2011年7月15日金曜日

ほとんど意味のない正論

菅首相の「脱・原発依存」宣言は正論だと思う。ただ、ほとんど意味はない。

ビジョンを掲げるのがリーダーの役目と言う人がいるが、それはその人をリーダーと認めるフォロワーがいる場合だろう。早期辞任が前提となっているリーダーの口から出る言葉に、何の重みがあるのか分からない。たぶん、次のリーダーも同じメッセージを出すことになると思うが、その時になって、「あれは俺が言い出したことだから」とか言いたいだけなんじゃないか、と思う。

原発をすぐに全て止めるわけにはいかないし、世論を考えると原発への依存を高めると言うわけにもいかない。でも経済活動を考えると、一定の電力量は原発で賄う必要があるだろう。

そう考えると、誰が宣言しても「脱・原発依存」ということになる。

この国では(他の国でも同じかも知れないが)、政権が変われば、前政権の決め事は反故にして良いことになっている。郵政民営化がいい例だ。ただ、政権が変わって、方法論が変わって、政策の重みが変わっても「脱・原発依存」というメッセージは変わらないだろう。

だから最初に言っておきたかった。自らの業績を永遠に残すために。

現在の支持率の低さなんて、歴史には残らない。歴史に残るのはターニングポイントで発した言葉や行動だけだ。実際は国をボロボロにして、政治をグズグズにした張本人の一人と言えるが、歴史上の文脈では、ある一定の評価をされてしまうだろう。

とっくに役目は終わってるし、自らの目標も実現したんだから、あとはその歴史的評価をひっくり返さないような(短期的視野での)引き際だけを考えているんじゃないかな。

今、引いているレールに乗っかってくれる人、院政を引けること、次の総選挙まで頑張れそうで、フレッシュな印象で、再生・復興という言葉とイメージを重ね合わせると、次のリーダーが見えてくる。玄葉・細野のいずれかでしょう。

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