2012年2月29日水曜日

「メッケ!」と既存サービスとの違い

スマートフォンの普及に伴って、ローカル検索サービスが増えている。やはり手元にインターネット端末があることが非常に大きく、GPSで自己位置を把握して、ネットから情報を引っ張ってきて提供する、というスタイルは今後ますます普及していく事だろうと思う。

そんな中で、今後も課題になり続けるだろうと考えられるのが、(1)リアルとネットの接点、(2)自己位置の把握方法、(3)非常に偏っているネット上の情報の取り扱い方、あたりではないだろうか。

通常(1)に関しては、取り立てて策がある訳でもなく、ネットで検索して現地で探してみたら見つかったという、いわばネット主、リアル従の関係で構築されている。ネットの情報は検索でヒットしないと存在しないも同然だが、リアルは歩き回る中で目に入ってくる情報があり、存在自体がネットとリアルでは大きく違うにも関わらず、そのリアルならではの特徴を活かした仕組みにはなっていない。もっと分かりやすく言うと、ネットは目的を持たないと使えないが、リアルは目的がなくても歩き回れる、ということである。

(2)はGPSを使うのが主流だが、GPSは致命的な欠点が幾つかある。まず、精度があまり良くない。正確に言うと、精度が良くない場面と、精度が良い場面が混在しているので、非常に混乱する。ある時は、極めて高精度で場所を特定できるが、またある時には通り一本どころではない誤差で表示されることもある。また、現在地の捕捉ができない場合に、一回前の捕捉地点を現在地として表示する事がある。これは、全く違う場所を表示するので、全く意味がないのだが、そういったことが頻繁におこる。そして、GPSは電池を食う。GPSのオフは、スマホの電池寿命を延ばすTIPSのかなり上位に入っているくらいなので、かなり問題だと思う。つまり、日常的にGPSを切っている人も相当数存在する、ということだろう。

(3)についてはグルメ情報が先行している事もあって、ネットに存在する情報だけを使って、サービスを構成するとグルメ情報が大半を占める事になる。実際の街には、当然、飲食店だけではなく、バラエティに富んだ非常に多くのお店や施設があるが、その全てをネット情報に期待するのは無理がある。iタウンページなど、比較的網羅性の高いサービスもあるが、実際には1/10程度しかネット上に存在していない事が分かる。

メッケ!は、それらの課題をクリアするサービスとして、ご提案します。
独自の方法でリアルとネットを結び、GPSを使わない自己位置把握と既存情報に依存しないデータ構造によって、今までにないローカル検索サービスを構築しました。街歩きの目的が曖昧で、ブラブラ歩きながらお店を探す人に最適なナビゲーションをご提供できます。ぜひ、ご活用ください。

2012年2月27日月曜日

船中八策

すでに取り上げるには遅きに失した感もあるが、橋本市長率いる維新の会が提案した「船中八策」。内容について、どうこう言うつもりはないが、この安易なネーミングは、自らを坂本龍馬になぞらえたいという意識だろうか?

坂本龍馬が明治維新の立役者だとするのは良いとして、実際に明治維新後の社会を作ったのは誰かという観点で考えた時に、必要なのは龍馬だけではないということが分かる。確かに龍馬が江戸から明治へと移り変わる時代の転換点に立ち、中立的な立場で大局的な視点を持って、未来の社会とグローバル社会とのつきあい方を整理し、定義したのかも知れない。しかし、実際に世の中を動かしたのは大久保利通であり、伊藤博文だったのではないだろうか?

時代の転換点には犠牲になる人がつきものだ。龍馬を始め、西郷隆盛、桂小五郎、高杉晋作などなど、数多の英傑が自らの信条と生命をかけて火花を散らし、一つのまとまった結論として大政奉還という方向性を持った。その前後におけるフリクションを避けて通る訳にはいかないが、それらは一つの礎として存在するのみで、現代まで続く体制は、彼らが作ったのではない。

橋本市長が目指しているものは「船中八策」というワードだけで判断すると、龍馬的時代の転換点に置ける礎であり、大久保的今後100年に亘る体制への再構築、という訳ではないのかも知れない。今後の地方分権やグローバル社会への対応に対して、一つの道筋をつけることだけを目的にして活動しているとするならばそれでも良い。ただし、そういった中でも、しっかりとマネジメントできる人材を確保しておく必要がある。

個人的には、小泉元首相が龍馬的破壊を行い、その後の時代の方向性を見定めていく中で、橋本市長のような先鋭的な地方自治体の長が時代の形を定義づけていくものだと思っていたが、「小泉」龍馬は方向性を見いだしてはいたものの、しっかり次につなげていく所まで持っていけず、結果として遠回りしただけになってしまった。同じ轍を踏まないように、船中八策だけではない、次の体制構築を見越した活動をするべきだと思う。


2012年2月24日金曜日

喫茶店にみるAppleの躍進

ほんの少し前までは、喫茶店でmacを使ってる人なんてほとんどいなかったのに、今はすごい。iPadも含めるとかなりの支配率だ。

最初にmacを持った15年以上前は、そもそも外でパソコンを使うこと自体が珍しかった。その後、銀パソと呼ばれる薄型ノートパソコンが流行った13年ほど前でも、あまりいなかった。電池が2時間も保たなかったからかもしれないし、ネットワークが今ほど自由ではなかったからかもしれない。自分は、携帯電話をモデムにしてメールをチェックしていたりした。


電池の飛躍的な伸びに従って、持ち歩かれる様になり、それでもmacは極めて少数派で、自分もvaioを愛用していた。その頃は、ごく稀に電源やモデムジャックのついたお店やwi-fiのスポットが見つかったりした。そんな時代がずっと続き、パソコンを持ち歩く人が増える事もなかったように思う。少し経ってインターネットカフェが流行ったのも一つの原因かもしれない。


それが今や、喫茶店に行ってみると、パソコンやタブレットを使っている人の比率が、以前に比べると3倍ぐらいになっている感じがする。6割ぐらいはMacbookAirかiPadだ。

大企業の会社支給パソコンはWindowsだろうし、タブレットを配っている会社も少ないだろうから、多くは個人もしくは小さな企業で働く人たちだ。逆に、そのセグメントに対するAppleの浸透率はかなりの高さだと推察できる。気がついたら世界一大きな会社になっていたのだから宜なるかな、という感じでもある。

iPhoneの爆発的普及がトリガーになったのは間違いないが、MacやiPadが人々の行動を変えている事を実感する。

2012年2月22日水曜日

ホームでの荷物の置き場所に注意

ビックリした。乗り換えのホームで転倒した。すごい人数が往来する首都圏屈指の乗り換え駅なので、いつも人がごった返していて、日常的に危険な場所と言えるだろう。


転倒の理由は、ホームに置いてあった荷物。


この乗り換えは、ホームの向かいの列車に乗るという非常にシンプルなものだが、それゆえ、塊としての人のボリュームがハンパない。いつも通り、押し合いへし合い電車から降りたところに、ドアの真ん前に女子高生が立っていた。そんな所にヌボーッと立っていること自体が、この人口過密地帯では非常識だが、彼女を避けながら降りた。すると、自分の足元に彼女の荷物が。もちろん、人混みの中で下なんて見る余裕はないので、その荷物に絡まり転倒。


あの混み合うホームで、ドアの真正面に立ち、なおかつ自分の足元にではなく脇に荷物を置くなんて、トラップ以外の何物でもない。たまたま前の方に立っていたから自分が引っかかったが、そうでなくても誰かはトラブルに巻き込まれてただろう。


今回の事故は、その女子高生の責に負うところが大きいが、彼女はこれからも気付かずに続け、被害者を増やすことだろう。私の周りはなぜかコケる人が多いんだよね、とか言いながら。


では、こちらとしてはどうしたら良いか? というと、足元注意以外に無い。特に人口過密地帯における振る舞い方を理解していないと思しき人の近くを通る時は。

2012年2月20日月曜日

ソーシャルの効果把握方法って、意味があるのかな?

Facebookに押されまくっている(人とのつながりでサービスを利用するか、単にゲームをしたいからサービスを利用するか、という観点で考えると、GREEやDeNAは既に異なる事業ドメインに移っているので競合と判断しなくても良いと思う。)mixiのユーザー数は約2600万人だそうだ。記事によると、「アクティブ率も非常に高く、日本の20代女性の59%が月に1回以上ログインしている」という。

月に1回以上のログインをもってアクティブと言われると、すごく違和感がある。もっと言うと、週に1回のログインでも個人的感覚としてはアクティブではない。さらに言うと、たとえ週に1回以上ログインしていても、人の記事やログを読んでいるだけの状態をアクティブとは言いたくない。そう考えると、個人的にアクティブに活動しているのは、このブログぐらいのものだ。

mixiやGREEの幽霊ユーザーである自分が言うのもなんだが、会員数に含まれても困るぐらいのイメージもある。正直なところ、自分の周りにアクティブに動いている人は見かけない。

このことはFacebookやTwitterやその他のソーシャルサービスにも言えて、これらのサービスは(個人的には)mixiやGREEよりは圧倒的にアプリの立ち上げ頻度は高いが、だからといって、アクティブに使っている感じではない。

こういった観点でソーシャルの効果計測をするとしたら、アクティブと言われる人の数や割合はどの程度になるんだろう?一回、アンケートを取ってみたらどうだろう?1週間しか登録期間の無いアンケートフォームを全ユーザーに投げてみて、アンケートに答えてくれたらポイントをあげるとかして「自分はこのサービスをアクティブに利用していると思いますか?」という質問を投げかけてみる。そうしたら、本当の意味でのソーシャルの効果が分かってくるんじゃないかと思う。

今のように、自分たちに都合の良い数字を並べて、実態と乖離しているようなソーシャル効果を、さも素晴らしい事のように喧伝するのはミスリーディングだと思うし、ソーシャルサービスの未来を危うくする(ソーシャルなんて信用できない)事になりかねない。

本当にアクティブに使っている人がどれぐらいいるのかは興味がある。きっと思いのほか少ないんだろうな、という感覚はある。そもそも自分の周りでほとんど使われていないという事実がある。また、活用している少数の人はリアルでも発言力のある人の場合が多く、そのような人は実際少ないという現実もある。

個人的には、ソーシャルサービスがある事はいいことだと思うし、便利だと思うが、これが絶対的なインフラになるとはとても思えない。

2012年2月17日金曜日

450回!!

気がついたら450回になっていた。
そして気がついたら、また一つ年を取っていた。
最初は100回ぐらい続けばいいな、と思って始めたブログももうすぐ500回。
正直、なかなか書くに苦しい時もあるが、
なんとかペースを保って続けていきたい。

500回を達成するのは夏前だと思うが、
そのころにはサービスをローンチさせて、
その報告ができたらと考えている。

読んでくれている皆さん、いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

2012年2月15日水曜日

ハードの販売が大事

スマイルカーブを見て、ハードの販売ではなく、研究開発やサービス開発に注目するのは、正しいようで正しくない。ハード販売がない研究開発やサービス開発は、クリープを入れないコーヒーではなく、ゴールのない入り口だからだ。


ゴールの設定は、それぞれのビジネスの形態で異なるのは当然だが、ユーザーが最もお金を払ってくれる事業領域が、最も重要なゴールになる。その意味で、研究開発やサービス開発は必要不可欠でありながら、最終的なゴールとはなるとは限らない。なぜなら、基本的に開発という行為は投資としてお金が出て行く活動だからだ。


ブランド構築や基礎研究は、より多くのお金を獲得するための差別化要素であり、ユーザーが我が社を選ぶ理由ではある。そのため、無いよりはあるほうが良いに決まっているが、無ければ商売ができないというものでもない。むしろ金食い虫としてのネガティブな側面を考えれば、無い方が良いという結論もありうる。その証拠に多くのビジネスは差別化できていないが、会社としては存続している。


現在差別化されていない事業領域に身を置いているとして、スマイルカーブの両端を狙って活動の幅を拡げたとしても、そこで即座に効果が得られるものでもなければ、下手したらその収益を期待したサービス部門はお金をほとんど生み出さないかもしれない。

Appleもその収益のほとんどを生み出しているのはハードの販売だ。コストを極限まで抑える努力と同時に、売り上げの単価を上げる方策として、iTunesやAppStoreがあって、ゲームや音楽を始めとしたコンテンツを販売・管理し、その事がハードへのロイヤルティを高め、売り上げに貢献している。その流れを理解しないまま、事業の上流・下流に首を突っ込むのは得策ではない。

具体的に言うと、ゼネコンは建物を造るだけだと薄い利益しか見込めないので、不動産開発などやゴルフ場経営に乗り出した時期があった。また、最近でもそのような雰囲気が出てきている。そういった仕込みを考える時に、不動産開発で儲けるのではなく、本業の「建物を建てる」という部分において、通常よりも大きなフィーを頂けるような算段をしなければいけないということだ。一足飛びに不動産開発事業での収益を期待すると、結局は思い通りにならず損失だけを計上して撤退する事になる。

短期的な利益やユーザーニーズを考えると、せっかく作ったサービス事業の収益としての会社貢献を期待したりするのだが、長期的に考えると、我が社が得意としており、また、ユーザーがお金を払ってくれる事業領域へのフォーカスがより大事になってくるのは自明だ。意外に忘れがちだが。

2012年2月13日月曜日

コミュニケーションはキャッチボール

非常に単純な話だが、最近改めて思うのは、コミュニケーションにキャッチボールは欠かせないということだ。

何かを作り上げるとき、役割分担を決める。その時に考えておかなければいけないのは、どのような状態になったらそれぞれが、その役割に見合う行動が起こせるようになるかだろう。それが行動の優先順位を決める。後は、当然随時修正が入るものの、フローに沿って淡々と自らの役割をこなしていくだけだ。

複数の人が関係するような作業で優先順位が決まっている場合に、相手の役割が動き出せる前提条件は、こちらの準備作業の進捗になる。つまり、こちらの作業を完了させて相手に投げて、相手が作業を完了させてこちらに投げる、というキャッチボールを繰り返す事になる。そこで交換されるボールは、徐々にスピードが上がっていき、コントロールも良くなっていくはずだろう。うまく行けば。

たまにコミュニケーションをキャッチボールと思ってない人がいて、とても面倒くさい事になることがある。

例えば、ボールを抱えたまま投げてこない。相手が受け取れる状態にないと勝手に思い込んで、なかなか投げてこない人がいる。相手の状況を理解する事は重要だが、とにかく投げてみないと相手が受け取れるかどうか分からない時もある。まずは、思い込みを捨てて相手の状況を把握し、たとえ受け取れずに地面に落ちてしまうとしても、無理にでも投げてみることも大事だろう。

ボールを受け取らない人もいる。キャッチボールは、最初は緩いボールでゆっくりと始めて、徐々に早くなっていくものだと思うが、最初からある程度の精度と速度を求めてくる人がいる。そういった人は、こちらが投げた緩い山なりのボールは受け取らない。一旦投げたボールが受け取ってもらえないので、自分で取りに行き、もう少しスピードを上げて投げてみるが、まだ受け取ってくれない。そういう人は、こんな事を何度か繰り返して、練習時間ギリギリになってようやく受け取り始め、時間がないからビシビシと回数をこなそうとする。コミュニケーションはキャッチボールだと理解していれば、緩いボールから受け取る事が、練習の密度を高め、優れた成果を生み出すコツだと分かるだろう。

ボールをとんでもない方向に投げる人や、自分の理想とするボールを頑に投げ続ける人もいる。これは、事前のディスコミュニケーションが原因だが、成果の想定が低すぎたり高すぎたりするのかも知れない。いずれにせよ、初期のコミュニケーションの中で、成果の想定とそれぞれの役割分担を明確に決めて、キャッチボールするしかない。

コミュニケーションをうまく行う秘訣は、コミュニケーションを何だと思うか(私の場合は、キャッチボール)を共有する事にあって、逆にそこが共有できない相手とは、うまくコミュニケーションできないという事だろう。

2012年2月10日金曜日

何が類似サービスと違うのか?

スマートフォンの普及に伴い、GPSを利用したローカル検索が増えている。ローカル情報を出しているサイトは意外に多いので、マッシュアップすると割と簡単にできるというのが一つの理由だろう。また、手元に自由度の高いインターネット端末が存在する事も大きい。

メッケは、スマートフォンが出るずいぶん前からローカル検索について考えてきた結果としてのサービスなので、最近流行のローカル検索とはひと味もふた味も違う。

一般的にローカル検索のニーズは確実にあると思うが、一方でインフラ的なサービスである事から他のサービスよりも継続性というか、より日常的に使ってもらう必要がある。つまり、用意したステージをコンプリートされれば終わりとか、チェックインのようにその行為に飽きてしまえばおしまいというものではないし、クーポンだけが行動のトリガーであるというのも違うと思う。現在ローンチされているサービスの多くは、日常的に使うための仕掛けがほとんどなく、単にお店が見つかれば良いというような立ち位置でしかないように思える。

重要なのは、お店が見つかる事だが、それは、お店がサービスを利用しているかどうかが分かる事でもある。それも検索した後で分かるのではなく分かった上で検索する、という行動を支援する必要があるように思う。つまり「見つける」のではなく「見つかる」ようにする事。そして「見つかる」事をユーザーの意思を尊重しながらも、サービス側でしっかりと意味付けをして、適切に「見つかる」ようにする事が大事なんだと思っている。

単に「見つける」ことではなく「見つかる」ようにするためには、たぶん、ネット上にあるデータをマッシュアップするだけではダメだろう。それではリアルとの接続点が弱すぎる気がする。ネットの情報を手元に持ち出す事はできても、その情報がリアルとどのように結びついているのか、そして、そこにどのような行動の意思を繋ぎ込んでいくのかの設計が大事になる。

メッケでは、そういった事を念頭に置いて、サービス設計をしている。つまり、「リアルとの接続点」と「行動の意思決定に関する補助線」を提供する事が、メッケのねらいだ。

2012年2月8日水曜日

リスクと不確実性

10年ほど前にアメリカ出張の折、ある方の自宅に泊めていただいた事がある。なんとも余裕のある時代で、ある意味情報収集だけを目的に出張することになった。(その当時は名前しか知らなかった)今の上司の代理で。

単純に目的地に向かうだけだと面白くないので、スタンフォード大でのサマースクールのようなものにエントリーしてみたり、近くのベンチャーやVCを訪問したりと、色々組み合わせて計画した。以前にもエントリーした事があるが、そこで出会ったVCの方に「ビッグピクチャーを描かなければならない」と言われた事が、常に頭をよぎる。

その出張のメインであった訪問先で、ディスカッションに参加したり、ワークショップを開いてもらったりして、今思うと、何だか良く分からない3日ぐらいを過ごした。その最終日に、そこのボスに「うちに来い」と言われ、ホイホイと付いていった。

その後10年ほど、海外出張なるものは経験していないので、あの時の会話は夢のようでもあるのだが、なぜか割とスムーズに話をしていたような記憶がある。自宅へ向かう車中や、家についてからも。

その当時、複雑系という言葉が割と流行っていた。サンタフェ研究所では得体の知れない研究が進められ、それはそれなりに世間を賑わしていたように思う。そして、建設業は複雑系の体系に当てはまると思っていた(今も思っている)。というのも、建設現場の基本的な構成には以下のような特徴があるからだ。(1) 一人のリーダーが全体を知っていて、残りの人は部分だけしか知らないし、知る必要がない。(2) 日々変わりゆく現場状況を、情報を共有しながら全体最適を目指している。(3) 部分しか知らない各プレイヤーは工程上の隣のプレイヤーを確認しながら、自分の行動を決定していく。

で、「建設業の施行現場は複雑系なので、そういう捉え方をした方がいいと思う」というような話の中で、そういったことの「リスク」を、どのように定量化していくかが今後の課題だ、と言ったような気がする。そんな難しそうな話を今、英語でしてみろと言われてもできないが。その時は、広い庭のグリルで大きなトラウトを焼きながら、そんな難しい話をしていた。無粋にもほどがある。

その時に、リスクと不確実性を分けて考えなければならない、と言われた。正確には、「おまえが言っている事はRiskなのか、Uncertaintyなのか」ということだった。そう考えると、リスクと呼べるほど、まだ固まったものではないし、どちらかと言えばUncertaintyなんだろうな、と感じた。リスクという言葉を結構安易に使っていたが、初めて不確実性という概念に触れた瞬間だったように思う。

その後は、その方のご家族と食事をして、まだ小学生だった下の子の超ハイスピードスラングを理解できず、たぶん高校生ぐらいだった上の子のピアノを聞き、納屋に泊めてもらった。次の日に起きると、その方は既に起きており、「これからヨットに乗りにいこう」という事になり、生まれて初めてディンギーに乗って、少し練習した後レースを楽しんだ。

あの出張って何だっただろう。会社的な意味を考えると訳が分からないが、でも、個人的にはすごく収穫の多い、実りある出張だったと思っている。

2012年2月1日水曜日

日本の電機メーカーに変革の時がきた

電機大手各社の今年度の決算がすごい事になっている。シャープが2900億円、ソニーが2200億円、パナソニックに至っては7800億円の赤字だそうだ。この三社を合計するだけで1.3兆円、ということはスーパーゼネコン1社の売上を凌ぐ数字だ。恐ろしい。

共通するのは、マーケットが大きく変わっていることに気づいてないのか、気づいていても動けないのか、組織としての動きの悪さと、繰り返される天変地異だ。後者は、ある意味で世界共通なので、やはり問題は前者だろう。特に、液晶テレビが大きく足を引っ張っているようだ。まあ、地デジとエコポイントで需要の先食いをした訳だから当たり前だけど。

我が家でも、本当は必要もないのに、エコポイントに駆け込むタイミングで薄型大型テレビび買い替えた。正直言うと、使っていた厚型中型テレビも、まだまだ寿命とは言えず、地デジ化やエコポイントがなければ、あと5年は使うつもりだった。そんな人はきっといっぱいいて、その意味で、5年間に平均的に訪れるはずだった需要を一気に刈り取ったので、その後はぺんぺん草も生えないということだろう。シャープの実績で言うと、台数ベースで前年比30%台、金額ベースで20%台だそうだ。数がはけない上に、単価が下がり続けている。

おそらく、来年度はテレビからの撤退が相次ぐ年になるだろう。わが国で次のテレビ需要が来るのは10年後で、その時にもまだテレビが商売として大きなビジネスである続けるのかはよく分からない。何よりも不安なのは、今後10年間の需要低迷を超えて、10年に一回の需要に耐えるだけの設備を、メーカーが持てるのか、という点だ。

元々、テレビの需要は大きな波がなく、毎年一定の買い替えや新規の需要が生まれ、それがメーカーの生産計画を支えてきたはずだが、不必要な地デジとエコポイントで、需要をまとめてしまった結果、メーカーにとっては不利な需要の波が生まれた。たぶん、同じような時期に買った同じような機械は同じようなタイミングで壊れるので、今後30年ぐらいは、この波と戦わなければならないだろう。

マーケットの変化やリスクを読んで意思決定し、投資することが苦手な日本企業に、この破壊的なトレンドに耐えれる力はあるのだろうか?さらば、シャープ、ソニー、パナソニック、ということにならない事を祈る。日本を代表する偉人が創り上げた偉大なる企業の再起が望まれる。