2012年9月24日月曜日

過去にどう向き合うか?

中国や韓国の行動で違和感を感じるのは、過去との向き合い方だ。

国家間の戦争・紛争が頻発していた70〜120年前。その当時に起こった数多の事変や事件。底流に流れる覇権主義や帝国主義。

日本にとって見れば、その全ては過去であり、二度と悲劇を生まないようにそういった事に至った背景や環境を理解するよう努める、客観的な立場だ。

過去の出来事は、誰が本当の意味での主因であるかは分からない。当然ながら犠牲になった人々も帰ってこない。

そう考えると恨む事それ自体に意味はないし、誰のせいと糾弾することもナンセンスだ。

そういった世界を生まないための契機とする事が、様々な犠牲の供養になるだろう。例えば、広島や長崎で原水爆反対集会や国際会議を開くといった活動だ。

それが世界を一歩前に進めるための唯一の手段だと思う。試行錯誤の上で、間違った道を明確にして、二度とその道に足を踏み入れないようにする事。そういった認識を共有し、積み重ねて行くことが、文明の進化と言えるだろう。

中国や韓国は、過去の悲劇は一方的に相手のせいだというスタンスで、歴史を塗り替えてるので、文明の進化に至る客観化ができない。だから、そういった事象を契機にパラダイムを変える事ができない。なので、いつまで経っても出来事を消化・清算できず、何年経っても昨日のことののように感情が揺さぶられて「復讐!」となる。国としては愚民の方が支配しやすいので、決して客観化はさせない。

もう悪循環もいいところだろう。

解決策はないに等しいが、民主化して、検閲されていない情報に触れるしかないが、韓国の状況を見ると、それよりも教育の問題が大きい。つまり、国の施策・方針に依存している訳で、まあ、救いようがない。

日本は、歴史の事実を下敷きとして、冷静に、客観的に行動するしかないだろう。ただし、共感や同情や妥協や謙虚さは、不要だ。

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