2009年7月24日金曜日

希望と失望

2日続けて、経営者の話を聞く機会があった。そこには、日頃悩み、答えを見出せないでいる、自分が所属する会社の社会的な意義と自分の立ち位置に関する貴重な示唆があった。

昨日の方は、「未来に向かって善い会社を作っていく」と言い切り、経営者は理想を持つ事が大事で、究極の概念は「真善美」と語った。そして従業員は、この会社は何のためにあるのかの共通認識を持っている必要があり、その共通認識なるものは、理念や行動規範によって生まれる、と。そして、会社は長く続くほど、先人が築き上げた現状への敬意によって足がすくみ、チャレンジできなくなる、と言っていた。

今日の方は、自分が所属する会社の社長だが、石橋は叩いて渡らない、リスクを取らないのが当社のDNAと言い、拡大は望まない、利益は絞り出すものだ、と言う。さらに、自律的にベクトルをあわせて、みんなで力を合わせる中で、自分に与えられた範囲から一歩出るのが大事だと、語った。200年以上続くもの作りの伝統は「どうせ作るんだったら、良いものを作ろう」というメンタリティだそうだ。

なんという違いなんだろう。
閉塞感のある会社の変革を目指して思考してきたが、歴史の重みには勝てないことが明確になった。ウチは変わろうとしていないし、変われない。それは、意図的にベクトルを向かせるのではなく、阿吽の呼吸でわかるだろ、という前時代的なメンタリティにも現れている。

さらに言うと、ゼネコンという業態において「未来」を思考することはナンセンスであることも、同時に明らかになった。未来ではなく現在を生き抜くために、所属するコミュニティのために働き、等しく少ない富を分け合うことを目的とした会社なんだということを、痛切に感じた。

その意味において、完全に勘違いしていたのかもしれない。

得られた結論は、ゼネコンは社会主義国家を形成する一機能であり、等しく豊かに、そして等しく貧しく、落伍者を出すことなく、支え合いながら、分をわきまえて、社会インフラとして機能を果たすことが、使命だということ。未来を作る会社ではない、ということ。



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