2009年12月16日水曜日

あえて不愉快になる方法を選ぶ人々

人と触れ合うコミュニケーションについて東京に住む多くの人は、なぜか、あえて不愉快な方法を取る。

人の鞄を退けるのに叩いたり蹴ったり、前に立つ人が読む新聞を払い除けたり、混み合ってるのに避けなかったり、英語で言えば「excuse me」の一言ですむ話でも我を通さないと自分が損するとでも言わんばかりな行動を取る。

少し互いに気遣えば解決することが多い。江戸しぐさに「傘傾げ」というのがあるが、ある人が実験したところ、そんな事をする人はほとんどいないらしい。こちらが気を使わなくても、相手が動いてくれるだろうという甘えがあるんだろう。

政治ダメ、経済ダメ、少子高齢化進行中、その上そこに暮らす人の精神は幼稚で、自分に甘く他人に厳しい、ギスギスした閉塞感だけが肥大化しているこの国は、一体どうなって行くんだろう?

2 件のコメント:

  1. 幼稚な精神は自ら考えないことを是とする教育をしてきた教育行政の賜、じゃないかという気がします。
    東京に限らずどこでも同じようなメンタリティの人はいると思いますが、東京はとにかく人が多いからねぇ。

    返信削除
  2. 教育の大切さを、年を追うごとに痛感します。公教育に期待する反面、子どもにとって最大のメンターたる自分の所業を反省したり。日本人のメンタリティレベルの低さは、これから大きな問題になるでしょうね。我彼の認識ギャップが大きい(自分の民度は高いと思っている)ので、修正には時間がかかりそうです。ともあれ、まずは自分自身ですね。失礼しました。

    返信削除