2011年2月16日水曜日

グリッドパリティの欺瞞

エネルギー関連の情報を見ていると、よくグリッドパリティという言葉が出てくる。これは、化石燃料の枯渇に伴って、現在高コスト故に普及しない、もしくはシェアが少ない代替エネルギーが、コスト的に見合うようになってくる、その分岐点を指す。

確かに、いずれは太陽光発電も「グリッドパリティ」に到達するかも知れない。地熱や最近話題の藻類エネルギーなんかも、石油価格高騰が進めば、コスト的には活用できるレベルになる可能性は、当然ある。

ただ、個人的にはグリッドパリティという言葉は好きではない。第一に、石油価格高騰を見込んでコスト的にどうだ、という議論は、かなり自己弁護を含んでいるように思えるからだ。本来、技術開発は商品として価値のある品質とコストを実現する為に努力するものだと思うが、グリッドパリティの考え方は、コストの面でのハードルを「しょーがないよ」とばかりに下げている気がしてならない。

実際、現時点ではしょうがないのかもしれないが、それにしても石油価格高騰を前提にする事無く、コスト面でのメドが何十年後かにでも立つように開発を進めるべきだとは思う。

もう一点は、この考え方が消費者目線に立っていないことだ。グリッドパリティは、供給者から見ると、ある意味説得力のあるロードマップを提示するのだが、エネルギー消費量が変わらないとすれば、消費者が支払うエネルギーコストは上昇する一方だ。

電気エネルギーは消費段階においてはCO2排出量が少ない事が一つの言い訳になっているので、今後、電気エネルギーが今まで以上に主流になることは確実だ。本当は、電気を作る段階、送る段階においては相変わらずCO2を排出している訳だから、大して地球環境に良くなっているとも思えないが。

ともあれ、電気製品がますます増え、当然電気エネルギー消費量が増えていくにつれ上がるエネルギーコストを圧縮し、生活に対する影響を最小化するような意味合いは、グリッドパリティには含まれていない。実は、CO2排出量削減より、化石燃料使用量削減よりも、最も消費者にとって意味があるのはコスト削減=生活に対する影響の最小化なのにも関わらず。

昔はエンゲル係数という飲食費の割合を示す係数があったが、近いうちにエネルギーコストの割合を示す係数が定義される事だろう。前者は所得の大きさによって異なる数字という位置づけだったが、後者は複雑で再生可能エネルギーコストをプラス、化石燃料エネルギーをマイナスで計算して、エネルギーコスト係数が高ければ高いほど、生活を犠牲にして、地球環境保護に貢献しているので、税制優遇を受けられるとか。

いずれにせよ、エネルギーコストを下げる方向の努力が、各方面で必要だろう。これは技術だけの問題じゃないし、グリッドパリティなんていう建前の言葉を使っている限りは、劇的な進展は望めないだろう。

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