2011年3月18日金曜日

メールがなくならない訳

twitterやsns、imやチャットなど、メール代替のコミュニケーションツールが生まれているが、一向にメールがなくなる気配はない。

これらのツールはいつも、メールは淘汰されるべきレガシーツールだと言って、華々しくデビューするが、大抵はイノベーターを掴まえて、ある一定のユーザー数を確保した段階で飽和する。もしくは、メールを置換するものではない別のコミュニケーションツールとしての地位を確立する。

理由は簡単だ。メールを置換する程の浸透力を持っていないからだ。

多くの日本人は、会社/学校のメールアドレスと、携帯電話のメールアドレスしか持ってない。この二つは、組織に所属するなり、携帯電話を買うなりした時に、半ば自動的に付与されるものだ。これで、十分にコトが足りているのだ。

メールの初期を思い出して見れば、今の例えばfacebookと同じで、いわゆるイノベーターのオモチャでしかなかった。そのうちに会社で標準的に使われるようになり、iモードの普及とともに携帯電話でも当たり前になった。

メールで特徴的なのは、利用者の自由度は低く、運用者の自由度が高い、ということだろう。企業や学校、そして携帯電話のメールを取得する際の利用者の自由度はさほど高くない。与えられたものを活用するというスタンス以上ではない。逆に運用者側からすればサーバを構築し、ドメインを取得すれば誰でも運用できるのだから、自由度は非常に高い。

TwitterやSkypeの特長はメールとは逆で、利用者の自由度が高く、運用者の自由度が低い。つまり、個人で試してみるには容易だが、事業者が活用してみようというトライアルを始めるのは難しいという事だ。

TwitterやSkypeの有用性が、今回の震災によって明らかになったが、果たして普及するかと言われると、かなり疑問符がつく。今後、企業や学校で半ば強制的に付与するアカウントになれば、そしてそれを通じて日常的な連絡が行われるようになれば話は別だが、そうでない限りは普及に限界があるだろう。

やはり、今後もメールはコミュニケーションの中心であり続けると思う。新しいサービスの提案はもちろん重要だが、メールの改善・改良も必要だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿