2011年9月16日金曜日

ブラック・スワン

色んなストレスから、現実と幻想の区別がつかなくなっていくバレリーナの話。終わってから思い起こしても、どこまでが現実だったにか、どこからが幻想だったのか分からない。

ディカプリオ映画によくあるパターン(最近だとインセプション、それ以外にもビーチ、ティパーテッド、シャッター・アイランドなど)だが、ナタリー・ポートマンもかなりハマってた。

技術は確かだが、線が細く、見るものを惹きつけるような演技ができない主人公。そして、その憶病な性格は、自らの夢を押し付けるあまりに過保護のなり過ぎているステージママによって、形成されてきた。

主役に憧れる主人公は、劇団の顔として長い間主役を演じてきたダンサーの控え室に時々忍び込み、盗みを繰り返す。安いものから段々と高価なアクセサリーまで。憧れとは言え、やや常軌を逸した行動が、精神的なバランスの崩れを感じさせる。

公演の主役を張ることは、劇団のプロデューサー?監督?のオンナになることと、ほぼ同義で、今まで主役を務めていたダンサーに飽きたプロデューサーが、新しい「白鳥の湖」を創るにあたって、オンナを取り替えるように、主役を交代させる。

当然、激烈な主役争奪レースが始まる訳だが、主人公はその憶病さ故に、美しい白鳥は踊れても、官能的な黒鳥が踊れない。そして、一旦は落選する。どうしても主役を演じたい主人公は、意を決して、プロデューサーのドアを叩き、一瞬の感情の爆発によって、ラッキーにも主役の座を射止める。

ここから、劇団の顔になって行くのだが、演技力はいまだに追いつかない。初演が近づくに連れて、プレッシャーが増大していく。プロデューサーからの容赦ない叱責、共演の男性ダンサーからの辛辣な評価、ライバルたちからの嫉妬が入り混じった視線、そして、過度に世話を焼く母親。それら、全てがプレッシャーになり、幻覚を頻繁に見るようになる。

そこからは、現実と幻覚が交錯しつつ、怒涛のようにクライマックスへ。

緊張の中で初演を迎え、第一幕で致命的な失敗をする。それが、主人公の精神を崩壊させることになる。幻覚の中、自我を失った主人公は、今までにない完璧な黒鳥の演技をこなす。

その後、想像もしなかった結末が待っていた。。。


非常に面白かった。
精神が崩れ落ちるような事態に陥ったことはないが、こんな状況で正常でいられる自信は、自分には全くない。ナタリー・ポートマンは、高度なバレエもさることながら、精神的カタストロフィに至る演技が素晴らしかったと思う。

現実と夢の間、正気と狂気の間といったテーマが好きなら、オススメ。

ところで、映画の中でも「ダンサー」と称していたが、最近はバレリーナとは言わないのかな。

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