2012年1月27日金曜日

大手建設会社を悪者にするのはやめて欲しい

「復興と矛盾」というテーマの番組があった。

震災復興において、瓦礫処理や地面の嵩上げなどは東京の大手建設会社が跋扈しており、地元の建設会社には利益が落ちてこない一方で、仙台の街は建設関係者で繁華街が賑わい、バブルの様相を呈しているとのこと。

何だか、建設会社(特に大手)が、震災特需とばかりにぼろ儲けしているような言われ方だが、あまりに先入観の強い見方だと思う。

第一に、大規模処理に関して大手が引き受けることに関しては、ある程度しょうがない事だと思う。技術も調達力も大手にしかできない事があるのだから。そして、そこで稼ぎまくっているように言われるが、建設業の利益率は元々薄く、1.2兆の売上があっても最終利益はせいぜい150億程度で1.3%ぐらいのものだ。これ以上、頑張れないでしょう。IBMなんて利益率20%ぐらいあるし、Appleは28%を超える。日本メーカーは比較にならないが、それでも5%ぐらいだ。

少し小さな仕事は、当然地元の雇用が優先されるので、なかなか出番がない。そんな中で、人件費高騰の煽りを受けて、地元建設会社が赤字だと言われても、それは大手でも同じことだし、扱うボリュームが大きいので、より影響を受ける。さらに、被災地ではない所にまで影響が及ぶので、地元建設会社よりもよっぽど深刻だ。

また、仙台の繁華街は大変な賑わいらしいが、当たり前だ。

建設業は仕事量=作業員の数なので、建設需要が大きい所は人が集まり、当然、飲み屋は繁盛する。そう言うもんだ。一日の肉体労働の後に一杯飲むくらいの権利は、たとえ被災地と言えどもあるだろう。そして、建設バブルに喜んでいるのは、建設業ではなく繁華街の飲食店や風俗店だろう。建設業は変わらず、薄利で薄給で頑張っている。

震災復興の主役はどうしても建設業になるのだが、そこで生まれる利益は極めて薄い事は知っておいてもらいたい。建設会社に十数年いてわかった事は、建設業は社会主義国家を担う一つの機能であって、皆が富める時は等しく豊かに、皆が貧しい時は等しく貧しく、皆が困っている時は等しく苦難を分かち合う、という競争原理からは遠く離れたメンタリティを持っているという事だし、実は社会的にもそのように望まれているという事だ。

社会主義の象徴のような「談合」は、グローバリゼーションとともに排除された。だからといって競争主義に走れるかと言うと、今回のように、やってもいないのに釘を刺される。

建設会社は、あくまでも社会の安定のために存在する機能の一つである、と言うことを理解してもらう必要があると思う。そうすれば、下らない批判は減るだろう。


0 件のコメント:

コメントを投稿