2010年8月25日水曜日

京都・霊山護国神社

お盆休みの終わり、関西から横浜へ帰ってくるのに、京都発を選んだ。理由は色々あるが、京都にはチャンスがあればできるだけ訪れるようにしている。

今回の目的は霊山護国神社。

それにしても人が多い。日本全国、お盆でお店が閉まっているのに、京都だけが全開だ。年末年始やお盆といった日本的行事は京都なしには語れない。

霊山護国神社は、祇園八坂神社と清水寺の間、高台寺の隣にある。神社と寺は、お互いを補完するかのように、多くの場合、隣り合っている。面白いもんだ。

八坂神社や清水寺は何度も訪れたが、霊山護国神社は実は初めて。何でだろ?

この辺りは、意外にアクセスが悪いので、季節の良い時期に一日かけて歩き回るのは良いが、この季節は倒れそうになる。折角なので、その他史跡巡りを兼ねて、京都から地下鉄に乗り、四条で降りる。まず向かったのは近江屋跡。四条河原町、坂本龍馬、中岡慎太郎の遭難の地である。何の変哲もない碑が、人通りの多い河原町通りにある。遺構があるわけでもないので、ただ、その時に事件が起こった事が事実として伝えられているだけだ。ネットで検索して得られる以上の情報はない。




その後、河原町通りの向かい側にある中岡慎太郎寓居地の碑を確認し、まぁこれだけ近ければ遊びにも来るわな、と思いつつ祇園方面へ歩くが、あまりの人の多さに四条通りを諦め、祇園の中を通り抜けていく事にした。

ここは韓国人ばかり。きっと外国人観光客はかなりの数なんだろう。さすが、京都。

建仁寺を抜け、八坂通を東へ。東大路通を越えると間もなく目的地、霊山護国神社。その麓に立ってみると、ここは割とよく通った場所だと気づく。うーむ、こんなに身近にありながら、一度も登った事がなかったとは。




猛暑の中、登っていくのは中々辛い勾配のキツい坂を登り、到着。300円払って墓地へ。

ここは、国の為に亡くなった人々を祀る場所で、坂本龍馬、中岡慎太郎を筆頭に、桂小五郎、高杉晋作など維新の志士達が多く眠る。彼らの墓前に立つと、自分の不甲斐なさ、未熟さを感じる。暑い中、多くの人がお参りし手を合わせていたが、自分は手を合わせる気がしなかった。私利私欲を排して生き抜いた彼らに対して、何者でもない自分が私利私欲を叶えんが為に手を合わせるという行為が全く整合せず、ただ墓を見つめて、自分を省みるのみだった。



その後、すぐ近くにある霊山記念館に寄った。入場管理が緩く、料金を払わなくでもよさそうなものだったが、一応払った。700円。しかし、払うに値しないレベルの低い展示にガッカリした。展示内容が整理されてないし、ほとんどがネットで確認できる程度の情報でしかなかった。何にも知識のない人に向けた展示施設と思えば、間違いがない。小学生向き。

記念館を出て川端通まで歩き、木屋町を三条まで北上。新京極を南下して、錦で西へ。烏丸まで歩いて、気がついたら先ほど出てきた四条の出口に着いた。グルーっと一周した事になる。

京都の街は、他の都市にない特徴がある。

それは信じられない範囲で、お店が広く低く軒を連ねている事だ。この酔狂な一周コースでも、そのほとんどの場所で通りの両側にはお店が並んでいた。街の全域が観光地だから、駅が近いか遠いかはほとんど関係ない。だから、お店の数なんて分からないんだけど、Kozchiの導入が最も奏効する場所と考えられる。

間違いなくKozchiにとって、最重要な都市と言えるだろう。




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