2009年5月11日月曜日

人口構成から見るシリアスな将来

前回のエントリーで、危機感がないのは人口構成を見て真剣に考察したことがないからだ、と書いた。

少し前に1888年〜2000年の人口構成推移と、2025年、2050年の人口構成予測を並べてみたことがある。それぞれは大して珍しくもない、ありふれたグラフなのだが、並べた時の衝撃は大きかった。あまりの衝撃に、その後に会ったほぼ全ての人に紹介したほどだ。感じ方は人それぞれだと思うが、一様に真剣にそのグラフを見て、話を聞いてくれた。それまで深く考えたことがなかった事が恥ずかしくなるぐらい、ありふれた少子高齢化問題がそこにはあった。その時の考察と感じたことは次回書くことにする。

このグラフに大きな間違いはないだろう。つまり、このまま行けば、少なくとも私が完全に老人となる2050年には、私は社会のお荷物になっていることは、このグラフから容易に読み取れる。

今後、景気が急上昇したり、子どもがいっぱい産まれたり、外国人肉体労働者が大量移民したり、天災が起こったり、石油が大量に出たり、神様が降臨したりしない限り、ほぼ確実だろう。なぜなら今後、給料はさほど上がらないどころか、人余りで下がって行き、貯金は難しくなるだろうからだ。そして、福祉の必要性は日ごとに拡大していくのだから、増税も火をみるより明らか。さらに、リタイヤしても年金は期待できなくなり、新たな職を見つけるのも困難になるのは、目に見えている。企業は安い給料で長く雇うことを義務づけられ、大企業勤務者でも年収250万から700万円くらいのレンジになるだろう。今の半額である。増税を考慮すると、可処分所得は現在の1/4ぐらいになってもおかしくない。

そんな社会に活気があるわけもなく、景気は完全に沈滞するだろう。こんな状態が2070年ぐらいまで続くんじゃないかな?

こんな未来は何も私だけではない。曲がりなりにも日本を代表する大企業に勤めており、比較的恵まれている自分ですら、このような状態になる可能性が高いことに強い危機感を感じている。

だからせめて、自分と自分の周りの人たちは罹る災禍から逃れられるよう自衛手段を持つ必要があるし、持たなければいけない。それが、海に泳ぎだそう、ということの意味である。


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