2010年1月6日水曜日

ルールメイク

「ルールを作る時代と使う時代」というタイトルで、幕末と現代について、思うところを書こうと思ったが、偉そうに書けるほど知識がないのと、現代は決してルールを使うだけの時代じゃないし、幕末もルールを作るだけの時代じゃなかったんだな、と思い、改めてルールについて考えようと思う。

今年の大河ドラマは「龍馬伝」で、久しぶりにちゃんと見てみようと思っている。坂本龍馬は、今までの大河ドラマの主人公に比べても、著名で、身近で、それぞれの人が何らかのイメージを持っているだろうから、演じる人は大変だ。私の龍馬イメージは、小山ゆうさんの描いた漫画の「おーい、竜馬」だ。でも、読んだのは大分昔で、しかも、その時代背景にさほどの興味も無かったので、なぜ、彼がルールメーカーたり得たかは、理解していない。

で、激動の時代にルールを作った人と、それからずっと後の時代にルールを使うだけの我々は、随分と立ち位置が違うな、と思ったのが事の発端。

でも、ちと待てよ。
昔の方が、コミュニティがしっかりしていて、その中でのルールは厳格だったはず。大きくは江戸幕府コミュニティ、例えば土佐藩コミュニティ、小さくは坂本家コミュニティ。それぞれにルールは間違いなく存在し、しかも今より厳しかったよね。多分。

そんな状況で、既存のルールとは違うルールを考案し、世の権力者たちを乗せた、その手腕は一体なんだ?

そもそも、ルールに縛られたコミュニティの中にいて、そのルールから離れた事を考えられる自由さも凄い。今なら、あらゆる情報が手に入るので、今いる場所のルールが必ずしも正しくない事は、その気になれば理解できる。

でも、電話すら無い時代に、どうやって自分自身や所属するコミュニティの立ち位置を客観化できるのか、想像もつかない。日本の立ち位置までをも客観化した上で、どうすればいいのかの答えまで導き出し、実行に移してしまったんだから、とんでも無い。

ここに至るまでに幾つかのトリガーがあったんだろう。江戸遊学、ペリー来航、そして脱藩。それぞれが、今までのルールを客観化する機会であり、新しいルールを考える機会だったんだろう。そして、次第に客観化スケールが大きくなって、薩長同盟、大政奉還への道筋をつけることになった、と。

書くと簡単だが、実際の悩みは深かったに違いない。「世の人は我を何とも言わば言え 我が成すことは我のみぞ知る」なんて、誰も竜馬の客観化スケールについて行けなかったことを物語っている。

結局、新しいルールを作るには、今までのルール世界から離れて客観化しないとダメ、ということ。今までのルールにどっぷり浸かりながら、新しいルールに思いを馳せるのはナンセンスだ。

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