2012年10月12日金曜日

「井戸を掘った人を忘れない」のは嘘だった

以前、中国の格言に感銘を受けた事がある。「井戸を掘った人を忘れない」というものだ。

村を作るとき大事なのは水、つまり井戸で、いつ水が出るともしれない「井戸を掘る」という努力は、地味で目立たない作業だけれど、偉業として、いつまでも揺るぎない尊敬の念を持って語り継がれるべきだ、という意味かなと思ってた。

中国に進出している多くの日本企業は、井戸を掘り続けてきた。特にパナソニックは、中国の発展に電機メーカーの最新技術が必要と訴える鄧小平に松下幸之助が「全力で支援します」と応えた、まさに井戸中の井戸。

今回のデモは、そんなパナソニックも襲われた。

結局、中国の格言は口先だけで、本当はそんな事思ってない、という事だろう。

100年ほど前、教育レベルの低い中国に、今で言うNGOのような立場で赴任したアメリカ人は32年の赴任期間を振り返って「人生を無駄にした」と総括した。「アメリカに帰ったら、高潔な心意気で中国に向かおうとする若者を全力で止める」とも。

一生懸命教えて、すごく仲良くなっても、ある日突然、罵詈雑言を浴びせ、学校に火をつけるそうだ。恩もくそもない。

思想教育が骨の髄まで染み込んでおり、メンタリティにまで昇華されている。日本人が人の目を気にするのと同じレベルだ。治りようもない。

どんなに親身になっても、またどんなに相手を慮っても、意味がない。隣人として正常な関係を築くのに必要なのは、自らの意見を強く主張する姿勢だけだ。相手の意見を聞く耳は持つべきだが、それで行動、言説が左右されるようなことがあってはならない。

気を許す事で一時は友好関係が得られるかもしれないが、しばらくすると恩は忘れ、配慮を言質として都合よく書き換えて、ネチネチと攻めてくる。

そんな印象を最近は持っている。孔子を始めとする中国の偉人は多くの格言を遺している。それが口先だけだとは思いたくないが、口先だけではないと覆すだけの事実がない。それが残念でもある。

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