2011年3月12日土曜日

大地震発生!

2011年3月11日(金)14時46分ごろ、三陸沖深さ10kmを震源とするマグニチュード8.8、最大震度7の東北地方太平洋沖地震が発生した。

震源地近くの被災状況は、時間を追うごとに酷くなり、特に津波の恐ろしさを改めて実感する事態となっている。

深刻な被害に遭われた方も多く、言葉もない。ただただ、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、家屋などを失われた方に一日でも早い心の平安が訪れんことを願ってやまない。

東京にいると、見える部分の被害はほとんどなかったが、とにかくインフラがメタメタで話にならなかった。

余震を警戒してか、全く動かない電車。地震直後から酷い輻輳で、ほとんど役に立たない電話。

結果、かなりの人が夜道に彷徨い出ることになった。

東京の避難状況は、東北地方の惨状が伝わってこなかったこともあり、さながら初詣のようだった。

自分も浜松町を出て、とにかく西へ西へと歩みを進めた。慶応大学の前を通り、白金高輪から目黒へ。山手線を越え、都立大学を経て二子玉川に到着。途中何度もバスに乗るべきかを迷い、それでもひたすらに歩き続けた。

この頃、横浜、川崎はかなり広い範囲で停電しているとの情報が入り、川を渡る前にコンビニに寄って、おにぎりやパンを買って食べた。

二子玉川に着いて、東京を脱出した、と喜んでいたものの、後で確認すると、全行程の折り返し地点に過ぎす、まだ全くの道半ばだった。ちょうどここまでで3.5時間。

その後、246号線を歩き、横浜市に辿り着いたのが、その2時間後。さらに1.5時間かかって、結局、7時間で30km超を踏破することになった。

今回のような事態のときに、どういった行動が正しいかは分からないが、三つの教訓を得た。

一つは、できるだけ複数人での行動を心掛けるべきだということ。心身ともに疲弊する状況下において、一人でいるのと、誰かと話をしながら移動するのでは、疲れ方が全く違うし、得られる情報量や折衝力にも大きな差が出てくる。

二つ目は、いざという時には公共交通機関は全く期待できないということだ。何よりも早く使えなくなる上に、何よりも長く使えない状態が続く。なるべく早い段階で見切ることが大事だろう。

第三は、電話も一瞬で使えなくなるということだ。悲しいぐらいに役立たずだった。きっと被災の中心にいたらもっとそうだろう。そして、メールもバカだった。遅延しまくって、ほとんどメールに期待する用を為してなかった。

今回の教訓をみると、電話やメールに頼らないコミュニケーション手段を持つことが、個人としてできる震災対策だと思う。

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