2010年8月20日金曜日

池田・小林一三記念館

阪急電車の中だったか、阪急創始者・小林一三氏の記念館が池田にある事を知った。

自分が生まれ育ったエリアの代表的な電車であり、現在住んでいる東急沿線の発展にも大きく寄与した人物である事は知っていたので、取り合えず行ってみた。

最寄駅は阪急池田駅。実家からさほど離れてないが、初めて訪れる場所だった。いかにも古い街並みを抜けて、クネクネと10分ぐらい歩く。途中、逸翁美術館というこれも小林一三氏の美術蒐集品を展示した施設がある。どうやらこの辺りは、阪急が宅地開発、住宅分譲に乗り出した場所らしい。その当時のものと思しき長屋風の建物も残っていた。

その先に、先日亡くなった阪急元会長で小林一三氏の孫である小林公平氏のお宅があり、隣に目的の記念館が見えた。



立派な門をくぐり、チケットを買う。どうやら建物は二つあるようで、時間もないので手際良く見ていかなければいけない。一つ目は、小林一三氏の業績をビデオ、パネル、模型、実物でバラエティ豊かに展示した施設だった。

まぁ、この人は色んな事をやっている。事業を始める前の経歴も変わってて、面白い。山梨県に生まれ、慶応義塾に入る。三期生で、同級生は30人くらいだろうか。福沢諭吉を中心にした卒業アルバムがあった。その後、三井銀行に入社。まだ、銀行として営業を始めたばかりで「為替バンク三井組」と呼ばれてた頃だろう。三井で14年ほど勤める。あまり取り立てられず、知り合いの証券会社設立話に乗って退社。「うまい話があるんだ」という感じだったのかも。しかし、その会社も設立叶わず廃業。途端にプー。見るに見かねて、知人が職を紹介。でも、清算予定会社の監査役という微妙な役回り。ここまでは全く良いことがない、という感じだ。

その清算寸前の会社を立て直した辺りから風が吹き始める。立て直しのカギになったのは宅地開発。線路に沿って何度か歩いている時に閃いたらしい。人が住めば路線を栄える、と。そのアイデアを例の紹介者にして見ると、総論賛成だが出資については首を縦に振らない。覚悟を見せろと言われ、自分も目一杯出資する上に、出資者のリスクは小林が被ると言う。つまり、損はさせないという事。これで出資が集まり、無事、会社を清算せずに済む。これが阪急の前身。

その後、高校野球やタカラヅカを始め、阪急は大企業となる。小林はその手腕を買われ、電力業界の立て直しや商工大臣などを歴任した。

華やかな人生も、そこに至るまでの艱難辛苦は計り知れない。逆境に負けない力と覚悟が必要だ。

最後に、池田駅のKozchi特性を測る意味で商店街をブラついて見た。池田駅前は二つの商店街が繋がっており、全部で100店舗くらい。さらに商店街から少し離れた場所や駅の反対側を考慮すると、250〜300と推定できる。割と駅前にまとまって、広く低く分布しており、Kozchiが活かせそうな場所と感じた。




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