2012年1月4日水曜日

新しい公共投資の視点

八ッ場ダムの工事再開が決定した。治水上の必要性はあるのだろう。200年という想定期間で考えれば、かなり大規模なものが必要になるのも頷ける。ダムができることによって得られる効用と言われるものと、その不確実さの間で、賛成・反対が渦巻いている。

八ッ場ダムの賛否を問う上で一つ考えておきたいのは、今後10年ほどの間に日本経済に綻びが生じる可能性が高いという事実だ。歳入が50兆円に見たない国の年間予算が100兆円に届こうかというレベルになっている事からも、段々と現実味を帯びてきているのは、間違いない。そういった時代における公共工事のあり方は、今まで通りではあり得ないだろう。

多分これから最も重視されるのは、メンテナンスの手軽さだろう。利便性を求めて、高速道路を延伸してきた時代はもう来ない。ダムも同じだろう。今までのように、果てしない利便性や過度の安全性を拠り所にして公共工事が行われることはないし、行われてはならないと思う。

例えば、八ッ場ダムの200年再現期間だが、その間のメンテナンスコストはいかほどだろうか?吾妻川は強酸性なので石灰をまいて中和させるらしいが、完全に中和し切らない水質がダムを侵食する可能性もあるだろうし、ダムの寿命が来たときは、たぶん同じようなダムを再築する必要があるのだろう。また、中和物の沈殿を定期的に取り除く浚渫作業が欠かせないだろうし、ダムを治水・利水において役に立たせるには、他にも様々なメンテナンスが必要になるんだろう。

一旦作ってしまった環境を維持していく事には、いずれにせよコストがかかり、それは我々の子孫に、確実な重荷になってのしかかる。今後は、放置する事による危険を回避するために、新規公共工事よりも既存公共施設のプライオリティが高くなり、きっと予算の多くはメンテナンス費用に当てられることになる。

問題は、この未来の主役である人々が主体的に国づくりを行うためのお金は既にない、ということだ。

1000兆円も借金をして好き放題に作り上げてしまった、過去の人々の借金と残渣を処理することしか残されていないということだ。そんな事で、未来の人々は夢を描けるのだろうか?高速道路をメンテするだけで新しい路線開発はダメとか、ムダな空港を廃港することはできても新規に空港を作ることはできないとか、そんな事になりかねない。統廃合や整理していく中で、工夫次第で多少は面白い事もあるだろうが、20世紀のようにドラスティックに何かを作り出すことは、少なくとも公共事業という形ではやりにくくなるだろう。

今の時代の人にできることは、これ以上借金を増やさないようにすることと、新しい何かを作り出す時には、なるべく維持管理コストが掛からない形にすることぐらいだろう。それが、新しい公共投資の視点だと思う。そう考えると、八ッ場ダムは中止が妥当じゃないだろうか。

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