2011年9月19日月曜日

希望の国のエクソダス

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

パキスタンで起きた出来事をきっかけとして、中学生の不登校が全国的に広がって行く。中学生のリーダー ポンちゃんと参謀 中村くんと偶然に知り合うことになった雑誌記者 関口の物語。

中学生たちは、インターネットを使って互いに繋がり合い、数十万人規模の組織となり、徐々に力をつけていく。ニュース配信に始まり、ITや人材派遣、金融など幅広く事業を手がけ、莫大な資産と社会的認知を手に入れる。最後には、希望のない日本という国に見切りをつけ、北海道に独立地域をつくる。

過疎化が進む地域に大量移住することで人口面の、ウィンドファームおよび地域開発に伴う投資資金として市に起債させた地方債を自ら引き受けることで財政面の主導権を握るという壮大な計画の下に、理想郷が作られて行く。国からの交付金を受け取らず、エネルギーと通貨を独自化することで、独立性を高めて行く。。。

前から読みたいと思っていたこの小説を手に取ったきっかけは、カンブリア宮殿だったか。

一番の驚きは時代の描き方だった。

2000年発売のこの小説に書かれていることは、10年以上経った現代日本にもピタリと当てはまる。日本が10年以上も進化していないのか、村上龍の洞察力が卓越しているのか。

特に、ASUNAROという中学生の組織が社会的に認められつつ段階で、頻繁にメディアに露出し始める時のやり取りには唸らされる。

テレビキャスターが「日本の中学校はつまらなかったと、要するにそういうことだな?」と、テレビ的単純化をしようとすると、中学生は反論する。

「いいえ、それだけではありません。今の日本にはリスクが特定されないという致命的な欠陥があります。(中略)この国では、原子力や内分泌物撹乱物質とか、あるいはそれらを含む環境までモデルを拡げてもいいんですけど、(中略)ニ、三パーセント程度の確率で起こる中小規模のアクシデントやクライシスに対するリスクの特定はできているんだけど、0.000001パーセントの確率で起こる超大規模のアクシデントやクライシスに対しては最初からリスクの算出はやらなくていいということになっているんです。そういった傾向は家庭から国家まであらゆる単位の共同体で見られるので、結局リスクマネジメントができません。(後略)」

どうだろう。東日本大震災の結果を鑑みると、驚くべき洞察と言えないだろうか?ここまでハッキリと、しかも原子力災害にも触れつつ、この国のリスクマネジメントの不在に言及したことって、あっただろうか?

ただ、リスクマネジメントの不在は危険過ぎるので、この国に依拠せず独立地域を構築しようとする発想は、やや深みがないような気もする。むしろ、なぜ、そのような欠陥のある思考様式に陥っているかに言及して欲しいと感じた。

以前も書いたが、ゼロイチ思考がリスクマネジメントの不在を招いていると個人的には感じている。つまり、ゼロでなければ全てイチであるとの考え方が、極めてゼロに近いゼロではない確率の存在を無視する結果をもたらしていると考えている。

リスクマネジメントの不在が、シリアスな結果を生む事は今年発生した様々な災害が教えてくれた。ではどうすれば良いかの一つの解がこの小説で、それこそ国の在り方から再構築し直す必要があるのだろう。

小説としてはこれでいいが、実際に実行可能な国づくりとしては、どうすればいいんだろう?そのことが今問われていて、その前提条件となる課題の多くは、この小説の中にある。

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