2012年7月20日金曜日

韮山反射炉

伊豆に遊びにいく途中で韮山反射炉発見。

全然予定してなかったが、かつて鉄に関わる仕事をしていた事もあり、寄り道決定。家族は興味なさそうだったが。。。




反射炉は現在でも鉄以外の金属では使われているらしいが、鉄では主に転炉が使われている。反射炉も転炉も、金属を精錬するための炉で、基本的には不純物を取り除くためにある。

反射炉では、熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別になっており、燃焼室で発生した熱を天井や壁で反射させ炉床に熱を伝える事から反射炉と呼ばれる。




韮山反射炉は極めて初期の反射炉で、幕末の砲製造のために作られた。幕末は欧米からの武力圧力が強かった時代で、国内での武力増強の必要性が日々高まっていた。一方で、海外から技術者を招聘することもままならない時代でもあり、伊豆韮山代官の江川英龍などがオランダの技術書を参考に作り始めたのが韮山反射炉である。

昭和の終わり頃に施された耐震補強で、反射炉は全面的にブレースが配置され、少し異様な塔として存在感を放っている。

かつては、レンガで作られた躯体全面を漆喰で覆っていたらしく、ある種神聖な雰囲気を醸し出していたのでは、と想像する。

こういった時代の工業は、多大なる人手を介したものだったはずなので、地域の雇用のかなりの部分を占めていたと思われる。周りには生産設備もあり、かなり隆盛を誇っていたのではないだろうか。




反射炉を見て一番驚いたのは、そのレンガの精度だ。

非常に奇麗な仕上げのレンガが緻密にくみ上げられている。1853年当時、レンガ造の建物はおそらくまだ存在せず、当然、レンガ製造工場もなかったハズだ。きっと海外から輸入したのだろうと思ったら、近くの河津で作ったらしい。ちょっと信じられないぐらいに品質が高い。それは、レンガ製造だけでなく反射炉施工においても。




このようなチャレンジが次の時代を作り、それが今に繋がっていると思うと感慨深い。一方で、何度も言うようだが、たかが160年前ですら隔世の感を禁じ得ない中で、原子力の10万年って一体何なんだろうと思う。

しきりに産業遺産として世界遺産に登録すべく働きかけており、当日はメディアの取材も入っていたが、なにせ規模が小さく、外観を極端に毀損する修復を施してしまった状況を見ると、世界遺産としては少し苦しいのでは、と思う。鉄を少し齧った身からすると非常に面白かったが。

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