2011年10月28日金曜日

昔は「体験」を提示するのがうまかった?

体験だの施設だのと書いていたら、回覧で回ってきた日経ビジネス(2011.9.26号)に同じような内容が書かれていた。これからは単品の製品を販売するのではなく、体験を売りたいと日本の大企業がこぞって考えているそうだ。

先に書いたように、そう簡単なことではない。例えばガラパゴスも、液晶テレビの単品売りに飽きあきしたシャープが出した、体験売り型の製品だったが失敗。

体験を売るには、前段取りと構成を綿密に考える必要があるんだと思う。つまり、解決したい課題とそれを煮詰めたコンセプト。次に体験。体験を構成するサービスと製品といった形だ。

そして、「体験」はうまくいけば長い期間収益を上げれる可能性があるが、ヘタをすると長いながい我慢の時間が続くかも知れない。そういった事を念頭においた、勇気と覚悟が必要になる。

同じ雑誌の中で、元ソニーの久夛良木氏が、ウォークマンの頃のソニーは体験を提示するのが上手だったと言っているが、決してそんなことは無いと思う。意図して体験を提示していた印象はない。現在のAppleのCMと見比べるとよく分かる。

iPadやiPhoneは、それを持つ事でどんな事ができるようになるのか、まさに体験を全面に出したCMを流している。かたやソニーは、思い起こせば、猿もうっとりするほど音が良いウォークマンや、スゴく発色の良いテレビなど、あくまでも高性能な製品にフォーカスしたCMだったと記憶している。

つまり、利用者が今の延長線上にある「より良い体験」「より新しい体験」を想起しやすい製品を作れたのが、昔のソニーだったんだと思う。

問題は、体験を想起しやすい製品を作れてない事、昔は体験にフォーカスしたモノづくりをしていたと勘違いしている事、何より現在の延長線上にある高性能化に対するニーズが減退している事にあるんじゃないかな?

体験を想起させる事は、体験をダイレクトに伝える事よりもレベルが高い。ウォークマン時代は高性能化ニーズが高かったので偶々うまく行ったが、今後もうまく行くとは思えない。

早く勘違いを解いて、体験にフォーカスできる体制をつくるべきだろうが、巨大企業になってしまったソニーが、カリスマなしに実現するのは難しいだろうな。

勘違いしたまま堕ちていくだけなんだろうか?

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