2011年9月14日水曜日

安易なゼネコン批判

大西 宏のマーケティング・エッセンス
アジアに進出する日本の建築家

付加価値の高い建物をつくろうとするとデザインが鍵になってきますが、それを実現する建築家が高松伸さんはじめ日本にはいるということでしょう。しかし能力の高い建築家がいても、それがビジネスとなると、やはりゼネコンが抑えているのが日本です。デザインや設計よりは、モノの価格が優先してしまいます。



極めて安易で、稚拙なゼネコン批判と感じる。少なくとも、三点において、明らかに間違っている。

一つは、優秀な設計は国際的に著名な建築家でないとできないという思い込みだ。ゼネコンも優秀な設計部をそれぞれに持っている。一般的に建築家は食える職業ではないので、多くの優秀な設計者はゼネコンや設計事務所に属することになる。優秀な設計をアートと捉えると、それはいわゆる著名な建築家の領域になるが、そのデザインを施主が受け入れるかどうかは別の問題で、現実的な選択としてゼネコンや設計事務所が設計することになることが多い。

二つ目はデザインによって建物の付加価値が決まるという考え方だが、デザインはその一つの要素でしかなく、最近では居住性や省エネ性能が重視される傾向にある。それはすなわち、デザインではなく設備や仕上げのプライオリティが高いということだ。また、日本の場合は自然災害が多いこともあって、構造性能も付加価値の要素として大きい。デザインのみでは建物の付加価値は決まらないし、デザインが付加価値に与える比重は小さくなっているのが現実だろう。

第三に、建設事業を仕切っているのがゼネコンだ、というのもよくある誤解だ。ゼネコンは、正式にはゼネラル・コントラクターといい、日本語では総合請負業と呼ぶ。つまり、生業は請負業なのだ。多くの場合は、土地を持っている事業者の意向に沿って、技術を提供しているにすぎない。どの建築家を使うかは、基本的にゼネコンが決めることではない。なぜなら、品質確保とコスト・パフォーマンス最適化の観点から考えると、自社の設計部隊を使ったほうが良いからだ。それでも社外の建築家、または設計会社を使うのは、施主がそれを望んでいるからであって、ゼネコンが意図している訳ではない。

つまり、建築行為において、デザインや設計よりモノの価格が優先されているとしたら、それはゼネコンが仕組んでいることではない。また、デザインや設計がモノの価格より優先されている事例は多いかも知れないが、すべての建築がそうである訳ではない。数十年から百年という単位で未来に残るモノを作る気概を持って設計されているものも多いし、その多くにゼネコンが関わっている。建物は設計者に焦点が当たることが多いが、施工技術があってこその設計であることを忘れて欲しくない。

ゼネコンが諸悪の根源であるかのような物言いは、明らかに間違っているし、業界の実態も知らずに、適当な事を言われるのは、あまり気持ちの良いものではない。

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