2012年3月30日金曜日

目の付けどころがシャープかどうかは、今後の展開次第

シャープが「鴻海グループとの戦略的グローバル・パートナーシップの構築」を発表した。

シャープ本体と堺工場や亀山工場で液晶ディスプレイの製造を担当するシャープディスプレイプロダクト(SDP)に対して、ともに670億円ほどの出資を受けるそうだ。結果、シャープ本体の10%、SDPの約50%を鴻海グループが保有することになる。シャープ本体の10%は、日本生命を抜いて筆頭株主になる規模だ。

SDPは生産量の50%を鴻海(Foxconn)が引き取る事になるらしく、要はFoxconnの液晶部品製造子会社ということだ。

Foxconnは、世界中のITデバイスの委託製造(EMS)を行っている企業で、100万人の雇用を抱えている。雇用環境や新しいiPhoneなどの製造に関して話題になることが多い。EMSっていうのは、規模の経済を極大化させた事業形態で、薄利多売が商売の基本だ。生産量を増やす事で内部コストを削減し、利益を生み出す仕組みなので、簡単に言うと「部品を安く調達して」「安い人件費で組み立てる」ことが求められている。

人件費は、中国では高騰の一途を辿っており、もはや価格競争力があるとは言えない。そのため、できる限り部品を安く調達する事が、今後の存続には不可欠だろう。現在、精力的に作られているスマホやタブレットなどデバイスに限って言うと、調達コストの大部分をディスプレイとバッテリーが占めていると思われる。実際、iPadなどの分解写真を見ると中身のほとんどはバッテリーだ。

なので、Foxconnにしてみれば、ディスプレイとバッテリーの内製化は、喫緊の課題だったんだろうと思う。

そんな中で、人災(ムダな地デジ化と需要先食い効果しかなかったエコポイント)として起こった日本の液晶ディスプレイ市場の大縮小。シャープが苦しくなるのは目に見えていた。何より1兆円もの巨額投資を行った堺工場が、本格稼働を前に市場シュリンクが起こってしまった事は、シャープのビジネスを極端に難しくしてしまった。逆に、日本市場に入り込めてなかったサムソンやLGは全く傷を負っていない。

自分がFoxconnの立場でも、SDPに白羽の矢を立てるだろう。

液晶ディスプレイの製造は、Foxconn向けが最優先になるんだろうし、内部取引における利益なんて出ないだろうから、今後は、Foxconnの競争力に貢献する事を第一目的とした工場になるんだろう。SDPはそれでもいいのかもしれない。もとより製造部門を切り出したという事は、薄利多売のレッドオーシャンを泳ぐ覚悟をしていたという事だから。

問題はシャープ本体で、液晶ディスプレイ製品に関して巨大市場を作るべく、新しいコンセプトをぶち上げるのか、それとも、液晶ディスプレイは捨てるのか。現実的には後者だろう。とすると、シャープに残されたものは一体何なのだろう?FIT(固定買い取り制度)頼みの太陽光パネルは、エコポイントの二の舞になる事が目に見えている。シャープの事業内容を見ると、液晶以外に今後の柱がないような気がする。

以前も書いたが、新規事業で売り上げを伸ばすには、新規事業そのものではなく本業と呼べる事業の柱への利益誘導がスキームとして必要だと思うが、肝心の事業の柱があるようには見えない。ガラパゴスの失敗でも明らかだが、革新的なビジョンメイク、事業化に向けたコンセプトの絞り込み、製造段階での拘り、営業展開における発想の豊かさなど、事業を作り出す全てのポイントがシャープには足りていない。

グローバル連携と言う意味で鴻海グループと組むのは、目のつけどころとしてはシャープだったかもしれないが、自らの身の置き場が曖昧ではどうしようもない。今まで通りのスピードでは、復活は難しいだろう。なりふり構わぬ展開で、今後の日本メーカーの行動規範を刷新するぐらいの活躍を期待したい。

2012年3月28日水曜日

HASHIMOTO way

維新塾を見ていて、改めて橋本市長のしたたかさというか、強さを感じた。


2000人を集める勢いを持続している事にも驚くが、世論を二分し結論のでない問題に対して、争点を明確にして国民投票に持ち込みたいという、その政治手腕がすごいと思う。争点を明確にするという意味で、いち早く「脱原発」を挙げ、維新に乗るか反るかというポジションを取った。これは小泉元首相が好んで使った作戦だ。


原発というのは、本当に悩ましい。反対側も賛成側もその理由はさまざまで、だから、誰も判断を下せない状況にある。まさに江戸末期の幕府存亡をかけた戦いのようなものだ。最終処理にめどが立ってないことを理由にした「現実的反対」、とにかく原子力・放射能への拒否反応からくる「原理的反対」、省資源国ゆえの「原理的賛成」、経済発展とエネルギーポートフォリオを睨んだ上の「現実的賛成」。

明治維新は、開国/鎖国、佐幕/倒幕の2軸で整理する事ができると、以前に書いた事がある。歴史の結果は、最も既得権益者が損をする=支持者が少ない「開国×倒幕」に流れ、その後の国際化を鑑みると正解だったと思われる。原理主義的なものではなく、現実主義的な考え方へと時代は動いた。原発問題は賛成/反対、原理的/現実的の2軸という事になるが、最も現実的なのはどの選択肢だろう。

橋本市長は維新塾で「脱原発」を旗頭に国政に打って出ようとしているが、一方で維新塾はただの勉強会だとうそぶく。自身は次回の衆院選では国政にでず、維新塾に集まった手駒で流れを作り、仮に維新の会が勝った場合には4年間フィクサーとして地方から国政を操り、その次の衆院選に出馬するつもりじゃないかな。党首で、なおかつ、維新の会が4年間しっかり働き下地を作れば、初当選即首相も夢じゃない。それでも2017年。橋下徹48歳。伊藤博文に次ぐ歴代2位の若さでの宰相になる。2013年、もし維新の会が負けても、大阪市長を続ければいいだけで、脱原発は捨てて、「地方分権」をもう一度旗頭にすればいい。

いずれにせよ、橋下徹の勢いは衰える事はなさそうだ。

2012年3月26日月曜日

ヒットアプリの条件

世の中にあるサービスのうち、はたして既に歯が立たないほどジャイアントなものがあるのか、ということを改めて考えさせられたのが「LINE」の大ヒットだ。

「LINE」は、いわゆるIP電話で、現在の所スマートフォンに絞って展開している。8ヶ月で2000万ダウンロードを達成し、今年度最大のヒットと言っても過言ではないだろう。IP電話サービスというのは、割と昔から存在し、特にスカイプの知名度は高い。実際、PCにおけるスカイプの支配率はかなりのもので、(ライブドアが元気だった)一時期は積極的にバンドルされていた事もあり、PCでIP電話を使おうという人にとっては第一候補となっていたと思う。

そのスカイプが、スマートフォン時代に入ってからは元気がない。理由は、スマホではバンドルという概念が希薄(市場シェアの高いiPhoneにおいては皆無)で、必ずしもスカイプが第一候補ではないこと、そもそもスマホは電話機能を持っている上、条件によっては無料通話が可能であり、IP電話の優位性が明確になっていないこと、などがある。

そのような中で「LINE」がローンチされ、大ヒットを記録している。「LINE」が今後どのように成長していくかは分からないし、本当にIP電話を積極的に利用する人がそんなに多いのかも、まだまだ不透明だ。

それでも一つ分かったのは、たとえPCの世界でジャイアントであっても、スマホでは別だと言う事だ。もっと言うと、PC市場では成熟したと思われるサービスでも、スマホ市場でその実績が活かせるとは限らず、競合サービスの参入余地がまだまだ残っていると言う事だろう。

また、PCではプラットフォームよりもアプリへのロイヤルティが高かったが、スマホでは逆な気がする。具体的には、PCではMSオフィスが使えることが重要だったが、スマホではiPhoneで使えることが求められていると感じる。理由は、マーケットが厳密に設定され、かつアプリ製作が簡単になったからだと思われる。つまり、プラットフォームが設定するマーケットに並べられているアプリからしか選択できないが、その選択肢が多様で変化に富んでいるので、特定のアプリがマスを握ることが難しく、結果として、アプリがプラットフォームよりも支持を集める事ができないのではないかと想像する。

「LINE」を含めて(ゲーム以外で)ヒットするアプリは、プラットフォームを超えて利用されることが前提で、また、プラットフォームを超えて使われることに意味があるものだけのような気がする。その意味でコミュニケーション系のアプリはヒットしやすいのだろう。

スマホを使ったサービスをヒットさせようと思ったら、プラットフォームを超える必然性を用意しておかなければならない。

2012年3月23日金曜日

ますます怪しいソーシャルの利用率

Facebookの月間利用者数が1000万人を超えたらしい。

mixiが1520万人ぐらいらしいので、かなりの勢いで追い上げているということだろう。グラフの下部に「PCブラウザ、ケータイブラウザ、スマートフォンブラウザ・アプリ等、全て含む」という但し書きがついている。Facebookの責任者によれば、「この1000万人とはPCやモバイルなどデバイスを問わず月に1回でもFacebookにログインしたユーザーの数を指す」らしい。

Facebookが浸透してきているのは事実だと思うが、ソーシャル事業者が使う数字には胡散臭さがつきまとう。

まず、こんな縦軸のスケールが入っていないようなグラフの何を信じればいいんだろう?取って付けたように1000万人オーバーと言われても、信じる気にはなれない。数字をグラフを使って説明する時に、縦軸のスケールはおろか、それぞれのポイントでの数字を示さないのは、きっと何かを隠したいからだと思う。順調に伸びている事を言いたいんだとすれば、最近の伸び率の鈍化を隠すため、と考えるのが妥当だろう。

そして、1000万人という数字がログイン数を示しているのであれば、但し書きは不要のはずだ。どのデバイスから、またどのアプリからアクセスしていようが、ログインという意味では同じであり、取り立てて「全部含む」という注記をするのはナンセンスだ。これも、但し書きを書かざるを得ない状況を考えると、特にアプリにおける自動ログインのようなもの(ユーザーの意思とは無関係のログイン)をカウントしていると考える方が自然だろう。

また、以前にも書いたが「月に1回でもログインしたユーザーの数」の中には自分も含まれるが、利用者数としてカウントされる事には大いに違和感がある。毎日のようにFacebookからのメールが届き、たまに本当に時間が空いたとき、最も低い優先順位としてFacebookにアクセスする事はある。週に1回ぐらい。それでも、1000万人にカウントされているんだから、ずいぶんと膨らましたもんだという印象を持つ。

Facebook本体が出す「IDが8億人を超えた」とか「アメリカで何億人のユーザーがいる」という数字は、ファクトとして間違いがないが、それ以外は誇大広告以外の何者でもない。数字の根拠、数え方、見せ方のいずれも客観性に欠ける今のような状態を続けていたら、誰も信じなくなると思うがどうだろう。

ソーシャルサービスは、もう少し自分たちの事を上手く表現する術を身につけた方が良いと思う。今のやり方だと、人を騙そうとしているとしか思えない。

2012年3月21日水曜日

生き残るサービス

世の中には同じような商品やサービスがいっぱいある。家電製品や飲食店・小売店やゼネコンのようなB2Bビジネスやネットサービスなんかも、世の中にあるものには全て競合するものがある。当たり前だ。

特にネットの世界では顕著だが、生き残るためにはトップになる必要があると言われる。利用者の認知や理解がトップ企業によって形成され、定義づけられていく事を考えると、トップであることが重要なのは間違いない。中長期的に見ると、いかなるビジネスにおいてもトップが総取りして、それ以外は徐々に細っていくゼロサムゲームが、運命づけられていると言える。

しかし、多くのビジネスはそれぞれの形で生き残っている。

ビジネスの本質に忠実に考えると極めて厳しい勝負の世界だが、生き残るということにフォーカスすると、少し違った視点が得られる。それは、トップになる事が重要なのではなくて、トップになれる土俵を作る事が重要だと言う事だ。

マクドナルドに対抗するフレッシュネスバーガーの戦略は「手作り」だし、ヤマダ電機とビックカメラの違いは「立地」だったりする。つまり、手作りバーガーの世界ではフレッシュネスバーガーがトップだし、都心立地の家電量販店ではビックカメラがトップということになる。家電全体ではパナソニックがトップかもしれないが、液晶テレビだとシャープが一位になる。

次なる問題は、どの土俵が最も人が集まるかということで、ハンバーガーにおいては、手作りの良さを求める客層よりも安さを求める客層の方が圧倒的に多いという事が、現在の優劣をつけている。

結局、それぞれに設定した土俵の上でトップになることで、様々なビジネスはそれぞれに生き残っているが、その土俵の初期設定によって生き残り方が変わってくるという事になる。いかに利用者の琴線に触れる土俵を設定できるか、そこが勝負の分かれ目になる。

メッケ!の場合は、「近距離」に絞ったサービスという事で、土俵設定している。まだ、この土俵に乗ってきている人は少ないが、利用者は極めて多いと思う。なにせ、時間を持て余している人は歩いている事が多く(車に乗っていると、それ自体が時間つぶしになる)、歩いている以上は行動範囲が限られるからだ。

あとは、どこまで「近距離」にフォーカスできるかが課題だ。

2012年3月19日月曜日

復活!Macbook Air!!

紆余曲折の末、Macbook Airが手元に戻ってきた。
この数ヶ月の変遷は以下の通り。追加のコストはほとんどかかっていない。

2011.7:Macbook White (2007) / Macbook Air (2010)
2011.10:Macmini (2011) / iPad2 (2011)
2011.12:Macbook Pro (2011) / iPad2 (2011)
2012.2:Macbook Air (2011) / iPad2 (2011)

始まりはMBAにLionを積んだ時の違和感だったが、終わりはMBAの快適性だ。
この半年以上に亘るトライアルの結果、分かった事は、使う場所を選ばないノートパソコンというフォームファクタの強さと、それを支えるハード技術としてのSSD、ソフト技術としてのクラウドの重要性だった。

最初のMBAを使い始めた時に感動したSSDの、今までにない使い勝手・快適性。これは、周りでも使った事のある多くの人が言っている感想で、デスクトップも含めて全てのPCをSSDにしたいと思うのは、決して個人的な感想ではないだろう。

SSDはコスト的に限界があって、所期のHDDと同様に十分量を積む事ができない。それゆえ起きた、最初の機種変換。MBAをiPadで置換できるか、というテーマだった。端的に言えば家庭内のデスクトップとタブレットによるモバイルという使用場所によるデバイス分離が可能かどうか、というトライアルだった。結果としては、使う人が同一である以上、屋外での作業も変わる訳がなく、iPadでは少し力不足だった。が、iPadが思った以上に使える事も分かった。また、Macminiをテレビと繋いでみたが、テレビの視聴距離とパソコンの利用距離が違いすぎて、どっち付かずになってしまった。32インチぐらいのテレビだったら良かったのかも知れない。そしてHDDは遅い。

やはりノートがないと、自分の利用スタイルにフィットしないと判断して、MacbookProを物色すると、1世代前だが現行世代とほとんどスペックの変わらないものを見つけたので、交換。Coreiのパワーを感じながら、少しの間は満足していたのだが、やはり気になるのはHDDの遅さ。そして、MBPは重くて、既に持ち歩く気がしない。昔はこれより重くても平気で持ち歩いてたのに。。

そんなこんなで、なんとなくMBPにも不満を抱え、MBAをチェックしてみると、現行世代が割と安くなっている事が分かった。持っているMBPとほとんど変わらない価格になっている。早速、交換。半年以上ぶりにMBAに戻ってきた。しかも、CPUもメモリーもSSDも強化したバージョンで。これは以前に持っていたMBAとは比べ物にならないぐらい快適。ほとんどストレスがない。唯一感じるのは、スリープ時のバッテリーの減りの早さだが、運用でカバーできる程度。

なんやかんやで、MBAに戻ってきて、iPadを使っている。もちろんiPhoneも。Jobsが定義したライフスタイルにどっぷり浸かっている事になる。他の人にはどうか分からないが、Appleスタイルが自分には合っている。Jobsは金持ちだったし、価値観も普通の人と随分違っていたようなのだが、なぜ自分のような平凡な人のライフスタイルを想像できたのか、不思議でならない。

2012年3月16日金曜日

インビクタス -負けざる者たち-

2009年の映画。クリント・イーストウッドは、本当にいい仕事をする。そして、モーガン・フリーマンは本当に名優だ。

ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国の大統領になってからの、闘いの物語。永年に亘るアパルトヘイト(人種隔離政策)によって作られた深く広い溝を、ラグビーW杯を使って埋めていく、その過程が描かれる。

タイトルの「インビクタス -負けざる者たち-」は、19世紀イギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーのものだ。映画の中で繰り返し使われる「私が、我が運命の支配者、我が魂の指揮官(I am the master of may fate : I am the captain of my soul)」は、マンデラの獄中生活を支えたと言われる。

黒人選手が一名しかおらず、アパルトヘイトの象徴となっていたラグビーをアパルトヘイト解消の旗印とする事を決め、ナショナルチームを率いるフランソワ・ピナールを鼓舞し続ける。「どのようにリーダーシップを発揮するか」の問いに「手本を見せて指導する」という模範回答を返すピナールに、「優れた作品との出会いが、人を高揚させる。優れた作品が、変化への力をもたらす。」と、映画タイトルであるヘンリーの「invictus」を贈る。選手全員の名前を覚え、一人ひとりにエールを送る。そして、国中が一つになれるよう士気を高める誇れる何かを求めており、その役割をラグビーに求めている、と伝える。

実際に、マンデラに共感したピナールは、アパルトヘイトの意識を引きずる選手たちを引っ張り続け、黒人居住区でのラグビー教室や現地語で綴られる国歌斉唱を実現し、W杯優勝に導く。

アパルトヘイトからの脱却には「赦す心」が必要と諭し続けるマンデラと、徐々に感化されて行く周囲の人々。W杯優勝のインタビューで、薄っぺらい解説者が「会場の6万5千人の声援は力になったか」と問われ、「会場の声援が力になったのではない。国民4300万人の声援が力になったのだ。」と返すピナールに、アパルトヘイト根絶に向けた確実な変化を感じた。

実話だけに、リアリティがあって面白い。必見だと思う。

2012年3月14日水曜日

遠距離砲と近距離砲

メッケ!の特徴を考えると、集客もしくは買い回り促進に対する「近距離砲」というメタファーが思いつく。

既存のサービスはいわば「遠距離砲」で弾道ミサイルのようなものだ。常に距離を置いた場所から情報を獲得して、予定を立てる。Webサイトってそういうもので、ある程度遠い場所にいる人に対して、情報を届けるのが役目だったりする。毎度のことだがグルメ情報を題材にして考えてみよう。

一般にグルメ情報と言えば、ホットペッパー、ぐるなび、食べログあたりが定番で、それ以外にも30minやmillなどのアプリ系、iタウンページに代表される網羅系がある。また、最近ではそれらのデータをAPIで取得し、独自のサイトに展開するマッシュアップ系も多く見られる。これらの情報を見るのは、一体いつか?たぶん、一番多いのはオフィスや自宅だと思う。必然的に予約というスタイルが多くなり、予約するための会合があるから使うという事になる。

例えば勤務地が九段下にある場合に、都営新宿線を使って新宿に行くのと、半蔵門線を使って錦糸町に行くのは等価だろう。九段下で、来週の飲み会の予定を立てるのに、さて新宿にするか、錦糸町に行くかというのは普通の選択肢だと思う。その次に、焼き鳥屋にするか、普通の居酒屋にするか、パスタにするか、といったカテゴリとしての選択肢が存在する。既存サービスはそのような階層構造になっている。

つまり、新宿に行くのに九段下から情報を得て、予約するという行動をとるのに必要なサービス、ということになる。これが、ここで言う「遠距離砲」だ。

しかし実際は、予約してまで行動する会合というのは、そんなに多くない。それよりも予約せずに行動する機会の方がずっと多いと思う。その場合に、仮に九段下にいたとしたら、まずは九段下で探そう、ということになるだろう。このような自分のいる場所の周りを探したい「近距離砲」サービスのニーズは日常的に存在すると考えられる。

例えば「遠距離砲」サービスで一次会の予約をしたとしても、その後は、よほど目的の場所がない限りは近場で探して、なるべく探しまわるような無駄な時間は少なくしたいと思うのが普通じゃないだろうか?こういった用途に使える、いわば「近距離砲」的サービスは、ほとんどないのが実情だ。

近くにあるお店や施設を素早く見つけて、その意思決定をナビゲーションする力を「遠距離砲=既存サービス」は持っていない。自分たちの日常に立ち返れば、「近距離砲=メッケ!」の出番ははるかに多く、役に立つに違いない。

2012年3月12日月曜日

1年後の3.11

あの日本を大混乱に陥れた震災から一年が経過した。この一年は、本当に色々なパラダイムが変わったと思う。国、社会、地方自治体、過疎地、企業、個人とそれぞれの立ち位置での見え方が大きく動き、次なる一歩を模索するフェーズに突入している。今年が試金石となるだろう。

特に変わったのが、エネルギーの形と地震に対する考え方だろう。

震災前から検討が進んでいた固定価格買取制度(FIT)が始まる。推進派の中には、3年間は確実に儲けがでるビジネスになるんだから積極的に活用すべし、という無責任な事をいう人もいる。一方で、欧州ではすでに20年続けた上に、同じ投資をするなら生産拡大ではなく研究開発にした方が長期的なメリットが大きいと言われ、また、CO2削減という観点においてもコスト効率の低さを指摘されている。つまり、意気揚々とスタートするFITは、必ずしも最良の方法ではないと言う事が、ドイツの22年間の社会実験で明らかになっているのだ。増してや、赤字国債が1000兆円を超え、震災のダメージが大きく、また、都心に深刻なダメージを与えると予想されている次なる震災が控えている今、取り組むべきチャレンジではないと思われる。

地震については、アカデミックな世界を震撼させている事は間違いない。今回の地震は6つの震源域が連動したと言われているが、その可能性について議論されてきたとは考えられない。せいぜいが三連動で、しかも東海・東南海・南海と言うものだ。今回の連動は、今まで語られてきた三連動とは意味が違って、主要な震源域につられて、その周りの可能性が低いと言われていた震源域まで動くということだから、従来の三連動はもしかすると9連動ぐらいになる可能性だってあるかもしれない。そんな、パラダイムシフトが起こっている中で、東京の下にあるフィリピン海プレートが10kmも上に位置する事が分かったという。今、アカデミックな世界は大きく揺らいでいるが、その揺らぎを収束させるのに、与えられた時間は短い。

個人的には、地震から1年後の3月11日、神戸の伯父さんが亡くなった。同じく震災の地である神戸で最後のお見送りをしたあと、家族と布引の山に車で登った。そこからは、日本最古のダムである布引ダムと神戸の街並みが一望できる。しばらくすると、季節外れの雪が舞い始めた。みるみる内に吹雪に。伯父さんの魂がサヨナラの挨拶にきたのかも知れない。


2012年3月9日金曜日

新しいiPad

「新しいiPad」が発表された。予定通りの内容で、さほど驚きもなかったように思うが、このiPadもまた爆発的に売れるんだろう。


面白かったのがネーミングで、世界中から、この先「新しいiPad」をどのように呼べばいいんだ、という論争がおこっているらしい。しかし、よく考えてみると、Appleの製品はJobsが返り咲いて以降は、意図的にナンバリングを捨ててきている。Macシリーズ、iPodシリーズはとっくの昔に単なる「新しい・・・」になっていて、それに対して呼び方が分からないという論争が起きた事はないように思う。発売時期の違いは「Late2010」「Mid2011」「Early2012」といった形で、おおよそ三分割され、付記されているが、それで何の問題もない。

iPhoneは、3Gに対応してインターネット端末としてグローバルに売り出すタイミングで、あえて「iPhone3G」とし、その後は、ナンバリングなんだか、なにかの意図的な商品名の一部なんだか明確にしないまま、「3GS」「4」「4S」と続いている。「4S」なんて発売直前に亡くなったJobsを忍んで「For Steve」か、と言われたぐらいで、ナンバリング以上の意味が含まれていると、常に考えられている。

iPad2も筐体に印字された商品名は「iPad」だが、あえて「2」とした理由は、「新しいiPad」との併売を考えての事かも知れない。iPhoneもそうだが、旧機種の併売を考えると、分かりやすいワードを後ろに付けておきたい気がする。その意味では、現行機種と旧機種の違いだけが分かればいいので、ナンバリングとする必要はなく、その時にフィーチャーした機能をベースにした名前にするのが合理的だろう。来年のiPadには何かが付く気がする。

筐体デザインが変わらない事も予想通りだ。外見の進化と内面の進化を1年毎に行うのが、Apple流なので、今回は内面の進化に絞ったということだ。その意味ではiPad2Sでもいいはずだが、「2」も「S」も付けなかった意味は、今回のバージョンが一つの完成型という事なのかも知れない。

2012年3月7日水曜日

はやぶさ - 遥かなる帰還 -

「はやぶさ - 遥かなる帰還 - 」を観た。子供と一緒に。結構前から「はやぶさ」の映画が観たいと言われてたので、普段、映画館で邦画を観る機会もないが、行ってみた。

感想としては、子供と観る映画ではなかったのかも知れない。後で調べると「はやぶさ」関連の映画は3作ぐらいあるらしく、いずれかのバージョンは、どうやら子供向けらしい。しかし「アポロ13」のように有人飛行のでもないのに、良く3作も作れるもんだと感心した。

内容的にはビクターのVHS開発物語である「陽はまた昇る」を彷彿とさせる、日本人技術者の意地とか根性とか、そういった事が前面に出たもので、サラリーマンにはいいかもしれないが、小学生には共感できる部分は少なかったような気がする。

はやぶさを打上げ、小惑星「イトカワ」につくまで、イトカワ到着後、そして、帰還時と、常に何らかのトラブルが発生し、宇宙開発が一筋縄では行かないことが良く分かる。無人探査線である以上は、搭載されているコンピュータが理解できる範囲の事しか分からない上に、対応方法も、ある程度事前に見込んだもの以上は期待できない。交信できない時も探しにいける訳でもないので、ひたすら待つしかない。たとえ交信が回復しても十分なコミュニケーションが取れる訳ではなく、1ビット通信による、気が遠くなるようなやり取りで、状況を把握し、指示を伝えなければいけない。

個人的に一番興味があったのは、イトカワに着陸する段階でターゲットマーカーを発射し、着陸指令を出していく過程で、JAXAとはやぶさの間の交信に片道16分かかるということだった。つまり、地球でJAXAの技術者は16分前のはやぶさのデータを受け取りながら、16分後のはやぶさに向けて指示を出していく、という離れ業をやってのけたということだ。これが有人と無人の違いで、有人飛行の場合は目の前の事象に対する判断だが、無人飛行は想像上の事象に対する判断を求められる。そこに、はやぶさに関わるエンジニア達の執念を見た気がした。

サラリーマンの自分としては、そこにある技術力や対応力の高さに感嘆する訳だが、主役たる我が娘には何が残ったのだろう。

テレビ放映を考えたカット割りをしていたようにも思えたので、早晩テレビ放映が実現するだろう。こういった、事実をベースにしたドラマは、旬が過ぎると人々の興味があっという間に薄れるから、早めにテレビ放映してしまうのが得策だ。その時に観れば十分という印象をもった映画だった。

2012年3月5日月曜日

学芸会に見るクリエイティビティ

先日、子供の学校で学芸会が開催された。学年に応じて演じるものは違うが、それぞれの成長をよく考えたものだと感じた。


1年生は古典的で完成されたストーリー、2年生はクラス毎に分かれてな古典作品を下敷きにした創作劇、3年生はソーラン節、4年生はクラス毎に分かれた自由創作劇、5・6年生は希望者による完成度の高い自由創作劇。その他にも演劇系の部活の発表と、なかなか楽しいものだった。


最初は同じ役割の人が何人も(例えばお姫様が5人ぐらい)出てきて、幼稚園のお遊戯の延長のようなものだったが、段々としっかりしてきて、2年生になると、題材は何かを参考にするものの、ストーリーを自由に組み立てて進める。決して整理されたストーリーではないが、その努力と皆で作り上げた感じが良かった。3年生になると、小学校の中堅でもあり、すっかり集団生活にも慣れて自分の事ができるようになっているので、ソーラン節のような団体演技が迫力たっぷりに魅せる。

子供たちの日々成長している事を実感して、自分の成長感の無さを反省するばかりだ。

高学年になるにつれて子供たちの創り込み部分が増えていく訳だが、何とか客を笑わせようとしたり、メッセージを分かりやすく伝えようとしたりと、工夫を凝らしている事が分かる。集団創作の中で、それぞれのクリエイティビティが発揮される時だ。恥ずかしがらず、どんどん新しい事、面白いと思える事にトライしてもらいたい。それが将来の役に立つ時がきっとくる。メンバーをまとめる力、新しい事を取り込む度量、皆を説得させる能力、物事に集中して取り組む経験、そういった事が少しずつ磨かれていくように思う。

もう少し後からでも遅くはないが、早めに身につけておくと何かと役に立つ。
子供たちの真剣に取り組む姿勢を見て、我が身を振り返る一日だった。

2012年3月2日金曜日

展示会終了!

本業で展示会に出展した。全ての段取りをした訳だが、一応、大成功。今までにない来場者数を記録した。




数が全てじゃないけど、記録を大幅に塗り替えるのは、正直嬉しい。今まで同じテーマで4回行ってきたが、最初に比べるとたぶん来場者が倍ぐらいになっている。1回目ですら今までにない人の入りと話題になったのだが、その倍だから大したもんだと自画自賛。

そもそも、自分のテーマではないので、今まで主体的に活動してきた全ての方の努力の結晶だと言える。関係者は誰もこのブログを見てないだろうけど、密かに感謝。

ただ、運営側も4回目だが、未だに満足とは言いがたい。緻密さと、時々の発想の飛躍が足りない。もっと精進せねば。。。。

それにしても打上げで行った韓国料理は美味しかった。また次回、というド偉い方のご指示もあったので、いずれ、この怒濤の日々が再開されるのかも知れないが、次は何をするか。。