2009年11月4日水曜日

戦略的にビジネスるためには

何か手持ちのネタが必要なんじゃないか?

環境とかエネルギーといった、ざっくりした流行で施主の行動を先読みし、ハコ物に関わる何かを探すのも良いかも知れないが、結局、行動起点が人任せと言う請負体質からは抜けきれない限りは、本質的に戦略的な議論にはなり得ない。

手持ちを作るにはリスクを取る勇気と覚悟が必要だろう。組織が本質的にそういった勇気や覚悟を持ち得ないとしたら、どうすればいいか?

一つは、会社にそのような行動を取ることや、そういったポジションで話をすることそのものを期待しない、むしろ、想像すらしない、という(消極的な「諦め」の)方向性がある。

研究所という立場で考えれば、自己満足型、自己完結型で浮世離れした研究テーマをシコシコと進めること、が一つの解かもしれない。ここにはチームワークは不要で、逆に、(何らかの役に立っている事の)行為証明をする為に、目的を分割したり、意図的に矮小化したりすることが必要になる。その結果、小さな小さな、そして一人で実施・展開するような、ほとんど意味のないテーマが量産されることになる。

本質的に意味がないから、ムリやり意味を作り、ますます浮世離れしていく。そこに育ったヒトは、浮世離れしてる事がその組織の存在意義であると勘違いし、その勘違いに気づくことはない。

もう一つは、少しばかり積極的な「諦め」がありそうだ。諦めるコトによって、目の前の事象に集中し、その問題解決を目指す、と。ライン業務に従事するヒトは、むしろこっちだろう。

この場合は本来的に、より卑近な事象にフォーカスすることになるので、自ずと近視眼的になる。極端に言えば、近視眼的であればあるほど、そして、その問題解決スピードが早ければ早いほど、有能であると勘違いする。本当は問題解決能力よりも、問題定義能力の方が重要であるにも関わらず、である。そして、その勘違いは正される事なく、気づく事もない。

従業員に(組織が持つべき覚悟や勇気に対する)諦めを持たせて良い事は何もない。それらを従業員に信じさせる事が、会社に課せられた唯一の義務なんじゃないかな。

それができない会社に、戦略的にビジネスる事なんて、できようはずもないだろう。

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