2009年5月13日水曜日

将来は自給自足?本当の自立?

日本の年齢別人口分布を調べた。


1950年位まではキレイなピラミッド型だった。その後10年位は出生率が下がった後、再び上昇し1970年過ぎにピークを迎える。その後は減少の一途である。遡って明治時代(1900年前後)は釣鐘型で0歳〜40歳位まで比較的均等に分布している。1900年以前は医療が充分に発達しておらず、幼児や高齢者の死亡率が高かったと推測できる。その後、医療の発達とともに幼くして亡くなる事例が減り、未成年人口が増えた結果、ピラミッド型に変化したのだと思う。同時に高齢者医療も発展し、人は中々死ねなくなった。つまり自然減が期待できなくなり、高齢者が日増しに増えて行った。そんな中、高度成長に浮かれたポスト団塊が自らの享楽に走り、バブルと社会制度の不備から、いわゆる団塊ジュニアが子どもを作らなくなり、キノコ型に向かう事になる。

人が死ななくなり、産まなくなった。1975年〜1985年における出生率の低下は、主にポスト団塊の人口が少ないことに起因していると考えられる。1985年以降はバブルの影響で生活コストが上がり、バブル後は不景気によって金銭的に多くを育てられなくなった。また社会制度も現状に追い付いてなく、産み育てることに積極的になれない状況が続いている。

キノコ型では社会を維持できないのは目に見えている。なぜなら現代の社会は相互扶助を基礎として成り立っているからである。特に世代をまたぐ相互扶助の概念は、端的に言うと、搾取の連鎖からできている。若い間は、将来において還元されることを前提に、安く労働を提供する。つまり将来世代の収入に乗っかる形で、リタイヤ世代が扶養される訳だ。これは、リタイヤ世代が少なく、将来世代が多い場合にのみ成立する。そのための条件として、相応の死亡率でリタイヤするまで生き延びる人間が減っていかなければならない。だからキノコ型では成立し得ないのだ。ピラミッド型が、相互扶助を前提とした人口構成としては理想だろうが、戻すのは容易ではない。

将来的に人口が増え続ける未来は想像できない。少子高齢化の辿り着くゴールは釣鐘型であろうことは容易に理解できる。つまり、究極的には釣鐘型で生きていける形を作り上げる必要がある。その前に、直近70年ほどは歪な人口構成にフィットした社会の形を見つけなければいけない。

解決策の一つは、楢山節考だろう。高齢者を切り捨てる事で人口分布の適正化を図る。もう一つは相互扶助を捨てる事。すなわち自力で生きていけない人の面倒は見ないという選択肢がある。さらに、低年齢層を増やすと言うのも考えられる。

現実問題として楢山節考は無理がある。それでも高齢者の人々が自発的に富の移転を行ってくれれば、まだ救いはありそうだ。そうする事で、今まで世代間に一方的に流れていたお金の流れが、ある程度双方向になり、若年者の負担が減る可能性がある。しかし、少子高齢化問題から逃げ切れそうな人が、あえて将来世代に所得移転をするとも考えにくい。ただでさえ老いて能力が衰えてきているのに、想像力を働かせ将来世代へ献金せよ、と言っても無理だろう。進んで献金したくなるような受け皿と言い訳が必要だ。

また、低年齢層を増やすことも難しい。出生率を上げるのも、外国人を受け入れるのも、大東亜共栄圏を作るのも政策の問題であり、互いのメリットや日本人のメンタリティ、社会制度の整備などを考えると、即効性は期待できない。

残るは相互扶助を捨てること、すなわち自力で生きて行く人間を増やすしかないだろう。

人が死ななくなった事が最も大きな要因だが、そこは止められない。世界が高齢化するのは必然なのだ。であれば、高齢化した社会に適した、相互扶助ではない社会の仕組みを、在り方を作っていかなければならない。

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