2012年10月22日月曜日

ミスト

久しぶりのスティーブン・キング。
むかし「ミザリー」ではまって、何冊か読んだ記憶があるし、映画も「スタンド・バイ・ミー」を始め、何本か観ている。そういえば、先日「シャイニング」を観た。「ミスト」は2007年公開。

キング作品は、本当に怖い。単純なホラーではなく、環境が人を狂わせていく過程を描いている事が多く、観ていて背筋が凍る。また、最期もハッピーエンドよりは、微妙な空気で終わる事が多い。「ミスト」は、その中でも、特別に嫌な終わり方をするので、モヤモヤ感が半端ない。見終わった後も、全くスッキリしない。

異変が起こる原因は、少し突拍子も無い話で、ざっくり言うとジュラシックパークのようなものだ。ジュラシックパークは丸見えの異次元空間に迷い込んだ人の話だが、ミストは全てを霧で隠して、サイコスリラーに置き換えている。逃げ惑う中にはいろんな人がいて、それぞれにクラスター化する。外から見ていると主人公の集団だけが冷静な行動を取っているようにも思えるが、中に入ると、むやみに煽動する人にも一理あるようにも見えるのかもしれない。

想像を超える環境が狂気の集団を生み、狂気の集団の狂った行動が混乱を巻き起こす。

そこから逃げ延び、正気と思える集団だけの車での逃避行が始まる。しかし、燃料が尽きた時点で、狂った選択をする。つまり、主人公の集団も狂気に侵されていたということか。そして絶望的なバッドエンド。

置かれた環境によって、登場人物がだんだんと狂気を帯びて、夢と現実の境目が曖昧になってくるタイプの映画は好きだが、やはり最期には希望を観たい。そういった意味では「ミスト」は、さすがスティーブン・キングと思うが、重すぎる。

2012年10月19日金曜日

質のバランス

やはり物事、バランスが大事だ。スマートフォンにしても、ハード、OS、アプリの質的バランスが取れてないと、価値が半減する。

iPhoneが秀逸なのは、このバランスという事だろう。全てをコントロールしているので、バランスが崩れない。全ての機能を使いきれるように設計されているし、逆に使いきれない機能は搭載されていない。

Androidスマートフォンは、ハード、OS、アプリはバラバラに作られ、それぞれの力を最大限発揮しているとは言い難い。一部で取り込まれた最新機能は活かされず、アプリは野放図に公開されている。

Androidをオススメしないのはそういう訳で、つまり、その活用レベルは使う人のスキルに完全に依存してしまうからだ。どの組合せが最良かは、実は誰にも分からない。

以前にPCとMACを比較した時の比喩が、全くそのまま当てはまる。

PC及びAndroidは真っ白で巨大なキャンバスだ。何でも描けるけど、何を描くかはユーザーに委ねられている。通常、何も描かれてないキャンバスを目の前にして、素晴らしい作品を作れる人はいない。キャンバスの隅っこしか使えないか、全体を使いつつも間延びしてしまうか。

一方のMACやiPhoneは塗り絵だ。何が描けるかがある程度分かってて、色を変えたり、多少追記したりする事で、個性を出せる。そして、何より大事なのは、キャンバスを広げてすぐに、何をすれば良いかが理解できる所だろう。筆を進める事で想像力が掻き立てられ、次のステップが見えてくる。

結局、商品って言うのは構成要素のバランスが取れてる事、そのためには全てをコントロールする事が大事だと言う事だ。

PCやAndroidは、事業者側のプレイヤーを増やすので、市場シェアは大きくなる。しかし、キャンバスを使いきれるホンの一部の人(声の大きい人でもある)の幸せしか生んでないように思う。その他大勢の普通の人は、Androidスマートフォンが持つ能力の1/10も使えていないだろう。もったいない。

2012年10月15日月曜日

うれしい敗戦?

フランス戦に1-0で勝利した後のブラジル戦。0-4でコテンパンにやられた。下手したら「〇〇の悲劇」と銘打たれそうなスコアだ。ドイツW杯のブラジル戦は1-4で負けたので、それ以上のバッドスコアと言える。ただ試合直後のインタビューを聞いていると、選手達はかなり捉え方が違う事が分かる。

本田は「スコアほどの差は感じなかった」と言い、吉田や内田は「楽しかった」、長谷部は「ショックはない」と言う。

ザッケローニが最初から言っていた通り、現在地を知りたいというのがこの2戦の目的だから、フランス、ブラジルという強豪国相手にある程度通用するという現在地の確認と、今後2年間のトレーニングの方向性が定まったという事だろう。

確かに前半は、むしろ日本の方が良いゲームをしていたように見えた。いつもよりボールも回っていた。そんな中、ポンポンと入れられた得点。審判も微妙だったが、それで助けられた幻の4点目もある。この幻の得点が唯一、完璧に崩されて入れられた得点だったように思う。つまり、崩される事は少なかったが、崩される訳でもなくゴールを決められたということで、ディフェンスの意識改革が第一の課題かも知れない。

しかし、ネイマールとカカは凄かった。現時点で、こいつらには全く歯が立たない、というのが率直な感想だ。

某タブロイド紙が今回の大敗をもって、「W杯優勝はやはり夢物語」と書いていたが、気にする事は無い。誰にとっても「夢物語」であり、どの程度現実性があるかが問題だろう。そういった意味では、選手の肌感覚として「通用している感」が感じられたというのは大きく、誰を目標にどんな課題を修正していく必要があるかが分かったゲームだったことは収穫だと思う。

「夢」の実現に一歩近づいたゲームだったと信じたい。

民度下落中

羽田空港行きのバスで気になったのは、隣に座られないように通路側に座る人の多いこと。で、声を掛けられないように、本や新聞を読んだり、寝たふりをする。

批判するほど、自分自身ができている訳ではないが、人のフリを見ると我がフリを直したくなるような醜さだと感じた。

昨日も最寄りのマクドナルドで、やたらと大きな声で喋っている中学生の集団がいた。それも仲間内だけにではなく、周りにも絡むように。まるで、声の大きな隣国の人間みたいだ。

段々と、民度が落ちていっているように思う。日本人から民度を取ると何が残るか、よく考えた方がいい。

2012年10月12日金曜日

「井戸を掘った人を忘れない」のは嘘だった

以前、中国の格言に感銘を受けた事がある。「井戸を掘った人を忘れない」というものだ。

村を作るとき大事なのは水、つまり井戸で、いつ水が出るともしれない「井戸を掘る」という努力は、地味で目立たない作業だけれど、偉業として、いつまでも揺るぎない尊敬の念を持って語り継がれるべきだ、という意味かなと思ってた。

中国に進出している多くの日本企業は、井戸を掘り続けてきた。特にパナソニックは、中国の発展に電機メーカーの最新技術が必要と訴える鄧小平に松下幸之助が「全力で支援します」と応えた、まさに井戸中の井戸。

今回のデモは、そんなパナソニックも襲われた。

結局、中国の格言は口先だけで、本当はそんな事思ってない、という事だろう。

100年ほど前、教育レベルの低い中国に、今で言うNGOのような立場で赴任したアメリカ人は32年の赴任期間を振り返って「人生を無駄にした」と総括した。「アメリカに帰ったら、高潔な心意気で中国に向かおうとする若者を全力で止める」とも。

一生懸命教えて、すごく仲良くなっても、ある日突然、罵詈雑言を浴びせ、学校に火をつけるそうだ。恩もくそもない。

思想教育が骨の髄まで染み込んでおり、メンタリティにまで昇華されている。日本人が人の目を気にするのと同じレベルだ。治りようもない。

どんなに親身になっても、またどんなに相手を慮っても、意味がない。隣人として正常な関係を築くのに必要なのは、自らの意見を強く主張する姿勢だけだ。相手の意見を聞く耳は持つべきだが、それで行動、言説が左右されるようなことがあってはならない。

気を許す事で一時は友好関係が得られるかもしれないが、しばらくすると恩は忘れ、配慮を言質として都合よく書き換えて、ネチネチと攻めてくる。

そんな印象を最近は持っている。孔子を始めとする中国の偉人は多くの格言を遺している。それが口先だけだとは思いたくないが、口先だけではないと覆すだけの事実がない。それが残念でもある。

2012年10月10日水曜日

Mt.Takao

高尾山に行ってみた。行こう行こうと思いながら、行けずにいたが、さすがミシュラン三ツ星。あまり日本らしくないおもてなしが、気に入った。

高尾山に行ったのは雨の日。10時から晴れる予定だったので、空の様子を伺いながら、サッと行ってサッと帰ろうと思ってた。…のに、八王子辺りについてもまだ雨降り。近くのショッピングセンターに立ち寄り、買い物をしつつ空待ち。昼頃になって、ようやく雨がやんだので、出発。

高尾山に着くと、意外な人出でビックリした。雨でしたよね?と聞きたくなるほど、人がいた。何とかかんとか車を押し込み、リフトで山頂へ。

イメージは、リフトを降りたら人の少ない山頂が目の前にあって、5分で登頂。やっぱり都会の登山はこうでないとね、なんて感じかなと想像していたが、全然違った。

まず、麓の状況以上の混雑。前日から降り続いた雨を物ともせず、高尾山に向かう人の多いこと、多いこと。下手をすると地方都市の繁華街より人が多い。割としっかり登山ファッションの人もいれば、自分たちのように街歩きの延長の人もいる。どちらも受け入れる希有な山と言えるかもしれない。行きはリフト、帰りはケーブルカーだったが、どちらも満員になっていた。決してハイシーズンとは言えないと思うが、これから紅葉の季節が始まる。その混雑度合いはどれぐらいになってしまうのか?スキー場のリフトでも最近は見られないぐらいの1時間ぐらいの長蛇の列になるのかも知れない。

そして、リフトを降りてすぐ山頂かと思いきや、それも想像と違った。山頂までの往復が4〜5kmぐらい。幾つかの散策路があったが、いずれも結構な登りだった。メインの1号路は薬王院を通るルートで、お参りしながら登る。薬王院がらみの階段だけでも300段ぐらいあり、それ以外にも坂道と階段がある。リフト山上駅が462mにあり、高尾山の標高が599mだから137m昇る事になる。東京タワーの地上から大展望台(120〜150m)の高さに相当する。思ったよりしっかりと山道を都合3時間ほど歩いて、下山。

途中で土産物屋や茶屋があったが、いずれも比較的おとなしいというか、節度が効いていて、嫌な感じの観光地になっていないのが良かった。休憩ポイントごとにメニューが違って、飽きる事がない。散策コースも複数あって、バリエーションが楽しめる。

山と寺院という、日本的でプリミティブな観光資源を最大限に活かしたのが高尾山と言えるかも知れない。日本の観光地の未来がここにある。

2012年10月8日月曜日

山中先生、ノーベル賞受賞!

初めてiPS細胞の実験に成功してから6年という、極めて短期間でのノーベル賞受賞に、その未来への功績を考えると当然と思いながらも、同時に驚きを禁じ得ない。

話を聞くと、身の回りにも中高大の同窓生と言う人もいて、やはり名門は違うな、という感想を持つ。

諸説あるとは思うが、人生は環境に左右される部分が大きい。天才か凡人かは個人の資質も関係するとは思うが、進むべき道であったり、そこでの成長には家庭環境が影響を与えている。

スポーツや音楽の世界は顕著だが、学問の世界でも同じだ。何かを究めるのに一代で済む人は、極めて稀で、少なくとも二代、できれば三代に亘って究める意思を継続させる必要がある。

逆に、究めきれない人の連鎖が凡人なんだろう。少し哀しいが…

山中先生は、天才と凡人の中間にいる人のような気がする。50才という若い受賞も未来を感じる。頑張って欲しいし、今回の受賞を励みに自分も頑張りたい。

山中先生、ノーベル賞受賞おめでとうございます!

2012年10月5日金曜日

一周忌

Steve Jobsが亡くなって一年になる。

こう言うと語弊があるかもしれないが、今までで一番衝撃を受けた「死」だった。JobsがいなくなったAppleがどう変わっていくかは誰にも分からないが、偉大なるDNAだけは無くさないで欲しい。

奇抜な何かを生み出すことがイノベーションではなく、誰もが思いつくアイデアでも、誰かが開発した技術でも構わない。より良い世界を志向するアイデアを、ビジネスとして現実のものにする力だけが世界を変える、ということを見せつけたのがJobsだった。こうなったらいいな、という未来に向けた想いを妥協なく追求すること。それが一番大事なんだ、ということを教えてくれたように思う。

Jobsの魂はAppleという会社の中に存在するのではない。Appleの作品に揺すぶられた今を生きる人々の、それぞれの心の中にも存在する。

2012年10月3日水曜日

ceatec2012

かなり規模が縮小したように感じる。ブース間隔も、ブース裏のスペースも広い。日産は大きなスペースを割いてリーフを走らせていた。初日午後すぐで、小雨がパラついていたのもあるが、来場者も少なかったように思う。

自動車メーカーは、EVやコミューターの進化と家との融合がテーマだった。段々と車もコミュニケーションできるデバイスになりつつある。それもこれもスマートフォンが接着剤として機能しているからだが、今後、特定の機種に依存した開発にならない事を祈るばかりだ。

今までは日産が強かったイメージがあるが、家との融合で言えば、これからトヨタの強烈な巻き返しがあるだろう。道楽のように始めたトヨタホームが活きてきた。

家電では、ディスプレイが華やかだった時代は遥か遠く、どちらかと言えば切り口はスマート家電だ。そんな中でのディスプレイの目玉は4K、つまりHD×4の超解像度を持つスーパーテレビ。確かにHDのテレビと比べれば綺麗だけど、並べないと分からないレベルで、率直な感想としては、まだこんな事やってんの?という感じ。

解像度競争、サイズ競争、薄さ競争をして、結果として散々な目にあって、また解像度競争をする意味が分からない。当然、コンテンツは追いつかないし、追いつかせたいコンテンツも多くない。大型ディスプレイの終わりの始まりだろう。

それに引き換え面白かったのは、20インチ程度の大型タッチディスプレイ。大きなタブレットだが、動きがスムーズでインパクトがあった。この大きさはデスクトップでしかあり得ないから、実際に使えるシーンは多くなさそうだが、医療現場や教育現場で市場を作りそうな気がする。

メーカーで言うと、Sharpのプレゼン力の低さとSonyのコンパニオンの華やかさが目立ってた。

Sharpは大コケしたクアトロンに続いて、モスアイという技術が目玉のようだった。モスアイとは、蛾の目の構造からヒントを得た映り込みの少ないディスプレイ素材だ。一つのディスプレイを三分割してモスアイ有り/無し/低反射フィルムを比較して見せてたが、周りが映り込まないように設置されていたため、違いが分からない人がほとんどだったと思う。もったいない。

他にもIGZOやCOCOROBOなど話題の製品があったが、その特長が一目で理解できるような展示ではなかった。中でも哀しかったのは、シースルーの太陽光発電パネル。パネルの裏にコンパニオンを一人立たせて、ただ手を振らせてただけ。コンパニオンが不憫で涙が出る。

パナのスマート家電は、さほどスマートじゃないところに大企業病を感じた。外から炊飯器や洗濯機が動かせる事のメリットが、ほとんど理解できなかったし、ヘルスケア関係の機器も使い勝手が良さそうには見えなかった。残念。

あまり時間もなく、駆け足だったが、そんな中で存在感を見せてたのが村田製作所。

お馴染み、倒れないムラタセイサク君と、その技術を使った高齢者向け歩行補助用デバイス。見た目は懐かしのセグウェイに似ているが、乗れる訳ではなく、単に押すだけ。ただ、登りでは軽く引っ張り、下りでは軽くブレーキをかけてくれる。負担なく、身体のバランスだけをサポートしてくれるイメージ。これは良い。こういった形で身体機能をサポートするデバイスは、今後大いに可能性があるだろう。5年後の街の風景を変えているかもしれない。

これが気に入って、村田製作所ブースを見てみると、今まであまり気に留めなかった部品を作っている会社だと分かる。しかも、見るからに高品質だ。資料の統一感も良い。説明員も真摯さが伝わってくる。これが日本企業だ。

何か機会があれば協業したいが、ある建設会社とすでに手を組んでいるらしい。ちょっと残念。

CEATEC2012は、家電メーカーより自動車メーカーや部品メーカーが光った展示会だった。家電メーカーに再び光が当たる日が来るのだろうか。

2012年10月1日月曜日

32万3000人の命

南海トラフ地震で異常に多い被害者想定を行った張本人が、正しくメッセージを理解して欲しいという記事をダイヤモンドオンラインに出していた。

32万3000人は、最悪の状況下で、最悪の行動を取るという条件で算出されたもので、適切に行動することで、大部分の命は助かるはずだ、と。

32万人超の内、大多数が沿岸部に住む人で、そこから離れるべきだ、と言うなら、無意味なメッセージだと思う。むしろ、いたずらに危機を煽る風説の類と判断されてもしょうがない。

その土地利用区分の設定段階でクレームを出すのなら分かるが、既に多くの人が居住している状況で、速やかに引越しすべきだ、なんて無責任もいい所だろう。

被害者の想定人数を出したところで、それが行動のトリガーになるとは思えないので、今まで通り粛々と淡々と、その日に備えるしか無い。