2010年10月29日金曜日

マイレージ、マイライフ

面白かった。肩肘張らずに見れる、割と好きなタイプの映画だった。5点満点中3.5点。

一年のうち322日出張しているリストラ宣告人って、そんな職業があるのかな?当然、結婚もしていないし、人間関係は希薄。コミュニケーションは携帯電話とメール、という感じ。身軽な身上を武器に講演までして、出張先で出会った女性と一夜を楽しむ。職業にも生き方にもリアリティや生活感はなく、存在自体がとってもバーチャルな主人公。

唯一の楽しみは、出張に付随するマイレージを貯める事。今まで6名しか達成していない1000万マイルまであと少しとなり、買い物も食事もマイル換算されるもの以外は興味なし、といった感じ。

とにかく、見た事も会った事もない人々にリストラを宣告し、家族や将来などのリアルな戸惑いを吐露され、時には罵倒される日々。そんなリアルを丁寧に受け止めながらも、マイレージというバーチャルな価値を追求する日々。そんな達観した人生を送っていることをネタに、バックパックで背負うものを取捨選択して、身軽に生きましょうと講演する日々。

この完成されたループに不協和音をもたらす二人の女性。

もしかしたらリアルな喜びを与えてくれるかも知れない女性と、主人公の持つバーチャルな価値感を理解できずにいる部下。この二人とのやり取りををきっかけにリアルを模索することになる。今まで疎遠にしていた家族との関係も徐々に修復し、リアルな人生への階段を一歩ずつ登り、そこに新鮮な喜びを感じていく主人公。

よし!バーチャルを捨てて、リアルに生きようと主人公が決心した途端、再びバーチャルな世界へ突き落とされる。そして、バーチャルへの落下中にその拠り所にしていた価値観にも終了の鐘が鳴る。1000万マイル達成。

リアルが破綻し、バーチャルは当面の価値を失った。たぶん、今まで通りには行かないだろう。これから彼は、何を生き甲斐に、日々を過ごしていくんだろう、なんて思ったり。

リアルに疲れ、バーチャルに依存し、その妥協点をどこに求めるかは、人それぞれだが、こういったリアルとバーチャルのせめぎ合いは、多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。

そう、自分にもある。
一つのリアルから次のリアルへ飛び移ろうとする時、そのプロセスにはバーチャルな価値観が挟まることが多いように思う。逆に、一つのリアルに踏みとどまろうとする時も、そこではない何かバーチャルな存在に価値を見いだす事もあるだろう。

人は皆、リアル一辺倒でも、バーチャル一筋でも行きていけないんだと思う。そのさじ加減は人それぞれ。人の人生を横目で見ながら、自分の人生の糧にし、自分なりに修正するしかない。そんな事を感じた映画だった。

映画館もイイが、DVD+カウチポテト+ビールでゆったりと見たい。

2010年10月27日水曜日

買わない理由を公表せざるを得ない

Apple製品は、多くの人を惑わせるようだ。どの製品も必ず、買わない理由を並べ立てる人がいるからだ。

iPhoneの場合は、ガラケーや他のスマートフォンとの比較をもって、iPadはノートパソコンやネットブックと比べて、そしてMacbookAirはその人が持っているデバイスの代替になるかという視点から、様々な理由が並べられる。

ブログなどで買わない理由を公表しないと、思わず買ってしまいそうになる魅力があるんだろう。その証拠に、類似・競合デバイスで、わざわざ買わない事を表明するようなモノは、見た事がない。

Apple製品はどれも、技術的には枯れており、決して最新の部品が使われている訳ではない。だから余計に、今までスペック中心に語られてきたデジタルデバイスでは、ツッコミ所が満載で、買わない理由を作るのに苦労しない。

例えば、最新のMacbookAirでは、CPUがCore2Duo1.4GHzという、3年ぐらい前のモノを使っている。正直、不安を感じる。今どきのスペックじゃない。SSDの容量も小さいし、重さもサイズも拡張性も日本製品で同等以上のものは、ある。

でも、使ってみると全ての不安は払拭された。今まで必要だと思ってたモノはなんだったんだ、と感じるくらい。一旦踏み込むと、今まで当たり前だと思っていたスペックがリセットされる。新しい土俵が生まれる。前回のエントリーの続きで言うと、新しいマトリョーシカを作った、と言う事だろう。

こういうのが、本当の「ものづくり」であり、全ての企業が本来目指すべき方向性なんだと思う。

新しい土俵、新しいマトリョーシカを作れなければ、企業の意味は半減するだろう。ハードルは高いが。

2010年10月25日月曜日

マトリョーシカ構造

人形の中に一回り小さな人形が入っており、その中にさらに小さな人形が入っているロシアの伝統的なオモチャ。

人間関係って、そういうモノで、世代が進むにつれて、段々とヒトは小さくなっていく。それは、権力の大きさだとか、上司部下の関係などで自ずと進行する、ある種の発展段階なのかもしれない。小さくなればなるほど、コアに近づくが、大局は見え辛くなる。そして、コアというのは、そこにいるメンバー全てが、暗黙的に共有している事柄なので、全く新しくもない当たり前のモノである場合が多い。つまり、世代が進めば進むほど小物感が増す、ということになる。

島田紳助の言葉が、その関係性を如実に物語っている。曰く「自分の地位を脅かすような奴とは仲良くなれへん。こいつは俺を脅かしよらんな、と分かった時に優しくなれる」と。

このマトリョーシカ構造は、延々続く。お笑いを見てると、本当によく分かる。テレビに出てる芸人で番組を仕切らせてもらえるのは、大御所と呼ばれる数人+αで、彼らはいわゆる雛壇をほとんど経験せずに、トップに立っている。雛壇の経験が長いと、いつまでたっても若手、中堅止まりで、番組を作る側には回れない。

つまり、他人のマトリョーシカの中に入って、その存在を安定させると、そこからは抜け出せない。マトリョーシカを作るヒトは、他人のマトリョーシカに入ることは、ほとんどない。それが真実だろう。

他人のマトリョーシカに入ってしまうと、確実に一回りずつ小さくなっていく。他人の作ったマトリョーシカに入る事を拒否して、新しいマトリョーシカを自分で作れるかどうかが、このマトリョーシカ構造から離れる唯一の方法だと言える。

2010年10月22日金曜日

この国をでよ

大前研一と柳井正の共著?対談?掛け合い?二人が互いに、相手の論に対する意見として自らの論を重ねる、重層的なショートエッセイ。

この二人の意見は良く似ていて、共感できる部分も多いが、極論すぎる。逆に、これぐらい極論を詰めないと、一流とは言えないのかも。

内容はまさに「日本をでよ」ということ。

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昨日、羽田空港国際ターミナルが開港した。最初はアジアだけと言っていたようにも思うが、気がついたら世界各地とつながっている。今後、成田空港の立場はいよいよ怪しくなってくるだろう。

近くに真の競合サービスができたことで、日本お得意の追い詰められたレッドオーシャンに伴う、顧客満足最大化策への極端な打ち手が加速する可能性は高いだろう。

今までも何度も経験している、消費者の目を肥えさせ企業の収益を悪化させる可能性のある、無料化を含めた品種やサービスの多様化だ。家電、パソコン、通信インフラ、携帯、鉄道、外食産業、飲料などなど、日本のどこででも見られる、ある意味で日本のお家芸でもある、先鋭化したガラパゴス進化なのかもしれない。

空港に対する、顧客すなわち航空会社のニーズは明確で、使用料を安くして欲しい、ということに尽きる。つまり、羽田と成田は今後、互いに使用料の安値競争に突入することになる。空港使用料が中長期的に期待できないとなると、自ずと空港の不動産としての価値を高めていかざるを得ないだろう。

実際、羽田といえども飛行機に乗り込むための港の役割以上は、まだまだ果たしてないように感じる。早めに来たくなる、到着後もゆっくりしていたい、飛行機に乗る用事がなくても行きたい場所を目指す必要があるだろう。

ともあれ、日本の空港業界に真の競争環境が生まれたことで、空港のビジネスモデルが、根本からひっくり返る可能性が高いと思う。

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実は、日本の変革にはこの「真の競争環境」が必要不可欠なんだと思う。直近の成果を求めるから、先行して逃げ切るような、当たり外れのある、コンセプチュアルで戦略的な戦い方は苦手で、目の前にあるドロ沼の戦いに参入するしかない。仁川空港がいくら競争力を持っていても、あの程度の距離感ですら、競争環境としてのリアリティを持てないのではないか。

だから、本著で大前、柳井両氏が語る日本を出て、世界を知れ。そして、日本に戻ってきて、グローバル視点でビジネスを構想しろと言うのは、理解はできるが、現状にマッチしていないと思う。

たとえ、一部企業がそうであっても、その他大勢はその程度の視野すらない。日本人の多くは基本的に、目の前にある血で溢れた戦場しか見えてない、少しでも離れると戦場として認知できないほど視野が狭く、想像力が乏しいのだから。

ここまで書いて、リアルを理解する想像力とバーチャルに対する想像力は異質なモノだと気づいた。日本人は前者は弱いが後者は比較的強い所に特徴があるように思う。

2010年10月20日水曜日

古い会社の作り直し方

アカデミーヒルズのモーニングセミナーに行ってみた。8時から始まるセミナーで、六本木ヒルズ49階で開催。

講師は日本交通のタクシー王子こと川鍋社長。経歴がすごい。お坊っちゃまとは、こういう人なんだな、と思う。幼稚舎から慶応。卒業してケロッグ大学院でMBA取得。帰国後、マッキンゼー入社。満を時して日本交通へ。

まず、子どもを幼稚舎から慶応に行かすというのは、若くして財を成すか、ある程度の企業の(少なくとも)二代目にしかできない選択だろう。

そう考えると三代目が家業を潰してしまうのはよく分かる。二代目までは割と苦労した時期を知ってるし、何とか伸ばしていこうという気持ちも強いだろうが、三代目ともなると生まれた時からそれなりに裕福で、既定路線としての事業承継があり、事業を伸ばすことへの執着が弱くなりがちだろう。川鍋社長も、物心ついた時から会社を継ぐことになってたらしい。

だから川鍋社長はダメという話ではなく、むしろ、この経歴と社長としての施策を伺うと、「初期値としての環境」がDNAとして、人格形成にも社風形成にも影響を与えることがよく分かった。

川鍋社長は、MBAホルダーのコンサル出身らしく、社長就任当時は、かなりドラスティックな改革を目指していたようだ。そして、紆余曲折を経て、現在の手法に行き着く。

紆余曲折の鍵に二つの活動がある。一つは自ら運転手となって一ヶ月間勤務したこと。

タクシーの運転手がどんな気持ちで運転しているか、経営していく上で、従業員と目線を合わせるのは重要だろう。ただ、この行動は本になってしまうくらい、常識外れだったようだ。

ここで、様々なことを学ぶことになる。客席は怖くて見れないが、声は良く聞こえてくるとか、大半が良いお客さんでトラブルになるようなことはほとんどないとか、空車で走ってる時の不安感だとか。

そして、もう一つが東京駅前で実施したアンケート。

「どうしてタクシードライバーになったのか」の質問には「他に適切な仕事がなかったから」、「どうして、このタクシー会社を選んだのか」と問われると「家の近くだった」「知り合いが勤務していた」と、消極的回答が目立ったそうだ。何となく、タクシードライバーと建設作業員の属性は似ていると感じたり。

その後、川鍋社長が取った施策は、従業員をクラスタリングする事だった。

勤続年数が長いと、どうしてもオレルールができてしまい、新しい施策を受け入れる柔軟性を失ってしまいがちだ。比較的柔軟に会社ルールを受け容れられる勤続年数の短い社員と、そうでない社員を同列で管理するのは効率が悪い、という事だろう。

つまり、ルールを作ったり、改善を行ったりする際の管理の厳しさに差を付けた。若い社員は厳しく、年配の社員は若干緩めに管理基準を設定するという、傾斜管理を導入する事で、会社ルールを無理なく浸透させることに成功しつつあるように理解した。

結局、会社のDNAって、こうやって作られていくんだろう。環境変化の初期段階で受けた刺激がそのまま、その環境に対する対応方法になっていく。

ルールの弱い部署で育った人にとっては、会社というのはルールが弱い場所だし、厳しいルールの下で育った人は会社は厳しいものだということになる。

つまり、若年者に対してどういった教育を施すかが、その会社や組織のDNAとなる訳だ。人格という面においても、子供の頃、特に幼い時分に受けた教育や躾は、そのまま受け継がれていく。

「三つ子の魂百まで」は、個人にとってもサラリーマンにとっても当てはまる方程式で、基本的に一方通行なので、入り口を間違うと、後戻りすることには多大な困難が伴うことは、想像に難くない。

2010年10月18日月曜日

ナイト アンド デイ

うーん。。。微妙。。。
5点満点で言うと1点。
0点ではない、という印象かな。期待してただけにガッカリした。

サスペンスでもなければアクションでもない。かと言ってラブロマンスでもないし、スパイものと言うには伏線が弱い。。。まぁ別にカテゴライズする必要もないが、新しくもない。

よく言えば全ての中間であり良いとこ取り、悪く言えばどこから見ても中途半端。ストーリーはありきたりで、裏切りなどの伏線も、さほどのインパクトを持たず、残念な感じだった。

トム・クルーズの役回りは、超エリートCIAエージェントで、枠組みだけで言うとミッションインポッシブルを彷彿とさせる。無敵感というか万能感も同じぐらいだが、緊迫感が弱い。何でだろ?

そして、難しい局面になるとキャメロン・ディアスを眠らせ、寝ている間に問題解決と移動を済ませる。たぶん、この展開をスピーディーにするために肝心なシーンを早回しにする手法が、上滑りしているんじゃないかと思う。

問題解決に意味がないとしたら、間で交わされる人間模様が中心になるのかと思いきや、そこもあまり深堀りせず。最後の最後で裏切り者が明らかになるのだが、その最期もご都合主義の塊のような感じで、アッサリしたものだった。

見終わっても、キャメロン・ディアスを連れ回す必然性が分からない。気に入っちゃったというだけなら、あまりに無茶で無意味な選択だろう。

ただただそのスピード感に身を委ねて、何も考えずに観れば、楽しめるのかな。。。

2010年10月15日金曜日

一見、非合理的

一橋大教授 楠木健さんの著書「ストーリーとしての競争戦略」でのキーワード。

楠木教授は元ソニー、現クオンタムリープ代表の出井さんと懇意らしく、Asia Innovation Forumでは毎度司会を任されているので、割と有名な経営学者だ。AIFでの司会を聞いていても分かるように、物事を理路整然と、かつ分かりやすく翻訳する事が上手で、難しい事をさらに難しくして伝える野中郁次郎先生とは、ある意味で対極をなす。

「ストーリーとしての競争戦略」では、(戦略)全体と部分の、合流/非合理に関するチャートがある。ストーリーの巧拙はこの組み合わせによって表現できるとする。ここで、最も良いのは全体合理・部分非合理という組み合わせだ。

実は、もう少し日本的に総論・各論で表現した方が分かりやすいかも知れないと思っている。少しニュアンスが違う気もするが。

つまり、総論賛成・各論反対がベストな組み合わせとなる。事業全体が目指すべき方向は理解してもらえるが、そこに至る部分やプロセスがユニークで積極的な賛同を得られない、というパターン。

そう考えると、多くの成功モデルは総論賛成・各論反対の形を自然と取っている。前のエントリーからの流れで言うと、大政奉還もその一つと言える。

今のままでは日本がダメになる。日本を生まれ変わらせなければならない。そのためには幕府に政権の座から降りてもらう他ないという総論は、武力倒幕派も大政奉還派も同じで、既に議論の余地が無い。

一方で、長州征伐で弱体化が明らかとなった幕府に対して、勢いに乗じて武力でひっくり返してしまおうという考え方が主流だったことは、想像に難くない。そのような中で、大政奉還という実現可能性が低く、徳川家を完全には排除できない策を諸手を上げて賛成することができる人はいなかっただろう。

これこそ、楠木流に言えば全体合理・部分非合理であり、より分かりやすく言えば、総論賛成・各論反対ストーリーだろう。そして、それが正解だったことは歴史が証明している。

他にも、事例はいっぱいある。日本でも阪急電鉄、ソニー、ガリバー、ヤマト運輸、セコム、アスクル、マブチモーター、日本電産、ソフトバンクなど。アメリカでもアップル、アマゾン、サウスウエスト航空、スターバックス、デルなど。

目指すべきゴールは、誰もがイエスと言える合理的なものである必要があるが、ただ、その構成部品、プロセス、ストーリーに一見非合理な部分を作っておくことが大事だ。それを無意識や直観ではなく、意識的に組み込むことで再現性のあるイノベーションが実現できる。そうすることで、競合との距離感を一定以上に保つ効果もある。つまり、非合理性が心理的な参入ハードルを築き、競争環境が赤く染まらない。

難しいのは、非合理な部分をうまく合理におっつけていく所で、例えば現実歪曲空間を作り出すと言われるスティーブ・ジョブズや、人の褌も何回も借りたら借り慣れてくると公言する孫正義ぐらいしか、できないことなのかも知れない。

Kozchiも「お店や施設を見つけやすくして、街を活性化する」というゴールは合理的で、否定する人はいないと思う。また、「お店を繋ぐ」という手段やその構成要素は非合理性が高いとも感じている。

あとは、プロセスをうまくゴールに流し込んであげるだけだが、ここは忍耐と地道な努力が必要な所だろう。

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2010年10月13日水曜日

ストーリーのユニークネスが大事

久しぶりに龍馬伝の話。

先週は清風亭で仇敵 後藤象二郎と手を組み、今週は盟友 高杉晋作が逝った。倒幕への意識を先鋭化させる同志 中岡慎太郎と木戸孝允。幕府の弱体化が露わになり、薩長の勢いが増して行く中、大政奉還の要 土佐が動き出す。

時代の流れはますます早まっている。

龍馬は変わらず、俯瞰した目線で日本を、そして世界を見つめている。そして、その目線の高さや方向がブレない。龍馬の発想や行動を理解し、ついて行ける人物は、そう多くないだろう。

しかし、大政奉還という言葉を木戸孝允から聞いて知ったように、龍馬の発想は決して突飛なものではなく、むしろありふれてると言ってもいいのかも知れない。誰もが考える結論の選択肢の一つに合理的な文脈を作る能力が高かったということか。

世の中、やれる事は限られている。特殊な、唯一無二で、オンリーワンの結論なんて、ない。あるのは、理想の答えとそれに至る豊かで説得力のあるユニークな文脈だけだ。

海援隊で新しい日本を作る。戦に勝ったモノが支配する世の中ではなく、日本をより良い国にしたいという志を持った人が政を行う、そんな国を作りたい、と語る龍馬。

海援隊という貿易結社を成功させることと、日本という国を新しく生まれ変わらせるというのは、手段と目的の関係にしても、かけ離れているように思える。

カステラを作りながら、これが日本を変えることに必要な一歩であると隊員が理解するには、かなりの努力が必要だろう。

でもそこに、説得力のある合理的な、いや非合理的でも良いのかもしれないが、一本の筋とも言うべきユニークな文脈を通してあげることで、たちまち「できればいいけど、できるわけ無いよね」というゴールが輝き出す。

僕たちができることなんて、所詮そんなもんで、陳腐で使い古されててもいいから、理想のゴールを掲げ、ゴールに至るストーリーを練り上げることしかない。

オンリーワンの成果ではなく、ユニークなストーリーこそが、ビジネスそして人生を語る上で大切なんだろう。

そんな事を感じながら、毎週の龍馬伝を見ている。

2010年10月11日月曜日

CEATEC2010

毎年のことだが、CEATECはスゴい人出だ。今年の目玉はスマートフォンと3D。シャープ、サムソン、AU、ドコモの辺りはスマートフォンだらけ、三菱、ソニー、東芝、シャープあたりは3Dだらけだった。

スマートフォンに関して言うと、みんな疑問だったと思うのは、iPhone/iPadと何が違うのか、という点。

シャープはやたらとガラパゴスを押しており、もう一つの目玉である液晶テレビは少し影が薄かった。せっかく3Dとかクアトロンとかだしてたのに。

ガラパゴスの展示を見てるとシャープのドヤ顔が目に浮かぶようだった。

「アップルはん、よくも今までええ様にやってくれはったな。でも、こんくらいの事、わてらも朝飯前でんねんで。見てみーや、このできの良さ。あんたら、ナニワの商売人をなめとったら、奥歯ガタガタいわせたるぞ!」

てな感じ。

でも、そんな東アジアお得意のリバースエンジニアリング丸出しのレプリカを望んでいる人っているのかしら?作れる能力を持っているとか、コンセプトは昔からあるとか言っても、やっぱり最初に作ることに意味がある。後続は、真似っこでしかない。

しかも、消費者が必要としているのは、便利になる、楽しいプラットフォームとコンテンツであり、それをハンドリングするデバイスは、正直、何でもいいと思っている。だから、ドヤ顔でデバイスをアピールされても、別に何とも思わない。やるなら、プラットフォームの名前をガラパゴスにして、デバイスは何でも使えるけどシャープ製品が一番気持ちよく使えるよ、というスタンスで売り出して欲しかった。

なので、全く残念なスマートフォン展示だった。OSはAndroidだし、デバイスだけの勝負なんて、すぐ陳腐化して消耗戦に陥るか、全く売れずに撤退に追い込まれるかのどちらかだろう。未来は暗い。

一方で3D。今までバカにしてたけど、今年はスゴい。でもソニーだけ。



多くのメーカーは今まで通り「3Dシアターをリビングで」という使い古され、かつ、皆が冷ややかに見ているキャッチフレーズの延長線上での商品開発を進めていた。

32インチで3D見ても、何にも出てこねーよと思うし、そのために視界が狭く、暗くなるメガネをかけるなんてあり得ないと思う。それほど3Dで見たい映像も無ければ、相応のコンテンツも無いので、どうにもならないだろう。それをコンテンツマネジメントの仕組みも作らないで、これまたデバイスだけ売ろうなんて、ムシが良すぎじゃないかな。

3Dは飛び出す画像を見て、オースゴい!と展示会で感嘆するだけの客寄せパンダみたいな位置づけに変わってきているように思えてならなかった。

今年のソニーは違った。
LEDの超大画面にど迫力な3Dコンテンツを映し出し、他のメーカーはデバイスの性能を強調していたのに対して、ソニーだけが映像の全てをマネジメントできる唯一のメーカーであることをアピールしていた。


今の時代、キレイなデバイスを作れる事は大した優位性にならない。そこにどんなコンテンツを、いかに作り、どうやって届け、どのように見せ、管理するか、といった一連のコンテンツマネジメントの握り方が何より大切だろう。デバイスなんて、そのパーツの一つでしかない。

それを理解し、相応の企業活動に結びつけられているのは日本勢だとソニーだけだろう。アップルに対抗できるのは何だかんだ言っても、ソニーしかいないということか。

2010年10月8日金曜日

公との関わり方

先日会社の友人と、会社のこと社会のことについて話をした。発端は、ある研究開発テーマのテーマ設定について、感じた強い疑問だったと思う。

そこから議論は流れて、電車の車内マナーや、公共空間のあり方について互いに感じていた事を話し合った。建物や公共空間が気になるのは、ある意味、職業病だろうか。

最近、電車に乗ると、満員電車でギュウギュウの中、立ちながら目を瞑っている人が多い。そういった人は、押されれば押されたままだし、目の前に子供がいても関係ない。自分を取り巻く環境からのインプットを、極力減らす努力をしている。つまり、不特定多数の人と極端に制限された時間・空間を共有する「公」との関わりを、視覚情報を遮断することで、最小化しようとしているように見える。

また、例えばショッピングモールなどの施設では、公開空地が不細工なチェーンで囲ってあることもよくある。この不愉快な取り組みに至った原因は、本当に些細な駐輪という行為だったりする。

公開空地という「公」は、制限が明記されていなければ好きに使ってよいという、間違った認識がそこにはあるように思える。

よしんば、個人としてそんな認識を持ってないとしても、一人が何の気なしに自転車を停めてお咎めがなかったら、行為が承認されたと理解して、皆がこぞってやり始める。結果、誰も責任を取らない無法地帯が広がることになり、見るに見かねた管理者が、止むを得ず不細工なチェーンで囲って「ここは無法に使ってよい場所ではありませんよ」とアピールするに至る。

結果を見ると、得をした人は誰一人おらず、単に窮屈な思いを皆に強いるだけの、つまらない愚策だけが残っている。

今の日本はそんな事ばかりだ。何が原因かと考えると、こういった「公」との付き合い方が未熟で幼稚である事だと思える。

「公」はお上のものであり、庶民が積極的に関わる類のものではない、という意識があるのではないか。税金や年金もそうだし、公的空間もそう。広く言えば政治や領土もそうだろう。

「公」は皆に影響する共有財であり、その存在や管理は、皆の力を合わせて最適化を目指していかなければならないはずだ。でも、現状は全て他人事。ルールがあれば盲目的に守るし、無ければ無法、という思考停止状態が続いている。

また、日本の仕組みはうまくできてて、「公」を考える機会を徹底的に排除してある。税金は源泉徴収で、その意味や使い方などを考えさせない上納金のようになものだし、年金はねずみ講のような仕組みで既得権益者は、そのループから抜けられないようになっている。

まずは「公」に対する意識を改めて、皆の共有財であることをしっかり認識することが、全ての出発点だろう。そして、それらを自分のモノとして考えた時に、空間の使い方、お金の使い方にムダはないのか、皆で気持ちよく使うためには、規制やルールではなく、どんな心構えが必要なのか、を考える必要がある。

つまり、「公」との関わり方を再認識しなければならない。これは、残念ながら学校教育では学べない領域のようなので、皆が自分で気づいて、思考停止状態から脱する以外に道はない。

2010年10月6日水曜日

無縁社会

いつだったか、週刊ダイヤモンドで特集が組まれて以来、地味だが明確に人々に浸透しつつある言葉。

堺屋太一が、血縁、地縁、好縁とラベリングした時代の流れが、まさか無縁という空疎な世界に帰結するとは、ほんの数年前まで誰も考えなかったのではないか。それほどまでに無縁という言葉には絶望的な響きがある。

そうは言っても昔から、金の切れ目が縁の切れ目とも言うし、日本社会における縁というのは、意外に疎結合なのだろう。最もベーシックであるはずの血縁すら放棄する人が増え、そういった事件を目にする機会が増えているのも、日本社会の中で脈々と受け継がれた、縁に対する潜在的無関心を表しているのかも知れない。

サザエさんにリアリティを感じている人は現代社会に暮らしている限りは存在しないだろう。あの国民的ファンタジーは、かつて存在したかもしれない、縁が豊かだと思われていた時代を想像した、日本のバーチャル原風景でしかない。自分も含めて、これからの社会の中で縁というものに過大に期待したり、依存したりはできないのだろう。

もとより日本社会には縁という概念が希薄だったという前提に立って、無縁社会に対応するには、逆説的だが、コミュニティを強化するしかない。

信仰などによって人々を結びつけることが困難な我が国において、コミュニティを構築し、強化することは意外に難しい。かつてのWetコミュニケーションが当たり前だった時代ならいざ知らず、極めて個人主義的で他者との見えない壁が段々と高く、厚くなっている現代では、尚の事だろう。

また、コミュニティを強化するとは言っても、原則としてコミュニティに過大な期待をできない現代社会では、個人の自立が欠かせない。

つまり、これからの社会を生きていくのに必要な心構えとしては、個人としては自立すること、社会に向けた行動としてはコミュニティ強化に資するビジネスを展開すること、の二点に集約されるだろう。

Kozchiが自分にとっての、そういった取り組みになるよう活動して行きたい。

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2010年10月4日月曜日

低レベルコミュニケーション

ある夏の暑い日。

マクドナルドでバニラシェイクを注文した。レジの後ろで別の店員が耳打ちする。「バニラシェイクは切れてるよ」と。そして店員は「すいません。バニラシェイクは切れてます。」と私に伝え、私は少しメニューを目で追いながら「何シェイクならあるんですか?」と聞いた。すると、「すいません。シェイクは切れてるんです。」と店員。

最初から「シェイクが切れてる」と言うべきだろう。バニラが切れてれば、全てが切れてるというのがお店の常識なのかもしれないが、世間の常識ではない。

別にこんな些細なことで怒る訳ではないが、あまりにコミュニケーションのレベルが低いので、がっかりした。何だろう?想像力が足りないのか、言われたことに機械的に反応しているだけなのか。

日本人の良さは、ムラ社会とも揶揄される強固なコミュニティをバックボーンにした、一を聞いて十を知る呼吸感のはずだが、それすらも劣化してるとなると、もはやユーザビリティの高い商品開発は困難だろう。

マクドナルドの一人のバイトから想像を膨らませすぎかもしれないが、人としての劣化は着実に進行していると思う。それはすなわち、国としての劣化であり、国際競争力の低下につながる。

2010年10月1日金曜日

Big Picture

8年ほど前の話だ。あの911からちょうど一年が経過した2002年9月に、アメリカ西海岸に出張する機会があった。空港は警戒厳重で、態度の悪い空港職員にベルトと靴を脱がされた記憶がある。西海岸とは言え、まだまだ緊迫感のあるアメリカ出張だった。

メインの目的一つに、オフィシャルなサブ目的一つ、オフィシャルではないサブ目的をいっぱいくっつけて、出張計画を作成し、個人的には楽しかったし、様々な知見を得ることができた。

Youtubeで、元ソニーの出井さんが代表をしているクオンタムリープ主催のAsia Innovation Forum2010を見ていて、DCMの伊佐山さんの話を聞きながら、その楽しかった日々の1シーンを思い出した。

オフィシャルではないサブ目的の一つに、シリコンバレーのVC(ベンチャーキャピタル)を訪ねる、というのがあった。

別にアイデアがあったワケではない。その頃は今よりは愛社精神もあったし、建設業の未来を憂いながらも、当社の事業に強くコミットしていた。そして、どうしたら当社がより強くなれるかを考えていた。本業の再構築を手がける手段として、複雑系に手がかりを見つけようとしていたのもこの頃だ。

訪問したVCは、Kamran Elahianという伝説のシリアルアントレプレナーが率いるGlobal Catalyst Partnersという会社だった。ここを選んだ理由は、単に知人が出向して働いていたから、というものだ。この知人も今では友人だが、当時は紹介されただけの顔も知らない人だった。

会うことが決まっててもノーアイデア、ノープランだった。今考えると、それもすごい。ばか。単に会ってみたいというだけだったんだろう。当然、英語も拙い。正直、震えるチャレンジだ。

何の話をするのかを決めないまま、オフィスに着いて、すこし気持ちを落ち着けるためにトイレへ。そこに、アラブ系でTシャツをきた、掃除のオッチャンみたいな人が入ってきた。別に話をすることもないので用を足し、そのままオフィスへ。

最初にお会いしたのは、インド人の副社長だった。何となく挨拶をしてると、目的のKamranが来た。おー、さっきのオッチャンやんけ!もう会っとるがな!と思いながら、挨拶を。








正直、何を話したか覚えてないが、日本の建設業と複雑系について、説明したような気がする。今考えると、伝わってたとは思えないが。まぁ、なんやかんやと話をした。要は雑談で、相手もしばしの暇つぶしぐらいで笑顔で話を聞いてくれていた。

しばらくして、Kamranが不意に尋ねた。
「ここからサンフランシスコに行くのに、お前ならどうする?」

時間が無ければタクシーを呼ぶし、時間があって心の余裕があれば、バスか電車の時間を調べて、のんびり行くかなー、と答えると、

「サンフランシスコに行くには3つの方法がある。1.時間をかけて調べて、予定を立ててからスタートする。2.何も考えずにすぐスタートする。3.進むべき方向だけ調べて、できるだけ早くスタートする。

お前が将来、何かビジネスを立ち上げたいと思うなら、正解は3だ。Big Pictureを描いて、Directionを見定めて、素早くスタートしろ。

Big Pictureを描けるよう努力しないとダメだ。物事を俯瞰した目線で眺め、広く、大きく物事を捉える必要がある。お前がビジネスをしたいと思うなら、忘れるな。」

あれから8年。
今の自分はどうだろう?少しsmall過ぎやしないか、と自問自答してみる。また、意識的に視野を拡げ、Big Pictureを描き、楽しむような日常を心掛けよう。