2012年10月22日月曜日

ミスト

久しぶりのスティーブン・キング。
むかし「ミザリー」ではまって、何冊か読んだ記憶があるし、映画も「スタンド・バイ・ミー」を始め、何本か観ている。そういえば、先日「シャイニング」を観た。「ミスト」は2007年公開。

キング作品は、本当に怖い。単純なホラーではなく、環境が人を狂わせていく過程を描いている事が多く、観ていて背筋が凍る。また、最期もハッピーエンドよりは、微妙な空気で終わる事が多い。「ミスト」は、その中でも、特別に嫌な終わり方をするので、モヤモヤ感が半端ない。見終わった後も、全くスッキリしない。

異変が起こる原因は、少し突拍子も無い話で、ざっくり言うとジュラシックパークのようなものだ。ジュラシックパークは丸見えの異次元空間に迷い込んだ人の話だが、ミストは全てを霧で隠して、サイコスリラーに置き換えている。逃げ惑う中にはいろんな人がいて、それぞれにクラスター化する。外から見ていると主人公の集団だけが冷静な行動を取っているようにも思えるが、中に入ると、むやみに煽動する人にも一理あるようにも見えるのかもしれない。

想像を超える環境が狂気の集団を生み、狂気の集団の狂った行動が混乱を巻き起こす。

そこから逃げ延び、正気と思える集団だけの車での逃避行が始まる。しかし、燃料が尽きた時点で、狂った選択をする。つまり、主人公の集団も狂気に侵されていたということか。そして絶望的なバッドエンド。

置かれた環境によって、登場人物がだんだんと狂気を帯びて、夢と現実の境目が曖昧になってくるタイプの映画は好きだが、やはり最期には希望を観たい。そういった意味では「ミスト」は、さすがスティーブン・キングと思うが、重すぎる。

2012年10月19日金曜日

質のバランス

やはり物事、バランスが大事だ。スマートフォンにしても、ハード、OS、アプリの質的バランスが取れてないと、価値が半減する。

iPhoneが秀逸なのは、このバランスという事だろう。全てをコントロールしているので、バランスが崩れない。全ての機能を使いきれるように設計されているし、逆に使いきれない機能は搭載されていない。

Androidスマートフォンは、ハード、OS、アプリはバラバラに作られ、それぞれの力を最大限発揮しているとは言い難い。一部で取り込まれた最新機能は活かされず、アプリは野放図に公開されている。

Androidをオススメしないのはそういう訳で、つまり、その活用レベルは使う人のスキルに完全に依存してしまうからだ。どの組合せが最良かは、実は誰にも分からない。

以前にPCとMACを比較した時の比喩が、全くそのまま当てはまる。

PC及びAndroidは真っ白で巨大なキャンバスだ。何でも描けるけど、何を描くかはユーザーに委ねられている。通常、何も描かれてないキャンバスを目の前にして、素晴らしい作品を作れる人はいない。キャンバスの隅っこしか使えないか、全体を使いつつも間延びしてしまうか。

一方のMACやiPhoneは塗り絵だ。何が描けるかがある程度分かってて、色を変えたり、多少追記したりする事で、個性を出せる。そして、何より大事なのは、キャンバスを広げてすぐに、何をすれば良いかが理解できる所だろう。筆を進める事で想像力が掻き立てられ、次のステップが見えてくる。

結局、商品って言うのは構成要素のバランスが取れてる事、そのためには全てをコントロールする事が大事だと言う事だ。

PCやAndroidは、事業者側のプレイヤーを増やすので、市場シェアは大きくなる。しかし、キャンバスを使いきれるホンの一部の人(声の大きい人でもある)の幸せしか生んでないように思う。その他大勢の普通の人は、Androidスマートフォンが持つ能力の1/10も使えていないだろう。もったいない。

2012年10月15日月曜日

うれしい敗戦?

フランス戦に1-0で勝利した後のブラジル戦。0-4でコテンパンにやられた。下手したら「〇〇の悲劇」と銘打たれそうなスコアだ。ドイツW杯のブラジル戦は1-4で負けたので、それ以上のバッドスコアと言える。ただ試合直後のインタビューを聞いていると、選手達はかなり捉え方が違う事が分かる。

本田は「スコアほどの差は感じなかった」と言い、吉田や内田は「楽しかった」、長谷部は「ショックはない」と言う。

ザッケローニが最初から言っていた通り、現在地を知りたいというのがこの2戦の目的だから、フランス、ブラジルという強豪国相手にある程度通用するという現在地の確認と、今後2年間のトレーニングの方向性が定まったという事だろう。

確かに前半は、むしろ日本の方が良いゲームをしていたように見えた。いつもよりボールも回っていた。そんな中、ポンポンと入れられた得点。審判も微妙だったが、それで助けられた幻の4点目もある。この幻の得点が唯一、完璧に崩されて入れられた得点だったように思う。つまり、崩される事は少なかったが、崩される訳でもなくゴールを決められたということで、ディフェンスの意識改革が第一の課題かも知れない。

しかし、ネイマールとカカは凄かった。現時点で、こいつらには全く歯が立たない、というのが率直な感想だ。

某タブロイド紙が今回の大敗をもって、「W杯優勝はやはり夢物語」と書いていたが、気にする事は無い。誰にとっても「夢物語」であり、どの程度現実性があるかが問題だろう。そういった意味では、選手の肌感覚として「通用している感」が感じられたというのは大きく、誰を目標にどんな課題を修正していく必要があるかが分かったゲームだったことは収穫だと思う。

「夢」の実現に一歩近づいたゲームだったと信じたい。

民度下落中

羽田空港行きのバスで気になったのは、隣に座られないように通路側に座る人の多いこと。で、声を掛けられないように、本や新聞を読んだり、寝たふりをする。

批判するほど、自分自身ができている訳ではないが、人のフリを見ると我がフリを直したくなるような醜さだと感じた。

昨日も最寄りのマクドナルドで、やたらと大きな声で喋っている中学生の集団がいた。それも仲間内だけにではなく、周りにも絡むように。まるで、声の大きな隣国の人間みたいだ。

段々と、民度が落ちていっているように思う。日本人から民度を取ると何が残るか、よく考えた方がいい。

2012年10月12日金曜日

「井戸を掘った人を忘れない」のは嘘だった

以前、中国の格言に感銘を受けた事がある。「井戸を掘った人を忘れない」というものだ。

村を作るとき大事なのは水、つまり井戸で、いつ水が出るともしれない「井戸を掘る」という努力は、地味で目立たない作業だけれど、偉業として、いつまでも揺るぎない尊敬の念を持って語り継がれるべきだ、という意味かなと思ってた。

中国に進出している多くの日本企業は、井戸を掘り続けてきた。特にパナソニックは、中国の発展に電機メーカーの最新技術が必要と訴える鄧小平に松下幸之助が「全力で支援します」と応えた、まさに井戸中の井戸。

今回のデモは、そんなパナソニックも襲われた。

結局、中国の格言は口先だけで、本当はそんな事思ってない、という事だろう。

100年ほど前、教育レベルの低い中国に、今で言うNGOのような立場で赴任したアメリカ人は32年の赴任期間を振り返って「人生を無駄にした」と総括した。「アメリカに帰ったら、高潔な心意気で中国に向かおうとする若者を全力で止める」とも。

一生懸命教えて、すごく仲良くなっても、ある日突然、罵詈雑言を浴びせ、学校に火をつけるそうだ。恩もくそもない。

思想教育が骨の髄まで染み込んでおり、メンタリティにまで昇華されている。日本人が人の目を気にするのと同じレベルだ。治りようもない。

どんなに親身になっても、またどんなに相手を慮っても、意味がない。隣人として正常な関係を築くのに必要なのは、自らの意見を強く主張する姿勢だけだ。相手の意見を聞く耳は持つべきだが、それで行動、言説が左右されるようなことがあってはならない。

気を許す事で一時は友好関係が得られるかもしれないが、しばらくすると恩は忘れ、配慮を言質として都合よく書き換えて、ネチネチと攻めてくる。

そんな印象を最近は持っている。孔子を始めとする中国の偉人は多くの格言を遺している。それが口先だけだとは思いたくないが、口先だけではないと覆すだけの事実がない。それが残念でもある。

2012年10月10日水曜日

Mt.Takao

高尾山に行ってみた。行こう行こうと思いながら、行けずにいたが、さすがミシュラン三ツ星。あまり日本らしくないおもてなしが、気に入った。

高尾山に行ったのは雨の日。10時から晴れる予定だったので、空の様子を伺いながら、サッと行ってサッと帰ろうと思ってた。…のに、八王子辺りについてもまだ雨降り。近くのショッピングセンターに立ち寄り、買い物をしつつ空待ち。昼頃になって、ようやく雨がやんだので、出発。

高尾山に着くと、意外な人出でビックリした。雨でしたよね?と聞きたくなるほど、人がいた。何とかかんとか車を押し込み、リフトで山頂へ。

イメージは、リフトを降りたら人の少ない山頂が目の前にあって、5分で登頂。やっぱり都会の登山はこうでないとね、なんて感じかなと想像していたが、全然違った。

まず、麓の状況以上の混雑。前日から降り続いた雨を物ともせず、高尾山に向かう人の多いこと、多いこと。下手をすると地方都市の繁華街より人が多い。割としっかり登山ファッションの人もいれば、自分たちのように街歩きの延長の人もいる。どちらも受け入れる希有な山と言えるかもしれない。行きはリフト、帰りはケーブルカーだったが、どちらも満員になっていた。決してハイシーズンとは言えないと思うが、これから紅葉の季節が始まる。その混雑度合いはどれぐらいになってしまうのか?スキー場のリフトでも最近は見られないぐらいの1時間ぐらいの長蛇の列になるのかも知れない。

そして、リフトを降りてすぐ山頂かと思いきや、それも想像と違った。山頂までの往復が4〜5kmぐらい。幾つかの散策路があったが、いずれも結構な登りだった。メインの1号路は薬王院を通るルートで、お参りしながら登る。薬王院がらみの階段だけでも300段ぐらいあり、それ以外にも坂道と階段がある。リフト山上駅が462mにあり、高尾山の標高が599mだから137m昇る事になる。東京タワーの地上から大展望台(120〜150m)の高さに相当する。思ったよりしっかりと山道を都合3時間ほど歩いて、下山。

途中で土産物屋や茶屋があったが、いずれも比較的おとなしいというか、節度が効いていて、嫌な感じの観光地になっていないのが良かった。休憩ポイントごとにメニューが違って、飽きる事がない。散策コースも複数あって、バリエーションが楽しめる。

山と寺院という、日本的でプリミティブな観光資源を最大限に活かしたのが高尾山と言えるかも知れない。日本の観光地の未来がここにある。

2012年10月8日月曜日

山中先生、ノーベル賞受賞!

初めてiPS細胞の実験に成功してから6年という、極めて短期間でのノーベル賞受賞に、その未来への功績を考えると当然と思いながらも、同時に驚きを禁じ得ない。

話を聞くと、身の回りにも中高大の同窓生と言う人もいて、やはり名門は違うな、という感想を持つ。

諸説あるとは思うが、人生は環境に左右される部分が大きい。天才か凡人かは個人の資質も関係するとは思うが、進むべき道であったり、そこでの成長には家庭環境が影響を与えている。

スポーツや音楽の世界は顕著だが、学問の世界でも同じだ。何かを究めるのに一代で済む人は、極めて稀で、少なくとも二代、できれば三代に亘って究める意思を継続させる必要がある。

逆に、究めきれない人の連鎖が凡人なんだろう。少し哀しいが…

山中先生は、天才と凡人の中間にいる人のような気がする。50才という若い受賞も未来を感じる。頑張って欲しいし、今回の受賞を励みに自分も頑張りたい。

山中先生、ノーベル賞受賞おめでとうございます!

2012年10月5日金曜日

一周忌

Steve Jobsが亡くなって一年になる。

こう言うと語弊があるかもしれないが、今までで一番衝撃を受けた「死」だった。JobsがいなくなったAppleがどう変わっていくかは誰にも分からないが、偉大なるDNAだけは無くさないで欲しい。

奇抜な何かを生み出すことがイノベーションではなく、誰もが思いつくアイデアでも、誰かが開発した技術でも構わない。より良い世界を志向するアイデアを、ビジネスとして現実のものにする力だけが世界を変える、ということを見せつけたのがJobsだった。こうなったらいいな、という未来に向けた想いを妥協なく追求すること。それが一番大事なんだ、ということを教えてくれたように思う。

Jobsの魂はAppleという会社の中に存在するのではない。Appleの作品に揺すぶられた今を生きる人々の、それぞれの心の中にも存在する。

2012年10月3日水曜日

ceatec2012

かなり規模が縮小したように感じる。ブース間隔も、ブース裏のスペースも広い。日産は大きなスペースを割いてリーフを走らせていた。初日午後すぐで、小雨がパラついていたのもあるが、来場者も少なかったように思う。

自動車メーカーは、EVやコミューターの進化と家との融合がテーマだった。段々と車もコミュニケーションできるデバイスになりつつある。それもこれもスマートフォンが接着剤として機能しているからだが、今後、特定の機種に依存した開発にならない事を祈るばかりだ。

今までは日産が強かったイメージがあるが、家との融合で言えば、これからトヨタの強烈な巻き返しがあるだろう。道楽のように始めたトヨタホームが活きてきた。

家電では、ディスプレイが華やかだった時代は遥か遠く、どちらかと言えば切り口はスマート家電だ。そんな中でのディスプレイの目玉は4K、つまりHD×4の超解像度を持つスーパーテレビ。確かにHDのテレビと比べれば綺麗だけど、並べないと分からないレベルで、率直な感想としては、まだこんな事やってんの?という感じ。

解像度競争、サイズ競争、薄さ競争をして、結果として散々な目にあって、また解像度競争をする意味が分からない。当然、コンテンツは追いつかないし、追いつかせたいコンテンツも多くない。大型ディスプレイの終わりの始まりだろう。

それに引き換え面白かったのは、20インチ程度の大型タッチディスプレイ。大きなタブレットだが、動きがスムーズでインパクトがあった。この大きさはデスクトップでしかあり得ないから、実際に使えるシーンは多くなさそうだが、医療現場や教育現場で市場を作りそうな気がする。

メーカーで言うと、Sharpのプレゼン力の低さとSonyのコンパニオンの華やかさが目立ってた。

Sharpは大コケしたクアトロンに続いて、モスアイという技術が目玉のようだった。モスアイとは、蛾の目の構造からヒントを得た映り込みの少ないディスプレイ素材だ。一つのディスプレイを三分割してモスアイ有り/無し/低反射フィルムを比較して見せてたが、周りが映り込まないように設置されていたため、違いが分からない人がほとんどだったと思う。もったいない。

他にもIGZOやCOCOROBOなど話題の製品があったが、その特長が一目で理解できるような展示ではなかった。中でも哀しかったのは、シースルーの太陽光発電パネル。パネルの裏にコンパニオンを一人立たせて、ただ手を振らせてただけ。コンパニオンが不憫で涙が出る。

パナのスマート家電は、さほどスマートじゃないところに大企業病を感じた。外から炊飯器や洗濯機が動かせる事のメリットが、ほとんど理解できなかったし、ヘルスケア関係の機器も使い勝手が良さそうには見えなかった。残念。

あまり時間もなく、駆け足だったが、そんな中で存在感を見せてたのが村田製作所。

お馴染み、倒れないムラタセイサク君と、その技術を使った高齢者向け歩行補助用デバイス。見た目は懐かしのセグウェイに似ているが、乗れる訳ではなく、単に押すだけ。ただ、登りでは軽く引っ張り、下りでは軽くブレーキをかけてくれる。負担なく、身体のバランスだけをサポートしてくれるイメージ。これは良い。こういった形で身体機能をサポートするデバイスは、今後大いに可能性があるだろう。5年後の街の風景を変えているかもしれない。

これが気に入って、村田製作所ブースを見てみると、今まであまり気に留めなかった部品を作っている会社だと分かる。しかも、見るからに高品質だ。資料の統一感も良い。説明員も真摯さが伝わってくる。これが日本企業だ。

何か機会があれば協業したいが、ある建設会社とすでに手を組んでいるらしい。ちょっと残念。

CEATEC2012は、家電メーカーより自動車メーカーや部品メーカーが光った展示会だった。家電メーカーに再び光が当たる日が来るのだろうか。

2012年10月1日月曜日

32万3000人の命

南海トラフ地震で異常に多い被害者想定を行った張本人が、正しくメッセージを理解して欲しいという記事をダイヤモンドオンラインに出していた。

32万3000人は、最悪の状況下で、最悪の行動を取るという条件で算出されたもので、適切に行動することで、大部分の命は助かるはずだ、と。

32万人超の内、大多数が沿岸部に住む人で、そこから離れるべきだ、と言うなら、無意味なメッセージだと思う。むしろ、いたずらに危機を煽る風説の類と判断されてもしょうがない。

その土地利用区分の設定段階でクレームを出すのなら分かるが、既に多くの人が居住している状況で、速やかに引越しすべきだ、なんて無責任もいい所だろう。

被害者の想定人数を出したところで、それが行動のトリガーになるとは思えないので、今まで通り粛々と淡々と、その日に備えるしか無い。

2012年9月28日金曜日

日本の盾により多くの予算と権限を

合弁企業を立ち上げる時に最も大事なのは、出資比率だと言う。一番良くないのは50:50で分配する事。どちらが主導権を握るかが曖昧になり、デッドロックにはまるパターンが多いらしい。

竹島や尖閣諸島、北方領土についても同様で、共同統治を勧める識者もいるが、絶対ダメだと思う。そもそも複数の主体が権利を振りかざす事自体が、その地域の発展を阻害する要因となるし、そこに国家間の利害が絡めば、前を向けなくなるのは目に見えている。

今はどんなに苦しくても将来を考えると、確実に線を引く事が大切だ。領土問題のない所はないとして、ある所はあると毅然と主張する必要がある。裁判は当てにならないので、武器として、道具として使えるかどうかで判断した方が良い。その時になるべく諍いやシコリを生まないように最大限の努力をするのは言うまでもない。

線を引く上で、線を守る体制をしっかり作る必要がある。自衛隊であり、海上保安庁だ。

いまだに日本という国が拡大志向を持っていると信じている国は多くないと思う。この多くの試行錯誤と苦難の上に立つ先進国の文明において、世界を敵に回しても国土、領土という観点で拡大したいと思ってる国は、ほとんどないだろう。

軍を積極的に動かすアメリカですら、1959年加入のハワイ州以降領土、国土を拡げた事はない。ましてや先制攻撃能力をほとんど持たない自衛隊しか存在しない日本に、米中欧ロ他世界中を敵に回す力はない。そんなの皆知ってる。

だから、もっと明確に自らの領土に対する考え方を世界に向けて発信した上で、東アジアに向けて自衛隊や海上保安庁を強化するべきだろう。どうせ彼らとは合意できないし、仮にできたとしてもいつ反故にするか分からない。それも世界中が知っている。

ならば、武官が暴走しない仕組みを提示した上で、自己防衛機能を高めて、しっかり対応するべきだろう。

これ以上の内政と領土への干渉は徹底的に排除したい。

マップ:Googleの対応はいかに

iPhoneからGoogleマップを追い出し、自家製マップに置き換えたおかげで、Googleも重大な決断を迫られる事になった。

Appleが自信満々にローンチしたマップは、その出来の微妙さから論議を巻き起こしている。

地図の表記自体が間違っている。鉄道がない。地下鉄出口がない。地名が間違っている。地名がローマ字やハングル。などなど。

Appleの事なので、驚異的な追い上げと素早い修正が期待できるものの、海中まで見れるようになったStreet Viewに追い付くのは至難の技だろう。情報量、利便性から自ずとGoogleマップのアプリ化を待望する意見が増えるのは当然だ。

Googleはまだアプリ化はしていないと言うが、どうするつもりだろうか?

事の発端はAndroidのマップとiPhoneのマップの機能差らしい。Androidで実装されている turn-by-turn navigation(tbtn)をiPhoneのマップに実装してくれないので、やむなく自ら手当するに至ったという。

確かに新しいiPhoneのマップはtbtnが目玉だ。

ここで、Googleが取り得る選択肢は3つある。
1.アプリは作らない
2.アプリを提供する(tbtnなし)
3.アプリを提供する(tbtnあり)

大事なのはユーザーの期待にどう応えるかだ。

Googleマップへのアクセスの半分近くはiPhoneからだという統計がある。つまり、アプリ化しないことはGoogleマップに対するアクセスを激減させる事につながる。広告代理店としてアクセス数命のGoogleとしては受け入れ難い事実だろう。

では、アプリ化するとしてtbtnを実装しない選択肢を選べるのだろうか?

ユーザーのニーズは、今まで通りのマップ+tbtnという感じだろう。そのニーズを詳らかにしただけでも自家製マップの意味はあったと思う。

そんなユーザーのニーズを理解した上で、なおかつGoogle純正として提供する時に、ただのマップを出せる訳がない。Google純正である以上、中途半端な商品を出すことは、沽券に関わるからだ。

結局、GoogleはiOS6/iPhone5でtbtn付きのマップを出さざるを得ないだろう。マップがiOSから切り離された以上、競合OSとの機能的差別化という言い訳は消滅している。

つまり、対ユーザーという目線で考えた時にマップを提供するべきかどうか、という判断になるはずだ。そうなると、Googleマップに対するアクセスの半分を占めるiPhoneユーザーを無視する訳にはいかない。

逆にiOSに残しておいたら、Googleは積極的にはアップデートしてくれないだろう。しかし、Googleがアプリを自主的に作ると言い始めない限りはマップをiOSから外す訳にもいかない。そのような状況を考えると、内製するフリをするというのがAppleにとっての最良の解と言えるだろう。

Appleにしてみれば、内製アプリが成功しても失敗しても、ほとんど痛手を負わず、tbtn付きマップが手に入る。

Jobsならリリースしなかったであろう中途半端なマップも、Googleの背中を押す作戦の一つと考えると、CookのAppleは以前よりも強かな会社に生まれ変わったのかも知れない。

2012年9月26日水曜日

PassbookとMecke

iOS6に搭載されるPassbookという機能がある。チケットを統合管理できるもので、その中身は非常に単純なものだ。

飛行機や演劇等のチケットをバーコードで管理するためのプラットフォームに過ぎない。iPhoneが持つプラットフォーマーとしての市場の大きさと、エアチケットなどで既に実装されているというバーコード管理の実績が、その展開の鍵を握る。

NFC(近距離通信:日本ではFelica/Suicaが有名)と比べて極めてローテクなバーコード(しかもリーダーですらない)チケットの管理について、多くの新し物好きは不満を持っているだろう。Android端末はおろかほとんどのガラケーですらNFCを実装している中、今頃エラそうにバーコード管理かよ、と言う意見も分からなくはない。

それに対するフィル・シラーのコメントは、個人的には非常に共感できる。

「決済システムと連携することなく、Passbookのみで、ほとんどのユーザーのニーズを満たすと考えています。NFCがユーザーが抱えている問題を解決するのかははっきりしません。Passbookでユーザーに必要なものを提供できます。」

「非接触充電に対応したとしても、非接触充電の仕組みそのものが電源に差し込まれる(プラグインされる)必要があります。そのため、非接触充電を採用することで、利便性が向上するのかはっきりとしません。広く普及しているUSBであれば、どこでも(飛行機の中でも)差し込んで充電ができます。多くの場合、新しいプラグインが必要なコードを作ると、煩雑になります。」

つまり、高度技術がすぐにライフスタイルを変える訳ではない、ということだ。ユーザーにしてみれば決済とチケット使用は一体である必要は無く、非接触充電もインフラにならない限り利便性が必ずしも向上するとは限らない。

実はMeckeを考案した時も同じ事を考えていた。MeckeはQRコードを使ったサービスだったが、よくNFC(Felica)に対応してはどうか、そうでないと目新しさがない、と言われた。

その時、NFCに対応する事は何らかの負担をユーザーに強いることになる、それに対応できるのは一部の新し物好きだけで、多くの人にとっては面倒な事になるに違いない、と訴えていた。だからMeckeは何と言われてもQRコードでなければならないと考えていた。ユニバーサルな商品、インフラになるサービスとはそういうものだろう。使用のハードルが低い事が非常に重要だと、今でも考えている。

だからAppleがPassbookを提案したとき、そして、フィル・シラーのコメントを目にしたときは非常に共感したし、自分の考えの正しさに確信を持った。

昔、知り合いだった人が非接触充電を扱おうとしていたが、未だに鳴かず飛ばずで、既に5年ぐらい経つ。むべなるかな。

2012年9月24日月曜日

過去にどう向き合うか?

中国や韓国の行動で違和感を感じるのは、過去との向き合い方だ。

国家間の戦争・紛争が頻発していた70〜120年前。その当時に起こった数多の事変や事件。底流に流れる覇権主義や帝国主義。

日本にとって見れば、その全ては過去であり、二度と悲劇を生まないようにそういった事に至った背景や環境を理解するよう努める、客観的な立場だ。

過去の出来事は、誰が本当の意味での主因であるかは分からない。当然ながら犠牲になった人々も帰ってこない。

そう考えると恨む事それ自体に意味はないし、誰のせいと糾弾することもナンセンスだ。

そういった世界を生まないための契機とする事が、様々な犠牲の供養になるだろう。例えば、広島や長崎で原水爆反対集会や国際会議を開くといった活動だ。

それが世界を一歩前に進めるための唯一の手段だと思う。試行錯誤の上で、間違った道を明確にして、二度とその道に足を踏み入れないようにする事。そういった認識を共有し、積み重ねて行くことが、文明の進化と言えるだろう。

中国や韓国は、過去の悲劇は一方的に相手のせいだというスタンスで、歴史を塗り替えてるので、文明の進化に至る客観化ができない。だから、そういった事象を契機にパラダイムを変える事ができない。なので、いつまで経っても出来事を消化・清算できず、何年経っても昨日のことののように感情が揺さぶられて「復讐!」となる。国としては愚民の方が支配しやすいので、決して客観化はさせない。

もう悪循環もいいところだろう。

解決策はないに等しいが、民主化して、検閲されていない情報に触れるしかないが、韓国の状況を見ると、それよりも教育の問題が大きい。つまり、国の施策・方針に依存している訳で、まあ、救いようがない。

日本は、歴史の事実を下敷きとして、冷静に、客観的に行動するしかないだろう。ただし、共感や同情や妥協や謙虚さは、不要だ。

2012年9月21日金曜日

再生可能エネルギーとは

原子力の立場がどんどん悪くなる一方で、再生可能エネルギーへの期待はどんどん膨らんでいる。ただ、再生可能エネルギーにどれほど期待できるのかは疑問だ。

まず、原子力とは質が違う事を認識しておく必要がある。原子力はベースロード、昼夜・天候を問わず一定の出力が得られることが特徴だが、再生可能エネルギーは基本的にお天気任せで昼夜でも出力変動が大きいので、ベースロードにはなり得ない。また、瞬発力を必要とする突発的なデマンドへの対応もできないため、火力とも同等とは言えない。

つまり、今までの電源構成の中で再生可能エネルギーに当たるものは無かったと言える。そういったエネルギーを積極的に導入するということは、電源構成のコンセプトを一から見直すということになる。

一方で、電力デマンドはある一定のプロファイルを持っている。これは、東日本大震災前後で変わらないし、今後もさほど変わらないだろう。にも関わらず、電源構成は変えなければいけないところに非常な悩みがある。

また、ベースロードが潤沢にあったので、夜間電力の積極的な活用に意味があったが、お天気任せの電力や、火力のようにアドホックな電力が増えたら、夜間電力に意味は無い。電力デマンドへの追従性も下がるので、基本的に省エネを進めて、全体を滑らかに下げるしかない。

さらに、問題は電源構成だけではなく、本質的にエネルギー密度が低い事が挙げられる。つまり、大きなエネルギーを獲得するには広い土地が必要だという事だ。そこまでして再生可能エネルギーを推す意味があるとは思えない。

人口が減ってくるので、必要な電力量も減ってくるだろうとは思う。ただ、それを賄うのに再生可能エネルギーに頼るのでは、あまりに力不足だろう。そして、エネルギー密度が低い再生可能エネルギーは田園風景を破壊するだろう事も付け加えておく必要がある。

2012年9月19日水曜日

中国の暴動

国内の不満だろうか。

世界第二位の経済大国の行動とは思えないが、北京を始めとする大都市で日本料理店、日本車、日本企業を対象とした暴動が起こっている。暴動で解決する事は何もないと思うが、それを理解するだけの能力もないのだろうか?

尖閣諸島の日本国国有化が気に入らないとのことだが、中国の領土である事の証拠が出てくる気配がない。闇雲に自分たちの領土だと言って、国内の暴動などを煽って、強引に奪い取ろうという姿勢は、とても21世紀のものとは思えない。

力で奪えた時代はとっくの昔に終わった。少なくとも先進国の間では。にも関わらず、日本は中国、韓国、ロシアと領土問題を抱えている。

戦争終了後の1945年8月28日から9月5日にかけてロシアに不法占領された北方領土。

連合国に占領されていた1952年1月18日に根拠なく引かれた李承晩ラインで韓国に強引に組み入れられ不法占拠された竹島。

1970年代に海底資源の存在が見えてきたとたん中国が領土と言い張り始めた尖閣諸島。

その主張に日本の国旗を燃やしたり、五輪でいちゃもんを付けたり、国内で暴動を起こしたりするのは、あまりに民度が低すぎるだろう。いい加減にして欲しい。

2012年9月17日月曜日

代表選・総裁選

正直、国民にとってはどうでもいい話。「民意の代表」の仮面をかぶった利に聡い人が、自らの利権と照らし合わせて決める学級委員長という感じだろうか。

特に民主党代表選は野田首相で決まりだろうし、残りの人は何のために負け戦の大将に立候補するのか分からない。近いうち解散は、あまり引き延ばす訳にもいかないだろうから、ある程度近いうちに行われるとしたら、次の総理大臣は自民党次期総裁になる。

本当に、民主党って何だったんだろう?予想通り、日本の改革を遅らせただけだったが、一つの効用は、ポッポ兄弟、菅、小沢を結果的に日本の政治から排除できたことだろう。もうこの人たちに振り回されるのはごめんだ。

自民党総裁選は、次期首相という目を考えると真剣に選ぶ必要がある。町村さんは老害っぽい。林さんは参院だし若いので次回以降に期待したい。石原さんは口が軽すぎる。国内問題ですら議論が紛糾するのだから、米中ロ韓の問題が山積のこの状況で表舞台に出すべきではないと思う。

そう考えると、石破さんか安倍さんしかいない。毎年首相が変わる状況を続けると、また信用してもらえなくなるので、安全策は安倍さんだろう。前回は体調不良で首相1年周期の元凶でもあるが、短い中でもしっかり政治した人でもある。安倍総裁、石破幹事長が良い組み合わせじゃないだろうか。

ここでしっかりしないと、維新の会が攻めてくるし、たぶん近いうちの衆院選で民主党から離反する細野さんが自民に入り、強力なライバルになるだろう。そして、次々回以降は小泉進次郎が追ってくる。

次々回は、安倍、石破、林、細野、小泉と、かなり面白い乱戦になる気がする。そして、維新の会も目が離せない。

2012年9月14日金曜日

iPod nanoに見るAppleの変化

新iPod nanoのデザインがあまりAppleらしくないと感じるのは自分だけだろうか。今ひとつ洗練が足りないように思える。

何にフォーカスするのかを明確にする必要がある。iPod touchはゲームを始めとするアプリだろうし、iPod shuffleは純粋に音楽だろう。そして、iPod nanoの一つの利用シーンはフィットネスだろう。もし、そのようにカテゴライズするならば、デザインは違うような気がする。ビデオの強化よりもハードウェアとしての防水の強化等、やるべき事は他に色々あるはずだ。

中途半端に様々なシーンに対応しようとした結果の産物のように思える今回のiPod nanoは、Appleの本質的な強みである活用シーンにフォーカスして、限界まで機能を削る行為が十分に行われていないように感じられてならない。

そのためだろうか、MacやiPadも含めた他のシリーズと比べても、iPod nanoのデザインの変遷、ブレ具合は大きい。そろそろフォーカスする領域を決めて、機能を絞るべきだろう。

2012年9月12日水曜日

iPhone5

事前のリーク通りの形状・機能だったが、ディテールがかなり違ったので、そこに驚きがあった。なによりアルミを削り出して、パーツを組み立てる部分、製造プロセスに非常な進化があった事が見て取れる。

iPhone自体はすでに完成度が高いので、大きな変化がある訳も無く、そこに期待するのはお門違いと言わざるを得ない。人間工学に基づいたミニマリズムを徹底したデザインは初代から際立っており、iPhone4で完成したと言っていい。

今回のiPhone5で画面は大きくなったが、Androidにキャッチアップするために4インチにしたかったという事ではなく、16:9で動画をムダなく見れるようにしたかった、というのが動機として大きいように感じる。それだけiPhoneで動画を見る機会が多いということだろう。液晶サイズを16:9にするという選択は、なぜかAndroidでは見いだされてこなかった。

iPhone5のハードとしての基本線はブラッシュアップだが、一部は全く新しいものが導入された。A6、インセルディスプレイ、Lightning。OSもバージョン6になったことを考えると、デザインと技術を大きく進化させたビッグバージョンアップだったと思う。

そういった意味では、事前のリークが製品発表のインパクトを薄めた事は残念な感じがする。ただ、冷静に考えると非常に大きな変化があり、スペック表だけを見比べるとAndroidにキャッチアップしただけに思える機能も、実際の使い勝手を考え合わせると、そういった単純な話ではない事が分かる。

iPhone5も大きなムーブメントを生み出しそうだ。特に動画方面で。とはいえ、本命は来年のiPhone5Sだろう。ハードではLightningが普及する事、ソフトではPassbookへの対応が進む事、今までの流れで言うと、デザインを変えずに技術の革新に力点を置く事がその理由だ。

iPhone5は、来年が楽しみな、非常に完成度の高い製品と思う。

2012年9月10日月曜日

綱町三井倶楽部

ジョサイア・コンドルの1913年の建物。99歳の重要文化財。建物の中を通らないと辿り着かない庭からの外観が有名だ。



三井というのは、建物を大事にする財閥だと思う。三井本館や三越を始めとして、古くて良い建物が多い。中でも綱町三井倶楽部は、普通では見れない三井の迎賓館だ。

外装はもとより内装も素晴らしい。










2012年9月7日金曜日

ややこしいお隣さん達

彼らには共通している部分と、大きく異なる部分がある。

共通しているのは、内政干渉をしてくること。歴史という考え方が本質的にほとんどないこと。新しい時代は前の世代を否定して、歴史を塗りつぶしてから始まる。自分の事は都合良くさっさと忘れるが、お隣との関係については都合良くネチネチと自分が被った被害のようなものを主張する。その中で歴史は都合良く書き換えられていく。

片方は証拠を偽造して主張する。もう片方は、自分以外には理解できない思想をベースに主張する。

前者は何でもかんでも偽造して、良い事は自分の成果で、悪い事は自分以外になすり付ける。偽造対象はほぼ全て。歴史、武道、おかし、おもちゃ、ITガジェットなどなど。そして、中にいる人はその事をほとんど知らない。偽造ではなく、自分たちが本家本元だと思っている。不思議。

後者は自己中心的な思想を振りかざして、皆がそれに付き従うと思っている。そして、中の人もそんな思想が染み付いている。彼らは模倣ではなく偽物をつくる事が多い。表面的になぞるばかりで、中身が伴っていないため、指摘するのも馬鹿らしくなるが、中の人はみんな信じている。不思議。

そんな不思議でややこしいお隣さんに囲まれたら、どうしたらいいんだろう?論理だけでは前に進まないのは目に見えている。

2012年9月5日水曜日

文翔館@山形

山形に行った。以前、青森に行ったのとは全く違う印象で、非常にクリーンで拓けた都市だった。まあ、日本全国どこに行っても、活気がある場合は、東北で言うと仙台や山形のようなクリーンで拓けた印象、活気がない場合は、青森のような区画整備だけが進んで無機質で寂れた印象を感じる。

文翔館という、旧県庁舎および県会議事堂の建物に行った。1916年竣工なので、もうすぐ100年を迎えようとしている。100年という時の長さを感じさせるに十分な威容を保っている。現在は山形県郷土館として、当時の内外装を復原して見せている。



ボランティアガイドの方に案内してもらい、館内を見て回った。漆喰の天井細工が細かく、非常に印象的だった。県庁舎として使う中で、内装を変え、什器を変えてきたが、庁舎としての利用を終え、国の重要文化財指定を受けるとともに復原をスタートし、10年に及ぶ工事の末、元の姿を取り戻した。



札幌時計台に続く、日本で二番目に古い時計台を持つ煉瓦造の建物だが、表面は石を貼って仕上げているので、表から見ても煉瓦造だとは分からない。中から見ると煉瓦造だと理解でき、また、工事半ばで窯が変わった事を思わせる、色の変化が見て取れる。







2012年9月3日月曜日

ログの一番重要なポイント

ログを取る上で一番重要なポイントは、長期継続、長期観察ができるかどうかだろう。それが共有されるかどうかは二の次だと思う。

ネットにはシェアを主眼としたサービスが多く見られるが、シェアは多くの人に取って必要な行動ではない。その証拠に、どのシェアサービスも実際に活用しているのは1割程度と言われる。ほとんどの人は有名人のアップしたデータ、コメント、写真を見ているだけだ。つまり、単に暇つぶしの道具であって、ロックインするようなものではない、ということだろう。

今後のネットサービスは、より人の生活に介入し、役立つものでなければならない。そういった意味でもログ管理は、これからどんどん開拓されていくサービス領域だと思う。

2012年8月31日金曜日

団塊世代

やっぱり人口のボリュームゾーンは、何かと得だ。これは誰が何と言おうと間違いない事実だろう。

生まれた時からちやほやされ、成長に合わせて経済が発展し、自分達に合わせた商品やサービスが開発される。その陰には、その他の世代の犠牲がある事も忘れてはいけない。現在59歳の方が、退職後1年間年金が出ない事を嘆いていたが、その後の世代からすれば幸せな悩みだろう。

そんな感覚を持ちながら、団塊世代向けのサービスを考えてしまうのもまた皮肉だ。彼らは恵まれているからケアする必要は無いんじゃないか、と感じながらも市場ボリュームに魅力を感じてしまう。逆に、若い世代にはしっかりしたサービスを提供したいと思いつつも、市場ボリュームが小さいので二の足を踏んでしまう。

そういった状況が続き、どんどん介護市場に魅力が増しているのだが、去り行く人のために未来ある人の貴重な知恵と時間と労力が費やされる事は少し違うんじゃないかとも感じる。良い解決策は無いものだろうか?

2012年8月29日水曜日

iPad mini

最近iPad miniの噂が絶えない。7インチiPadは出るのだろうか?

確かにJobsは7インチはあり得ないと言っていたが、Jobsが前言を撤回するのはいつものことだし、前言を撤回する直前までこき下ろすのも常道なので、無いとも言えない。

10インチiPadは家でも外でも使いやすい。ただし座っている、または立ち止まっている事が一つの前提だ。そして、家の中でもiPhoneを使っている事が意外に多い。

そう考えると、7インチの利用シーンはどこだろう?

2012年8月27日月曜日

東京駅および丸の内一帯

東京駅がいよいよ全貌を見せた。かつてのドーム屋根を再現した東京駅は日本の玄関にふさわしい威厳を備えていると思う。



周りを見回すと、物議を醸したJPタワーがあり、また、丸ビルを始めとした再開発された超高層ビルが並ぶ。この雰囲気は東京・丸の内でしか味わえない。

1894年に竣工した三菱一号館からスタートした三菱の丸の内開発は、120年でほぼ2周した事になる。70年ほど経つと、重要文化財として候補に挙がるようになるので、その時期を一つのめどとして建物の寿命は回っているように思う。

日本全体を見ても、1周目は上り調子、2周目は現状維持だったので、ここまでの流れは分かる。

3周目に入る2050年頃は人口も減り、高齢者ばかり。経済もそれなりにシュリンクしているはず。そんな中で3周目はあるのだろうか。もしかしたら、今の状態が最終形かもしれない。

そんな過去・現在・未来へと思いを馳せた丸の内一帯だった。

2012年8月24日金曜日

デジャヴ、ミッション:8ミニッツそしてバックトゥザフューチャーシリーズ

タイムトラベル系とでも言えばいいのか、割と好きなジャンル。あまり未来的になり過ぎない方が、どちらかと言えば好みかな。この三つの作品はタイムトラベルできる時間/場所が違う。

言わずと知れたバックトゥザフューチャーシリーズでは時間は自由に選べるが、場所は変えられない。8ミニッツはタイトル通り、ある時間から8分間だけ遡れるが、場所は設定された一点のみ。デジャヴは現在から4日と6時間前の一点だけだが、場所はある意味では自由だ。

いずれも時間を超越するという意味では同じだが、飛べる時間と場所の制約がストーリーの方向性を決めている。そして、それぞれの制約を生み出す要因は共通なのは面白い。

過去を修正するために命をかける。正確に言うと、現在につながる過去の原因を追求すべく試行錯誤する中で、修正せざるを得ない状況に陥る。自分の存在だったり、綺麗な女の人だったり。

時間も場所も自由自在なドラえもんとは違い、制約が葛藤を生み、パラレルワールドに住み着く事を選択する。

タイムトラベルの共通点は、実現には莫大なエネルギーが必要だという事。バックトゥザフューチャーは核燃料や高効率バイオ燃料、8ミニッツとデジャヴでは系統電力をつかっているが、デマンドバランスを崩すほどの大電力だ。

タイムトラベルは、未来や過去を見てみたいという普遍的な欲求とそれに伴うパラドクスをテーマとして作られるが、そこにはいつも想像力を掻き立てる何かがある。読めるようで、読めない展開が面白い。

2012年8月22日水曜日

不法占拠のタイミング

ようやく政府も「不法占拠」と言い始めた。韓国国内でどのように習っているのかは分からないが、竹島は日本の領土であり、韓国の行動は不法占拠以外の何物でもない。

簡単な紐解きで行くと、19世紀の朝鮮半島はほとんど国の体をなして無かったのは、理解されているのだろうか?ソウルですら、舗装されず、上下水道も整備されてなかったし、未だに清に冊封されていた。つまり従属国だ。そのような状態で領土認識があったとは思えない。

その後、20世紀前後のタイミングで、清の脅威を感じた日本が朝鮮半島の独立を求める。つまり、朝鮮半島にしっかりしてもらわないと日本が危ない、という事だ。日清戦争に勝利した日本は、何よりも朝鮮半島の清からの独立を望んだ。

その後、属国意識の強い朝鮮半島の自主自立が思うように進まないのを見かね、列強国との話し合いの末、1910年日韓併合を行う。併合した以上は内地との不平等はないようにとの意識で、多くの税金を投入しインフラ整備を進める。1900年ごろと1930年ごろの写真を比較したり、情景の記述を見ると、どれだけ投資したかが分かる。

1945年の日本降伏を受けて、朝鮮半島は受動的に独立することになる。最近の論では、自主的に独立を勝ち取った訳ではない歴史的経緯が、国民意識を歪めたという意見もある。

竹島の問題を振り返ると、日本に正式編入されたのは1905年、朝鮮半島が日本に独立させてもらいながらも、国として未熟だった時だ。この時点で、朝鮮半島に国の意識があったとは思えない。竹島には、それ以前に日本の漁師が住んでいたという事なので、至極真っ当に日本の国土と認定された。

次に竹島が出てくるのは、サンフランシスコ講和条約前後だ。サンフランシスコ講和条約では、竹島は日本の領土とされたが、その発効直前に韓国の李承晩大統領が、李承晩ラインという自分勝手な線を引いた。それが、現在の竹島問題の原点だ。

タイミングを見てみよう。サンフランシスコ講和条約の発効は1952年4月28日、李承晩ラインの設定は1952年1月18日だ。つまり、李承晩ライン設定時点では日本は連合国の占領下にあった。このため内政、外交、防衛など全てはアメリカを始めとする連合国の手にあり、日本が国として動けないタイミングを狙った卑劣な侵略と言わざるを得ない。

その後も、自衛隊を動かせば国際世論から軍国主義の復活と罵られる事が目に見えているので、国際司法裁判所付託という手を使う他なかった。が、韓国が付託拒否するという流れで、最近まで来ていた。

こういった事を理解した上であのような暴挙を続けているのだろうか。

従軍慰安婦の問題も同じで、1965年の日韓基本条約締結時に、今後見つかるかもしれない戦争に関する諸問題を含めた完全で恒久的な解決を条件に、韓国の国家予算(3.5億ドル)の3年分以上(11億ドル)という莫大な賠償金及び借款を拠出した。この莫大な金に含まれているのは、例えば従軍慰安婦に関わる個人補償などだ。しかし、時の韓国政府が個人補償に回したのは全体の5%程度で、残りをインフラや産業に投資した。「漢江の奇跡」は日本の賠償金ならびに借款を活用して実現した。

それ以外にも日韓併合時に造ったインフラ等資産、同15年分以上(53億ドル)も放棄しているし、一度は捨てられたハングルを再教育したのも併合時の日本だ。

歴史的に客観的に見て、近代韓国は日本が造ったと言っても過言ではない。

お隣りの国であり、国際社会の中で同じような苦労を分かち合う、ある意味同士として、長らく仲良くする努力をしてきたが、もうそろそろ見切りをつけても良いのかも知れない。相手から仲良くしたいというシグナルが出てない以上は、何をやっても無駄だ。

今後も嘘に塗れた歴史を国民に教え続け、自己中心的に振る舞い続け、皆から嫌われ続けるんだろう。可哀想なのは韓国国民だ。真実を知れば全てのアイデンティティが崩れるのだから。

2012年8月20日月曜日

京橋パレード

ロンドン五輪メダリストが集まる「銀座パレード」に行ってみた。仕事場が近いので、10:45ごろに抜け出し、11:15ごろには戻る予定。

仕事場からだと鍛治橋通りからのアプローチになる。つまり、銀座一丁目方面。ちょうどスタート地点に当たる事もあり、目の前の現場は作業員が鈴なり。



確かパレードは銀座通り口からだと聞いていたが、周りの人の集まり具合や前方の混み具合、帰社時間の制限を考えると、この辺りと妥協し、首都高少し手前で立ち止まった。それが間違いの元だった。

しばらくするとパトカーに続いて、吉田選手を乗せた車がやってきた。皆が沸き立つ。が、先頭の人しか見れない。続いてバスが見えた。一層の盛り上がり。だが、誰も顔を見せず。ただ、通り過ぎて行った。


「顔見せろ!」というおっさんの声。
「澤さん!顔見せて!」とおばはんの声。



周りは怒号の渦になった。
澤選手を始めとする堪り兼ねた数名の選手が顔を覗かせ、不満ながらも何とか「京橋パレード」は終わった。気が収まらなかった人が、その後、銀座方面に走っていったが、果たして見れたのだろうか…

いずれにせよ、2020年東京五輪開催に期待がかかる。

2012年8月17日金曜日

@奈良

奈良に行ってみた。もしかしたら10年ぶりぐらいかも。奈良というのは京都と同じく、寺社仏閣の宝庫だ。当然、平城京を中心として1400〜1200年くらい前のものになる。

京都が中心になるはもう少し後で、そこからの歴史が長いので、1200〜400年くらいの期間だろうか。その後の歴史の舞台も交通の便の良い京都が中心だったので、奈良の影は薄くなる一方だった。しかしそのおかげで、史跡の保存状態が良く、未だに新鮮な気持ちで訪れられるのもまた、奈良なんだろうと思う。

2年ほど前に行われた平城京遷都1300年を記念して、平城宮と大極殿、朱雀門が造られた。京都的にはもっと継続的に観光客が呼べるような仕掛けが必要と思うが、何もないのもまた奈良なんだろう。この二つの構造物以外は原っぱだ。



その後、奈良公園に行き、東大寺他を足早に眺めた後、法隆寺へ。金堂、五重塔、夢殿と、国宝を観て回るが、ほとんど日陰も室内もなく、灼熱地獄だった。この観光客ズレしてなさも、奈良。






今回の奈良訪問で一番驚いたのは、千里から車で1時間ほど、という近さだ。もしかしたら京都や神戸より近い。見る所は山ほどあるので、季節の良い時にもう一度行きたいと思う。

2012年8月15日水曜日

(大阪)造幣局

歴史的建物を観に造幣局に。かたや見る影もなく、かたやみるも無残な状態だった。残念。しかし、歴史と藤と造幣博物館を見る事ができたので、悪くは無かった。

明治4年開局当時の門・ガス燈
これは当時の大阪知事でかつての土佐参政として有名な後藤象二郎が取り寄せたものらしい。






巨大な藤
明治天皇が来られた時に生花として飾ったものを、接ぎ木して植えたものらしい。育ちに育って100年以上。立派。



造幣博物館
昔の貨幣の作り方が勉強できる。とにかくモノは大量にある。貨幣も面白かったが、五輪メダルが一番目を引いた。あと、褒章。こういったものが造幣局で作られてたとは知らなかった。



一方で、メインの目的だった建物は改築され、歴史を感じないモノに。内部に一部の壁が残されていたが、もう一つありがたみなし。残念。


そして、もう一つの建物、重要文化財でもある泉布観は、いつ終わるか(正確にはいつ始まるか)分からない改修工事中とのことで、仮囲いの中。もったいない。もう少し大事にしないと、近代建築は無くなっちゃうね。



2012年8月13日月曜日

ロンドン五輪閉幕

4年に一回、二週間ちょっとの戦いが終わった。

五輪が好きなのは、色んな競技を一度に見れるから。テレビでは話題性の高い競技しか映さないが、それでも相当なボリュームだ。ほとんどテレビの前で寝てたようなものだった。

今回は、試合の多くが夜だったが、次回リオは深夜から明け方になる。ますます大変だ。

五輪は開会式、閉会式が華やかで素晴らしい。開会式はお決まりの世界は一つである事のメッセージと開催国の歴史、そして過去を振り返るのではなく次世代に繋ぐ事を印象付けていた。そして閉会式は、イギリスの音楽の歴史で豪華に締めくくった。

今回、日本は38個のメダルを獲得し、非常に盛り上がった。この盛り上がりが日本でも見られるかと思うと、2020年の東京五輪は応援しない訳にはいかないだろう。

五輪開催国は、開催直前の大会に向けて選手強化が始まる。つまり、今回の結果をファーストステップとして、次々回へと飛躍する準備が整ったと言って良いだろう。また、当然ながら会場建設が進むので、公共工事によるベタな景気高揚も期待できる。ここから新しい日本が始まるのかも知れない。

2012年8月10日金曜日

女子の美しき銀メダルと男子の惨敗

なでしこ、おめでとう!
素晴らしい銀メダルだと思う。一年前のW杯で優勝したものの、決勝戦での勝利は奇跡の連続だった。それと比べると、完全に互角の戦いをして、主審のミスジャッジ(アメリカのハンドとホールディング)もあった上での銀メダルは、胸を張れるだろう。

表彰台の上での女子高生のような振る舞いは感心できないが、まぁ今回は大目に見ても良いと思う。メダルを首にかけるプラッター会長を邪険に扱ったり、壇上に上げるためか後ろ目に立ったりするのは面白かったが、許されるのは今回だけだろう。

それに引き換え男子は少々情けなかった。かつての日本代表を彷彿とさせる、後半に向かっての息切れ感がすごかった。

今回、予選初戦のスペイン戦に焦点を当てたのは分かる。アトランタ五輪の時のブラジル同様、優勝候補が初戦で負けるダメージは大きく、スペインは予選を通過できなかったのだから。でも、そこで全てを使い切ってしまって本戦でフラフラになるのは、あまりに力不足ではないか。六戦とも違う会場で戦ったのは日本だけらしいので、疲労度が高かった事は分かるが、少し戦略が足りなかったんじゃないかな、と思える。

結局、「予選通過するとも思ってなかった」という釜本をはじめとするサッカー協会の雰囲気が敗因の一つのような気がする。南アW杯の時も書いたが、釜本は老害以外の何者でもない。

ともあれ、選手はよく頑張った。4位も立派な結果だし、男女ともに強い国はそんなに多くないので、今後とも活躍して欲しい。

2012年8月8日水曜日

柔道と領土問題

ロンドン五輪での柔道(JUDOと書いた方が適切かも知れない)を観ていると、領土問題というか二国間紛争を連想する。

かつての大戦のように、勝つも負けるも一本と言う時代は終わり、どちらが多く有効ポイントを稼いだか、また、相手のミスを誘ったか、が勝負のカギを握る。竹島、尖閣諸島、北方領土はいずれも、その勝負の土俵に立っている事になる。いずれも先延ばしにしてきたので、今になって三つ同時に大事な試合が始まってしまった。

今回のJUDOで印象的だったのは、相手のミス(例えば消極的姿勢など)の積み重ねだけで勝利する例が多かった事だ。三位決定戦や決勝戦でも見られた。観てる方からすると面白くないのだが、勝負を決する時の国際ルールは須らくそうなってきている。それに対する日本の立場は変わらず「一本を取る柔道の追求」だ。JUDOはそれでは勝てないという、4年前の石井慧の正しさが図らずも証明されてしまった。

領土問題を振り返ると、例えば竹島で国際司法裁判所に持ち込むのは、第三者の目で揺るぎない評価を獲得するという意味で、「一本」狙いだろう。たぶん、これでは勝てない。最後の駄目押しとしてなら理解できるが、まずはポイントの積み重ねが大事と思う。それは、尖閣諸島や北方領土も同じだ。

法的正統性をのみ拠り所にする、日本の美しき一本柔道の時代が終わった事を理解する必要があるだろう。

2012年8月6日月曜日

チーム力って何だろう?

日本の競泳がアツい!こんなに強くなったのはいつからだろう。

やはり北島康介のチカラが大きい。男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲った後のインタビューでの、松田選手の言葉には震えた。「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない。」

この北島康介を中心としたチーム力が全てだろう。

競泳は本来、個人種目だ。選手間のコミュニケーションがさほど重要ではないようにも思う。が、今回の大会は個人種目と言えどもチームとして戦っているという一体感が、最後の最後でのチカラになっている事が証明されたように思う。

入江選手が繰り返し言っていた「27人のリレー」という意識が、一人ひとりのモチベーションを高め、それが結果に結びついている。全力を尽くした結果が、次の結果を呼び込んでいる事を思えば、競泳競技自体が長いリレーであるとの認識は正しいのだろう。

そう考えるとチームワークというのは、体格的にも体力的にも優位には立てない(特に女子は際立って小柄に見える)日本選手が、世界に伍して戦うのに必要な要素なのかも知れない。

また、今回の大会で調子の良い競技は、例外なくチームワークを口にし、また、競技中に笑みがこぼれている。それだけ競技を楽しんでいるんだろう。チームワークがプレッシャーを分散させ、本来のチカラを出すための潤滑剤になっている。

あらゆる競技にとって、今後のチーム作りの方向性の一つが見つかったと思えば、得たものは限りなく大きい。

引き続き、頑張れニッポン!
眠れない夜は続く…

2012年8月5日日曜日

五輪サッカーWベスト4!

この結果は快挙だろう。

唯一日本だけが、五輪において男女揃って結果を出している。開催国であるイギリスが、この快挙を成し遂げると思っていたが、男女ともにベスト8止まりだった。

観ていると、個人の能力は対戦相手の方が高く、押し込まれる時間が長い。何とか凌いで、一発カウンターという戦術が男女ともに上手くハマっている。

個人で打開する事が難しい日本チームにおいて、大きな勝因の一つはチームワークだろう。もとよりチームプレーのサッカーにおいてチームワークの優劣を語るのもどうかと思うが、結局、最後に勝負を決めるのはチームワークだったりする。

思うに、個人競技も団体競技も、個人のチカラとチームのチカラの両方が必要であって、主従関係が入れ替わるだけなのかも知れない。

個人競技では、個人のチカラがベースにあって、チームのチカラがスパイスとして加味されるし、団体競技ではその逆になるのだろう。

そう考えると、個人のチカラでは押されがちな日本にも勝機はいっぱいあって、今後も大いに期待できるハズ。

と思うと、ますます眠れない…

2012年8月1日水曜日

意味のあるシンプル

「Think Simple」と言う本を読んでいる。

とにかく物事をシンプル化する事がイノベーションの近道だ。と言う事を理解する人は多いが、実践できている企業はほとんどない、とのこと。

色々サービスを考えていく中で、シンプルには意味のあるものとないものがある事に気がついた。つまり、何を目的にシンプルにするのか、と言う事だ。

例えばプレゼン資料でも、シンプルなものの方が伝わりやすいと分かってても、つい情報を盛り込みすぎてしまう。逆にシンプルを追求し過ぎて、単なる簡素な資料になってしまう事もよくある。

どのようにシンプルにしていくかの方向性を持つ事が大事で、伝えたい内容を明確にした上で枝葉のメッセージを削ぎ落とす事が、シンプル化だろう。

Jobsがやっていたシンプル化って、こう言う事で、目的に向かってシャープに削り出す作業だったんだな、と感じる。

これは、その商品なりサービスができない事を明確にする事でもあるから、普通の大企業には真似できない。競合製品はできて、自社製品にはできない事があることを認めなければいけないのだから。

だからこそシンプル化には力があり、競合が生まれにくいんだろう。

2012年7月30日月曜日

つまらなくなった柔道

今回のオリンピックの柔道がつまらない。

日本選手の出来とは関係なく、柔道という競技が本当に雑なものになっており、かつて見た美しい投げなどはほとんど見られない。

選手は掛け逃げが多く、また、背中や帯をつかむ者が多い。怪我をしたふりとか帯の締めが緩かったりとか、もうふざけてるとしか思えない選手も散見される。それでいて、そういった下らない選手の行動につきあわされて、なかなか技が仕掛けられないでいると積極的姿勢に欠けるとして、指導を受ける。この指導ポイント制が試合の質を落としている理由の一つだ。

かつては『効果』というプラスのポイントもあったのだが、今は『指導』というマイナスポイントだけになっている。いつからこんな事になってしまったんだ?これだと、いくら技を掛けてもなかなか結果に結びつかない。なにせ、指導二つで有効、三つで技あり相当ということで、技を掛けて相手を倒す事よりも、相手に指導を与えることに腐心しているように見える。そのため一本を狙わない柔道が蔓延している。指導の積み重ねだけで決まってしまう勝負を見たい人なんていないだろう。

また、5分の試合時間中に指導を一つ受けたまま延長に突入すると、延長の3分間の間に一つ指導を受けるだけで有効となってしまい、勝負がついてしまう。『効果』ポイントを獲得する事で勝負が決まるならまだしも『指導』だけで決まってしまう、この延長のゴールデンスコア方式も試合を劣化させている。

三つ目の理由は、審判のレベルの低さだ。ジュリーと呼ばれる陪審員が審判の他にも試合を見ているのだが、審判のあまりのレベルの低さにジュリーが介入せざるを得ない状態になっている。

66kg級の海老沼選手の準々決勝が最悪の例だ。明らかに海老沼選手が優勢だった。有効に近いポイントも取っていたし、相手の反則すれすれの行動も目立った。しかし組み手を嫌い、逃げ回りつつ掛け逃げっぽく技を繰り出していたのが良かったのか、旗判定で相手選手に3本入った。この誤判定もビックリしたが、さらに驚いたのはその後だった。ジュリーに審判が呼ばれ、再度の旗判定。結果、海老沼選手に3本。この試合で審判が下した判断は一体なんだったんだ。ジュリーに呼ばれて、自らの判断を全員が覆すということは、談合じゃないけど、何か不正があると思われてもおかしくないだろう。そもそも審判がいる意味があったのか、という話だ。酷すぎる。

あと、有効以上の判定基準も、競技を雑にしている原因に挙げられるかもしれない。肩甲骨辺りもしくは背中が畳につくこと、ということで、確かに今までもそうだったが、完全に技がかかって回りすぎた場合は一本になっていたような気がする。今は回りすぎて、肩甲骨を通り過ぎたら有効にすらならない。こんなルールを作ったが故に、奇麗に体を回転させ、一本を取る技を繰り出す必然性がなくなった。

レスリングのように隙を狙って体当たりして背中から倒す、といった雑な朽ち木倒しのような技や、背中や帯を持って後ろ向きに力任せに引き倒されるパターンにやられる事が多い。特に帯を持たれていると体を回転させる事もできず、なす術無く一本を取られてしまう。

要は、ルールと判定基準が悪いので選手の質が落ち、審判の質が悪いので試合の質が落ち、競技としての面白さはどこにもなくなったように思える。

日本選手は愚直に一本を取る柔道をしているので、それが結果に結びつかないということだ。全日本選手権と世界の舞台は別物と考えて、オリンピックや世界選手権には外国のように『ポイントを稼ぐ柔道』が得意な選手を送り込むしか無いだろう。またはポイントを稼ぎつつ(つまり、相手に積極的に攻めさせない柔道をする)、いざという時は一本を取れるような柔道をする事だろう。今も、そういった柔道をしようとしているのかも知れないが、現状は不十分だろう。メダルの数が物語っている。

『これが世界なんだ』『これがオリンピックなんだ』と言った所で空しいだけだ。柔よく剛を制する時代ではなくなったのだろうか。

2012年7月27日金曜日

五輪サッカー、男女ともに初戦勝利!

これは、幸先良いよ。

女子サッカーはカナダに2対1、男子サッカーはなんと若き無敵艦隊スペインに1対0だ。

サッカーだけでなく、ロンドン五輪を占う日本代表としての初戦を男女ともに白星発進できたのは、めでたい。

前線からチェイスするサッカーは、最近の日本の特長なのか。男子は永井、女子は大儀見。体力を考えない若いサッカーのようにも見えるが、ロングボールを入れさせない戦術でもある。

今までは引いて守って、一瞬の隙をつくサッカーが強豪相手の定石だったが、ここまで堂々と戦って勝てるようになったなんて素晴らしい。

それにしても永井の空砲っぷりが笑えた。それだけトップスピードからシュート態勢になるのは難しいということだろうが、あと3点ぐらい取れててもおかしくない。永井のスピードは完全に通用していた。

課題は後半の攻めだろう。男女ともに得点できていない。前半前がかりに攻めて、後半は堅守で凌ぐのも一つの戦術だが、ギアを上げる時間帯は検討の余地がありそうだ。

ともあれ、これから始まるロンドン五輪。楽しみになってきた!

ガンバレ!日本!!

2012年7月25日水曜日

されているそうです

最近の日産のCM。

嵐を起用しているのは良いのだが、クルマの紹介の後に「されているそうです」と言うのが鼻に付く。

例えば、新型ノート。エコカーで売り出しているが、今までのエコカーはパワーが足りなかったとして、パワーのあるシステム「ピュアドライブ」を組み込んだそうだ。

素直に新しいシステムを組み込んで、不足気味だったパワーのレベルを上げました、と言い切れば良いのに、なぜか「されているそうです」と言う、伝聞調。

こういった書き方をすると、自信なさげで他人事に聞こえるので、良くないと思うのだが、どうなんだろう?

CM表現として新しいと言えば新しい。

弱々しくもフレンドリーで、押し付けがましくない。しかし、このシステムでライフスタイルがどのように変化するかを言うならまだしも、システムの優位性を優しく語るのは無意味に思える。

日産の真意を聞きたい。このCMで売上げが伸びると思ったのだろうか、それとも嵐頼りなだけか。

2012年7月23日月曜日

鳩山・・・

ポッポは、本当に脳みそが小さい。

今まで取ってきた愚劣な行動の集大成のような反原発デモへの参加。あれが、かつてはこの国を率いる責任ある立場にあった人の行動とは思えない。

原発の存続については賛成・反対、色々あるだろう。どちらかというと賛成論者は論理的に、反対論者は感情的に話をしているように思う。どちらが良いとは言わない。

賛成する側は、反対の側が言う、原発の安全性と最終処分について納得できる解をださなければいけないし、反対する側は、賛成側のエネルギー安全保障の問題や結局残る最終処分や廃炉の問題にも答えを用意しなければいけないと思う。

また、国内で原発を持たないという事は、今後の原子力開発のリーダーシップを他国に渡すという事でもある。さてどうするか、というのは極めて政治的な判断だと思う。

そのような中で、政治の中枢にいて、かつてはリーダーでもあった人が、安易に反対の旗を持てる訳が無い。

もし、その旗を持つのであれば、先に書いた『エネルギー安全保障』『最終処分・廃炉』『原子力開発のリーダーシップ』についてどのようにするべきと考えるのか、明確に、実現性のある答えを用意する必要があるだろう。

そういった事を用意せずに原発反対デモに賛成するのは、原発推進の一翼を担ってきた政治家として、あまりに無責任だし無配慮だろう。端的に言えばバカだ。そして、安易にそれを受け入れた原発反対運動家もあまりに短慮だろう。

結局、領土問題、歴史認識問題、普天間問題と同じように、単なる水掛け論ならまだしも議論が後退する恐れが強い。そのトリガーを引いているのが、今までと同じくやっぱりポッポで、この人物のバカさ加減は、日本を崩壊に導くだろう。

2012年7月20日金曜日

韮山反射炉

伊豆に遊びにいく途中で韮山反射炉発見。

全然予定してなかったが、かつて鉄に関わる仕事をしていた事もあり、寄り道決定。家族は興味なさそうだったが。。。




反射炉は現在でも鉄以外の金属では使われているらしいが、鉄では主に転炉が使われている。反射炉も転炉も、金属を精錬するための炉で、基本的には不純物を取り除くためにある。

反射炉では、熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別になっており、燃焼室で発生した熱を天井や壁で反射させ炉床に熱を伝える事から反射炉と呼ばれる。




韮山反射炉は極めて初期の反射炉で、幕末の砲製造のために作られた。幕末は欧米からの武力圧力が強かった時代で、国内での武力増強の必要性が日々高まっていた。一方で、海外から技術者を招聘することもままならない時代でもあり、伊豆韮山代官の江川英龍などがオランダの技術書を参考に作り始めたのが韮山反射炉である。

昭和の終わり頃に施された耐震補強で、反射炉は全面的にブレースが配置され、少し異様な塔として存在感を放っている。

かつては、レンガで作られた躯体全面を漆喰で覆っていたらしく、ある種神聖な雰囲気を醸し出していたのでは、と想像する。

こういった時代の工業は、多大なる人手を介したものだったはずなので、地域の雇用のかなりの部分を占めていたと思われる。周りには生産設備もあり、かなり隆盛を誇っていたのではないだろうか。




反射炉を見て一番驚いたのは、そのレンガの精度だ。

非常に奇麗な仕上げのレンガが緻密にくみ上げられている。1853年当時、レンガ造の建物はおそらくまだ存在せず、当然、レンガ製造工場もなかったハズだ。きっと海外から輸入したのだろうと思ったら、近くの河津で作ったらしい。ちょっと信じられないぐらいに品質が高い。それは、レンガ製造だけでなく反射炉施工においても。




このようなチャレンジが次の時代を作り、それが今に繋がっていると思うと感慨深い。一方で、何度も言うようだが、たかが160年前ですら隔世の感を禁じ得ない中で、原子力の10万年って一体何なんだろうと思う。

しきりに産業遺産として世界遺産に登録すべく働きかけており、当日はメディアの取材も入っていたが、なにせ規模が小さく、外観を極端に毀損する修復を施してしまった状況を見ると、世界遺産としては少し苦しいのでは、と思う。鉄を少し齧った身からすると非常に面白かったが。

2012年7月18日水曜日

伊豆の風景

下田東急ホテルに泊まった。

50周年にもなる古いホテルで、かつて昭和天皇も泊まったらしい由緒正しいホテル。施設は古いが奇麗にしてあり、非常に好感が持てた。


崖の上に立っており、下を見ると、ほぼプライベートビーチのような海水浴場が。アクセス道路も極端に細く、路上駐車できるスペースも限られているため、露店も呼び込みもない。近くにある何軒かのホテルと筑波大学の施設にいる人たちだけの海岸だ。

砂浜は比較的奇麗で、水は冷たかったが入り江になっているため波は穏やかで遠浅。ビーチパラソルでも持って日がな一日過ごすには最適だろう。そんな海水浴場には、ホテルのプールから階段を下りていく。

プールは20m×10mのこじんまりしたものだが、海際のプールほど贅沢なものはない。何より、市民プールなどのようなルールが少ないのが嬉しい。眼鏡、腕時計、帽子、カメラ、ビデオなど全てOK。今時のプールではほとんどダメなので、防水デジカメを持ってても活躍の場面がないが、ここなら使える。

そして、部屋から見える風景は、まさに絶景。かなりの高台にあるので、近くの岬や遠くの島並まで見渡せる。眼下には奇麗な芝生が広がり、まさにリゾート。



ここはコストパフォーマンスが非常に高い。できれば連泊して、海にプールに行ったり来たりしながら、ホテルの送迎バスで下田駅に出て、昼から新鮮な魚を食べながら酒を飲みたい。

2012年7月16日月曜日

伊豆の海鮮丼

伊豆下田に行ってきた。

横浜から実質3時間、途中寄り道をしたので4時間で到着。特に混んでいる場所も無く、高速も良いペースで走れた割には時間が掛かった。下田は遠い。。。

着いた日の晩ご飯として、海鮮丼を食べに行った。チョイス丼とか言う名前で、好きな魚を乗せてくれる…はずだったが、昼食でかなり食材が捌けたようで、すでに選択できないものも多かった。




とは言え、やっぱり下田で食べる魚は旨い!丼のご飯が酢飯である必然性があまりないようにも思えたが、満足、満足。

次は市場とか行ってみたいな。真夏じゃない時に。

2012年7月13日金曜日

名古屋の屋根

最近は名古屋に行く機会が多い。

それも半端じゃなく、下手をすると週3日ぐらい名古屋にいる。いつもは新幹線で東京と往復するだけ、もしくは、ビジネスホテルと往復するだけの毎日だが、先日少し時間があり、オアシス21というバスターミナルの天蓋が名所となっている複合施設を観に行った。



2002年竣工。

大きなイベントスペースの上に唐突に屋根が。しかも、屋根の上には水が張ってあり、光を反射しキラキラしている。聞くと、現在の名称は『水の宇宙船』だが、コンペの段階では空を飛ぶクジラをイメージしており、初期の提案書には、そのままクジラが宙に浮いているイメージで描かれていたらしい。

2000年前後の建物は、空間を豊かにつかったバブリーな建物が多いが、これもその一つだろう。今、こういった建物ができるかというと、なかなか難しいかもしれない。

時代の遺産としては悪くないが、50年、100年というスパンで存在できるかどうかは怪しいだろう。建物って言うのは、世にある製造物の内で、かなり長命の部類に入るが、それでも1世紀というのは果てしない長さを持っている。

原子力の10万年(1000世紀!)という単位に対して、感情的にしか議論できないのは尤もだが、闇雲な反対は意味が無いように思える。と、飛躍した感想を持った、名古屋の夜だった。

2012年7月11日水曜日

オクラ

子どもが学校の教材として育てているオクラが、花をつけた。と思ったら、花が落ちてその下から見慣れたオクラの実が伸びてきていた。ちょうど乳歯から永久歯に変わるように、花が取れ実が出た。


今まで見た事が無かったが、オクラってこんな風にできるんだ、と改めて感心。

落ちた花を見てみると、ボールペンのキャップのような形で、断面はオクラの外形そのもの。面白いもんだなー、と匂いをかいでみると、いつものオクラの青臭い匂いが。小さくても、花の段階からオクラはオクラ。

しばらくすると大きく育ち、スーパーで売っているサイズに成長。美味しく頂きました。

2012年7月9日月曜日

iPhoneナビの精度

iPhoneに地図ソフトやナビソフトは腐るほどある。本当に色々あって、色々入れてみたが、車で使ったことがなく、未だに評価できずにいた。歩行時は標準アプリのマップで十分だ。

この4年間、iPhoneが手元にあることが当たり前で、地図も住所も何も持たずに出かけることが多くなった。それでも、3G回線が無いときの不便さも体験したことから、iPhoneがマップやナビを機能として持っていることの重要性というか、親和性というか、は理解している。

ということなので、今更ながらナビを再評価してみようと思い、車載用のホルダーも含めて手に入れた。比較対象は10年ほど前の地図を載せたCDナビだ。

正直なところ、検索スピードや位置精度はほとんど変わらない。リルートも大体同じタイミングでかかり、右左折の指示もほぼ一緒だ。

iPhoneの方が地図が新しいが、電子コンパスとの連動があまりうまく行ってないのか、向きの補正が遅い。

10年以上前のCDナビもなかなかやるもんだと思いつつも、ほぼ同じ精度をGPSだけで実現しているのは、技術進歩だろう。

iPhoneナビは充分使えるということが確認できた。最近はPNDも安く買えるので、ナビを買い換える時はかなり悩みそうだ。

2012年7月6日金曜日

革新ってどうやって起こるのかな?

例えばRetinaディスプレイは性能を単純に上げただけのようにも思える。

これって、かつてのCPUがクロック数を上げたり、メモリ搭載量が増えたりする事と同じで、非常に単純な技術革新だと思う。こういった事はイノベーションなんだろうか?

例えばiPhoneは発表された当初から、技術的には全て既存のものだと言われ、こんなの日本企業が作ろうと思えばいつでも作れる、と言われていた。技術的にはイノベーティブでも何でも無かったが、全てを組み合わせて、そのエコシステムが完成した時、サービスとしてのイノベーションが明らかになった。

以前から書いている事に、商品またはサービスは『コンセプト』『デザイン』『技術』の3要素で構成されており、いずれか一つだけを新しくする事で、非連続的な進化と連続的な深化を両立させる事ができるというものがある。ただ、単にCPUのクロック数を上げたりするだけでは革新と言えるほどの進歩が生まれなくなっているのも事実だ。

そういった意味では革新に供する技術と、既に人の認知限界を越え革新を感じられない技術があるということだろう。

たまたまディスプレイ解像度というのは長い間革新が無く、認知限界との乖離があったため、それを埋めるRetinaは一つのイノベーションとなり得る技術革新と言えるのかもしれない。

『コンセプト』や『デザイン』は認知限界がない(論理的境界線がない)ので、イノベーションを生み出す可能性は高い。逆に、革新を起こせる『技術』には既に限りがありそうだが、今現在、当たり前と感じているような技術には革新要素が隠れていると言って良いだろう。

2012年7月4日水曜日

MacbookAir落下!

全くの不注意でMacbookAirが地面に落下した。。しかも、1.2mぐらいの高さから。

ある場所に行く道中、電車の中でパソコンを開いて、降車寸前にパソコンを閉じ鞄にしまった。が、鞄が閉まってなかった。

自分の鞄は2Wayで手提げとリュックになるタイプ。降車してリュックとして肩から担いでいたら、歩く振動で徐々にずり落ち、コンクリートの階段でついに落下した。

カラカラカラと非常に軽い落下音がして、振り返ると見慣れたマシンが転がっていた。






急いで持ち上げ確認してみると、筐体に落下痕。

普段、アルミニウム筐体の堅牢さを感じていただけに、やはりアルミニウムは軽くて柔らかいものだと再確認した。幸いな事に底面から落下したようで傷は底面だけにしかなかった。起動してみても特に問題はなく、打ち所が良かったお陰で、液晶にも影響は無かった。

そして軽く、ノースピンドルの威力でもあるのだろう、ハード的な不具合も無く、日常的に今まで通り使えている。これが、ハードディスクや光学ディスクのドライブが入っていたら、どこかしらの影響が出ていた所だろう。

MacbookAirの日常使用におけるロバスト性をはからずも確認する事になってしまったが、ますます手放せないマシンと再認識した。

2012年7月2日月曜日

暑い夏の始まり

いよいよ夏が始まる。

今までの省エネ活動に、昨年から節電が加わった。言葉の定義はなかなか難しいが、省エネは使用総量の削減、節電は電力ピーク時の使用量削減を表す。節電は省エネになるが、省エネは節電にならない事もある。

今後、日本で生活していく上で、常に念頭に置かざるを得ないのがエネルギー使用事情で、家電機器やパソコン等の買い替え需要における最重要評価軸はエネルギー消費量なんだろう。と思うと、そうとう世知辛い世の中になったと感じる。

好き勝手に使いたい放題に使えば良いという時代はとうの昔に過ぎ、エネルギーコンシャスであることは既に国民のコンセンサスになっているように思うが、もしかしたら一時的にかもしれないが、さらに過剰な取組みを進めなければいけない時期が訪れている。

将来のためになれば良いが、この刹那的な取組みが悪影響を及ぼす可能性も高いのではないだろうか。全ての議論が中途半端で、全ての施策は拙速のような気がしてならない。

2012年6月29日金曜日

首相官邸@ザ・キャピトル東急

こんな間近に見えるなんて。当然、色々検討した結果なんだろうけど、セキュリティに不安を感じずにはいられない…



2012年6月27日水曜日

使用環境を想定するか、使用する人の意見を聞くか?

商品開発の二つの方向性は、当然マーケティングにも影響がある。商品の使用環境を想定し、提供者側のシナリオ通りにユーザーを誘導するのか、それとも、ユーザーの意見を逐次取り入れ、それらを反映させた使用環境を構築するのかだ。

前者は事前のマーケティングが、後者は事後のマーケティングが重要になる。メーカーは事前にマーケティングを重ね、万全のポジショニングから次の一手を繰り出す。電機メーカーもそうだが化粧品メーカーのそれも面白い。

ネット系は事後のマーケティングが卓越している。とにかくローンチしてダメなら捨てる、という流れが加速している。

ここに別の考え方を改めて持ち込んだのがAppleだった。商品企画のためのマーケティングではなく、ブランディングのためのマーケティングとして。

マーケットの声を聞くと、機能過剰になる事が多い。多様な人に一つの商品コンセプトについて意見を求めると、当たり前だが無数のリクエストが出てくる。その意見に振り回されるとそもそもの軸がブレる。ブレないようにしようとすると、そもそもユーザーの意見を聞く必要も無いんじゃないかという結論になる。

考えてみれば、ユーザーに意見を聞くマーケティングが重要なのは、ユーザーが潜在的に解を持っている場合だけだ。つまり、今までの延長線上に商品開発がある場合に限られる。

商品サイクルが短く、多くの商品で実現できる事が想像できるようになった現代においては、今までの延長線上に解がない事が多い。こういった時代に旧来のマーケティングでは十分に力を発揮できないのは当然だ。日本の電機メーカーの凋落、Appleの躍進がその証左だろう。

これからはブランディングのためのマーケティングが重要になるが、商品企画の未来は?

前にも書いた事があるが、モノの本質を厳しく問われる時代になってくると思うので、いかに本質を削り出すか、余計なものを捨てられるかが勝負の分かれ目ではないだろうか。

2012年6月25日月曜日

商品開発の二択

商品開発には二つの方向性がある。

1) 早期の60%完成で、ユーザーの意見を汲み取る
2) ギリギリの95%完成で、ユーザーの意見は聞かない

ネットサービスは1で進める事が多い。開発のハードルが低いため、アイデアを素早くローンチする必要がある上、改修にかかるコストが相対的に小さく、結局はユーザーの意見を聞かないと分からない事が多いということだろう。

方やハードの開発の多くは2だろう。ユーザーの意見を聞いて改修すると金型から手を入れる必要があり、コストがかかりすぎるからだ。

この2つの方向性は、当然、開発者のメンタリティも支配する。つまり、1の環境で育った人は、なるべく早く形を見せたいと思っているが、2の環境にいる人には、なるべく遅く、大きな改修が不可能なタイミングまで待つインセンティブが働く。

あらゆる市場で商品の飽和が起こり、サイクルが短くなっている現代において、2のメンタリティを持つ企業も1の気持ちで進めなければならなくなってきている。

これらは中途半端に融合すると、エラい目に遭う訳だが、最近の建設業はまさにそんな状態だ。つまり、ギリギリの95%完成で、かつ、ユーザーの意見をできる限り汲み取ろうとする。

こういった商品開発活動は、事業収支と労働環境を極端に悪化させる事になるので、できれば避けなければならないが、気づかずに、そういった環境に陥っている事が多い。

2の代表的プレイヤーであるメーカーが不調なのは明らかなので、1に移行する必要があるのは確実だと思うが、今までのやり方をひっくり返す事は可能だろうか?

2012年6月22日金曜日

テストと本番の違い

もうすぐ始まる本番に向けて、順次テストを繰り返している。問題山積だが、徐々にその全貌を見せつつある。

その中で困るのが、テストの仕様と本番の仕様を混同する人が多いことだ。

つまり、テストの段階で使うかもしれない機能を、あたかも本番でも必要不可欠であるかのように大騒ぎし、意味なく開発のプライオリティを上げ、結果として提供先に機能を誤解させたり、開発スピードを鈍化させたりする。

どこに軸足を置くかで随分と考え方が変わりそうだが、そういった人は間違ったお客さま視点で物事を判断している場合が多い。

提供される側は、安く多くの機能が使えて、なおかつ、運用時の面倒まで見てくれるのであれば、それに対して抗う必要も理由もないだろう。

つまり提供する側のポリシーや仕分けだけが、機能の実装における意思決定要因と言える。そういったことの軸が明確になっていないまま提供先と話をすると、『場当たり的なお客さま視点』という間違った判断基準の罠に引っかかってしまう。

ポリシーを明確にした上で、テストと本番をしっかり分け、提供先が混乱しないような機能構成を、なるべく早い段階で提示する必要があるのだろう。

2012年6月20日水曜日

街頭義捐金なんて集まるの?

いまだに高校生を動員した義捐金活動を目にする事がある。先の地震ではボランティアと義捐金が今までにない規模で広がり、その効果を挙げたことは間違いないだろう。

しかし今時点で出口のよく見えない義捐金に協力する人が多いとは思えない。個人的にも万単位で拠出したし、今後も協力する事自体はやぶさかではないが、街中での義捐金活動に一々反応するほどではない。

特に今回明らかになったのは、ゴールの明確なボランティア/義捐金と、そうでないモノは価値が大きく違うという事だ。

何となく贖罪的な意味あいで参加しても長続きはしない。単に、困った時は助け合いましょう、といったフワッとした大義名分も既にインパクトがない。

そういった意味で、未だに義捐金集めに駆り出されている高校生達をみると、不憫でならない。既に多くの人にとって、心の整理はついており、義捐金も個人々々のレベルにおいて拠出済みだ。なので、今さらお願いされたところで、応えられる訳もない。

おそらく赤い羽根募金以上に意味がなくなっているように思うが、一体いつまで続ける気だろう。

2012年6月18日月曜日

祝!over 500 !!

気がついたら本ブログも500回を超えて、このエントリーが503本目。

最近は、場当たり的なグチを並べるようになってきたので、少しずつ起動修正して、未来の話をしていきたい。

このブログを書き始めた頃と比べても、社会は混迷の度を深め、個人的な環境は変わり続けた。

そう言った意味では、ブログを書き続け、この激動の時期のログを残せているのは、貴重な事かもしれない。

予定では、今後もさらに激動であり続けるので、さらにブログの役割は大きくなってくるだろう。

1000回を目指し、節目ごとに振り返る事で新しい気付きが得られればと思う。

2012年6月15日金曜日

期待を越えない行動

今日もまた、メイン議題の後にウダウダと答えの無い議論を続けていた一団がいた。

彼らの議論のベースは『万が一、お客さんからこんなリクエストを出てきたら、どう答えるか』というものだ。つまり、お客さんが気づかない、気づいたとしても「仕様です」と言えば納得してもらえるような事項に対して、「仕様」で逃げるのではなく、何かしらの答えを用意したいというもの。

彼らの言い分はいつもこうだ。
『お客さんの気持ちになって考える』
『お客さん視点で考える』

このように言われると、その不毛な議論にも何らかの答えを用意しないといけなくなる。別にお客さんの事を考えていない訳ではないが、コストとスケジュールと商品仕様を考え合わせた時に、その『万が一』という懸念は検討する意味を持たないと判断する場合に於いてもだ。

通常、期待を越える価値というのは、こういった『万が一』に事後的に対応する事ではないのは明らかだ。

なぜならこの行為は、期待を越える事が目的ではなく、単にクレームの量を減らしたいがための行動だからだ。本質的な仕様に関するアップグレードのための提案ではなく、重箱の隅をつつくがごとく細かい、将来何らかの意見が寄せられる可能性のある事項への、モグラたたき的対応だからだ。

例えて言うなら、11inch Macbook AirにSDスロットがない事に対するクレーム対策として、サードバーティ製のUSB-SDアダプタをバンドルするようなものだし、RGBディスプレイ端子がない事に対するクレーム対策として、筐体デザインを一部変更して、無理矢理RGB端子をねじ込むようなものだ。もっと言えば、取説がついていない事に対して、販売店で取説を作るように指示するようなものだと思う。

MacbookAirユーザーが、このようなクレームを出す可能性は低いが、ないとは言えない。万が一に備えて、クレーム対策を用意するか、仕様だと言って納得してもらうか、アップルが出す方向性は考えるまでもないだろう。

こんな議論に何時間も費やし、その対策にさらに何時間も費やしているのだから、日本企業は生産性が低いはずだし、こんな下らない議論のために週1~3日も出張してるんだから、利益率も上がらないのも当然だ。その結果、お客さんの期待を大して越えないんだから、報われない。

2012年6月13日水曜日

Apple / WWDC2012

年に1回のお祭りが始まった。WWDC2012。

開発者のためのカンファレンスと銘打ってはいるが、基調講演ではいつも新しい製品が発表される。2年前WWDC2010ではiPhone4、昨年WWDC2011ではOSX Lionが発表された。通常、メインは一つで、あとはアップデート情報が中心なのだが、そういった意味では、今回はかなり盛りだくさんな内容だと感じた。考えてみれば After Jobsとして初めてのWWDCなので、Cook色を打ち出したいだろうし、そういった意味での将来像を見せて行きたいというという意図もあるだろう。

今回はMac/OSX/iOSの三本立てだった。開発者向けなので、OSのアップデート情報は既定路線だろう。特にOSX Mountain Lionがすでにほぼ完成しており7月発売なので、これがメインかと思いきや、意外にあっさりとしたもんだった。

iOSの方は、かなり機能アップするiOS6を秋に公開するとの事で、これはiPhone5の発売時期予告でもあるだろう。iOSの機能も楽しみなものが多いが、iPhone5の話題がこれから半年かけてヒートアップしていくのは明らかで、うまい広報戦略だと思う。

二つのOSの進化以上に大きな話題だったのが、Macbookのアップデートだ。MacbookProにRetinaディスプレイモデルがラインアップされた。これはMacbookAirのモバイル性能とMacbookProのパワーを合わせもった製品で、最近のMacbook製品にしては高めだが、新しいラインとしてこれから売り出していく事を考えると、適切な価格で発売される。

最近のApple製品で個人的にも大きなインパクトを受けた、RetinaディスプレイとSSDをビルトインしたオールフラッシュメモリを同時に実装したもので、とんでもないパワーとインパクトを兼ね備えたマシンだと思う。Appleは古い技術を大胆に切り捨て、新しい技術を勇気を持って取り込み、新しい製品として仕立て上げる。DVDドライブは、Appleが標準化の口火を切り、Appleによってレガシーと位置づけられた。ゼロスピンドルがこれからの流れになっていくのは、もう間違いない。

ゼロスピンドルノートは、かつてVAIOでも作ってたように思うが、時代とのタイミングや製品の位置づけを適切さにおいて全くダメで、世間には受け入れられなかった。つまり、戦略不在だったという事だろう。Jobsがいなくても、AppleはPC/スマホ/タブレットの各分野で盤石だという事が強く印象づけられたWWDC2012だった。

2012年6月11日月曜日

1年前との比較@iPhone/softbank

1年ぶりにiPhoneに戻ってきた。iPhone4S。

1年前にiPhoneの呪縛から逃れようと解約し、docomoのガラケーとWimaxでのiPhone運用を試みたが、ガラケーもWimaxも出来が悪く、結局、iPhoneに戻ってきた。やっぱり使いやすい。でも、一つ気になったのが、Softbankの電波を以前に比べて弱い事。

以前はさほど感じなかったネットワークの弱さを感じる。

電波強度がフラフラと動いたり、圏外になったりする事が以前より多い。しかも一旦圏外になると、復帰までに時間がかかる。iPhoneユーザーの急拡大が原因なのか、Softbankのアンテナの弱さなのか、その両方なのか。7月中には、Softbankが獲得したプラチナバンドが使えるようになるはずだから、状況は徐々に好転していくと思いたい。

iPhone4に比べてかなり電池の保ちが悪いように感じる4Sだが、電波状況の悪さも一つの原因かもしれないので、7月以降、様々な意味で改善されていく事を期待している。

2012年6月8日金曜日

成功したら自分のおかげ、不調の場合はお前の検討が足りないせい

引き続き、資料作成について。

そうやって作成された資料は、立ち位置が非常に中途半端で、作った本人は浮かばれない事が多い。

つまり、説明がうまく行った時は『あの時の俺のアドバイスのお陰』、うまく行かなかった時は『お前の検討が足りない』と言う事になりがちだ。

そんな事態を避けたいがために、より一層自分の中で資料の完成度を高め、アドバイスをもらっても変更する時間がほとんどないタイミングで共有しようとする。

そんなこんなで、至る所に穴があき、詰め切れず準備不足で、自転車操業的になり、足りない仕様を相手に言われるがまま受け入れるしかなくなり、結果、利益率が下がる。

まずは、人の検討途中の意見に耳を傾け、細部ではなくストーリーを共有するべきだろう。その上で細部について、担当者と期日を決めて具体的に詰めて行く事が必要だと思う。

2012年6月6日水曜日

ドラフトという言葉を理解しない人たち

複数の人で資料を同時作成する時、資料のストーリーが伝わる途中段階で、関係者と共有する事にしている。資料の重複や過不足を防ぐためだ。

目的から言うと、絵コンテレベルの段階がベストだと思うが、重要な所は、もう少し作り込んでから共有する。もちろん資料としては中途半端で、テキストは推敲前、グラフィックも未完成、それらのレイアウトなんてあったもんじゃない。

こういった時に、往々にしているのが、ストーリーそのものには口を挟まず、テキストやグラフィックの完成度にケチをつけてくる人だ。

渡す時に、どんなに丁寧に、これはストーリーを見てもらいたい資料であって、細部はこれからだ、と伝えてもダメらしい。

実はこういったやり取りができない事が、結果的に生産性を落とし、事前に仕様を詰めきれない要因になっていると思われる。なぜなら、個人的に完成度の高い資料を期日のギリギリになって共有した所で、ストーリーは変えられないし、穴は埋められないし、新たなパーツを組み込む事もできないからだ。

これは、前エントリーの儲からない理由ともリンクするが、結局、完成品を見ないと判断できない想像力の弱さが根本原因なのかも知れない。

2012年6月4日月曜日

儲からない理由

会社が利益をあげて行くのに必要な考え方として、自ら引いた一線を守る、という事がある。

お客さんに提案する、ある一定の段階で仕様を明確にして、それに従った見積りをする。ここまでは当たり前だが、この後、その一線を守れるかが、利益率を大きく左右する。

様々な議論を重ねて行く中で、当初の仕様では不足する所が必ず出てくる。これを唯々諾々と呑み込む事で利益率は急落の一途を辿る。

対応策は二つで、仕様策定時の精度を上げる事と、追加的な仕様は別途予算としてもらう事だ。

前者は、ノウハウの共有や関係者の意識を高いレベルで揃える事や、何を第一とするかの明確な定義付けなどが必要となる。ここを疎かにすると、お客さんににも納得してもらえない。

後者は、自分たちが策定した仕様に対する自信と信頼、そして、お客さんとハードな交渉をする強い気持ちが大事だ。バランス感覚が問われる所でもある。

仕様を合意した後になって、お客さんよりも少し早く仕様の不備に気がついた場合に、自ら追加提案を当初仕様に盛り込む形で提案する人がいるが、個人的には正しいとは思えない。

建設業やSIerのようなプロセスを売り物にしている業態では、お客さんのためとか、お客さん目線で考える、といった美名の下で往々にして上記のような事が起こっており、それが利益を押し下げる要因になっている。

しかも、そういった行動を取る本人は、良かれと思ってやっていて、会社をダメにしている意識もない。これが当社のやり方、考え方だと言っている時点で、すでに思考停止していると言える。

利益率が上がらないと嘆きながら、自ら意図的に利益率を上げない行動を取っている事になる。

すっかり負け組扱いのソニーやシャープといったプロダクト系企業は、ちょっとした取組み方針の修整で力を取り戻す可能性が高いが、日本社会の、景気の良い時にしか通用しないメンタリティにどっぷりとハマっているプロセス系企業のドロ舟さは、筋金入りだ。

2012年6月1日金曜日

予測

人は誰しも何らかの予測をしながら生きている。小さな予測から大きな予測まで、色々ある。自分が予測した中で、比較的良く当たったものがいくつかある。


小さなものでは、展示会の来場者数の読み、なんてものもある。初日から三日目までの、自社ブースでカウントされるおおよその数字だ。一日千人単位が計上されるので、百の位の予測精度は、ノベルティやパンフレットなどの準備にとって非常に重要だ。先日の展示会において、5回目にして、個人的な予測精度はかなり上がったと感じた。


本業というか所属部署の行方を予測した事もある。衰退傾向と取り得る打ち手のようなものをレポートにしたが、ほぼ無視された。現実は自分が予想した方向に動いており他部署に吸収合併され、自分自身はそこから放出された。


昨今ではビッグデータという言葉が流行っているが、かつて自分としては「マイクロインフォメーション」というワードを作って、今後はマイクロインフォメーションの扱いが非常に重要になるし、どのようにして集めていくのか、分析していくのかを検討する必要がある、と説いていた時期があった。もちろん、ビッグデータという言葉が出てくるずいぶん前だ。


それよりも以前に、検索がカテゴリー検索から、キーワード検索に変わっていく流れの中で、デスクトップのメタファーもフォルダからバケツに変わっていくという議論をした事もある。何でもかんでもバケツに放り込んで、キーワードで抽出するようになるだろう、と。実際、Windowsはさておき、世の中の流れはそうなっている。特にタブレットPCやスマートフォンによって、その傾向は加速している。


他にもユビキタスという言葉が出てきた頃、本業こそがユビキタスのトリガーになり得るというレポートを書いたが、偉い人には「あり得ない」と言われた。だが実際は、そうなってきている。人に近い所で状態情報を獲得して、それらを分析した上で機器に情報を提供し、機器は情報に従って適切に運転を行う。それが流れだろう。


最近ではロケーションサービスについても、割と早い時期から検討している。モノになっていないのは、アプローチの問題か。いずれにせよ、人はバーチャルだけで生きられるものではなく、リアルの中でのやり取りに生活行動は帰結するはずなので、リアルにより近いロケーションサービスが必要と考え「メッケ!」に至った。スマホが出てくる随分前からだ。


現在は、新しい予測を立てて、企画を練っている。これはスマホならではだが、いずれこの領域での覇権争いが始まるものと思われる。何とかしたい。

2012年5月30日水曜日

むずかしいことをやさしく

井上ひさしの名言。


むずかしいことをやさしく

やさしいことをふかく

ふかいことをおもしろく

おもしろいことをまじめに

まじめなことをゆかいに

ゆかいなことをいっそうゆかいに


書くのが文章のコツだと言いますが、一つ目を実現するのも難しい。

2012年5月28日月曜日

Facebookの混迷

FacebookIPOしたものの、株価が伸びない。売り出し価格よりも10ドルも下がっており、早くもFacebookバブルが弾けつつあるように思う。


そもそも、全てを透明にするなんていうコンセプトを受け入れられる人は極めて少ないだろう。別に隠し事があるわけではなくても、あえて明らかにする必要もない。普通の人の、極めて個人的な行動を見せられても、別に嬉しくもないし、楽しくもない。ごく稀に、異様に活動的な人がいて、その人が広範囲に影響力を発揮しながら活躍している姿を見る事ができるのには多少の意味があるとは思うが、そういった人は準芸能人のようなものだろう。


不特定多数に、自分の個人的な考えを吐露するBlogと、知り合いに限定してアピールするFacebookは、同じ情報公開にしても意味合いが随分違うように思うし、個人的にはFacebookにほとんど魅力を感じていない。


普通の人にとって、私生活の全てを明らかにするということはあり得ないということは、情報をアップデートする人は全体の10~20%程度しかいない事からも明らかだろう。ほとんどの人が「見てるだけ」な訳で、見られる事を目的にした特定の人が、声高に喧伝しているだけのように思う。


ただし、コミュニケーションのインフラとしては一定の役割を果たしている事もまた事実だと思う。知り合いへの連絡をFacebook経由でするという事は、おそらくさほど珍しくはないだろう。これは、Twitterでもいいし、mixiでもいいので、強い差別化要素にはならないが、そういった使い方をしている人がほとんどだろうと推察する。モバイルでの利用が多いのも、そういった事ではないかと思う。


こういった使い方には、ほとんど広告の入る隙間が無いので、今後も収益確保は難しいだろう。個人の属性を細かく把握する事で、より効果のある広告を出す事ができるという皮算用が、Facebookの期待値を押し上げる一つの要因だが、そこに収益が眠っている可能性はさほど高くないように思える。


このことが、Facebookバブルを早くも弾けさせつつある理由ではないだろうか。もとより、あまり期待していないが、少なくとも日本では早晩限界がくるような気がしてならない。

2012年5月25日金曜日

五感シャットアウト

東京の電車で、割と頻繁に遭遇するのが、足を踏まれたり、濡れた傘をなすりつけられたりする事だ。

自分も気づいてないのかも知れないが、感覚的にあり得ないと思っている。

足を踏まれるといっても、例えば満員電車で、靴のコバ部分を踏まれたりするレベルが多く、ガッツリ踏まれるのは年に一回もない。にしても、靴のコバという事は、高さにして5mm程度の段差に足をかけることになるので、普通、気づかない訳がないと思う。

また今、目の前に立っている人もそうだが、濡れた傘が膝や脛の辺りをスリスリしてくる。少し押し返したりもするが、気づいているのか、いないのか。これも、普通であれば、チョットした違和感や引っかかりがあれば、特に濡れた傘の場合には割とすぐに気付く類のもモノだと思う。

先日も近くの喫茶店で、長居している二人の若者に店員が、注意を促すシーンを見た。最近は、お昼時などには、店員が声を掛ける事はよくある。その若者たちは、至近距離で顔を見て注意されているのに、あえて視線を合わせず無視を続けていた。

ハッキリ言って、人としてどうなんだろうと感じたが、割とそういった人は多い。要は、自分に都合の悪い情報には、五感をシャットアウトしてしまうタイプだ。

有名人ではスティーブ・ジョブズがそうだったらしいが、どう考えても、そんなスケールの大きな五感シャットアウトタイプではない。

一般的な社会生活においては、迷惑なだけだろう。そんな人が増えていくと、どんどん住みにくい世界になって行くように思う。

2012年5月21日月曜日

白いリングから光が漏れる

今日は金環日蝕デー。ドリカムは20年以上も待ち続ける覚悟の歌を歌っていたようだが、曇り空で危うく20年越しの願いが成就できないところだった。

出勤を遅らせて、家族と天体ショーを楽しもうと、テレビの前に座り、時々刻々と変わる太陽の様子を見ていた。鹿児島は雨、串本は晴、富士山は吹雪、東京は曇だった。

横浜は曇り空。

テレビの中の東京は雲が薄くなってきており、徐々に欠けていく太陽がみえるようになってきている。横浜は小雨に。アメッシュというアプリで雲の動きを確認すると、東風で、しばらくすると晴れてきそう。

7時過ぎに確認して、雨雲の移動スピードから20分後ぐらいには多少晴れ間が覗きそう。。。なんだけど、金環になるのは7時30分過ぎなので、ギリギリ見えるかどうか。

雨が上がったので外に出て、空を見上げると、雲に覆われた空に細く白いリングが。日蝕メガネを使うと真っ暗になってしまうほどの薄い光が見えた。




確かに今まで見た事のない不思議な光景。

神々しいと見る事も、少し不吉な予感を感じる事もできる。知識がなければ、家の中で震えているかも知れない。しばらくすると雲が薄くなり、いよいよ日蝕メガネの登場かと思いきや、また真っ白に。それでも時々は明るい輪が見えるようになった。

まともに日蝕を見たのは初めてで、とても良い経験だった。金環ではなく白環だったが。

2012年5月18日金曜日

あまり見ない風景

新幹線に品川から乗ったら、C席の人が弁当を食べてた。東京からC席に乗って、品川に着く前に弁当を食べ始める人って初めて見たかも。

品川か新横浜で少なくともA席の人が来るのは目に見えており、テーブルを上げたり、弁当のすぐ上や横を通られたりして、普通に考えれば良いことない。少なくとも品川を越えないと落ち着かないだろう。

見るとキャスターバッグの大きな荷物に、弁当は牛タン。弁当はすでに7割方腹の中のようだ。仙台からの移動のようだが、弁当の減り具合を見ると、もしかしたら東京から食べ始めたのではないのかも。

普通のペースで考えると、上野に着く少し前にフタを開けたのかも知れない。計画性がなさ過ぎるが、よっぽど腹が減ってたのか。

まぁ、世の中には色んな人がいるもんだ。

2012年5月16日水曜日

ログとシェアの位置関係

ソーシャルという言葉が非常に大きな力を持ち、それに伴いシェアに注目が集まっている。

FacebookやTwitterを始めとして、Pinterest、Foursquare、Instagram、Miilなど、最近話題になるサービスは、シェアを目的としたものが多い。何をどのように他人に知らしめたいか、共有したいか、という事だ。

個人的には多少違和感を持っているのは、自分自身がこういったサービスの価値に対してキャッチアップできないほどに年を取ってしまった証拠かも知れないが、あえて重要なのはシェアではないと考えている。

最近、マクドナルドで聞いた女子高生の会話にスカイプというワードが出てきたのには驚いたが、友達と連絡を取る手段がFacebookではないようだった。スカイプの利用は電話代の節約という意味合いが強く、必ずしもシェアという概念とは一致しない。

自分自身を振り返っても、いちいちの行動を見られたいとも、他人のそれを見れるようにしたいとも思わない。連絡を取る手段としては、メールや電話で十分だし、その意味でFacebookやTwitterが置き換わるとは思えない。

本ブログにしてもシェアの意味合いは薄く、単に自分の日常のログを残しているにすぎない。

シェアに価値がないとは思わないが、シェアに大きな期待を抱いていない、というのが個人的なスタンスになる。

このブログを続けていて、一つ分かるのは、ログを残すことの価値だ。

ブログというのは、圧倒的に書いた本人が読み返している頻度が高い。その当時何を考えていたのか、何があったのかを振り返る手掛かりにして、自分の考えをまとめて行く手段の一つにしている。

先日、友人が若くして亡くなったが、居なくなってから本人が何を考えていたのかを知ることは容易ではないし、生活や環境変化のログを残していたら、少しは対処が違ったかも知れない。

ただし、ログというのは意外に残すのが難しい。意思や目的がはっきりしている人しかできない、割と高度な行動だと思う。自分自身も体系的に残しているログはない。

たぶん、普通の人にとって意味があって、誰もが潜在的には必要としているが、その手間の大きさから実行に至っていないのは、シェアではなくログだと思う。

2012年5月14日月曜日

統合アプローチ/分断アプローチ

スティーブ・ジョブズの正式評伝を、遅ればせながらよみおえた。様々な形で目に触れた事のあるストーリーで、目新しさと言えば、闘病風景ぐらいかも知れないが、その波乱万丈の人生やメチャクチャな性格に、改めて、二度と現れないカリスマの喪失を感じた。

マイクロソフトやグーグルとの闘いの中で、彼らは分断アプローチを取っているが、自分たちは統合アプローチの正しさを信じている、というフレーズがよく出てくる。

分断アプローチは、いわゆるオープン戦略でライセンス戦略とも言える。つまり、ライセンス契約さえ結べば誰でも使えるようにするという方針で、プレイヤーを増やし多様性を生み出す事ができるが、それぞれがある決まり事の中で動かなければいけないので、全体としての洗練度は落ちるし、バグも増える。

統合アプローチは逆で、自分たちで閉じた世界を作るクローズド戦略だ。一つの会社が全ての面倒を見るわけだから、当然、多様性は損なわれるし、先端技術の取込には偏りがある。一方でソフトウェアとハードウェアの一体感は揺るぎないものになり、それぞれの能力の限界まで活用できるため、一つひとつの機能が深化する。

分断アプローチのカギはオープン性をいかに担保するかで、そのなかでいかに収益に繋げていくかだろう。最後には結局、資本主義的価格競争になるのは目に見えているいるので、マイクロソフトやグーグルのように、価格競争から一歩引いたポジションを確保できない限り、旨味はない。

統合アプローチは、閉じた世界の妥当性がカギだ。誰かが作った箱庭を素晴らしいと思えるかどうかは、製作者のセンスやデザインや拘りにかかっている。多くの人に共感してもらえる箱庭を作れるかどうかが、市場規模も価格も全てを決める。

スティーブ・ジョブズは、そこに「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」という立ち位置とともに、「シンプル」という方向性を設定した。そして、そこに拘り抜くことができたから、統合アプローチでも成功できたんだろうと思う。ここに多少でも揺らぎが発生すると、分断アプローチの多様性の罠に引っかかって、徐々に衰退に向かうと思われる。今後のアップルは、拘り抜ける意思決定者の存在に掛かっている。

個人的にも現在、統合アプローチ型サービスを考えているが、立ち位置・方向性の設定と拘り抜けるかを見つめ直す必要がある。

2012年5月11日金曜日

新幹線の検札の不思議

東海道新幹線は、検札が回ってくる。これって必要なのか?

改札を通る時点でどの席に人が座っているべきで、どの席は空席でなくてはならないのかは、データとして明確なハズだし、事実、車掌は席のリストをもってチェックしている。

この席が、そこに座っている人が買った席なのかをチェックする意味は何だろう?

不正な人が座ってないか?例えば自由席の人も含めて、そこにいるべきでない人をピックアップするためだとしたら、別に検札する必要はなく、見た目でリストとの照合をすればいいだけだろう。わざわざ切符を確認する必要はない。

他に思い当たる理由がないし、検札の意味は不明だ。

大阪から東京行きの新幹線で、京都を越えたところで検札があったが、ちょうど寝入りばなで面倒だから放っておいたら、名古屋を過ぎてからの検札で声をかけられた。正直、どうでもいいと思うのだが、何が目的なんだろう?

誰か知っている人がいたら教えて欲しい。

2012年5月9日水曜日

シャープのズレ方が半端じゃない

シャープが自動掃除機を発表した。発想はともかく、基本機能も特別機能も価格設定も明らかに正しくなく、ガラパゴスの二の轍を踏むのは目に見えている。つまり、失敗→撤退だ。

発想は、別にいいだろう。iRobotのルンバが創り出した市場に挑戦者として参入する。東芝のダメな所を反面教師として、本当の対抗馬と言える製品を送り出す。

その場合の基本機能は、ルンバが設定したハードル、と言うことになる。掃除機だからゴミの除去性能が同等以上である事は最低条件だろう。つまり、ルンバが引いた自動掃除機の定義・条件をクリアする事が求められる。ある雑誌で見たが、東芝の製品はルンバに遠く及ばないらしい。平面部も角部もルンバの性能は一段も二段も上だと言う事だ。その除去率は95%以上だったと思う。方やシャープの製品はプロモーション映像ですら除去性能の低さを感じさせるできだ。ここをクリアしない事には同じ土俵に上がる事すら叶わないと思うが、どう考えているのだろうか?

もしかして追加した特別機能のユーザーへのアピール度が高く、基本機能で後塵を拝しても挽回できると考えているのかもしれない。そんなシャープの特別機能は「コミュニケーション」だ。つまり、しゃべるロボット。悩みや愚痴を聞いてくれたりするらしい。そして、時々は関西弁で笑わせてくれるとか。

掃除機にそんな機能を求めている人、いる?そもそも、不在の時や他の仕事をしなければいけないときに、自動で動いてくれたら助かるな、というシーンを想定すると、ロボット相手にムダな会話をしている場合じゃないと思える。増してや、関西弁になったからって、何か心が動くということでもないと思う。

無意味な機能はユーザーのロイヤルティを下げるだけだと思うが、いかがだろうか?

最後に、価格。ルンバの最上位機種が9万円程度で、ベーシックなモデルが5万円ほどで買えるのに、能力の劣る製品に13万円払う人っているのだろうか?そもそも掃除機は、紙パック式であれば2万円ほどで、そこそこのものが買える。サイクロン型で5万円ぐらいだろうか。そのような市場で少なくとも2倍、下手したら7倍ぐらい高価なものを手に取る付加価値って何だろう?

以前のエントリーでも触れたが、日本企業の商品開発に向かうセンスが劣化している事は間違いないだろう。本質を削り出す作業をする事なく、ムダな機能を付けて誤魔化そうとするなんて愚の骨頂だし、それを認めた経営幹部を疑う他ない。今やらなければいけない企業としての打ち手は、センスを磨く事だけだと思う。

No Sense, No Product.

2012年5月7日月曜日

Golden Week

子どもが小学生になると、ゴールデンウィークももう一つ自由にならず、扱いが難しい連休という感じがしている。

学校は暦通りだし、習い事の一つもあったりする。結局3日+4日の飛び石連休で、前半は琵琶湖に遊びにいったが、後半は地元をウロウロすることにした。結局雨が多かったので、地元で動いている方が自由度が高く、渋滞などの問題も少ないので良かったのだが、もう少し計画的に使わないとGoldenな感じがしない。。。

そうこう言っている間に、今日から仕事再開。今週が山場の仕事だらけなので、ガンバロー!

2012年5月4日金曜日

携帯電話キャリアの事業者目線

自分と奥さんの携帯電話を変えようと思い、携帯電話のプランを検討して、事業者目線のプラン内容しかない事に辟易する。

自分は、1年前までソフトバンクでiPhoneを使っていた。

家のネット回線をWimaxにすると同時にソフトバンクからdocomoのガラケー(LG)に変更した。iPhone3Gが出てすぐにdocomoからソフトバンクに変えて3年が経過した時点だったので「iPhoneの呪縛から逃れられる」と思ってた。それぐらいiPhoneを溺愛し、フル活用していたのだ。こういった機種変更(通話+メールをガラケーにして、それ以外の機能はWiFiルーターでまかなう)を実現する事で、次の機種変更時期にiPhone以外も選択肢となる自由を持てるかな、と考えていた。つまり、iPhoneでなくiPadを常用にするとか、携帯電話ではないAndroidモデルを使ってみるとか。

結果、ガラケー(LG)の出来が思った以上に悪く、ストレスが多く常用に耐えなくなってきた。

通信強度の変動が大きい、メールは送れない、通話はブツブツ切れる、電源が勝手に切れる、通話音量が異様に小さいなど。また、Wimaxもバッテリーが8時間持つという当時としては評判のよい機種だったが、スリープしない設計で8時間というのは思いのほか短く、朝7時にONすると15時には電池が切れて、帰りの時間にはとっくに電池切れになるため、毎日会社で充電していた。また、地方に行ったら全く使えず、通信が必要なiPhoneアプリの機能(例えば、地図関連アプリ)をWimaxに依存すると、使いたい時にほとんど使えない事が分かった。これも同じく強いストレスに感じていた。Wimaxに変えて丸一年になるのを契機に解約して、家のネット回線も元に戻したら、家の中でのネットが快適に。あとは、docomoをソフトバンク(iPhone)に変えるだけだ。結局、iPhoneの呪縛からは逃れられず。。。

この時、iPhoneに戻す事は決まっていたのだが、ソフトバンクかauか、という選択肢は残っていた。

折角なのでauにしたいという気持ちも強かった。家のネット回線がスマートバリュー対応しているので、割引が適用されるのにも惹かれていた。が、スマートバリューに対応するにはネット回線を今よりも一段上のプランにしなければいけないとの事で断念。一段上にするのに1470円必要で、スマートバリューによる割引は1480円ってバカでしょ。auユーザーが増える可能性があったのに、変なハードルを付ける事で、逃がしちゃったと言う事。たぶん、そういうユーザーって多いと思う。

変わって、家族のdocomo。

今使っているガラケーの調子が怪しくなってきているので、機種変したいと言う事。そして、次に携帯を変えるときはスマホかな、と思っていたらしい。彼女は10年以上のロイヤルティユーザーで、彼女の実家もそうなので、皆でファミリーになっている。通話は家族間がほとんど。メールもほとんどが家族。それ以外の機能は、たぶんほとんど使わない。

実は、そういったユーザーに向けた料金プランって存在しない。

具体的言うと「ビーモバイル(パケット128k通信)+通話」みたいなプランがあれば飛びつくユーザーは多いと思うが、こういったプランは作らない。プラン投入当初の利益の目減りが大きいからだろう。パケット通信だけで通話の無いプランを安く提供しているが、こんなプランが必要な人はdocomoのメインユーザーではないだろう。ビーモバイルがdocomoのネットワークを使って同一プランが安く提供しており、データ通信だけという事は電話番号に執着しなくていいのだからdocomoである必要性は全く無い。

docomoの優位性は、通話+メールを中心にしてきた層のボリュームだろう。

今後はそういった層が、ガラケーに選べる端末がないためにスマホに流れてくるだろう。その時に、他のキャリアに流れていかないようにする事が大事だと思う。つまり、パケット通信はそこそこで通話をプラスしたプランを、ガラケーよりも安く提供するということ。彼らがパケット通信の貧弱さにうんざりした時に、追加投資をすることで充実したサービスを提供できればいいと思う。

現在のdocomoのスマホは、ガラケーに比べると電池の持ちも悪く、月額料金も高くなってしまうので、「通話+メール」層にしてみれば、ほとんど魅力がない。せめて月額料金を魅力的にして提供する必要があるだろう。彼らをdocomoに結びつけているのは単にブランドでしかなく、そのブランドも急速に毀損している。ファミリー丸ごとMNPでソフトバンクに移られたら目も当てられないと思うが、どう考えているんだろう。

2012年5月2日水曜日

Black&White

今月のファーストデイは「Black&White」を観た。お気楽ムービーの極みで、CMに謳うようにデートムービーと言えば、単純に楽しむ事においては合格かもしれない。

CIAのエリートエージェントで親友の二人が、偶然とは言えない偶然で一人の女性をターゲットにする。そこからは意地の張り合いとちょっとしたゲーム要素を織り込む中で、徐々にのめり込んでいく。その過程は公私混同も甚だしく、CIAエージェントとしての仕事をカモフラージュとして、最高難度のスパイ大作戦が繰り広げられる。

冷戦以降存在感が薄くなったとは言え、CIAを馬鹿にし過ぎじゃないかとも思えるが、実際、その程度にしか仕事が無い事を揶揄しているのかもしれない。エシュロンなど投資は半端ないが、成果はほとんど目に見える事がないので、ジョークの対象になりやすい。

何を期待して観に行くかによって評価が大きく分かれそうだが、まさにデートで時間を持て余している時には最適だろう。そう考えると、映画というのは開演時間も戦略的に設計する事ができそうだ。シネマコンプレックス以降新しい取組みのない映画業界として、開演時間の設計で個人のライフスタイルに踏み込んでいくのも一つの手なのかもしれない。

2012年4月30日月曜日

力士祭@海津天神社

琵琶湖の湖西にある海津天神社で「力士祭」というお祭りがあった。たまたま近くにいたので、少し覗いてみた。ネットで探しても何時に祭りが始まって、何時に終わるのか、どういった内容なのかほとんど見つからず、昼食がてら11時過ぎに行ってみた。

参道には松明の準備が進められており、村の各所から祭りの雰囲気を感じる事ができるが、それ以上ではない。神社に着いてもほとんど動きが見られず、どうしようかと考えていた時に、村の方から法被を着た子どもの一団が到着。少し賑わいが出てきた。


神社に入って正面に大きな社があり、中を覗くと、大きな神輿が2基と小さな神輿が1基置いてある。社務所で祭りの概要を聞くと、海津港が北陸から京都への輸送基地として賑わった300年前から始まったと言われ、その当時、回船問屋で働く若者達が力士をまねて化粧まわしを着け、美しさを競ったのが始まりだそうだ。l
12:30に子ども神輿が出発し、13:30に大人神輿が出発する。大人神輿は、海津と西浜に分かれて村を練り歩き、20:00頃神社に戻って、ぶつかり合う「おねり」を行うらしい。


段々と人が増えていき、一升瓶を持ったふんどし姿の若い衆が早くも酔っぱらい、観光客に絡み始める。写真が趣味の老人が集まり、法被姿の子ども達を撮影するのかと思いきや、我々の方に近づき、子ども達を囲んでちょっとした撮影会になってしまった。この人たちにとって、祭りはどうでもいいのかな、なんて思いながら苦笑。


特に出店がある訳でもなく、非常にシンプルでローカルなお祭りで、観光資源化されてないだけ潔さを感じた。

その後も車で村の近くを通ったが、家の前には提灯をぶら下げ、子どもも大人も神輿が通るのを楽しみにしている雰囲気を感じた。自分自身は新興住宅地育ちで、そうった原風景を共有していないが、非常に日本的で大切にしていきたいと思った。

日本中のあちこちに、こういった素朴なお祭りがまだまだ残っていると思うが、今後も残していく必要があるだろう。

2012年4月27日金曜日

友人が死んだ。。

中学時代の友人が突然亡くなった。
友人の死に触れる事が今まで無かったので、うまく頭が整理できないでいる。

ここ10年ぐらいは、ほとんど会う事もなかったのだが、20代前半はよく一緒にカラオケに行っていたし、彼の実家は飲食店をしていたので、そこでバイトをした事もあった。それ以前で言うと、中学時代の1980年代中頃は、彼の家でよくゲームをしたものだった。

思い起こせば、新興住宅街で飲食店を営んでいた彼の実家は、その当時のサラリーマンに比べると裕福だったのかもしれない。自分の家にはないものが色々あって、物珍しく、よく遊びに行っていた事を思い出す。ビデオデッキ(ソニーベータ)、パソコン(シャープMZ2000)、ファミコンなどなど。爆風スランプが好きで、カラオケでは「大きなタマネギの下で」をよく歌っていた。今も九段下を通ると、無意識で彼の事を思い出していたように思う。

ここ最近は、めっきり交流が減っていた事もあるのだろうが、まだ全く実感が湧かない。

何もなし得てない自分を振り返っても、早すぎる死だと思う。今、死んだら、思い残す事ばかりだ。そう思うといたたまれないが、ご冥福をお祈りしたい。

彼がいなかったら寂しい中学生活だったかもしれない。中学時代の思い出を、ありがとう。どうぞ安らかに。

2012年4月25日水曜日

限りある土俵の中では自由

かつて「Macは塗り絵で、Windowsは真っ白なキャンバスだ」と書いた事がある。改めて、サービスというか大きくは商材とはどうあるべきかを考えてみた。

よく日本企業は、利用の自由度を上げて、何にでも使える商品を提供しようとする。実は、今のAndroid端末などもそうなのだが、何にでも使えるものは、よっぽど明確な意志がない限りは何にも使えない、というのが真実だと思う。ほとんどのノートパソコンは筐体の四方に様々なポートが並び、多くの人はその3割ぐらいしか使わない、というか使えない。

本当に必要な機能なのか、という議論がほとんどなされないまま、様々な人の意見を取り込んでいくという、悪い合議プロセスを経ると、こうなってしまうのだと思う。今の自分の立場を振り返っても、ポリシーを持たずに合議プロセスに入ると、声の大きい人もしくは役職の高い人の意見が大きく取り込まれて、どんどん形が変わっていくことになる。出来上がったものを見ると、いかにもグロテスクで、当初思い描いていたものとは全く違うものになっていたりする。

こういったものづくりも、見方を変えれば、全ての人の要求に応える完璧なマシンとも言える。別の見方をすれば、誰が使っても3割ぐらいしか使えないマシンとも言える。これが、真っ白なキャンパスと言い換えている。

真っ白なキャンパスも、その大きさや白さを十分に使い切る事は難しく、全てを有効に使える人はほとんどいない。端っこの方に小さな絵を描いてしまったり、全体に間延びした絵になってしまったりする。そして、いろんな人の意見を聞くと、何を描きたかったのか分からなくなってしまったり、だからといって、誰の意見も聞かないと絵にもならなかったりする。

他方、Macは塗り絵的で、できる事は限られているし、出来上がりも何となくイメージできたりする。だから、幼児から老人まで、特に使い方を教える事なくとも、一定のクオリティの作品が作れるし、ある意味狭い領域で、ある決められた絵を描く事だけに集中して、その完成度を高めていく事ができる。

塗り絵を提供する事は、提供する側としては大変難しい決断だと思う。できる事を限定すると、明らかに使う人の人数が減る訳だから、通常のロジックでは意思決定できないだろう。ただ、これからのものづくりにおいては、必要不可欠な考え方なんだと思う。

一つの考え方として、レイヤーを分ける事で、両者の利点を取り込む事ができるとも考えられる。

使える領域を限定しつつ、その領域内では自由度を高めて上げるということで、塗り絵的なんだけど、テーマが決まっているだけの塗り絵とでも言う形があり得るのではないかと思う。実は、Appleの商品は全てそのように設計されているとも言える。活用するシーンを限定しているが、そのシーンの中で何をするかに対する制限はなるべく少なくなるように設計されているように思える。

これからのサービスは、このような考え方が中心になっていくんだろう。

2012年4月23日月曜日

東京都が尖閣諸島を購入するかも

国民が国土に対して責任を持つ事は良い事だと思う。

近隣諸国への配慮を強調しすぎた結果、今の曖昧な状況がある訳だが、国の形を明確にすることは、非常に重要だと思う。

本来、国がやるべき仕事なので、どこまで地方自治体がしゃしゃり出て良いものかとは思うが、今の日本で、ある程度はみ出た行動ができる人も限られているので、やむなしと、個人的には感じている。

寄付も受け付けるらしいので、協力したい。

2012年4月20日金曜日

隣のGalaxy

電車で隣に座っている人が、おもむろに持っているスマホのケースを外した。その後、背面カバーも取って電池を外して入れ直した。どうやらフリーズしたので、強制的に再起動したらしい。

う〜ん、あり得ない。
今時そんな携帯使ってるの?パソコンでも強制終了なんてほとんどしないのに。MacでもiPhoneでもiPadでも強制終了させなければいけない事態になったことがないけど。。。ちなみに自分のiPhoneは32Gモデルで実質30Gだけど29.5G使っているという、危険な状態。それでもフリーズはしない。

フリーズするという未熟さを受け入れて、それも一つの癖と喜んで、特殊なスキルでカバーするのは、15年ぐらい前に終わったと思ってたが、未だにAndoroidでは健在らしい。

再起動していたスマホはGalaxy S。一時期、Androidにトライしたいと思っていたが、今日の光景を見たら、絶対嫌だ。あの青い画面にも耐えられそうにない。

やっぱり、iPhoneだな。完成度が違う。

2012年4月18日水曜日

こんな事で大臣を辞めさせてはいけない?

相変わらず意味不明な民主党。野田政権になっても、人材の劣化は留まる事を知らない。

一つ目は防衛大臣。北朝鮮のミサイル発射への対応には誰も納得しないだろう。まず言い訳として、「不意を突かれた」なんてのはワードとして使ってはいけないと思う。逆に、不意を突かないミサイルがあるのか、と問いたい。すぐ近くに世代交代によって、状勢が不安定化している、もとより危険な国があるという前提の中で、いったいどういった想定をしていたのだろうか。

政府関係者「不意を突かれた…」官邸は情報出さず

そして、Jアラートを作動させなかった事も意味が分からない。官房長官の言によると「短距離ミサイルかもしれない。燃焼(実験)のみかもしれない。あそこに据えられた人工衛星と称するミサイルなのかどうかも、なかなか確認に時間がかかっている」「情報のダブルチェックに時間がかかった」という事で、チェックによって安全を確認できたので、国民に知らせる必要はない、という判断だったらしい。

一年前の震災は、一体何だったのか?非常時には、どこかで判断して「情報の質やスピード」を落とす事が命取りになるという事が、骨身に沁みて分かったはずではなかったのか?国家としての防衛・防御・防災というパラダイムは完全に変わったはずだったのに、何も変わっていない事を実証してしまい、世界中に恥と弱点を晒したといっても良いだろう。今更、ミサイルかどうか分からないとか、ダブルチェックで情報提供の機を逸するなんて、あってはならない事だろうと思う。

また、国土交通大臣もひどい。秘書官から渡された書類に、盲判を押すという行為だけでも気が狂っているんじゃないかと思うが、あろう事かサインをしている上に名刺まで渡している。もう、人としておかしい。しかも、公職選挙法に抵触するかどうかは、自分の存在に関わる話なので極めて慎重になるべきだと思うが、その配慮すらない。もしかしたら、自分の身を滅ぼすだけでなく、詐欺の片棒を担ぐような書類だったかもしれないし、何か人を不幸に巻き込むような指示書だったかもしれない。そんなものでも、何も考えずにサインをしていたという事だろう。今までの書類を全て見直した方が良い。

そして何より、全てを秘書官に押し付けて、自分は知りませんでしたと言える厚顔無恥さに驚く。自らサインした書類を目の前にして、政治家として使ってはいけない言葉だと思う。

この三者を、それでも使い続けようとする野田首相も、それが自らの信頼を損なう行為だという事に気がついた方が良いだろう。些細な失点で安易に辞任させる事には賛成しないが、これらの事例は、この人たちが政治家としての資質を持っていない事を示しているので、即時に更迭するべきだろう。

ポッポも菅も小沢も勝手気ままに動き回り、足を引っ張りまくっているし、民主党は正に烏合の衆という様相を呈している。

2012年4月16日月曜日

井戸を掘る人

何か水が飲みたいねー、なんて皆が言っている時に、思い切って腰を上げて井戸を掘り始めると、
「そんな所から水は出ないんじゃないか」とか、「水の出し方は俺の方が得意だから任せろ」とか、「今までの経験によると・・・」とか、言い出す人がいる。

こういった人たちは「掘った井戸」というリアルな事象を通じてしか、物事の理解が進まない人だろう。正直、後だしジャンケン的で、少しイラっとする。

より良い井戸を掘るために、水が出る前から井戸の壁をキレイに整えたり、別の穴を掘ろうとしたりする。

素直に言えば、初めから自分で全部思い通りに掘れば良いのに、という気もするが、時間もないんだろう。とにかく人にやらせてダメ出しをする、そのスタンスにウンザリする。

そんなこんなで1ヶ月ほど、作業が止まってる。つくづくと、井戸を掘り始める人の貴重さ感じる。一緒に井戸を掘ってくれる人を大切にしたい。

2012年4月13日金曜日

映画月間(iTunes)

出張も多かったので、その移動の合間に、iTunesで映画をダウンロードして、iPadやiPhoneで楽しんだ。

■幸せの隠れ場所
「マネーボール」のマイケル・ルイスが原作の、アメフト選手マイケル・オアーの物語。「インビクタス」や「サッチャー」もそうだが、ノンフィクションものに対する日米のスタンスの違いを感じるのは、登場人物の名前だ。洋画は実名が中心なのに対して、「はやぶさ」や「陽はまた昇る」などの邦画は仮名を使うのはナゼなのだろう?

それ以上に、日本ではありえないストーリーに驚いた。

比較的裕福な家庭の子弟が通うミッション系の高校に、ある時、(1)出生届すら存在しない黒人の子どもが入学する。(2)半ばホームレスなその子どもを見かけた、ある裕福な白人家庭の奥様が、(3)家に招き入れ、(4)最終的には養子にしてしまう。その子どもは飛び抜けた運動能力と保護本能を持っており、それゆえ、(5)アメフトでその才能を開花させる。アメフトの有名校からのオファーがたくさん届き、結果的には保護者たる白人夫婦の母校に入学することになる。(6)その進学が全米大学協会?に見咎められ、尋問を受ける。「(7)あの白人夫婦は、自分の母校に強い選手を入れたくて、お前を養子にしたんじゃないか?」と。。。そして、その黒人の子どもは、(8)全米でも屈指の名選手として現在もNFLて活躍している。

全体に愛に満ちた良い映画なのだが、(1)から(8)のどの事象も、たぶん日本ではあり得ない。これが実話なのだから、アメリカってスゴイ国だ。

■ハートロッカー
イラクに駐留している米陸軍爆弾処理班の話。

終わりのない戦場に神経をすり減らし、一年の任期を終えるのを指折り数え暮らす兵隊と、その緊張が病みつきになり、冒険的な行動を繰り返す兵士の物語。

戦争は全ての人の精神を蝕む「麻薬」のようなもので、登場人物は徐々に病んで行く。これが戦争のリアルなのかも知れないし、そうでないかも知れない。

全くもって希望のない映画だった。

■ミッドナイト・ラン
賞金稼ぎとお尋ね者のバディストーリー。警官崩れの賞金稼ぎが、会計士崩れのお尋ね者を追う。ここにチェイスはなくアッサリ捕まる。

移送中に起こる様々なできごとが二人の距離を近付け、ややストックホルム症候群のような状態に。ただし、どちらが犯罪者に近いかは微妙。逃げられたり、別の賞金稼ぎに奪われたり、鈍臭いFBIが派手に追いかけてきたりと、ゆる~い追いかけっこが続く。

中でも面白かったのは、FBIに車で追いかけられ、道を外れて荒野を進む場面。この監督は宮崎アニメのファンなのだろう。あり得ない数のパトカーが追いかけてきて、荒野のあちらこちらでひっくり返る。ルパンと銭形のいつもの光景が実写になってる感じ。

最後はそれぞれのハッピーエンドを迎える。安心して見られる、微アクション・微コメディの傑作。

■39
妹を殺された男の復讐劇。刑法39条が生み出す歪みを描いた作品で、非常に印象的な森田芳光監督作品。
刑法39条とは、「1 心神薄弱者ノ行為ハコレヲ罰セズ 2 心神耗弱者ノ行為ハソノ刑ヲ減刑ス」というもので、犯罪被害者遺族にとってはやりきれない条項だろう。

妹を殺した犯人(A)が刑法39条によって半年ほどの入院で刑を終えた事を知った主人公(B)は、刑法39条を逆手に取って周到な準備の上で復讐を図る。精神分析の本を読みあさり、どのような回答・受け答えが適当かを事前にシミュレーションする。多重人格障害を発症しそうな生い立ちをもち、秘密裏に葬られた人間(C)を探し出す。何者かに追われて別人(D)になりたがっている人を見つけ出す。(B)は(C)になりすまし、(D)に自らの戸籍を売る。(C)になった主人公は既に(A)との関係が表面上はなくなっており、(A)に復讐を果たしてもその関係を疑われる事はない。そこで精神障害を装えば、刑法39条によって減刑される、という作戦。

結局は僅かな綻びから全てが明らかになるのだが、法律の条文が持つ冷酷さと、社会的弱者に対する間違った優しさによる歪みが被害者・加害者に歪んだ影響を与えて、誰の心も解放されずに怨恨の連鎖を生み出す。

普段は触れる事のない社会的な歪みを捉えた作品。

2012年4月11日水曜日

映画月間(TV)

取り溜めていたTV放送も観てみた。

■ウルヴァリン:X-men ZERO
ウルヴァリン誕生のストーリーだが、人とは違う能力を持ち、迫害され、行き場をなくしたミュータントが、結局は大きな力に操られる形で自分の運命を変えていく事になる。

X-men本編の謎解きスピンオフ作品だ。ミュータントの秘密基地に、人が立ち寄らない場所として、スリーマイル島を選んでいる事が、今の日本の状況を振り返ると少し物悲しかった。

■ルパン三世:カリオストロの城
言わずと知れた日本アニメーションの傑作。ルパンの超人ぶりが楽しい。

ストーリーは壮大で、国連加盟の独立国家であるカリオストロ公国内で高精度な偽札が作られている事が全ての発端。偽札製造の秘密を探る中で、明らかになる陰謀を阻止すべく、いつものメンバーが走り回る。宮崎アニメの原点の一つ。

■シャーロック・ホームズ
「チャップリン」以来、久々に見たロバート・ダウニーJr。昔々読んだコナン・ドイルの原作イメージを、かなりアクションに寄せた作品。

これはこれで面白い。かつての小説やアニメをリアルに追求すると、若干エグくなるものが多いが、これもその一つ。色々なトリックを種明かしをしながら、解決していく上で、ホームズの超人的な能力が発揮される。

続編を意識してモリアーティ教授が少ししか出てこない。

■センター・オブ・ジ・アース
ジュール・ベルヌの「地底旅行」が原作。地球の中心には何らかの地底世界が広がっているというベルヌの小説を信じるベルニアン達の物語。

地底世界は地上世界と同じような生物が暮らしているが、人間だけがいない、という感じ。地底と地上を数千キロ往復する展開が、アトラクション化を意識したような感じで面白かった。

■ナショナル・トレジャー
独立宣言書に隠されたメッセージを読み解き、宝を探し当てる。

徳川埋蔵金のようなもので、探せば探すほどヒントだけが出てきて、なかなか宝にはたどり着かないのだが、最終的に発見するお宝はまさにナショナル・トレジャーというべきもので、そのスケール感は、他の映画ではなかなかお目にかかれない。

ニコラス・ケイジは二枚目でもタフガイでもないのだが、ほどほどのアクション(もみ合い程度?)には適役だと思う。

2012年4月9日月曜日

映画月間(映画館)

4月はのっけから映画三昧だ。

1日の映画の日(ファーストディ)には、「マーガレット・サッチャー」を観た。非常にタフな女性だ。

現在の日本政治を思わせるような揚げ足取り主体の国会は、国民を置き去りにした議論が行われていた。時代は1970年代。行政は停滞し、街には浮浪者が溢れ、ゴミだらけ。教育も後回しになり、教育相だったサッチャーは、状況を打破すべく党首になる事を決意する。力強く、ある意味独裁的に引っ張るリーダーを求めていた世論の支持を受ける。

サッチャーの理想論は、首相就任当時は空回りしていたが、冷戦終結などの時代の流れもあり、レーガン、ゴルバチョフと共に、強く支持されるようになっていった。しかしいつしか、その独裁的手法、完璧主義に、部下や人民の心が離れていき、首相の座を降りる事になる。。。

先進国の経済はシュリンクし、日本の政治は停滞している。何かのきっかけで、社会が大きく変わる可能性は高い。その時にはサッチャーのような人が、大きく力をつけ、人々を導くのだろう。

2012年4月6日金曜日

日本が原子力技術の鍵を握っている

原子力は日本がリーディングカントリーだ。というか、商用炉は日本メーカーが関与しないと作れないのが現状だ。これは、スリーマイル島が契機になっているようだが、米国メーカーが手を引いたり、日本メーカーと手を組んだりした結果だ。

世界の原子力技術を一手に担っている日本が、原子力技術から手を引く事は、既に許されない状況ではないだろうか。

このままで行くと、中国メーカーが原子力の最先端技術を持つ事もあり得る。中国の国内需要を考えると、原子力を担う国策企業が現れることは既に既定路線のような気がする。日本だから平和利用のみで済んでいたが、中国だとそうはいかないだろうし、レアメタルと同じで、いずれそれを政治的な武器に使う日がくるだろう。

今、日本が原子力から手を引くと、世界はいずれ大混乱に陥るだろう。何らかの問題が起こった時に、エネルギーを心配しなくて良い国と、太陽の出ている昼間しか戦えない国では、勝負にならない。

世界のために日本は、原子力技術を堅持するべきではないだろうか?ナイーブな世論を受け止めて、原子力技術を捨てて良いのだろうか?技術だけは持ってるが商用炉は稼働していない、という国の技術は信用できるだろうか?それとも、そんな事はアメリカに任せておけばいいというのだろうか?

原子力は、高度に政治的な問題なので、一般世論は、一旦横に置いて議論するほかない。そして、原子力が存在する事を前提に、あるべき姿を模索するしかないと思う。

その程度の民度の高さを、日本国民は求められていると思う。

2012年4月4日水曜日

あまり賛同できない地震・津波予測

先日、南海トラフに起因する地震・
津波の予測がバージョンアップした。マグニチュード9.1、場所によっては30m以上の津波が、地震後2〜3分ぐらいで襲ってくるらしい。

予測に関わった研究者は、想定外が起こり得ない最大限の予測を行ったと、胸を張る。これって正しいのか?

想定地震は、未だかつて経験した事のない、正確にいうと記録には残っていないレベルのものだ。貞観地震でも1000年以上前で、地質調査がどこまで進んでいるか分からないが、もしかしたらそれより一桁か二桁、つまり10万年単位かも知れない。

翻って、人の一生は80年、建物の寿命は通常30年ぐらいのもので、70年を超えると重要文化財候補に挙がる。ようやく復原工事が終わりそうな東京駅が、ちょうど100年前の鉄骨煉瓦造だ。

100年保てば、文化・文明の継続性としては十分じゃないかと思える。

100年前は明治から大正に変わる時期。建物は木造、着るものは和服、下着は褌、夏は団扇、冬は火鉢だ。そういった文化も残ってないのに、それ以上の期間に亘って安全性を担保する必然性なんて、ない。そもそも街に千年・万年単位の永続性を求めている人なんていないだろう。

もちろん一部には必要な情報だろう。例えば、原子力関連施設や政府の機関にとっては。

そういった仕分けをする事なく、一般に情報を垂れ流すことは、間違った判断ではないだろうか?もしやるとしたら、対策コミで発表すべきだろう。そうしないとイタズラに風評被害を撒き散らしてしまうだけだ。

新島なんて、完全に津波に飲み込まれてしまい、島が分断されるのだが、海を過剰に恐れて生活できる場所ではない。沼津も高台移転が議論されているらしいが、30m以上も高地に移転するなんて、正気の沙汰とは思えない。10万年に一度を恐れて、直近の生活を捨てることになる。そんなの合理的な判断じゃないし、海があるのに近付けない沿岸部なんて、誰も住まないだろう。

明日、10万年に一度の地震・津波が来たとする。今回の想定以上だった場合は、やはり「想定外」としか言えないだろう。

東日本大震災でわかった事は、全てを想定内にするのではなく、想定外の事が起きた時にも適切に対応できるようにしておこう、と言うことだったと思う。

その意味で今回の発表は、震災から何の教訓も得ていないと言える。リスクをゼロにしようとする、絶対安全志向は方向性として正しくない事が立証されたばかりではなかったのか。この予測発表に関わっている人たちのインテリジェンスを疑うほかない。

2012年4月2日月曜日

電気の使い方のルールが変わる

もうすぐ日本から原発がなくなる。そして、しばらく動く気配はない。今の政府のやり方はあまりにも短慮で、組織や体制を変えず、事故の原因究明も碌にしていないようなので、当面の再稼働はあり得ないだろう。

そうすると、電気の使い方が変わる。

今までは夜間の電気代を安くして、そちらにデマンドをシフトさせるような事が主流だった。いわゆるピークシフトと呼ばれるもので、蓄電池やエネファームのようなものだったり、電気自動車の有効利用だとか、そんなアイデアだ。これは、総電力量(kWh)としては変わらないが、必要となるタイミングの制御して、なるべく均一な供給量(kW)で賄えるようにする考え方だ。発電設備は通常、ピーク電力量に合わせて用意されるので、ピークが下がるということは発電設備を削減できる、ということになる。

この考え方の根幹にあるのは、夜間電力が安く供給できるということで、これは原発の特性に依存している。つまり、一旦動き出したら容易には止められず、一定量の安定供給を安く行える原発由来の電力があるからこそ、夜間には安い電力が余ることになる。

逆に原発が止まると、夜間の安い電力という考え方は消滅する。

需要に応じてフレキシブルに対応できる火力発電の特性を考えると、昼間の方が運転効率が高い(=電気代が安い)事も考えられる。日中は、さらに高い太陽光発電が入ってくる事を考えると、相対的に夜間が安くはなるが、太陽光発電の導入意義を鑑みるとおかしな話なので、FITによって火力同等に抑えられるのだろう。そうすると、昼も夜も火力発電単価をベースに計算する事になって、特に夜間だから安いという事にはならない。政策的に夜間を安くする事はできるが、その分は昼間で補填する事になるので、納得が得られるとは思えない。

脱原発によって、電力ポートフォリオを変える事は、今までの行動様式を変える事に直結する。夜間電力を組み込んだ様々な取組みは、全てムダになる。これからは、自由に使いたいタイミングで電気を使う事が、求められるのかもしれない。

2012年3月30日金曜日

目の付けどころがシャープかどうかは、今後の展開次第

シャープが「鴻海グループとの戦略的グローバル・パートナーシップの構築」を発表した。

シャープ本体と堺工場や亀山工場で液晶ディスプレイの製造を担当するシャープディスプレイプロダクト(SDP)に対して、ともに670億円ほどの出資を受けるそうだ。結果、シャープ本体の10%、SDPの約50%を鴻海グループが保有することになる。シャープ本体の10%は、日本生命を抜いて筆頭株主になる規模だ。

SDPは生産量の50%を鴻海(Foxconn)が引き取る事になるらしく、要はFoxconnの液晶部品製造子会社ということだ。

Foxconnは、世界中のITデバイスの委託製造(EMS)を行っている企業で、100万人の雇用を抱えている。雇用環境や新しいiPhoneなどの製造に関して話題になることが多い。EMSっていうのは、規模の経済を極大化させた事業形態で、薄利多売が商売の基本だ。生産量を増やす事で内部コストを削減し、利益を生み出す仕組みなので、簡単に言うと「部品を安く調達して」「安い人件費で組み立てる」ことが求められている。

人件費は、中国では高騰の一途を辿っており、もはや価格競争力があるとは言えない。そのため、できる限り部品を安く調達する事が、今後の存続には不可欠だろう。現在、精力的に作られているスマホやタブレットなどデバイスに限って言うと、調達コストの大部分をディスプレイとバッテリーが占めていると思われる。実際、iPadなどの分解写真を見ると中身のほとんどはバッテリーだ。

なので、Foxconnにしてみれば、ディスプレイとバッテリーの内製化は、喫緊の課題だったんだろうと思う。

そんな中で、人災(ムダな地デジ化と需要先食い効果しかなかったエコポイント)として起こった日本の液晶ディスプレイ市場の大縮小。シャープが苦しくなるのは目に見えていた。何より1兆円もの巨額投資を行った堺工場が、本格稼働を前に市場シュリンクが起こってしまった事は、シャープのビジネスを極端に難しくしてしまった。逆に、日本市場に入り込めてなかったサムソンやLGは全く傷を負っていない。

自分がFoxconnの立場でも、SDPに白羽の矢を立てるだろう。

液晶ディスプレイの製造は、Foxconn向けが最優先になるんだろうし、内部取引における利益なんて出ないだろうから、今後は、Foxconnの競争力に貢献する事を第一目的とした工場になるんだろう。SDPはそれでもいいのかもしれない。もとより製造部門を切り出したという事は、薄利多売のレッドオーシャンを泳ぐ覚悟をしていたという事だから。

問題はシャープ本体で、液晶ディスプレイ製品に関して巨大市場を作るべく、新しいコンセプトをぶち上げるのか、それとも、液晶ディスプレイは捨てるのか。現実的には後者だろう。とすると、シャープに残されたものは一体何なのだろう?FIT(固定買い取り制度)頼みの太陽光パネルは、エコポイントの二の舞になる事が目に見えている。シャープの事業内容を見ると、液晶以外に今後の柱がないような気がする。

以前も書いたが、新規事業で売り上げを伸ばすには、新規事業そのものではなく本業と呼べる事業の柱への利益誘導がスキームとして必要だと思うが、肝心の事業の柱があるようには見えない。ガラパゴスの失敗でも明らかだが、革新的なビジョンメイク、事業化に向けたコンセプトの絞り込み、製造段階での拘り、営業展開における発想の豊かさなど、事業を作り出す全てのポイントがシャープには足りていない。

グローバル連携と言う意味で鴻海グループと組むのは、目のつけどころとしてはシャープだったかもしれないが、自らの身の置き場が曖昧ではどうしようもない。今まで通りのスピードでは、復活は難しいだろう。なりふり構わぬ展開で、今後の日本メーカーの行動規範を刷新するぐらいの活躍を期待したい。

2012年3月28日水曜日

HASHIMOTO way

維新塾を見ていて、改めて橋本市長のしたたかさというか、強さを感じた。


2000人を集める勢いを持続している事にも驚くが、世論を二分し結論のでない問題に対して、争点を明確にして国民投票に持ち込みたいという、その政治手腕がすごいと思う。争点を明確にするという意味で、いち早く「脱原発」を挙げ、維新に乗るか反るかというポジションを取った。これは小泉元首相が好んで使った作戦だ。


原発というのは、本当に悩ましい。反対側も賛成側もその理由はさまざまで、だから、誰も判断を下せない状況にある。まさに江戸末期の幕府存亡をかけた戦いのようなものだ。最終処理にめどが立ってないことを理由にした「現実的反対」、とにかく原子力・放射能への拒否反応からくる「原理的反対」、省資源国ゆえの「原理的賛成」、経済発展とエネルギーポートフォリオを睨んだ上の「現実的賛成」。

明治維新は、開国/鎖国、佐幕/倒幕の2軸で整理する事ができると、以前に書いた事がある。歴史の結果は、最も既得権益者が損をする=支持者が少ない「開国×倒幕」に流れ、その後の国際化を鑑みると正解だったと思われる。原理主義的なものではなく、現実主義的な考え方へと時代は動いた。原発問題は賛成/反対、原理的/現実的の2軸という事になるが、最も現実的なのはどの選択肢だろう。

橋本市長は維新塾で「脱原発」を旗頭に国政に打って出ようとしているが、一方で維新塾はただの勉強会だとうそぶく。自身は次回の衆院選では国政にでず、維新塾に集まった手駒で流れを作り、仮に維新の会が勝った場合には4年間フィクサーとして地方から国政を操り、その次の衆院選に出馬するつもりじゃないかな。党首で、なおかつ、維新の会が4年間しっかり働き下地を作れば、初当選即首相も夢じゃない。それでも2017年。橋下徹48歳。伊藤博文に次ぐ歴代2位の若さでの宰相になる。2013年、もし維新の会が負けても、大阪市長を続ければいいだけで、脱原発は捨てて、「地方分権」をもう一度旗頭にすればいい。

いずれにせよ、橋下徹の勢いは衰える事はなさそうだ。

2012年3月26日月曜日

ヒットアプリの条件

世の中にあるサービスのうち、はたして既に歯が立たないほどジャイアントなものがあるのか、ということを改めて考えさせられたのが「LINE」の大ヒットだ。

「LINE」は、いわゆるIP電話で、現在の所スマートフォンに絞って展開している。8ヶ月で2000万ダウンロードを達成し、今年度最大のヒットと言っても過言ではないだろう。IP電話サービスというのは、割と昔から存在し、特にスカイプの知名度は高い。実際、PCにおけるスカイプの支配率はかなりのもので、(ライブドアが元気だった)一時期は積極的にバンドルされていた事もあり、PCでIP電話を使おうという人にとっては第一候補となっていたと思う。

そのスカイプが、スマートフォン時代に入ってからは元気がない。理由は、スマホではバンドルという概念が希薄(市場シェアの高いiPhoneにおいては皆無)で、必ずしもスカイプが第一候補ではないこと、そもそもスマホは電話機能を持っている上、条件によっては無料通話が可能であり、IP電話の優位性が明確になっていないこと、などがある。

そのような中で「LINE」がローンチされ、大ヒットを記録している。「LINE」が今後どのように成長していくかは分からないし、本当にIP電話を積極的に利用する人がそんなに多いのかも、まだまだ不透明だ。

それでも一つ分かったのは、たとえPCの世界でジャイアントであっても、スマホでは別だと言う事だ。もっと言うと、PC市場では成熟したと思われるサービスでも、スマホ市場でその実績が活かせるとは限らず、競合サービスの参入余地がまだまだ残っていると言う事だろう。

また、PCではプラットフォームよりもアプリへのロイヤルティが高かったが、スマホでは逆な気がする。具体的には、PCではMSオフィスが使えることが重要だったが、スマホではiPhoneで使えることが求められていると感じる。理由は、マーケットが厳密に設定され、かつアプリ製作が簡単になったからだと思われる。つまり、プラットフォームが設定するマーケットに並べられているアプリからしか選択できないが、その選択肢が多様で変化に富んでいるので、特定のアプリがマスを握ることが難しく、結果として、アプリがプラットフォームよりも支持を集める事ができないのではないかと想像する。

「LINE」を含めて(ゲーム以外で)ヒットするアプリは、プラットフォームを超えて利用されることが前提で、また、プラットフォームを超えて使われることに意味があるものだけのような気がする。その意味でコミュニケーション系のアプリはヒットしやすいのだろう。

スマホを使ったサービスをヒットさせようと思ったら、プラットフォームを超える必然性を用意しておかなければならない。

2012年3月23日金曜日

ますます怪しいソーシャルの利用率

Facebookの月間利用者数が1000万人を超えたらしい。

mixiが1520万人ぐらいらしいので、かなりの勢いで追い上げているということだろう。グラフの下部に「PCブラウザ、ケータイブラウザ、スマートフォンブラウザ・アプリ等、全て含む」という但し書きがついている。Facebookの責任者によれば、「この1000万人とはPCやモバイルなどデバイスを問わず月に1回でもFacebookにログインしたユーザーの数を指す」らしい。

Facebookが浸透してきているのは事実だと思うが、ソーシャル事業者が使う数字には胡散臭さがつきまとう。

まず、こんな縦軸のスケールが入っていないようなグラフの何を信じればいいんだろう?取って付けたように1000万人オーバーと言われても、信じる気にはなれない。数字をグラフを使って説明する時に、縦軸のスケールはおろか、それぞれのポイントでの数字を示さないのは、きっと何かを隠したいからだと思う。順調に伸びている事を言いたいんだとすれば、最近の伸び率の鈍化を隠すため、と考えるのが妥当だろう。

そして、1000万人という数字がログイン数を示しているのであれば、但し書きは不要のはずだ。どのデバイスから、またどのアプリからアクセスしていようが、ログインという意味では同じであり、取り立てて「全部含む」という注記をするのはナンセンスだ。これも、但し書きを書かざるを得ない状況を考えると、特にアプリにおける自動ログインのようなもの(ユーザーの意思とは無関係のログイン)をカウントしていると考える方が自然だろう。

また、以前にも書いたが「月に1回でもログインしたユーザーの数」の中には自分も含まれるが、利用者数としてカウントされる事には大いに違和感がある。毎日のようにFacebookからのメールが届き、たまに本当に時間が空いたとき、最も低い優先順位としてFacebookにアクセスする事はある。週に1回ぐらい。それでも、1000万人にカウントされているんだから、ずいぶんと膨らましたもんだという印象を持つ。

Facebook本体が出す「IDが8億人を超えた」とか「アメリカで何億人のユーザーがいる」という数字は、ファクトとして間違いがないが、それ以外は誇大広告以外の何者でもない。数字の根拠、数え方、見せ方のいずれも客観性に欠ける今のような状態を続けていたら、誰も信じなくなると思うがどうだろう。

ソーシャルサービスは、もう少し自分たちの事を上手く表現する術を身につけた方が良いと思う。今のやり方だと、人を騙そうとしているとしか思えない。

2012年3月21日水曜日

生き残るサービス

世の中には同じような商品やサービスがいっぱいある。家電製品や飲食店・小売店やゼネコンのようなB2Bビジネスやネットサービスなんかも、世の中にあるものには全て競合するものがある。当たり前だ。

特にネットの世界では顕著だが、生き残るためにはトップになる必要があると言われる。利用者の認知や理解がトップ企業によって形成され、定義づけられていく事を考えると、トップであることが重要なのは間違いない。中長期的に見ると、いかなるビジネスにおいてもトップが総取りして、それ以外は徐々に細っていくゼロサムゲームが、運命づけられていると言える。

しかし、多くのビジネスはそれぞれの形で生き残っている。

ビジネスの本質に忠実に考えると極めて厳しい勝負の世界だが、生き残るということにフォーカスすると、少し違った視点が得られる。それは、トップになる事が重要なのではなくて、トップになれる土俵を作る事が重要だと言う事だ。

マクドナルドに対抗するフレッシュネスバーガーの戦略は「手作り」だし、ヤマダ電機とビックカメラの違いは「立地」だったりする。つまり、手作りバーガーの世界ではフレッシュネスバーガーがトップだし、都心立地の家電量販店ではビックカメラがトップということになる。家電全体ではパナソニックがトップかもしれないが、液晶テレビだとシャープが一位になる。

次なる問題は、どの土俵が最も人が集まるかということで、ハンバーガーにおいては、手作りの良さを求める客層よりも安さを求める客層の方が圧倒的に多いという事が、現在の優劣をつけている。

結局、それぞれに設定した土俵の上でトップになることで、様々なビジネスはそれぞれに生き残っているが、その土俵の初期設定によって生き残り方が変わってくるという事になる。いかに利用者の琴線に触れる土俵を設定できるか、そこが勝負の分かれ目になる。

メッケ!の場合は、「近距離」に絞ったサービスという事で、土俵設定している。まだ、この土俵に乗ってきている人は少ないが、利用者は極めて多いと思う。なにせ、時間を持て余している人は歩いている事が多く(車に乗っていると、それ自体が時間つぶしになる)、歩いている以上は行動範囲が限られるからだ。

あとは、どこまで「近距離」にフォーカスできるかが課題だ。

2012年3月19日月曜日

復活!Macbook Air!!

紆余曲折の末、Macbook Airが手元に戻ってきた。
この数ヶ月の変遷は以下の通り。追加のコストはほとんどかかっていない。

2011.7:Macbook White (2007) / Macbook Air (2010)
2011.10:Macmini (2011) / iPad2 (2011)
2011.12:Macbook Pro (2011) / iPad2 (2011)
2012.2:Macbook Air (2011) / iPad2 (2011)

始まりはMBAにLionを積んだ時の違和感だったが、終わりはMBAの快適性だ。
この半年以上に亘るトライアルの結果、分かった事は、使う場所を選ばないノートパソコンというフォームファクタの強さと、それを支えるハード技術としてのSSD、ソフト技術としてのクラウドの重要性だった。

最初のMBAを使い始めた時に感動したSSDの、今までにない使い勝手・快適性。これは、周りでも使った事のある多くの人が言っている感想で、デスクトップも含めて全てのPCをSSDにしたいと思うのは、決して個人的な感想ではないだろう。

SSDはコスト的に限界があって、所期のHDDと同様に十分量を積む事ができない。それゆえ起きた、最初の機種変換。MBAをiPadで置換できるか、というテーマだった。端的に言えば家庭内のデスクトップとタブレットによるモバイルという使用場所によるデバイス分離が可能かどうか、というトライアルだった。結果としては、使う人が同一である以上、屋外での作業も変わる訳がなく、iPadでは少し力不足だった。が、iPadが思った以上に使える事も分かった。また、Macminiをテレビと繋いでみたが、テレビの視聴距離とパソコンの利用距離が違いすぎて、どっち付かずになってしまった。32インチぐらいのテレビだったら良かったのかも知れない。そしてHDDは遅い。

やはりノートがないと、自分の利用スタイルにフィットしないと判断して、MacbookProを物色すると、1世代前だが現行世代とほとんどスペックの変わらないものを見つけたので、交換。Coreiのパワーを感じながら、少しの間は満足していたのだが、やはり気になるのはHDDの遅さ。そして、MBPは重くて、既に持ち歩く気がしない。昔はこれより重くても平気で持ち歩いてたのに。。

そんなこんなで、なんとなくMBPにも不満を抱え、MBAをチェックしてみると、現行世代が割と安くなっている事が分かった。持っているMBPとほとんど変わらない価格になっている。早速、交換。半年以上ぶりにMBAに戻ってきた。しかも、CPUもメモリーもSSDも強化したバージョンで。これは以前に持っていたMBAとは比べ物にならないぐらい快適。ほとんどストレスがない。唯一感じるのは、スリープ時のバッテリーの減りの早さだが、運用でカバーできる程度。

なんやかんやで、MBAに戻ってきて、iPadを使っている。もちろんiPhoneも。Jobsが定義したライフスタイルにどっぷり浸かっている事になる。他の人にはどうか分からないが、Appleスタイルが自分には合っている。Jobsは金持ちだったし、価値観も普通の人と随分違っていたようなのだが、なぜ自分のような平凡な人のライフスタイルを想像できたのか、不思議でならない。

2012年3月16日金曜日

インビクタス -負けざる者たち-

2009年の映画。クリント・イーストウッドは、本当にいい仕事をする。そして、モーガン・フリーマンは本当に名優だ。

ネルソン・マンデラが南アフリカ共和国の大統領になってからの、闘いの物語。永年に亘るアパルトヘイト(人種隔離政策)によって作られた深く広い溝を、ラグビーW杯を使って埋めていく、その過程が描かれる。

タイトルの「インビクタス -負けざる者たち-」は、19世紀イギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーのものだ。映画の中で繰り返し使われる「私が、我が運命の支配者、我が魂の指揮官(I am the master of may fate : I am the captain of my soul)」は、マンデラの獄中生活を支えたと言われる。

黒人選手が一名しかおらず、アパルトヘイトの象徴となっていたラグビーをアパルトヘイト解消の旗印とする事を決め、ナショナルチームを率いるフランソワ・ピナールを鼓舞し続ける。「どのようにリーダーシップを発揮するか」の問いに「手本を見せて指導する」という模範回答を返すピナールに、「優れた作品との出会いが、人を高揚させる。優れた作品が、変化への力をもたらす。」と、映画タイトルであるヘンリーの「invictus」を贈る。選手全員の名前を覚え、一人ひとりにエールを送る。そして、国中が一つになれるよう士気を高める誇れる何かを求めており、その役割をラグビーに求めている、と伝える。

実際に、マンデラに共感したピナールは、アパルトヘイトの意識を引きずる選手たちを引っ張り続け、黒人居住区でのラグビー教室や現地語で綴られる国歌斉唱を実現し、W杯優勝に導く。

アパルトヘイトからの脱却には「赦す心」が必要と諭し続けるマンデラと、徐々に感化されて行く周囲の人々。W杯優勝のインタビューで、薄っぺらい解説者が「会場の6万5千人の声援は力になったか」と問われ、「会場の声援が力になったのではない。国民4300万人の声援が力になったのだ。」と返すピナールに、アパルトヘイト根絶に向けた確実な変化を感じた。

実話だけに、リアリティがあって面白い。必見だと思う。

2012年3月14日水曜日

遠距離砲と近距離砲

メッケ!の特徴を考えると、集客もしくは買い回り促進に対する「近距離砲」というメタファーが思いつく。

既存のサービスはいわば「遠距離砲」で弾道ミサイルのようなものだ。常に距離を置いた場所から情報を獲得して、予定を立てる。Webサイトってそういうもので、ある程度遠い場所にいる人に対して、情報を届けるのが役目だったりする。毎度のことだがグルメ情報を題材にして考えてみよう。

一般にグルメ情報と言えば、ホットペッパー、ぐるなび、食べログあたりが定番で、それ以外にも30minやmillなどのアプリ系、iタウンページに代表される網羅系がある。また、最近ではそれらのデータをAPIで取得し、独自のサイトに展開するマッシュアップ系も多く見られる。これらの情報を見るのは、一体いつか?たぶん、一番多いのはオフィスや自宅だと思う。必然的に予約というスタイルが多くなり、予約するための会合があるから使うという事になる。

例えば勤務地が九段下にある場合に、都営新宿線を使って新宿に行くのと、半蔵門線を使って錦糸町に行くのは等価だろう。九段下で、来週の飲み会の予定を立てるのに、さて新宿にするか、錦糸町に行くかというのは普通の選択肢だと思う。その次に、焼き鳥屋にするか、普通の居酒屋にするか、パスタにするか、といったカテゴリとしての選択肢が存在する。既存サービスはそのような階層構造になっている。

つまり、新宿に行くのに九段下から情報を得て、予約するという行動をとるのに必要なサービス、ということになる。これが、ここで言う「遠距離砲」だ。

しかし実際は、予約してまで行動する会合というのは、そんなに多くない。それよりも予約せずに行動する機会の方がずっと多いと思う。その場合に、仮に九段下にいたとしたら、まずは九段下で探そう、ということになるだろう。このような自分のいる場所の周りを探したい「近距離砲」サービスのニーズは日常的に存在すると考えられる。

例えば「遠距離砲」サービスで一次会の予約をしたとしても、その後は、よほど目的の場所がない限りは近場で探して、なるべく探しまわるような無駄な時間は少なくしたいと思うのが普通じゃないだろうか?こういった用途に使える、いわば「近距離砲」的サービスは、ほとんどないのが実情だ。

近くにあるお店や施設を素早く見つけて、その意思決定をナビゲーションする力を「遠距離砲=既存サービス」は持っていない。自分たちの日常に立ち返れば、「近距離砲=メッケ!」の出番ははるかに多く、役に立つに違いない。

2012年3月12日月曜日

1年後の3.11

あの日本を大混乱に陥れた震災から一年が経過した。この一年は、本当に色々なパラダイムが変わったと思う。国、社会、地方自治体、過疎地、企業、個人とそれぞれの立ち位置での見え方が大きく動き、次なる一歩を模索するフェーズに突入している。今年が試金石となるだろう。

特に変わったのが、エネルギーの形と地震に対する考え方だろう。

震災前から検討が進んでいた固定価格買取制度(FIT)が始まる。推進派の中には、3年間は確実に儲けがでるビジネスになるんだから積極的に活用すべし、という無責任な事をいう人もいる。一方で、欧州ではすでに20年続けた上に、同じ投資をするなら生産拡大ではなく研究開発にした方が長期的なメリットが大きいと言われ、また、CO2削減という観点においてもコスト効率の低さを指摘されている。つまり、意気揚々とスタートするFITは、必ずしも最良の方法ではないと言う事が、ドイツの22年間の社会実験で明らかになっているのだ。増してや、赤字国債が1000兆円を超え、震災のダメージが大きく、また、都心に深刻なダメージを与えると予想されている次なる震災が控えている今、取り組むべきチャレンジではないと思われる。

地震については、アカデミックな世界を震撼させている事は間違いない。今回の地震は6つの震源域が連動したと言われているが、その可能性について議論されてきたとは考えられない。せいぜいが三連動で、しかも東海・東南海・南海と言うものだ。今回の連動は、今まで語られてきた三連動とは意味が違って、主要な震源域につられて、その周りの可能性が低いと言われていた震源域まで動くということだから、従来の三連動はもしかすると9連動ぐらいになる可能性だってあるかもしれない。そんな、パラダイムシフトが起こっている中で、東京の下にあるフィリピン海プレートが10kmも上に位置する事が分かったという。今、アカデミックな世界は大きく揺らいでいるが、その揺らぎを収束させるのに、与えられた時間は短い。

個人的には、地震から1年後の3月11日、神戸の伯父さんが亡くなった。同じく震災の地である神戸で最後のお見送りをしたあと、家族と布引の山に車で登った。そこからは、日本最古のダムである布引ダムと神戸の街並みが一望できる。しばらくすると、季節外れの雪が舞い始めた。みるみる内に吹雪に。伯父さんの魂がサヨナラの挨拶にきたのかも知れない。


2012年3月9日金曜日

新しいiPad

「新しいiPad」が発表された。予定通りの内容で、さほど驚きもなかったように思うが、このiPadもまた爆発的に売れるんだろう。


面白かったのがネーミングで、世界中から、この先「新しいiPad」をどのように呼べばいいんだ、という論争がおこっているらしい。しかし、よく考えてみると、Appleの製品はJobsが返り咲いて以降は、意図的にナンバリングを捨ててきている。Macシリーズ、iPodシリーズはとっくの昔に単なる「新しい・・・」になっていて、それに対して呼び方が分からないという論争が起きた事はないように思う。発売時期の違いは「Late2010」「Mid2011」「Early2012」といった形で、おおよそ三分割され、付記されているが、それで何の問題もない。

iPhoneは、3Gに対応してインターネット端末としてグローバルに売り出すタイミングで、あえて「iPhone3G」とし、その後は、ナンバリングなんだか、なにかの意図的な商品名の一部なんだか明確にしないまま、「3GS」「4」「4S」と続いている。「4S」なんて発売直前に亡くなったJobsを忍んで「For Steve」か、と言われたぐらいで、ナンバリング以上の意味が含まれていると、常に考えられている。

iPad2も筐体に印字された商品名は「iPad」だが、あえて「2」とした理由は、「新しいiPad」との併売を考えての事かも知れない。iPhoneもそうだが、旧機種の併売を考えると、分かりやすいワードを後ろに付けておきたい気がする。その意味では、現行機種と旧機種の違いだけが分かればいいので、ナンバリングとする必要はなく、その時にフィーチャーした機能をベースにした名前にするのが合理的だろう。来年のiPadには何かが付く気がする。

筐体デザインが変わらない事も予想通りだ。外見の進化と内面の進化を1年毎に行うのが、Apple流なので、今回は内面の進化に絞ったということだ。その意味ではiPad2Sでもいいはずだが、「2」も「S」も付けなかった意味は、今回のバージョンが一つの完成型という事なのかも知れない。

2012年3月7日水曜日

はやぶさ - 遥かなる帰還 -

「はやぶさ - 遥かなる帰還 - 」を観た。子供と一緒に。結構前から「はやぶさ」の映画が観たいと言われてたので、普段、映画館で邦画を観る機会もないが、行ってみた。

感想としては、子供と観る映画ではなかったのかも知れない。後で調べると「はやぶさ」関連の映画は3作ぐらいあるらしく、いずれかのバージョンは、どうやら子供向けらしい。しかし「アポロ13」のように有人飛行のでもないのに、良く3作も作れるもんだと感心した。

内容的にはビクターのVHS開発物語である「陽はまた昇る」を彷彿とさせる、日本人技術者の意地とか根性とか、そういった事が前面に出たもので、サラリーマンにはいいかもしれないが、小学生には共感できる部分は少なかったような気がする。

はやぶさを打上げ、小惑星「イトカワ」につくまで、イトカワ到着後、そして、帰還時と、常に何らかのトラブルが発生し、宇宙開発が一筋縄では行かないことが良く分かる。無人探査線である以上は、搭載されているコンピュータが理解できる範囲の事しか分からない上に、対応方法も、ある程度事前に見込んだもの以上は期待できない。交信できない時も探しにいける訳でもないので、ひたすら待つしかない。たとえ交信が回復しても十分なコミュニケーションが取れる訳ではなく、1ビット通信による、気が遠くなるようなやり取りで、状況を把握し、指示を伝えなければいけない。

個人的に一番興味があったのは、イトカワに着陸する段階でターゲットマーカーを発射し、着陸指令を出していく過程で、JAXAとはやぶさの間の交信に片道16分かかるということだった。つまり、地球でJAXAの技術者は16分前のはやぶさのデータを受け取りながら、16分後のはやぶさに向けて指示を出していく、という離れ業をやってのけたということだ。これが有人と無人の違いで、有人飛行の場合は目の前の事象に対する判断だが、無人飛行は想像上の事象に対する判断を求められる。そこに、はやぶさに関わるエンジニア達の執念を見た気がした。

サラリーマンの自分としては、そこにある技術力や対応力の高さに感嘆する訳だが、主役たる我が娘には何が残ったのだろう。

テレビ放映を考えたカット割りをしていたようにも思えたので、早晩テレビ放映が実現するだろう。こういった、事実をベースにしたドラマは、旬が過ぎると人々の興味があっという間に薄れるから、早めにテレビ放映してしまうのが得策だ。その時に観れば十分という印象をもった映画だった。

2012年3月5日月曜日

学芸会に見るクリエイティビティ

先日、子供の学校で学芸会が開催された。学年に応じて演じるものは違うが、それぞれの成長をよく考えたものだと感じた。


1年生は古典的で完成されたストーリー、2年生はクラス毎に分かれてな古典作品を下敷きにした創作劇、3年生はソーラン節、4年生はクラス毎に分かれた自由創作劇、5・6年生は希望者による完成度の高い自由創作劇。その他にも演劇系の部活の発表と、なかなか楽しいものだった。


最初は同じ役割の人が何人も(例えばお姫様が5人ぐらい)出てきて、幼稚園のお遊戯の延長のようなものだったが、段々としっかりしてきて、2年生になると、題材は何かを参考にするものの、ストーリーを自由に組み立てて進める。決して整理されたストーリーではないが、その努力と皆で作り上げた感じが良かった。3年生になると、小学校の中堅でもあり、すっかり集団生活にも慣れて自分の事ができるようになっているので、ソーラン節のような団体演技が迫力たっぷりに魅せる。

子供たちの日々成長している事を実感して、自分の成長感の無さを反省するばかりだ。

高学年になるにつれて子供たちの創り込み部分が増えていく訳だが、何とか客を笑わせようとしたり、メッセージを分かりやすく伝えようとしたりと、工夫を凝らしている事が分かる。集団創作の中で、それぞれのクリエイティビティが発揮される時だ。恥ずかしがらず、どんどん新しい事、面白いと思える事にトライしてもらいたい。それが将来の役に立つ時がきっとくる。メンバーをまとめる力、新しい事を取り込む度量、皆を説得させる能力、物事に集中して取り組む経験、そういった事が少しずつ磨かれていくように思う。

もう少し後からでも遅くはないが、早めに身につけておくと何かと役に立つ。
子供たちの真剣に取り組む姿勢を見て、我が身を振り返る一日だった。

2012年3月2日金曜日

展示会終了!

本業で展示会に出展した。全ての段取りをした訳だが、一応、大成功。今までにない来場者数を記録した。




数が全てじゃないけど、記録を大幅に塗り替えるのは、正直嬉しい。今まで同じテーマで4回行ってきたが、最初に比べるとたぶん来場者が倍ぐらいになっている。1回目ですら今までにない人の入りと話題になったのだが、その倍だから大したもんだと自画自賛。

そもそも、自分のテーマではないので、今まで主体的に活動してきた全ての方の努力の結晶だと言える。関係者は誰もこのブログを見てないだろうけど、密かに感謝。

ただ、運営側も4回目だが、未だに満足とは言いがたい。緻密さと、時々の発想の飛躍が足りない。もっと精進せねば。。。。

それにしても打上げで行った韓国料理は美味しかった。また次回、というド偉い方のご指示もあったので、いずれ、この怒濤の日々が再開されるのかも知れないが、次は何をするか。。

2012年2月29日水曜日

「メッケ!」と既存サービスとの違い

スマートフォンの普及に伴って、ローカル検索サービスが増えている。やはり手元にインターネット端末があることが非常に大きく、GPSで自己位置を把握して、ネットから情報を引っ張ってきて提供する、というスタイルは今後ますます普及していく事だろうと思う。

そんな中で、今後も課題になり続けるだろうと考えられるのが、(1)リアルとネットの接点、(2)自己位置の把握方法、(3)非常に偏っているネット上の情報の取り扱い方、あたりではないだろうか。

通常(1)に関しては、取り立てて策がある訳でもなく、ネットで検索して現地で探してみたら見つかったという、いわばネット主、リアル従の関係で構築されている。ネットの情報は検索でヒットしないと存在しないも同然だが、リアルは歩き回る中で目に入ってくる情報があり、存在自体がネットとリアルでは大きく違うにも関わらず、そのリアルならではの特徴を活かした仕組みにはなっていない。もっと分かりやすく言うと、ネットは目的を持たないと使えないが、リアルは目的がなくても歩き回れる、ということである。

(2)はGPSを使うのが主流だが、GPSは致命的な欠点が幾つかある。まず、精度があまり良くない。正確に言うと、精度が良くない場面と、精度が良い場面が混在しているので、非常に混乱する。ある時は、極めて高精度で場所を特定できるが、またある時には通り一本どころではない誤差で表示されることもある。また、現在地の捕捉ができない場合に、一回前の捕捉地点を現在地として表示する事がある。これは、全く違う場所を表示するので、全く意味がないのだが、そういったことが頻繁におこる。そして、GPSは電池を食う。GPSのオフは、スマホの電池寿命を延ばすTIPSのかなり上位に入っているくらいなので、かなり問題だと思う。つまり、日常的にGPSを切っている人も相当数存在する、ということだろう。

(3)についてはグルメ情報が先行している事もあって、ネットに存在する情報だけを使って、サービスを構成するとグルメ情報が大半を占める事になる。実際の街には、当然、飲食店だけではなく、バラエティに富んだ非常に多くのお店や施設があるが、その全てをネット情報に期待するのは無理がある。iタウンページなど、比較的網羅性の高いサービスもあるが、実際には1/10程度しかネット上に存在していない事が分かる。

メッケ!は、それらの課題をクリアするサービスとして、ご提案します。
独自の方法でリアルとネットを結び、GPSを使わない自己位置把握と既存情報に依存しないデータ構造によって、今までにないローカル検索サービスを構築しました。街歩きの目的が曖昧で、ブラブラ歩きながらお店を探す人に最適なナビゲーションをご提供できます。ぜひ、ご活用ください。

2012年2月27日月曜日

船中八策

すでに取り上げるには遅きに失した感もあるが、橋本市長率いる維新の会が提案した「船中八策」。内容について、どうこう言うつもりはないが、この安易なネーミングは、自らを坂本龍馬になぞらえたいという意識だろうか?

坂本龍馬が明治維新の立役者だとするのは良いとして、実際に明治維新後の社会を作ったのは誰かという観点で考えた時に、必要なのは龍馬だけではないということが分かる。確かに龍馬が江戸から明治へと移り変わる時代の転換点に立ち、中立的な立場で大局的な視点を持って、未来の社会とグローバル社会とのつきあい方を整理し、定義したのかも知れない。しかし、実際に世の中を動かしたのは大久保利通であり、伊藤博文だったのではないだろうか?

時代の転換点には犠牲になる人がつきものだ。龍馬を始め、西郷隆盛、桂小五郎、高杉晋作などなど、数多の英傑が自らの信条と生命をかけて火花を散らし、一つのまとまった結論として大政奉還という方向性を持った。その前後におけるフリクションを避けて通る訳にはいかないが、それらは一つの礎として存在するのみで、現代まで続く体制は、彼らが作ったのではない。

橋本市長が目指しているものは「船中八策」というワードだけで判断すると、龍馬的時代の転換点に置ける礎であり、大久保的今後100年に亘る体制への再構築、という訳ではないのかも知れない。今後の地方分権やグローバル社会への対応に対して、一つの道筋をつけることだけを目的にして活動しているとするならばそれでも良い。ただし、そういった中でも、しっかりとマネジメントできる人材を確保しておく必要がある。

個人的には、小泉元首相が龍馬的破壊を行い、その後の時代の方向性を見定めていく中で、橋本市長のような先鋭的な地方自治体の長が時代の形を定義づけていくものだと思っていたが、「小泉」龍馬は方向性を見いだしてはいたものの、しっかり次につなげていく所まで持っていけず、結果として遠回りしただけになってしまった。同じ轍を踏まないように、船中八策だけではない、次の体制構築を見越した活動をするべきだと思う。


2012年2月24日金曜日

喫茶店にみるAppleの躍進

ほんの少し前までは、喫茶店でmacを使ってる人なんてほとんどいなかったのに、今はすごい。iPadも含めるとかなりの支配率だ。

最初にmacを持った15年以上前は、そもそも外でパソコンを使うこと自体が珍しかった。その後、銀パソと呼ばれる薄型ノートパソコンが流行った13年ほど前でも、あまりいなかった。電池が2時間も保たなかったからかもしれないし、ネットワークが今ほど自由ではなかったからかもしれない。自分は、携帯電話をモデムにしてメールをチェックしていたりした。


電池の飛躍的な伸びに従って、持ち歩かれる様になり、それでもmacは極めて少数派で、自分もvaioを愛用していた。その頃は、ごく稀に電源やモデムジャックのついたお店やwi-fiのスポットが見つかったりした。そんな時代がずっと続き、パソコンを持ち歩く人が増える事もなかったように思う。少し経ってインターネットカフェが流行ったのも一つの原因かもしれない。


それが今や、喫茶店に行ってみると、パソコンやタブレットを使っている人の比率が、以前に比べると3倍ぐらいになっている感じがする。6割ぐらいはMacbookAirかiPadだ。

大企業の会社支給パソコンはWindowsだろうし、タブレットを配っている会社も少ないだろうから、多くは個人もしくは小さな企業で働く人たちだ。逆に、そのセグメントに対するAppleの浸透率はかなりの高さだと推察できる。気がついたら世界一大きな会社になっていたのだから宜なるかな、という感じでもある。

iPhoneの爆発的普及がトリガーになったのは間違いないが、MacやiPadが人々の行動を変えている事を実感する。