2010年11月22日月曜日

いつになったら「不惑」になれるのか。。。

40代に突入して早くも数ヶ月経つが、一向に不惑の域に達しない。というか、ここ数年間、戸惑ってばかりで、人生の折り返しに到達したことを焦るばかり。

今まで、自分の好奇心の広がりにまかせて、あまり一つの所を深堀りすることなくきた。

最も大きな目標は自由になること。時間も空間も、すべての制約から解き放たれること。人とのしがらみの中からしかビジネスの種は見つからないが、しがらみがあると自由が少ない。それでも研究職は、しがらみの少ないテーマを見つけて、国やインフラ企業から補助金をつけてもらって、尾崎豊風に言うと、作られた自由を泳ぐことができる。

本社スタッフ部門は、そういった泳ぎ方もできず、基本的には官僚化した大組織の中をしがらみを解きほぐしながら泳ぐことになる。

そこで鍵になるのは肩書きだったり、部門間の力関係だったり。そして、各部門の役割を超えないように注意することが大事だ。何よりも気を使うのが、どの部門が参画するのか、誰の承認を得ているのか、どこまで承認してもらう必要があるのか、自部門が参画する意義は何なのか。。。。決して、会社全体として必要、という観点から議論されることはない。

自由という言葉からは想像もできないような、緊縛の世界がそこにはある。

もう一つの問題は、だんだんと建築に対するモチベーションが下がってきていることだ。

しょせんは、社会主義を構成する機関/機能の一部でしかないと思うと、できることの限界は自ずと見えてくる。ゼネコンという業の中にいると、その歪みを痛感する。上を見上げては、金を出す立場になりたいと憧れ、妬む。下を見下ろしては、コスト(現実)とパートナー(理想)の狭間で思い悩みながら、少ない予算を分け合う胴元として仕切ってるようなつもりになっている。

なんだか、心理的に難しい局面にある。
しがらみを解きほぐして生きるのか否か、それが問題だ。
まだまだ不惑にはなれそうもない。

覚悟を決める必要があるようだ。しがらみを解きほぐす生き方をするのか否か。

会社って言うのは、セーフティネットとしての役割があって、会社業務として覚悟を決めても、それは有期だし、たとえ間違ってても辞めさせられるようなことはない。会社から一歩外に出て覚悟を決めたら、それはある意味一か八かだろう。

会社の中で覚悟を決めるのかどうかを今、悩んでいる。最近笑い方を忘れつつあり、人を気遣うことができなくなりつつある自分に気づいているので、なおさらだ。

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