2011年11月9日水曜日

エネルギーシステムのバランス

震災後、スマートグリッドが脚光を浴び、エネルギーの分散化が叫ばれている。拠点の分散化とエネルギー源の分散化。

今まで効率性や安定性を求めて大規模集中を推し進めてきたが、震災を機に安全性やロバスト性に大きく舵を切ろうとしている。効率性や安定性は多少犠牲にしても安全性やロバスト性には替えられないということだ。

よく考えてみると、阪神大震災の時は電気の安全性やロバスト性が証明され、オール電化の引き金になったように思う。復旧に何ヶ月もかかったガスに比べて、3日ほどで80%以上回復した電気の強さを身をもって感じたはずだった。

原発も環境負荷が少なく、コストも安い日本向きのエネルギー源だと思われていた。そして、数十年後には日本の電力の半分以上を賄うはずだった。

時代は流れ、東日本大震災。津波によって原発が破壊され、誤解を恐れずに言えば、たまたま起こった電力不安。電気の評価はひっくり返り、オルタナティブな選択肢としてガスが持て囃されている。

ここはよく考えたい。
本当に電気は不安だろうか?本当にガスはオルタナティブたりうるだろうか?本当に大規模集中より分散が良いのだろうか?

日本人は極論に走るのが大好きだから、脱原発を果たしてしまうかも知れない。日本的ガラパゴス化にまっすぐ突き進んで、丁度良いバランスを探ることなく、究極の安全やロバストを目指しそうな気がする。

本当は、効率性、安定性、安全性、ロバスト性は、少なくとも一部にはトレードオフの関係を持っており、いずれかに極端に振れることが最適の解とは言えない。どこかにあるバランスを見つけて、はみ出た部分は、何らか別の方法で手当てすべきだろう。

エネルギーでバランスを失うと、間違いなくコストに跳ね返る。ペイするレベル、サステナブルなバランスが重要だ。極論に走るとスマートから遠ざかる。

今考えるべきスマートな世界は、集中と分散のバランスを見つけることから生まれる。

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