2012年5月16日水曜日

ログとシェアの位置関係

ソーシャルという言葉が非常に大きな力を持ち、それに伴いシェアに注目が集まっている。

FacebookやTwitterを始めとして、Pinterest、Foursquare、Instagram、Miilなど、最近話題になるサービスは、シェアを目的としたものが多い。何をどのように他人に知らしめたいか、共有したいか、という事だ。

個人的には多少違和感を持っているのは、自分自身がこういったサービスの価値に対してキャッチアップできないほどに年を取ってしまった証拠かも知れないが、あえて重要なのはシェアではないと考えている。

最近、マクドナルドで聞いた女子高生の会話にスカイプというワードが出てきたのには驚いたが、友達と連絡を取る手段がFacebookではないようだった。スカイプの利用は電話代の節約という意味合いが強く、必ずしもシェアという概念とは一致しない。

自分自身を振り返っても、いちいちの行動を見られたいとも、他人のそれを見れるようにしたいとも思わない。連絡を取る手段としては、メールや電話で十分だし、その意味でFacebookやTwitterが置き換わるとは思えない。

本ブログにしてもシェアの意味合いは薄く、単に自分の日常のログを残しているにすぎない。

シェアに価値がないとは思わないが、シェアに大きな期待を抱いていない、というのが個人的なスタンスになる。

このブログを続けていて、一つ分かるのは、ログを残すことの価値だ。

ブログというのは、圧倒的に書いた本人が読み返している頻度が高い。その当時何を考えていたのか、何があったのかを振り返る手掛かりにして、自分の考えをまとめて行く手段の一つにしている。

先日、友人が若くして亡くなったが、居なくなってから本人が何を考えていたのかを知ることは容易ではないし、生活や環境変化のログを残していたら、少しは対処が違ったかも知れない。

ただし、ログというのは意外に残すのが難しい。意思や目的がはっきりしている人しかできない、割と高度な行動だと思う。自分自身も体系的に残しているログはない。

たぶん、普通の人にとって意味があって、誰もが潜在的には必要としているが、その手間の大きさから実行に至っていないのは、シェアではなくログだと思う。

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