もしかしたら普段の生活も、小さいながらも革命と言えるのかもしれない。特に「不」への抵抗はある意味では日常的な革命を起こそうとしている、とも読み取れるだろう。そして、革命には勝ち戦と負け戦がある。
cheは二部構成の映画だが、前半は勝ち戦を後半は負け戦を表現していた。何が違ったんだろう?
失敗はどちらかと言えば理解できる。危機感、熱さを共有してもらえなくて、空回りしていたんだろう。一部の人は共有し、行動を共にしていたが、クリティカルマスに達しなかったと言うことか。
搾取に飼い慣らされた人は、一番平和な現状維持を求め、安穏としている。そんな中でも現状を是とはせず、自分で考えビジョンを持て、と言う人もいる。その言葉は一部の人には届くが、多くの人にしてみれば平和を乱す不埒な発言と受け止められ、言葉の影響はクリティカルマスに達しない。
では、クリティカルマスに届かせるために何をしたら良いか?ヒントはキューバ革命にあるのかもしれない。
2009年8月3日月曜日
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