2011年10月19日水曜日

日本的サービスの限界点

最近、八景島シーパラダイスによく行く。ここは、水族館を中心とした総合アミューズメントパークで、水族館好きには中々楽しい場所だ。イッテQ!水族館もここにある。

八景島という人工島を開発し、海をテーマにしたアミューズメントパークを作ろうという構想は理解できるが、ここに行くと、日本的サービスの限界点を感じることが多い。日本的サービスは総合的ではなく、単発的だ。企業は総花的な総合企業化を目指すパターンが多いのに、サービスの総合化が得意ではないのは不思議だ。米国的サービスの代表、ディズニーリゾートと比較すると理解しやすいかも知れない。

ディズニーリゾートは「体験」を中心に考えているが、シーパラダイスは「施設」を中心に考えていることが大きな違いだ。


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「体験」には施設、サービス、スタッフなど、様々なものが含まれていて、その全てをマネジメントすることになる。ベンチマークするべきは、一日を過ごす「体験」であって、その体験の質が、他の体験に比べて差別化されていて、なおかつ最高であるように設計される。一日を過ごす体験とは、例えば動物園かも知れないし、南の海のリゾートかも知れない。もしかしたらオーロラツアーや山登りや温泉やウィンドウショッピングもライバルになるのかも知れない。少なくともそこを訪れる人は、それ以外の選択肢を全て捨ててきているのだから、後悔させないだけの「体験」の設計は必要だろう。

一方で「施設」も、その中の設備、動線、サービス、スタッフなどが含まれている。そして、水族館という施設でベンチマークして、水族館として差別化されている事が最重要課題になる。「体験」の時と同じく、他の水族館を選べば良かったと思われないような施設にする必要がある。だから、シーパラダイスではジンベイザメをイルカプールで飼育し、鑑賞するだけでなく、芸を仕込もうとしている。


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施設中心の考え方の欠点は、施設間の一体感がないことだ。それぞれの施設として、類似施設をベンチマークした上で、他にないものを作っただけで、それ以上ではない。すごく縦割りな印象だ。だから、施設間でサービスレベルが大きく異なり、しっかりしたサービスを受けられる施設から、ほとんどボッタクリに近いようなものもある。そして、その不均質感が全体としての体験の質を下げている。

また、施設は飽きるというのも大きな問題だ。施設というハードを中心に考えると体験が画一的になり、いつ行っても同じなので、何度も行く気にはなれない。子供は別だが。体験というソフトで考えると、バリエーションが無限に存在し、いつ行っても何かしら新しい発見があるので、リピートする意味が出てくる。

つまり、施設は一見さんをいかに呼びこむかが重要であり、体験はリピーターをいかに増やせるかが大切になる。ビジネスととしての拡がりと安定感は、間違いなく後者が上だろう。

逆に、施設中心で設計すると、その施設はレベルの高いものになる場合も多い。例えばミシュランの三ツ星レストランは日本が一番多い。個々の施設が同じ業態の施設をベンチマークし、切磋琢磨した結果、非常にレベルの高い飲食店に成長する。


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そう考えると結局、日本は職人の国で、腕の良い職人が自己研鑽を深めて、高レベルなサービスを個別に提供することしかできていないと考えられる。どの分野も総合化・体験化・サービス化できずにいて、単に使われている職人として、その腕が良い事だけを自慢にして、報酬は二の次といきがっている。iPhoneがいい例だろう。部品は日本から調達して、体験を売って、ハードで稼いで、サービスを総合化している。

いつまでもこんなことで良いのだろうか?

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