2012年1月16日月曜日

フットボールとフィギュアスケート

あるブログに、これからはフットボールではなく、フィギュアスケートの時代だとあった。その意味は「戦い方」と「得点方法」にある。

フットボールは敵味方に分かれて点を取り合う、いわば消耗戦だ。相手のストロングポイントを潰し、ウィークポイントを攻める。相手があってこそであり、互いの相対関係が得点を決める。

フィギュアスケートでは戦うべき相手は自分だ。より良い演技、自分が理想とする演技を追い求める。点数は、その演技の結果のみで決まる。相手との関係は、得点としては意味がない。

社会に提供する全ての財は、使う人の価値観や人生やライフスタイルの変化を生み、その事に価値があるとすれば、財を提供する事業者と使う人との間にしか、価値は存在しない。

そんな時代に、観客に視線を向けず、消耗戦を繰り返すフットボール型のビジネスは合わないのかも知れない。かつては、対戦(競争)相手との相対関係を考えること観客(使う人)の価値にも繋がり、それなりに意味のある事だったのだが。

翻ってフィギュアスケートは、観客の視線こそが全てだ。言い換えれば、観客に与える感動という価値に意味がある。競争相手は、同じリンクで滑っているだけで、存在することのプレッシャーはあれども、それが生み出す価値を損なう事はない。

そういった姿勢の違いが、ビジネスの場でも重要になってきている、と言うことだろう。

ただし、フットボールは対戦相手に勝てば、それが価値と言い張る事ができる単純な競技だが、フィギュアスケートは自分が考える演技の良さが伝わらなければ無価値に陥る怖さがある。その恐怖感に負けて、ついフットボールに熱中してしまう会社が多いのではないか。

技術の進歩と、そこから得られる価値が非線形状態になってから、ビジネスはそういった形に変質してきた。次の層に遷移するまでの過渡期で、ここをどう乗り切るかが重要なんだと思う。

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