検索が無かったかと言えば、そうでは無いし、A.G.においても整理は一定のプレゼンスを保っている。つまり、これらは背反的な二者択一の手法ではなく、両者の比重が時代に応じて変化してきている、という解釈が正しいのだろう。

A.G.的な考え方は当然、現在の世界のWebサービスでは主流だが、面白いことに、日本のWebサービスは「整理」のメタファーから抜けきれてないように思う。

楽天、Yahoo!Japan、ぐるなび、Foomoo(Hotpepper)、カカクコムなど。多くは、整理的な観点で情報を管理し、どちらかというとキーワード検索からのアクセスを軽んじているように見える。要はWebサービスの国際的な潮流から10年は遅れているんじゃないかな?

Kozchiには「整理」という概念がそもそもない。そして、コンテンツは勝手に作られるもの、という考え方もない。さらに、Webサービスは完全無料を目指している。つまり、新しい情報の扱い方を提案するものになる。

Yahoo!でもなくGoogleでもなく、増してや楽天やぐるなびでもない、新しいサービスが生まれる。

2010年4月5日月曜日

世界中の点(店)をつなぐ

世界中に点をばら撒いて、それらをつなぐ。それが、Kozchiのミッション=社会に問うべき価値だと考えている。

Connecting the Shops.

2010年4月2日金曜日

フリー

話題の本「フリー」を読み終わった。

購入は早かったが、しばらく積ん読状態が続き、読み始めてからも他の本に追い越され、なかなか先に進まなかった。今年に入って、14〜5冊目だと思うので、何とか1冊/週ぐらいのペースをキープしていることになる。

さてフリーだが、正直なところ読みにくい本だった。それが、他の本に追い越された理由でもあるのだが。

なんだか新しい概念のように書かれているが、ジレットの例を引くまでもなく、フリーの歴史は古い。建設業界でも、設計はフリーだったりすることが多い。そこに掛かるコストは当然、何らかの形で頂くのだが、目に見える形としては、フリーだ。アフターサービスも同じ。

結局、一つのビジネスの中でも換金しやすいものと、換金しづらいものがある訳で、どちらを表側に見せているか、というだけの事だと思う。もちろん、その組み合わせの妙のような事はある。

グーグルの「検索に広告を組み合わせる」というのは卓越した発想だと思うし、素晴らしいと思う。グーグルを初期から使っている身からすると、その収益化までの険しい道程は、何となく感じるものもある。

また、無料で試用させ、その後、一部の人に有料バージョンを買ってもらう、というのは適用範囲に制限はあれども普遍的だとも思う。それをフリーミアムと名付ける意味があったのかは、不明だが。

どこがお金に交換できる「価値ある部分」なのかは、冷静に見極める必要があるだろう。冷静さを失うと、フリーは何でも儲かる、もしくは、フリーではビジネスにならないといった、極端かつ単純な結論に陥りがちだ。

Kozchiもある種のフリーを志向している。無料試用期間を設けるのと同時に、無料期間終了後も無料で続けられる料金体系だ。もちろん機能を増やすと有料になるわけだが、この本で紹介されているビジネスモデルのハイブリッドタイプと考えられる。

この料金体系のアイデアを人に話したら、大体の人がフリーである必要はないんじゃないか、最初から有料コースに誘導して、しっかりと課金するべきだろう、と言っていた。おおよそ1年ほどまえの話である。

「フリー」を読んで得られた最大の収穫は、Kozchiの料金体系をまずはフリーで始めてみようと、それがベストな道だろうと、思えたことだ。

かったるい本なので、万人にはオススメできないが、フリーを含むビジネスモデルを考えている人は、一度読んでみても損はないだろう。