2009年12月9日水曜日

正しい価値判断とは

私が日常利用する電車は、7人掛けが標準だ。しかし、時と場合によっては6人で目一杯に見える。男性が多く、皆が背にもたれて肩をぶつけ合っている時などに多く見られる。今日は一分の隙もなさそうな場所に独特の嗅覚で隙間を見つけ、無理矢理尻をねじ込んでいる女性を見た。

いくつか考えたい価値判断がそこには潜んでいる。

まず、7人掛けに6人で座ってしまうこと。それに付随して肩を譲り合わないメンタリティ、最後に無理矢理座ろうとすることのベースにある意識である。

そこには、正しい、間違っているという、価値観の判断基準なんてないのかもしれない。どれも、ある見方をすれば正しいのだろうし、別の角度から見ると間違っているのだろう。

ふと思い出すのは、糸井、梅田、岩田対談で語り合っていたフレーズだ。そこに問題があれば、解決方法を考えてしまう、という本能的行動がオープンソースを支えているということだ。上手く行くプロジェクトは往々にしてそのようなプロセスを経るらしい。そこには利己も利他もない。本能あるのみである。

しかし、問題を問題と感じる感性が必要で、その感性がない人には解決へのモチベーションもないことになる。

7人掛に6人で座っている時、肩がぶつかり合っている時、無いスペースに尻を押し込もうとしている時、そこに潜む問題に思いを馳せないと、解決はない。ただ自らの利益、既得権益を最大化するための行動に終始してしまうことになる。現代社会の現状がそうだろう。

問題を読み取れないこと、それは「キーチ」の言葉にもあるように、何も疑わない、何も怒らない、現代日本人の大いなる欠陥だと思う。

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