2011年10月10日月曜日

CEATEC2011

幕張メッセで開催されているCEATEC2011に行ってきた。

最も印象に残ったのはAppleだった。もちろんAppleはCEATECに出展していない。が、あらゆる場所で、Appleの匂いを強く感じた。

今年は色んなブースでタブレットPCが展示されていた。スマートフォンもタブレットPCもAppleに端を発している。

それだけではなく、今までプラスチック筐体だったものをマグネシウム合金にしたり、シールだったロゴや認定マークなどをエッチングにしてみたりと、何とかApple流モノづくりに追いつこうと必死になっている事が、あからさまな模倣から伝わってきた。

インテルのブースで展示されていたパソコンも、MacbookAirソックリだった。薄さ、ポートの配置、大きなトラックパッドやキーボードの形など、どこを切り取っても、MBAの模倣にしか見えない。

それだけでなくパソコンやテレビとつないで、自由にコンテンツを楽しもうというメッセージのプレゼンテーションが各所で行われていたが、このコンセプトもAppleTVで、すでに実現しているものだ。





それぞれに決定的な違いがある。

スマートフォンやタブレットPCは、OS、ハード、プラットフォームを一体開発しているAppleと、Androidのライセンスを受けてハードだけを作っている各社の違いは、当然、完成度に表れている。

美意識を共有していないモノづくりには魂が宿らない。性能だけ良ければ受け入れられる時代はとっくに終わったのだという事に気づく必要があるだろう。

パソコンも同じで、スタイリッシュになったという事だけでは、何も解決していない。

どんどん作り出される、様々な技術を取捨選択して、本当に必要なモノは何かという議論をする事なしに、意味あるプロダクトが作れるとは思えない。ハードだけでできる事もあるはずだが、おそらく、パソコンを再定義しようなんて考えてもいないんだろう。

最後のデバイス連携なんて、ほとんど説得力がなかった。致命的なのはコンテンツを持ってない事。その意味で、ソニーは少しだけ先行している感じがした。

それにしてもBravia、PlayStation、スマートフォン、タブレットPCと、どれだけ投資すれば、その未来に辿り着けるのか。東芝やパナソニックは、コンテンツサーバーも持つ必要があるので、気が遠くなる。スマートフォンとタブレットPCを抜いても30〜50万円ぐらいだろうか?

囲い込みたい気持ちはわかるが、そのエゴが導入の足を引っ張っている。高機能な大物家電を導入しないと実現できない未来は、本当の意味での未来なのだろうか?もしかして、ただの幻想ではないだろうか?

Appleで同じ事を実現するのに必要なコストは、AppleTVの8,800円だけだ。Appleが想い描く未来は、誰の手にも届くだろう。

どんなに素敵な未来でも手に届かなかったら意味がない。勝負になる訳がない。

みんなAppleが設定した土俵で相撲をとろうとして、ことごとく負けている。しかも、完敗。横綱vs.幕下という感じじゃないかな。

Jobsがいなくなった今こそ進撃のチャンスかも知れない。そして、そのために必要なのはパラダイムを変えることだろう。Appleの土俵から離れる事だ。

今の所、その兆しは見られない。

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