2009年9月30日水曜日

own Super-Hero

ヒトは皆、心に自分なりのスーパーヒーローを描くべきだとおもう。

スーパーヒーローの思考、行動、モラル、全ては理想的で、疑うべくもない。ヒトは、その自分なりのスーパーヒーローを目指し、少しでも近づけるよう精進することになる。少し分かりにくいかもしれないので、分かりやすい例をあげると、イエス・キリストがスーパーヒーローだ。

キリスト教圈のヒトは、理想的ヒーロー、イエス・キリストになりたがっている。正確に言うと、毎日曜日のミサは自分とキリストとの距離を測りに行っている。そこで思い描かれるキリストはヒトそれぞれで、同じキリストは一人としていない。大事なのは、キリストが実体のあるリアリスティックなものではなく、その考え方や行動など、伝聞によるアウトラインだけがそこにある、という事実だ。

これこそがヒーローを生み出す仕組みだと思う。

失敗や未熟さ、独善は薄れ、成功や奇跡や高貴かつ普遍的な考え方、行動は、より強調される。当然、逆もあり得る。実体として既に存在しない対象を、行動、言動で表現していくと、善悪の境界線が明確になり、表現者の恣意的な判断が露わになる。イエス・キリストは、その善バイアスが最高に効いた事例だろう。

つまり、アウトラインだけが明確になった、極めて善バイアスの強い存在を思い描き、そこに近づこうとする行為が、ミサなんだ。

善なる存在の具体的な意思決定は、誰も知らない。ただ、自分が思い描くような理想的な存在ならば、このように意思決定するだろうという、個人的な思い込みがあるだけなんだろう。それは即ち、スーパーヒーローを想像し憧れるという行為となんら変わりはない。

それぞれが思い描くスーパーヒーローが置かれた状況、精神状態、意思決定、行動などを細かく考えていくと、そこには一定の基礎法則のようなものがあると思う。それを定義したのが聖書であり、コーランなんだろう。聖書やコーランを読むことで、スーパーヒーローの行動を追体験し、よりアウトラインを固めることができる。

そうやって、欧米人は善なるスーパーヒーローをそれぞれの頭の中で構築していく。アウトラインが固まっているから、個人差はあれど、大きなブレがないことが最大の強みだろう。

一人の善なる存在を利用して、意識を糾合させていく。ものすごく合理的で強力な方法だと思う。これに勝つのは難しいだろうなぁ。


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