2010年8月30日月曜日

カラフルな人生

100年前のロシアで撮られた写真がある。なんと、カラー!しかも、鮮明!

http://www.boston.com/bigpicture/2010/08/russia_in_color_a_century_ago.html
撮影された当時には、カラーで復元する技術はなかったと思われる。光の原理に基づき、RGB三色のフィルターをかけた3枚のモノクロ写真を残しておけば、いずれカラーで復元されるだろうと考えたのか。

モノクロでしか見たことのない昔の人物、風景をカラーで見ると、突然としてリアリティを増してくる。彼らも僕らと同じように、二度とこない時間を懸命に生きていたのだと思うと、少し切ない気持ちになる。

モノクロは余分な情報を落とすことで、カラーよりも饒舌に語り始めることがあるが、やはり絶対値としての情報量が少ない。

会社のフィルターを通して見るモノクロの世界から抜け出し、カラフルに生きないと、風景に埋没して無価値になり、リアリティのない過去のヒトになってしまう。

2010年8月27日金曜日

位置認識をアウトソーシングするか否か

従来の情報提供サービスは、サービス受容者の位置をGPSやWi-Fiなどを使って自動認知するという形で設計されていることが多い。つまり、自己位置認識に関してはアウトソーシングしているという事だ。

位置認識の自動化は、提供するサービスに注力できる事が大きなメリットだろう。

例えば食べログや30min.は、ブログなどのソーシャルな意見を集め、整理するプラットフォームであれば良い。こういったマッシュアップサービスは、既存のデータがフル活用できるのて、非常にクレバーなやり方だと思う。お店の場所は住所で、利用者の場所は例えばGPSで、それぞれ住所なり店名で結びつけて一つのサービスとして提供している。

課題は、利用するデータが公開情報ばかりなので、うまく行きそうなサービスは、すぐにコピーされることだろう。UI以外の優位性がないのが痛い。逆に、追い込むべきは極論するとUIしかないので、開発のスピードは早い。つまり、良さげなサービスほど競合が生まれやすく、ラットレースになるという特徴がある。

また、サービスとしては色んな意味で曖昧にならざるを得ない。

住所データは、お店の場所と1対1ではなく、指し示す場所が区画の中心であることが曖昧さの元凶だ。また、GPSは精度がイマイチで天候に左右される。実際、カーナビの精度はGPSとは別に速度計測、ジャイロ、マップマッチングと、様々な機能の組み合わせで成立している。Wi-Fiは電波強度を計測しているので、キャリブレーションが必要だ。つまり、どこでも使えるものではない、という点が課題だ。

一方Kozchiでは、各店舗に付与するメールアドレスに位置情報を紐付けているので、自己位置認識も内製化している事になる。

メリットはデータがシャープなこと。ココにいてアソコに行きたい、という行動に高い精度で追従できる。Kozchiでは中距離と呼んでいるが、目視できないけど近くにある店にアプローチする術ってのは、そんなに多くない。

そして、情報獲得にスキルが必要ない事が挙げられる。何でもそうだが、自動化されている仕組みを使った時にシステム側の認識の誤りってのはどうしても発生し、これを修正するのには、それなりのスキルが必要になる場合が多い。つまり、多くの人は間違いを間違いのまま受け容れるしかない。マイクロソフトオフィスで、自動的に設定されるグラフの色などを変えるのが意外に難しいことからも、自動化の弊害は割と身近に存在していることが分かる。

Kozchiでは位置認識の自動化をしない、つまり、"自分はココにいる"ということを自己申告することで実現している。

位置認識を自動化しないことは、利用手順に一手間付け加えることになり、サービス設計として不利なのは否めない。それでも、精度の高さがサービスの質を高めるとともに、万人にとって使いやすい仕組みになると信じている。

2010年8月25日水曜日

京都・霊山護国神社

お盆休みの終わり、関西から横浜へ帰ってくるのに、京都発を選んだ。理由は色々あるが、京都にはチャンスがあればできるだけ訪れるようにしている。

今回の目的は霊山護国神社。

それにしても人が多い。日本全国、お盆でお店が閉まっているのに、京都だけが全開だ。年末年始やお盆といった日本的行事は京都なしには語れない。

霊山護国神社は、祇園八坂神社と清水寺の間、高台寺の隣にある。神社と寺は、お互いを補完するかのように、多くの場合、隣り合っている。面白いもんだ。

八坂神社や清水寺は何度も訪れたが、霊山護国神社は実は初めて。何でだろ?

この辺りは、意外にアクセスが悪いので、季節の良い時期に一日かけて歩き回るのは良いが、この季節は倒れそうになる。折角なので、その他史跡巡りを兼ねて、京都から地下鉄に乗り、四条で降りる。まず向かったのは近江屋跡。四条河原町、坂本龍馬、中岡慎太郎の遭難の地である。何の変哲もない碑が、人通りの多い河原町通りにある。遺構があるわけでもないので、ただ、その時に事件が起こった事が事実として伝えられているだけだ。ネットで検索して得られる以上の情報はない。




その後、河原町通りの向かい側にある中岡慎太郎寓居地の碑を確認し、まぁこれだけ近ければ遊びにも来るわな、と思いつつ祇園方面へ歩くが、あまりの人の多さに四条通りを諦め、祇園の中を通り抜けていく事にした。

ここは韓国人ばかり。きっと外国人観光客はかなりの数なんだろう。さすが、京都。

建仁寺を抜け、八坂通を東へ。東大路通を越えると間もなく目的地、霊山護国神社。その麓に立ってみると、ここは割とよく通った場所だと気づく。うーむ、こんなに身近にありながら、一度も登った事がなかったとは。




猛暑の中、登っていくのは中々辛い勾配のキツい坂を登り、到着。300円払って墓地へ。

ここは、国の為に亡くなった人々を祀る場所で、坂本龍馬、中岡慎太郎を筆頭に、桂小五郎、高杉晋作など維新の志士達が多く眠る。彼らの墓前に立つと、自分の不甲斐なさ、未熟さを感じる。暑い中、多くの人がお参りし手を合わせていたが、自分は手を合わせる気がしなかった。私利私欲を排して生き抜いた彼らに対して、何者でもない自分が私利私欲を叶えんが為に手を合わせるという行為が全く整合せず、ただ墓を見つめて、自分を省みるのみだった。



その後、すぐ近くにある霊山記念館に寄った。入場管理が緩く、料金を払わなくでもよさそうなものだったが、一応払った。700円。しかし、払うに値しないレベルの低い展示にガッカリした。展示内容が整理されてないし、ほとんどがネットで確認できる程度の情報でしかなかった。何にも知識のない人に向けた展示施設と思えば、間違いがない。小学生向き。

記念館を出て川端通まで歩き、木屋町を三条まで北上。新京極を南下して、錦で西へ。烏丸まで歩いて、気がついたら先ほど出てきた四条の出口に着いた。グルーっと一周した事になる。

京都の街は、他の都市にない特徴がある。

それは信じられない範囲で、お店が広く低く軒を連ねている事だ。この酔狂な一周コースでも、そのほとんどの場所で通りの両側にはお店が並んでいた。街の全域が観光地だから、駅が近いか遠いかはほとんど関係ない。だから、お店の数なんて分からないんだけど、Kozchiの導入が最も奏効する場所と考えられる。

間違いなくKozchiにとって、最重要な都市と言えるだろう。




2010年8月23日月曜日

見苦しい地デジカ

このままだと期限までに全面普及できないと見て、なりふり構わず露出を増やしている地デジカ。

この費用対効果の低い作戦を考えたのは一体誰なのか?既に地デジを導入している世帯にしてみれば目障りでしかなく、未だに地デジに対応していない世帯にとっては何の訴求力もない、愚策中の愚策だろう。

最近、視聴率が取れそうな番組のCM時間の長さは尋常じゃない。単価が下がっているからなんだろうが、番組を劣化させ、結果としてCM価値を落としているだけのような気がする。

こういったTV局の施策を見るにつけ、テレビの時代は終わったと痛感する。既に見たいと思える番組も少ない。ニュースも含めて偏向的な番組も多く、正確な理解の妨げになっている場合も多い。

テレビ業界も、お互いに横睨みで尻を追いかけ合うのではなく、それぞれの立ち位置を明確にして、ビジネスモデルを変えていく必要がある。

無理矢理テレビを買い替えさせて、愚劣な番組を供給するのでは、詐欺に近いだろう。

2010年8月20日金曜日

池田・小林一三記念館

阪急電車の中だったか、阪急創始者・小林一三氏の記念館が池田にある事を知った。

自分が生まれ育ったエリアの代表的な電車であり、現在住んでいる東急沿線の発展にも大きく寄与した人物である事は知っていたので、取り合えず行ってみた。

最寄駅は阪急池田駅。実家からさほど離れてないが、初めて訪れる場所だった。いかにも古い街並みを抜けて、クネクネと10分ぐらい歩く。途中、逸翁美術館というこれも小林一三氏の美術蒐集品を展示した施設がある。どうやらこの辺りは、阪急が宅地開発、住宅分譲に乗り出した場所らしい。その当時のものと思しき長屋風の建物も残っていた。

その先に、先日亡くなった阪急元会長で小林一三氏の孫である小林公平氏のお宅があり、隣に目的の記念館が見えた。



立派な門をくぐり、チケットを買う。どうやら建物は二つあるようで、時間もないので手際良く見ていかなければいけない。一つ目は、小林一三氏の業績をビデオ、パネル、模型、実物でバラエティ豊かに展示した施設だった。

まぁ、この人は色んな事をやっている。事業を始める前の経歴も変わってて、面白い。山梨県に生まれ、慶応義塾に入る。三期生で、同級生は30人くらいだろうか。福沢諭吉を中心にした卒業アルバムがあった。その後、三井銀行に入社。まだ、銀行として営業を始めたばかりで「為替バンク三井組」と呼ばれてた頃だろう。三井で14年ほど勤める。あまり取り立てられず、知り合いの証券会社設立話に乗って退社。「うまい話があるんだ」という感じだったのかも。しかし、その会社も設立叶わず廃業。途端にプー。見るに見かねて、知人が職を紹介。でも、清算予定会社の監査役という微妙な役回り。ここまでは全く良いことがない、という感じだ。

その清算寸前の会社を立て直した辺りから風が吹き始める。立て直しのカギになったのは宅地開発。線路に沿って何度か歩いている時に閃いたらしい。人が住めば路線を栄える、と。そのアイデアを例の紹介者にして見ると、総論賛成だが出資については首を縦に振らない。覚悟を見せろと言われ、自分も目一杯出資する上に、出資者のリスクは小林が被ると言う。つまり、損はさせないという事。これで出資が集まり、無事、会社を清算せずに済む。これが阪急の前身。

その後、高校野球やタカラヅカを始め、阪急は大企業となる。小林はその手腕を買われ、電力業界の立て直しや商工大臣などを歴任した。

華やかな人生も、そこに至るまでの艱難辛苦は計り知れない。逆境に負けない力と覚悟が必要だ。

最後に、池田駅のKozchi特性を測る意味で商店街をブラついて見た。池田駅前は二つの商店街が繋がっており、全部で100店舗くらい。さらに商店街から少し離れた場所や駅の反対側を考慮すると、250〜300と推定できる。割と駅前にまとまって、広く低く分布しており、Kozchiが活かせそうな場所と感じた。




2010年8月18日水曜日

2010夏琵琶湖

先週、夏休みを取って恒例の琵琶湖へ友人たちと行った。

もう20年近くは続いているだろうか?最初は単に「一緒に遊ぼう」という程度で、それでも年に2〜3回は集まっていたかもしれない。それが、段々と旧交を温める意味合いが強くなり、年1回に。そして、皆が家庭を持つようになって、家族としての交流会のようになっていった。今は、ちびっ子ランドと化している。

しばらく続けて分かったのが、こういった定期的な集まりには、とても意味があるということ。

特に年に2回ぐらい集まると、互いのステータスに飛躍がないので、相手の状況を確認し合う時間が必要ない。それぞれ違う会社で勤め、ルールや文化の違いに戸惑い、地元を離れた悩み多き若者には貴重な機会で、下らない事から、それなりに哲学的な事まで夜を徹して語り合った。そして互いが互いに刺激を受けつつ、散会する。そんな時に、互いのステータスが分かっている事は、時間的にも会話の質的にもプラスだったと思う。

時は流れ、年1回になるとともに新しい仲間や家族も加わり、20年前とは互いの状況も悩みも違う訳だが、相変わらず、その存在を確認しあえる環境がありがたい。特に今年はちびっ子が多かったせいか、極めて健全で、酒もほどほど、夜も素早く、語り合うほどの時間も無いまま、時は過ぎた。それでも十分に有意義だと言える時間だった。

しばらくしたら、子供は子供の時を過ごすようになり、手が掛からなくなって、今度は離れて行くことになるだろう。それでもこの集まりは続いていくだろう。

これからの10年、20年(還暦!?)は、どんな会話をするのか、今から楽しみでもある。また、その頃の自分は、皆に刺激を与えられるような生き方をしてるのだろうか?そんな事を考えた、琵琶湖の夕闇だった。





2010年8月16日月曜日

平和だから幸せなのか?

昨日、終戦記念日だった。65年という何となくの節目でもあり、何となく過ぎたように思う。

テレビを見ていて目立ったのは「今の日本は幸せだと思いますか?」という質問で、TBSドラマ「歸國(きこく)」でも、南の海で戦死し幽霊となって帰ってきた兵士たちが問い続けていた。ドラマ自体は極めて陳腐で、我々がこれら戦死者の犠牲の上にいる事を想起させるほどのリアリティもない、ただの情緒的なドラマだった。

ドラマの中で、現代社会の成功者モデルとして描かれる石坂浩二が「私はどこで間違ってしまったのでしょう」と、幽霊である戦死者のビートたけしに問うていた。このドラマの文脈では、金を稼ぐことに終始することではなく、貧しくとも忠孝を忘れず、祖先を敬い子供を育てる事、小さな世界の小さな満足に幸せを感じるべきだ、という論調だった。足るを知ることで、真の幸せが得られる、と。今の日本は、決して幸せではなく、間違った道を歩いているという事らしい。

きっと民主党が影のスポンサーになって作ったのだろうと推測するが、行き過ぎた資本主義を憎み、最小不幸社会が理想であるとの思想が見え隠れして見苦しかった。

そう考えると、様々な番組で繰り返される「今の日本は幸せだと思いますか?」という質問自体が民主党のキャンペーンなんだろう。「幸せか?」と問われて、多くの人が幸せと答え、不幸せと答える人は直近に離婚したり、職を失った人ばかりと言うのも、かなり作為を感じさせる。

幸せの尺度なんて人それぞれで、金に求めても良いし、家族に求めても良い。それをどうこう言う権利は他人にはないはずだ。が、日本人は他人との相対感の中でしか自分を見つけられないので、他人の幸せを羨ましく感じて、結果、悪平等な最小不幸社会なんて言葉にコミットしてしまう。

一方で「国としての幸せ」の解を、今現在にのみ求める刹那的な回答に、この国の民度の低さを感じる。過去からの流れ、そして未来への展望も含めて、現在の幸せのカタチが見えてくるものだと思う。

未来に責任を持たない人は、「こんな平和で安全な国で不幸な訳がない」と答える。この平和や安全を維持するために何をすべきかに思いを馳せ、現時点としてのやるべき事がなされているか、それが国としての幸せの尺度になるはずだ、という所に思いが至っていない。

今現在のように、祖先の努力、蓄積の上に安穏と暮らし、未来への積み上げに意識が向かない国、さらに言えば政治及び国民性では、国としての幸せは程遠いと言わざるを得ない。

勘違いしてはいけない。平和で安全だから幸せなのではない。

平和で安全になる努力を続けているから、未来もそうだと信じるから幸せなのだ。だから、戦争で亡くなった方々は、ある種の幸せの中にある。個人としては絶大な不幸である事は間違いないが、自分たちの子孫や国の未来という視点で見たときの幸せのみを頼りに死んでいったのだ。

彼らの気持ちを無駄にしてはならないし、こういった視点を未来に対して持ち続けなければならないと感じた終戦記念日だった。

2010年8月13日金曜日

機能とデザイン

機能を重視する姿勢が日本の製造業をダメにしてきたんじゃないかな?高機能を追求する姿勢の先にイノベーションはほとんどなく、漸進的な進化があるのみ。

持っているモノの中でかなり大切な何かを捨てないと、新しいモノは得られないということではないかな?そしてそれはムリのあるデザインや設計などによる追い詰められた状況がドライブするとは考えられないか?

機能優先ではイノベーションが起こり得ず、デザイン優先によってのみ生まれると言えないか?

2010年8月11日水曜日

物を作る人と価値を創る人

物を作る人は収益を消費に回し、価値を創る人は次の投資に回す。物を作る人は身を削ってお金を作り、価値を創る人は周りを巻き込んで収益を作り込む。

2010年8月9日月曜日

モノ作りと仕組み作り

2005年ごろ、自分はモノを作りたいのか、仕組みを作りたいのかを自問していた。まだ、プラットフォーム戦略なんて言葉もなかったし、少し日本の景気も良くなってモノ作りに勢いが戻ってきた頃だった。

その時の結論は、自分は仕組みを作りたい、皆が使える便利な仕組みを作って世の中を変えて行きたい、と思った。それからは、ゼネコンの研究所にいながらも、モノ作りには全く興味がなくなり、どうやったら今いる場所と仕組みの整合を取れるのかばかり考えていた。

今後、50年かけて作った仕組みは、その後50年間は使われ続けるだろう。つまり、良きコンセプトは今後100年間に影響を与え続けられるという事だと理解していた。

そこで気付いたのは、社会の仕組みを考えるのは比較的できそうだけど、会社の仕組みを変えることはかなり難しそう、ということだった。

つまり、社会にはまだまだ仕組みとして不備があり、ニッチを狙えば、将来的な拡がりも含めて可能性が感じられるのに対して、会社は仕組みを仕切っているゲートキーパーのような役割が厳然とあって、新たな仕組みを入れる余地が少ない上に抵抗も大きそうと感じた。

今、プラットフォーム戦略とか言っているのは若い企業ばかりで、伝統的大企業がプラットフォーム的な振る舞いをする事はほとんどないことを見ても、既存の会社にとってプラットフォームという事業の枠組みはフィットしないんだろう。

そんな事を考えていた時に、Kozchiの原型を思いついた。

2010年8月6日金曜日

技術とビジネスのギャップ

「日本には技術はあっても、それをお客様に伝える力が欠けている」

よく言われる言説ではあるが、真理なんだろう。大前研一のようなプロから、渡辺謙のような素人までが感じる、わが国の閉塞感の元凶。それが、技術とビジネスのギャップだ。

そのギャップのベースにあるのは、『ビジネス』をどういったレベルで認識しているか、の違いではないかと感じる。ビジネスを、モノを売るだけと捉えるか、売った先にある世界を意識するかの違いとも言える。

某ゼネコンも、ライフサイクルパートナーと称して、ビジネスを広く捉える姿勢を取っているが、提供するモノの使われ方を継続的に提案したり、周りに拡がるエコシステムを構築したり、そういったプラットフォームを積極的にハンドリングしたり、という活動をする訳ではない。

つまり、いつでも体制を整えておくので継続的に仕事を下さいね、または、新製品も買って下さいね、ということでしかない。欧米の得意な、いわゆる『ビジネス』の形ではない。

根本的な違いは、メンタルにあると思う。とにかく日本人はケチくさい。

水平分業に象徴されるようなビジネスは、物事を大きく見れないとダメだし、Win-Win-Win---な関係を目指さないとダメだし、ギブアンドテイクではなくギブアンドギブンでないとダメだし、大きなモノを得るためには少なからぬモノを捨てなければならない。

日本人のように狭い心で商売していたら、当然自分だけ儲かれば良いという部分最適に陥る。プレーヤー全員がそんな気持ちで動いていたら、お互い疑心暗鬼になり、ベストを尽くさず、ほどほどのお付き合い、と言うことになる。自分に降りかかる作業は最小限に、メリットは最大限にという考え方が主流になるだろう。そして、同業での棲み分けは進まず、同じ様な商品を同じタイミングで作り出し、開発費を回収する間もなく、コスト競争に巻き込まれる。

エネルギー関連の動きを見てもそうだし、社内を見てもそうだ。こういうのを蛸壺って言うのかな。

技術だけでなくビジネスでも世界をリードしたいと思うなら、このケチくさいメンタリティーを何とかする必要がある。正直者がバカをみる社会、成功者が妬まれる社会には先がない。

まずは自らの立脚点を明確にすること。そこでの優位性を絶対的なモノにすること。そして、そこからの兵站を無闇に伸ばさないこと。しかし、エコシステムとしては拡がる形で仕様を公開すること。そして、そのエコシステムをデザインし、ハンドリングすること。

みんなの意見をよく聞き、みんな/大多数が納得/妥協できるポイントを探し当てる能力が必要だろう。

2010年8月4日水曜日

建設会社の科学的ポジション

人文科学や社会科学が研究するのは、主観と客観の程良い妥協点なんだろう。

主観的すぎてはもちろんダメだが、客観性の過度な追求もナンセンスだ。「過半数の専門家が納得する事のできる主観性を帯びた主張」という辺りが定義としては適当なのではないか。自然科学系が客観性に立脚しなければ意味がないのとは、当たり前だが立ち位置が違う。

思えば、自分が建設会社にいて研究と言ってきたものは、社会科学系のものが多い。建築なんて自然科学の塊なのに、不思議だが。実は建築には、自然科学で処理できる部分と、社会科学的に解を見つけていかなければいけない部分とが、あまり明確に分かれていないという特徴がある。

分かりやすいのが「設計」と言う行為。大きくは3つに分かれ、相互に依存しあっている。

その中でも全てをまとめ、設計プロジェクトとしてハンドリングするのは意匠設計である。意匠設計は、与えられた敷地と希望の用途を鑑みて、正解のない解を組み立てる役割を担っている。つまり、社会科学的な振る舞いを求められている、と言うことになる。

施工においても同様で、作る行為の裏付けは自然科学的な論理性を基礎としているが、実際の行為は職人さんを取りまとめて運営すると言う、およそ論理からはかけ離れた正解のない世界を漂うことになる。

また、建築を語る上で欠かせない歴史なんて、人文科学以外の何者でもない。

つまり、建築を覆っているのは、そういった科学のカテゴリーを超えた世界観なんだと思う。工学部でありながら、極めて曖昧な定義の中で、自由にそれぞれの立脚点を作り、拡大・拡張に向かう学問領域が建築なんだろう。

この辺りの認識がしっかりしてないと、定義が緩いがゆえに、また、客観性が乏しいがゆえに、道に迷う事になる。要は、客観性だけを求めるような認識を、本人が、上司が、組織が持っていると、人を正しく評価できなかったり、適切に指導できなかったりして、人材をうまく使いこなせず、ダメにしてしまうか、散逸してしまうかになる。

スピンアウトベンチャーや転職などで人材流出が顕著なゼネコンでは、社員たちが誇らしげに「人材輩出企業」と言っている場合があるが、実は、「もの作り」に固執して、会社が硬直化していることの証左なのかも知れない。

2010年8月2日月曜日

混んでない時間帯の女性専用車

所期の目的を見失っているものの一つ。

前から女性専用車という定義には不満がある。女性を痴漢被害から守りたいという気持ちはよく分かる。が、社会実験として取り組んだのであれば、実験結果を公表すべきだし、結果の考察をもってようやく、社会実験としての用を為す事になるのではないかと思う。

優先席もそう、携帯電話の利用ルールもそう、鉄道事業者の施策には結果を追求しないやりっぱなしのものが多い。しかも、一度設定したルールが見直される時は、それが強化される時だけで、廃止や緩和の方向に舵が切られることはない。

社会性の高いインフラ事業で社会実験を行うことは非常に有意義だとは思うが、社会に影響力を持つインフラ事業だからこそ、そのルール設定は慎重にするべきだし、結果の公開ならびにパブリックコメントの受付など、透明性確保にも努めてもらいたいものだ。

インフラ事業が普通のサービス業と違うのは、このポイントだ。ルールが気に入らないなら、使わなければいいじゃないか、という一般のサービス業に当たり前の感覚は当てはまらない。

インフラ事業を続けたいなら、利用者だけじゃなく広く一般市民に意見を聞き、誰からも文句が出ないことだけを目的にするのではなく、利便性と合理性を基本とした社会最適な仕組み、ルールを制定するべきだろう。

闇雲にルールで縛りつけるのは、インフラ事業者の傲慢でしかない。